見事な「浜木綿」の花に出遭った。
この花は、かなり長い期間に亘って咲き続けるので、清純な花の姿に出遭うことは稀だ。美しく咲く浜木綿だが、虚庵居士が目にするのは殆どの場合、枯れた花柄が垂れ下がっていて、美しさを損なっているのだ。海岸の天然の浜木綿は致し方ないが、せめて住宅地の浜木綿は、住人がほんの一寸花柄を摘み取ってやれば、美しさが保てるのだが・・・。そんな気配りをする暇人は、居ないようだ。
「うつろ庵」の印度浜木綿は、昨年も「名残の印度浜木綿」でご紹介したが、梅雨の季節に清純な花を咲かせて愉しませてくれる。印度浜木綿は清楚な百合状の花が一茎に七つ八つ、日を措いて順繰りに咲くので、浜木綿とは雰囲気がチョット違う。
浜木綿は細長い花びらを絡ませて団子状に咲くので、その雰囲気も花の景色も別物だ。些か奇抜な譬えだが、浜木綿の花からは、色白の乙女らが群舞する阿波踊が連想させられる。大勢の乙女らが膝を曲げ、腕を挙げ、遠くから観れば絡み合って舞う、阿波踊が想い出されるのだ。黄金色の蕊は、ひらひらと風に舞い、お囃子が聞こえて来るようだ。
しかしながら、浜木綿の気品のある花は、また別の物語をも考えさせられる。そんな数首を詠んでみた。
浜木綿の身もだえ咲くは何ゆえか
秘めにし思ひを誰ぞ知るらむ
白妙の花びら細く絡ませて
思ひの深きを君よ酌みませ
たちのぼるしべは思ひの徴かな
かすかに揺れるは熱きがゆえか
浜木綿は夢にみしかもみごもるを
夢かうつつか実を結ぶとは
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