川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

たのむから瞳は閉じないでほしい

2005-03-09 05:43:38 | ソングライン、ぼくらの音楽のこと
レミオロメンの「3月9日」という曲を聴いていて、なかなかの佳曲なのに、サビで「瞳を閉じて」ときたところで脱力。

なんで、我が国にはかくも言葉に無神経なシンガーが多いのだろう。もちろん、それを受け入れている側も問題なのだけど、平井堅の「瞳を閉じて」なんて、国語審議会が問題にしないのが不思議くらいのトンデモ歌だと思うのですよ。

なぜなら、

瞳は閉じられない。

からです。

閉じることが出来るは、まぶた、です。
あるいは、目を閉じる、というのでもいいでしょう。

でも、瞳は、断固として閉じない、です。
まぶしくて、きゅっと絞まることはあるにしても。

「瞳を閉じる」という表現、歌詞でしか使いませんよね。
この表現を大々的に広めたのは、ユーミンの「瞳を閉じて」だと思うのですが、それ以来、延々と、単に「響きのよさ」という理由だけで、無批判、無批評なまま使われ続けているわけです。
日本語歌詞の、クリシェになっているのですね。

使うな、とは言いません。
ただね、使う以上、確信犯であれ、とは思うわけです。

ぼくには、ほとんどの「瞳を閉じて」が、まったく確信犯には聞こえないのです。
単に、日本語歌詞のレガシーを無批評・無批判なまま継承しているだけ、だと。

その意味で、バービーボーイズは偉かったです。「瞳の奥でまばたくな」は、名曲です。
瞳はまばたかないという、解剖学的な真実をふまえた上で、その奥で「自分を見ているにもかかわらず、見ていない」相手について、そのように表現する。
これぞ、歌詞って、思うわけですよ。

そうだ。
「瞳を閉じて」の起源。実はユーミンじゃないんです。ユーミンは広めただけ。
それ以前、URC系のフォークで用例があるんです。一度、きいて、あ、たぶんこれが最初のだ、と思ったことがあって……。
でも、それが誰のどの曲なのか思い出せない。
もどかかしいっす。
どなたか、ピンときませんか。


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22 コメント

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聴いたことあるような気がするけど、おもいだせな... (しのぶん)
2005-03-09 10:13:40
辞書で「瞳」を調べたところ、
(1)目の中心にある、黒くて小さなところ。光をうけてものを見る。瞳孔(どうこう)。
(2)目
とあるので、(2)の意味=「目を閉じて」として受け入れてはいかがでしょうか。

1にこだわると、「きみの瞳に恋してる」では「瞳孔のどこに魅力があるんじゃい」、目薬CMのうたい文句「瞳にうるおい」では「潤っているのは瞳孔ではなく眼球である」、人名の「瞳ちゃん」は「瞳孔ちゃん」になってしまいます。

殿、ここはひとつご寛容に。
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あれ、ご存知ないんですか? (snjx)
2005-03-09 12:06:45
最近の若い人は瞳孔をきゅっと絞ることで外光をシャットアウトできるんですよ。

主に、見てみぬフリをするときにこういう技を使いますね。
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しのぶん、それは辞書がおかしい。 (本人)
2005-03-09 14:11:59
ぼくの辞書(広辞苑6版)には、

ひとみ【瞳・眸】
目の玉のなかの黒い部分。瞳孔(どうこう)。「つぶらな?」

とあるぞ。
など、辞書を非難したりして。

でもさ、日常用語で「瞳」と言う時に、決して「目」という意味では使っていないわけで、それを歌でだけ「瞳を閉じて……」というのは、いただけないですわ。
「誤用」だから嫌だといっているのではなく、言葉に対する無関心、無感覚、無批評性を示すもののように思えるから。

それと、snjxさん、それは、若い人じゃなくて、うちの母とか義理の母とかのことを言っているのでは? いやきっとそうだ。知ってるんでしょう。あの人たちのこと。聴いたことを聴いてない、見たことも見てない、ことが多いんだな。
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ひとみ【瞳・眸】 (グン)
2005-03-09 14:50:09
目の玉のなかの黒い部分。瞳孔(どうこう)。「つぶらな?」

ということは、「つぶらな瞳」ってのは「黒目がちっちゃくて白目がちな目」って意味ですか?
う~ん、いま時そういったときって、目全体を指しているように思うのですが。

で、母や義母の話ですが、耳や目と言った情報認識装置は経験(年齢)と共にノイズリダクション機能が発達し、結果、自分が欲しいと思う情報以外は全て消されてしまうという、素晴らしい機能があるらしいですよ。
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広辞苑は机の下にうもれてるから、みなかった。苦... (しのぶん)
2005-03-09 15:15:58
つぶらな瞳ってのは単にまぶしくて締まった瞳孔のことなのよ。だからそのうち歌の中に「瞳孔散大筋が~」とか、「瞳孔括約筋が~」とか、「大脳新皮質が~♪」とかいうリリックがばんばん出てきて一億総解剖学教室みたいになるの。ビバ、養老孟司。

類似語彙として、「心」は脳に存在するんであって、心臓に存在するのではないってのと同じで、心が痛いっていいながら胸を押さえてはいけないのです。じゃあ、心が痛い場合は脳が痛いのかというと、脳は痛みを感じないから、つまるところどこもいたくならないっていいたいんでしょ、カワバタさん!
ふんがっ。
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ええっ、「つぶらな瞳」って、むしろ、瞳が開いて... (本人)
2005-03-09 16:37:46
ところでしのぶん、心と脳の話は別じゃないか。脳に心があると思っているのは唯脳主義者って、やつで、むしろ、脳だけではなく全神経系、いや身体すべても巻き込んで、われわれのselfはあるのであって、心の所在など、簡単に定義できるものではないし。
実際に心が痛いという身体感覚がある以上、胸を押さえるのはアリでしょ。

それとは違って、「瞳を閉じる」は単なる誤用です。
だれもまぶたを閉じる時に、瞳を閉じる身体感覚を持っているわけではないでしょう?

