甥の通夜・葬儀、それと初七日の法要の間に、多くの懐かしい皆さんと、親しくお話しする機会が持てた。疎縁の親類縁者とは、不祝儀の席でもないと普段は殆ど顔を合わせないので、若くして逝った彼には済まない言い分であるが、甥の引き合わせだと、感謝している。
その様な中に、実直な一人の好漢がいた。
二・三年前に、彼の収穫したトウモロコシの初物を、姉からのお裾分けとして宅急便で頂いた。丹精こめて育てた玉蜀黍は、皮を剥けば新鮮な香りが昇り立ち、粒がキラキラ輝く様を、「未生の真珠」と歌に詠んだことを思い出した。
通夜の席で久方ぶりのご挨拶を、小声で、言葉少なに交わして別れた。
葬儀が済んで、初七日の法要までの短い相間に彼が傍に来て、今日は車で来たかと聞いた。「マイカーの余寿命と、己の余命を勘案して車を買い換え、馴らし運転を兼ねてやって来た」と答えたら、笑みを浮かべて駐車場に連れて行かれた。彼のワゴン車の荷台を開き、大ぶりの市販用葡萄セットを取り出して、車に積んで行けと言う。房の大きな「甲州葡萄」と「甲斐路」のセットであった。
収穫が遅れた葡萄と言いながら
手渡す箱には房が溢れて
手に取れば粒はプリプリ実がしまり
皮ごと食めば香りたつかな
遺児のこと頼むと云えば快く
請けにしまなこは澄みて清しき
何とも寂しいですね・・
ご冥福をお祈りいたします。
しかし使命を全うされての旅立ちだったのでしょうね
虚庵さまのお歌を天国で、どんなにか感謝されている
事でしょう。
実は私の友人の
ご主人が今日お亡くなりになりました。
絶対に良くなって退院する!と固い約束をしたのに・・
働き盛りの55才でした。
人生長生きに越したことはありませんが
どう生きたか・・?が大事ですね。
チャランポランな我が身を振り返り
反省しきりです。
ご冥福をお祈りします。
余りにお若い旅立ちは、
友人をお慰めする言葉も失いますよね。
無言で、そっと肩を抱きしめてあげて下さい。
シニアと学生の対話を重ねている虚庵居士ですが、
最近は、”死 near ”かなと、しんみりとします。
「笑って死ぬ」準備が出来るまで、
死神に「待った」を申し伝えております。
雪の舞う季節、風邪を引かないよう
念じております。
(虚庵居士の念力、格段の威力あり)