忘れられない日

たくさんの命が失われた日。そこに従兄弟も含まれていることを知ったのは、さらに10日後の旅行中だった。考古学に邁進された正彦従兄と最後に会ったのは、自分の野放図な性格もあってか、高校生のころが最後であり、岩手まで足を運んで顔を合わすという機会もつくらなかったのが心残りである。





罹災によって、離婚後の父子生活がさらにバタバタしたことも、昨年の写真から読み取ることが出来る。





スーパーから物資が消え





時には計画停電の洗礼を受けての生活だった。





Editor CABEZÓN

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