「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「焚火と焼き芋」

2012-12-30 01:50:00 | 和歌

 焚火は県市の条例で厳しく制約されているので、お勧め出来ないが、万全の消火対策を整えての焚火は、心に安らぎを与えて呉れる。

 

 「うつろ庵」では飛び石と鉄平石、更に小石を敷き詰めた庭に、植木等から十分な距離を確保して、バーベキューのコンロを置き、ささやかな焚火を愉しんでいる。
傍には水を満たしたバケツとジョロを置き、万が一の事態に備えているのは言うまでもない。

 人類は火を手に入れ、火に親しんで歴史を重ねて来たが、文明が発展して調理も暖房もお風呂も、昨今はすっかり火を使わなくなった。

 有史以前からの火の文明は、産業革命を契機に化石燃料の文明に引き継がれ、今や電気の文明を享受する時代になった。それと共に現代社会は、火の有難さと火の怖さを忘れさった。そんな流れに掉さすつもりはないが、虚庵居士の人生の終末期は、せめて自然に委ねた日々を送りたいと思うこの頃だ。

 
 ゆらめく炎に様々な思いを重ね、瞑想をめぐらせ、陶然とするひと時は格別だ。
「棺桶ベンチ」に腰をおろし、グラスを片手に焚火に手をかざしつつ、夕暮れのひと時を過ごすのだが、棺桶ベンチでの想念の広がりは、計り知れないものがある。

 焚火の中に、アルミホイルに包んださつま芋を放り込んでおけば、絶品の焼き芋が出来上がる。虚庵夫人の大好物だ。


           枯れ枝を集めて焚火と語らひぬ  

           燃えたつ炎のゆらめく夕べに


           人類は火を朋にして助けられ

           文明築くも火を忘るとは


           めらめらと燃え立つ炎は迸る

           熱きこころを強く放ちぬ


           燃え盛る焚火はせくかも問ひかけて

           若き炎は応えを迫りぬ


           湿る木は悩みを胸に抱くらし

           煙を吐きて燃え燻ぶるは


           人生の来しかた行く末あれやこれ

           想ひを重ねつ焚火の炎に


           残り火のちょろちょろ燃えるはこの先の

           命の様の暗示ならむや


           わぎもこと膝を並べて焼き芋を

           頬張る夕べの焚火なるかな







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