川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

河明かりを読む

2010-08-16 12:55:15 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
岡本かの子 (ちくま日本文学)岡本かの子 (ちくま日本文学)
価格:¥ 924(税込)
発売日:2009-07-08
富山で息子のクライミング大会に付き合ってダラダラしている間に、「河明かり」を読んだ。
調べれちくまの全集などに入っているのだが、正直に申し上げると、青空文庫に入っているものをiPadで通読したのだった。

岡本かの子というと、岡本太郎の母さんで。とにかく川に執着した作品を多く書いた人。多摩川沿いをただ乙女が走るだけといっていいストーリーの「快走」とか、そのものずばりのタイトル「川」だとかが印象的。

そんな中て、「河明かり」は、小説家の手記という形式を取りつつ(書き進めている小説のキャラ設定に悩み、環境を変えようと、川沿いの仕事部屋を借りるところから話は始まる)、めっちゃくちゃ「川」小説なのだ。

東京下町の複雑な血管網のような水系を、細々と記述するし、川への執着が半端ではない。

前半は東京下町でのわりとちまちました話なのだけれど、後半になって新嘉坡(シンガポール)に話が飛ぶと、いきなりこんな記述。

すべてが噎《むせ》るようである。また漲《みなぎ》るようである。ここで蒼穹《あおぞら》は高い空間ではなく、色彩と密度と重量をもって、すぐ皮膚に圧触して来る濃い液体である。叢林《そうりん》は大地を肉体として、そこから迸出《ほうしゅつ》する鮮血である。くれない極まって緑礬《りょくばん》の輝きを閃《ひらめ》かしている。物の表は永劫《えいごう》の真昼に白み亘《わた》り、物陰は常闇世界《とこやみせかい》の烏羽玉《うばたま》いろを鏤《ちりば》めている。土は陽炎《かげろう》を立たさぬまでに熟燃している。空気は焙《あぶ》り、光線は刺す??????

 濃密であり色鮮やかだ。
 ある意味観念的だし、突飛でもあるのだけれど、単に観念的で片付けられないとも思うのは、背後に「川」があるからだと感じる。
 液体・鮮血といったあたりに、なんだか川へのつながりを感じてしまうし、実際にその直後、新嘉坡の川の話へと繋がっていくのだ。
 
 そして、彼女が新嘉坡での所用を終えて、帰国した後の弁。
 
 だが、こう思いつつ私が河に対するとき、水に対する私の感じが、殆《ほとん》ど前と違っているのである。河には無限の乳房のような水源があり、末にはまた無限に包容する大海がある。この首尾を持ちつつ、その中間に於ての河なのである。そこには無限性を蔵さなくてはならない筈《はず》である。
 
 結果、彼女は、書きかけの小説のキャラそのものをゼロから練り直す決意をするのだが、その作品というのは、「女体開顕」や「生々流転」のことなのだろうな。実は大作すぎて、通読できたことがないのだ。いつも読みかけてつまみ食い。
 しかし、これからはiPadがある。
 いつでもゆっくり読めるのでした。
 
 なお、岡本かの子は、本当に川に執着した人だけれど、そこに生き物賑わいを書き込むことはあまりない。
 川そのものへの執着を前に出す。
 そのあたり、岸由二さんとはかなり違う。でも、通底するところもある。

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