三省堂の辞書がどういういきさつで、「瞳」イコール「目」というのを掲載したか分からないけれど、たぶんひどく最近の用例(歌とかCM)に触発されたのではないかなあ、と思うなあ。

ちなみに、ですね、日常用語で「瞳」=「目」として使ってる人っているのだろうか。
たとえば、プレゼントあげる時に「目を閉じて」というかぎりに、「ちょっと瞳とじてくれない」とか言う奴。
いかがでしょう。
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「瞳をとじて」で考えていたら、「ダンシングオー... (暖雪)
2005-03-09 17:58:12
僕は特に気にならなかったです。この記事読んで、「あ、なるほど」と思ったぐらいで。となると、外国人の「青い瞳」というのはおかしいのでしょうか?この場合、”目=瞳”の意味ですよね?
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>プレゼントあげる時に「目を閉じて」というかぎ... (しのぶん)
2005-03-09 20:03:14
「瞳」の使い方がどうのこうのより、そういうシチュエーションを演出するその男に引いてしまいます。

「つぶらな瞳」は「円な瞳」でまんまるくなった瞳のことですが、「瞳=目」が誤用であるということを前提に「円な瞳がかわいい」を翻訳すると「まんまるい瞳孔がかわいい」となります。そして、瞳=瞳孔と限定するならば、これは瞳孔の丸くない動物(ネコ、牛、ヤギ、イルカ、etc)に対しては使用できないし、使用したい場合は常に相手の動向の形状を確認した上で使用しなければなりません。イルカの瞳を賞賛するときには「U字形の瞳(瞳孔)がチャーミング」となります。

たしかにカワバタさんの言うとおり、日常で「目」というときには、まぶたや眼球、眼球内の構造、そのあたりのもの全部コミコミで「目」というのに対して、日常に一般人が「瞳」というときには瞳孔を単体で指し示し、「目」全体を称さないのはわかりますデス。

じゃ、なんで、「瞳孔」は「瞳」じゃなくて孔って字もついてんの?

んでもって、今度は「どうこう【瞳孔】」を辞書でひいてみました。

どうこう【瞳孔】:眼球の虹彩が囲む円形の小孔。光はここを通って眼球内に入る。瞳(ひとみ)。(広辞苑(うちのは第4版どす)より)

どうこう【瞳孔】:(名)【生】眼球の中心を通って光線を取り入れる小さなあな。こうさい(虹彩)にかこまれている。ひとみ。「ーが開く」。(三省堂国語辞典)

ぜんぜん話はそれますが、こちら(関西)では「目を閉じて」ではなく「目つぶって(or つむって)」。そして「とじる」は「(うどんやおじやを卵で)とじる」。つまり「瞳」も「閉じて」も、そういった言葉をいったりいわれたりするのも、歌や物語のなかでだけという、ウルトラ非日常言語です。

ながなが書いてたらわけわからなくなってきました。めんどくさかったら流しといておくれやす~。
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こういう時に、語源やら、用例の変化をトラックし... (本人)
2005-03-09 23:40:25
ちなみに、大辞典クラスの辞書として、

■ひとみ【瞳・眸】

瞳孔(どうこう)のこと。〔十巻本和名抄‐二〕

とのことです。瞳孔の意味での、「瞳」の用例は10世紀に遡るわけですね。

それはそれ、ガイジンさんの「青い瞳」も比較的最近「誤用」として始まった言い方ではないかと思います。
たとえば、
http://www.geocities.jp/blue_eyed_dolls/museum.htm
昭和初期に日本に送られた有名な「青い目の人形」は、決して、「青い瞳の人形」ではなかったですよね。
おそらく「青い瞳」という言葉が使われるようになるのは、戦後なんじゃないかなあという、気がします。

それと、発見、これは別エントリものだ。

http://wagesa.cool.ne.jp/music/gs/aoihitomi.htmlこれね。

さらに、しのぶん、瞳孔と瞳のちがいって、たしかに興味深いです。
ぼく自身、「目」の同義語として瞳をつかったりはしないけれど、とはいっても、「青い瞳」くらいはまあいいかと思っていたりして、瞳=黒目(というか、虹彩よりも内側の部分)というイメージで口にすることがあるのを自覚したり。

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いやはやなんとも。 (Mn)
2005-03-10 00:14:56
 個人的には瞳=虹彩から内側までの意味が限度ですね。まあ、dietじゃないダイエットと同じようなものとして気にしないようにしてます。出くわす頻度が高すぎて気にすると身が持ちません。

 そう言えば、目が近くて耳は遠いと長生きできるらしいですね。もちろん、気に入らない事は目にも耳にも入れずに過ごせるからだそうです(入ってても無かった事にしてしまう)。割と身近に実例がいたのでそりゃあもう。
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