「白丁花・はくちょうげ」が、相変わらず可憐な花を咲かせている。
花時を迎えてもうかれこれ、一ヶ月ほどにもなるであろうか。長いこと花を咲かせるが、萎れうらぶれた姿を晒さないのは、白丁花の矜持であろうか。
白丁花は生垣などにも使われるが、背丈はそれ程高くはならないようだ。花自体の大きさも一センチ足らずゆえ、どちらかと言えば控えめな花だ。ところが、傍によって丁寧に観察すると、花びらのフリルといい、仄かなピンクの放射線といい、莟みの先端の色合いも、中々にオシャレな白丁花だ。しかも高貴な香りも素晴らしい。
お付き合い願っている知人にも、色々な方がおられる。一見地味で目立たないが、親しくお付き合いを重ねるうちに、人間味豊かなお人柄が「じわーっと」滲み出てくる友人がいるが、白丁花は何やらそんな花なのかもしれない。
道行けば何やら床しき香りして
ふと気がつけば白丁花かも
目立たずも けわい整えひそやかに
身を整えるは君が矜持か
花なればやがて萎れるさだめにも
うらぶる姿を晒さぬきみかも
ふと気がつけば白丁花かも
もう30年も昔のこと・・・
私達の、今は亡きお花の先生は、その頃すでにおじいさんでしたが、「花は足で生けろ」といつも仰っていました。
野山を歩いて花材を集めるのだという意味です。
ある日、その先生と一緒に歩いていた時、まさに上記の歌の光景が・・・・。
その時、はじめてそれが白丁花だと知り、「矯める」稽古をするのにこの木はとてもいいのだと先生は言われました。
たしかにこのお花を、お花会などの派手やかな場所で使われているのを見たことはありませんが、それ以来、この花が咲いているのを見るたびに、その時の光景を思い出します。。。
素晴らしいお師匠様でしたね。
野山を歩いて花材を集め、探し求める中に、
弟子の感性を自ら磨かせる・・・。
将に、師匠とは斯くありたいものですね。
花に限らず、教える立場に在らずも、
その「こころ」を見習いたいものです。
花を見れども 花を観ず
花を探せど 花に気づかず
人と接して 人に気づかず
平々凡々 貪・鈍・どんドン
自省の日々であります・・・。
花を観賞され、痛みをやわらげられるのは、虚庵居士として
望外の喜びであります。
しかしながらコメントに際して、ご自身のブログの著作をご紹介されるのは、お控え下さい。
失礼ではありますが、コメントを削除させて頂きます。
なお、これまでもコメントに際して申し上げて参りましたが、適当X様のご意見は原子力関係者の会議、或いは公的な場で堂々と披瀝なさったら如何でしょうか? 極めて専門的な領域の主張をされるには、それ相応の「場」をお選びになるのが適切かと存じます。