「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「庵の夕べ 鈴虫鳴くを」

2007-10-05 00:42:17 | 和歌

 「うつろ庵」の狭い庭に、鈴虫が鳴きだした。

 思えば何年か前のこと、虚庵夫人が友人から鈴虫の篭を頂戴して、素晴らしい鳴き声を楽しませて貰った。友人のご指導もあって晩秋まで無事に過ごしたが、厳しい冬の到来とともに、篭の鈴虫は次第に数が減り、年末には遂に全てが姿を消した。

 友人の解説によれば、鈴虫は晩秋に土の中に産卵をして命を終えるが、仲間が亡き骸を食べ尽くして供養するのだという。その実態を見たわけではないが、後には細い髭だけが残されていて、哀れを誘った。

 冬の間、時々霧吹きで湿り気を与えて越年した。次の年には、ごくごく小さな鈴虫が数え切れないほど孵った。胡瓜・ナスなどの野菜と煮干の粉が、彼らの食事だ。時々ジョロで人工雨を降らせ、乾燥し過ぎない配慮も大切だ。こうして、秋の鳴き声を何年愉しませて貰ったであろうか。

 嫁入りした鈴虫の数もかなりの数になるが、ズボラな飼い主は昨年の晩秋、庵の庭に鈴虫を放すことを思いつき、早速実行に移した。ゆく秋の移ろいとともに、庵の夫妻の頭からは何時しか鈴虫のことは掻き消えていた。

 数日前の、急に涼しさが増した夕暮れ、虚庵夫人が書斎に飛び込んで来た。
「鈴虫が鳴いているのよ」
との知らせに、ともに庭に降り立った。紛れもないかの懐かしい「鳴き声」だった。

 その日の夕食は、テラスに設えた朽ち掛けたテーブルで、鈴虫の鳴き声を堪能した。
せわしい日常に追われている道行く人々にも、鈴虫のお裾分けをと念じて、吟醸酒の箱を潰した大振りの短冊に落書の歌を認めて、生垣に吊るした。


 

                立冬を過ぎて放ちし鈴虫は

                ひととせを経て庵に鳴くかな



                馬掘れば清水涌きいず郷なれば

                鈴虫鳴くかな庵の庭に



                せく足をしばし留めて聴かまほし

                庵の夕べ鈴虫鳴くを