「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「石蕗・つわぶき」

2011-01-09 20:15:26 | 和歌

 陽だまりの石組の間に、「石蕗・つわぶき」が咲いていた。

 石蕗は秋から初冬にかけて、花の乏しい時節に咲くことと、年間を通じて艶のある緑葉を保つので、庭木の根締めや石組のあしらいとして、昔から多くの皆さんに愛されて来た。それにしても新年を迎え、厳しい寒気の季節を迎えてもなお、この石蕗の様に活きいきと咲き続けるのは珍しいことだ。木枯らしが遮られ、ポカポカと温かな陽だまりにも恵まれて、絶好な環境条件が重なった結果であろう。

 話は変わるが、野蕗の茎を薄味で煮含めた料理は、ほろ苦さがあって酒の肴には打ってつけだが、石蕗の新芽を摘んで、佃煮にした「キャラブキ・伽羅蕗」も味わい深いものがある。キャラブキは日持ちのする佃煮仕立てゆえ、若干味は濃いが、ほろ苦さも濃縮されてこれまた酒の肴に宜しい。頂く御酒の量は大したことはないが、自他共に認める「呑べえ」の虚庵居士は、石蕗の花がいつの間にか酒の肴の話になって、お恥ずかしい限りだ。

 石蕗に話題を戻そう。
常緑の石蕗ではあるが、斑入りの葉もまた趣がある。葉一面に白く丸い斑点が散りばめられて、しかも隣の葉を観れば斑入りのない艶やかな緑葉である。突然変異かもしれないが、それにしては間々見かけるのはどうしてだろうか? それと又、茎の根元近くが倍ほどに膨らんでいるものもあるではないか!

 興味本位で、膨らんだ茎を挟みで切ってみて愕いた。膨らんだ茎の中には、虫の卵が産みつけられていて、中には孵化して茎から巣立ったと思われる形跡もうかがえた。とすれば、斑入りの葉の突然変異は、或いは虫のイタズラかもしれない。虫眼鏡を携えて観察し、或いは顕微鏡で探求する程の研究熱心ではないので、これ以上は例によって想像の話になるが、自然の世界では植物と小さな動物との協調、持ちつ持たれつの関係が様々な斑模様、ドラマを見せて呉れている様だ。

 人類は高度の文明を築き、地球を支配しているかの錯覚に我々は捉われているが、次元を超える眼で人間社会を観たらどうだろうか? 小さな斑の片隅で、米露やEUあるいは中印などとセメギあい、尖閣諸島がどうの、民主政権がどうのと眼クジラ立てているのは、宇宙次元で見れば、何とも異様な斑模様の世界のことかもしれない・・・。





              木枯らしの荒ぶればとて襟を立て

              背を屈め来れば石蕗咲くかな


              此処だけが木枯らしもなく陽だまりの

              いとおしむかも黄色の小花を


              爽やかに衒いもなく咲く石蕗に

              酒の肴を連想(おもふ)ぞ哀しも


              花ののち綿毛を飛ばせや何処へか

              石蕗たずねて君にま見えむ







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