川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

義務じゃなくて、権利じゃないのか。PTAの活動って。

2006-05-14 06:29:38 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
義務だ義務だと思われがちなPTA活動だけれど、そもそもボランティアベースで皆活動しているのであって、義務の意識が強くなると困る。
一部の「義務が大好き」な人を除いて、ちょっと不幸な人が続出する。
でも、これって違うんじゃないか。
元から思っているのだけれど、最近さらに強く思っている。

委員会活動の副委員長という、これまでよりもほんの少し「中枢」に近い、ガチッと決まった仕事をしているからかもしれない。
だって、これ、引き受けたらには義務だけれど、それ以前の問題として、楽しいよ。自分で引き受けたものであり、風通しのよい議論ができ、決められた範囲内であれクリエイティヴな工夫が認められるなら、大抵のことは楽しい。義務だとしても、嫌な義務にはなり得ない。

さて、不幸な人が続出するというのは、いろいろなケースがある思うけれど、一番多く想定されるのは、クラスでの「役決め」の際、やりたくないのに押しつけられたり、何年も何もやらずにいると「やらないのはおかしい」などと言わたり、というような現象。

もしも、PTAが、ボランティアではなくて、アプリオリに国民の(保護者の)義務だとしたら、これは正論であって、反論できない。
とはいえ、原則ボランティアなのだから、やはり、おかしいのだ。やりたくない人はやらなくていいはずだし、そもそも、PTAに入会したくない人は入会しなくていいはず。

にもかかわらず、こういう言説が横行するのは(身の回りでも報告あり。またネット上でもよく見られます)、PTAというのが単なるボランティア団体とはいえないものになってしっかり日本の教育の現場に組み込まれているからだろう。
教育の側面サポートには不可欠だと多くの人が思っているし、最近では学校と地域をつなぐものとしてさらに重要視されている。
つまり、多くの局面で必要とされており、実際に機能しており、また「子どものこと」「教育」というような聖域マターであるPTAは、本来のボランティア活動を超えて、「義務」の面が強調されてしまうところがあるのだ、ということ。

そこで、なのだけれど、提案というか、思いつきというか……。

PTA活動を義務ではなくて、子どもの教育の現場に直接かかわることができる「権利」と読み替えられないだろうか。
いや、実際にこれは権利なのだとぼくは確信しているのだけれど。

さて、なぜ、そんなふうに考えるようになったからというと……ぼくが男性だからかもしれない。

たまたま、こんな仕事をしている。
昼間、暇とは言えないが、時間の融通はつけられるから、PTA活動にもかかわることができる。
多くの会社務めの男性は、こんなことはできまい。
特権である。
会長をつとめる男性は多いけれど、そういう特別なポジションではなく、ヒラ委員であるとか(役員選出委員会をやった)、副委員長であるとか(家庭教育委員会を目下つとめ中)、PTAの中で実働する部隊でわいわいがやがや何かを「なしとげる」のは、今の世の中の男性の社会的な立場ではなかなか難しい。
実際に楽しいだけではないにしても、楽しくて仕方ないもの事実なわけで、こんな素敵なことを逸している多くの男性に対して、ぼくは恵まれている。
などと本気で思う。

で、ぼくは決して、ほかの男性に対して、「PTA活動をしないのはおかしい」とか「いつまでも逃げられると思わないでよ」などとは考えたことがない。
そんなの当たり前だ。なぜなら、ぼくは自らの権利を行使できることに歓びを見いだしているのであって、自分が権利を行使することでほかの人の権利を疎外している可能性すらあると感じることがあるのだから。

PTA活動は義務ではなく、権利。
もちろん、引き受けた瞬間に義務は発生するけれど、それは自分が自発的にかかわることに決めたから。

そう考えればすっきりする。

そこで、女性はどうなんだろう。

もともとPTAはGHQの号令で始まったものだけれど、その時、「あてにされていた」のは、当時ほとんど外で働くことがなかった主婦だ。
以来、七十年近く、一貫して「主婦」がPTAの活動の担い手として、「あてにされ」続けてきた。

でも、すでに「あてにできる」時代でもなかろう。
うちの小学校の場合、低学年の250人のうち、学童保育の登録児童はおよそ100人。半分とはいかないけれど、四割方は平日に三日以上働いている(学童保育の登録基準)。
純粋な「専業主婦」はむしろ少なく、まったく仕事をしていな主婦は、小さな子どもがいたり、介護しなければならない肉親がいたり、本人の健康がすぐれなかったり、ということが多い。

とすると、何が言えるかというと……。
今の時代、女性でも、PTAの活動に参加したくても参加できない人はとても多いのだ。ということ。

参加できる女性は、男性ほどとはいわずとも、やはり恵まれた人たちなのだ。

PTAで、大切な自分の子どものみならず、多くの同時代の子どもたちの「育ち」にかかわることができる。それができない立場の人がたくさんいる以上、「できる」立場の人たちは、やはり特権的な場所にいるのだと自覚すべきだ。
たとえば既存の運営の仕方(例えば、平日昼間にほとんどの集まりを持つことや、さまざまなかつての「主婦」のあてにした制度設計を維持することなど…)を維持することによって、自分の特権を囲い込んでいる可能性すらあることを自覚すべきだ。

だから、あえて言ってしまおう。

PTAって、義務なんじゃなくて、権利なんじゃないの。
活動できる人って、権利を行使できる幸せな人たちじゃないの、と。

よって、出来ない人を追いつめるのやめましょう。
やりたくない人は、ずーっとやらずに済ましてもよいってことにしましょう。

そのかわりにお互いの事情を理解した上での、リスペクトが大事じゃないでしょうか。
ボランティアにおいての、最大の共通通貨は「敬意」であるがゆえ。
がんばっている人には敬意と感謝を。
その反面、なんらかの事情で「やらない」ことを選んだ人に、どのような形であれ物理的、心理的制裁が下ることがないように。

え?
それじゃ、なり手がいなくなるからヤバい?

決してそんなことはないです。
今、心配したあなた。一緒にやりましょうよ。
ぼくは、まわりが許してくれる限り(玉砕しない限り?)、やりますからね。

いや、そういうやつにPTAを独占されたら困る?
それも大丈夫。
それで困ると思う人が一定数いるようなら、きっとそこから新しい役員や委員が出てきます。
そもそも、そう感じているあなたが候補です。
だって、権利なんですから、あなたが行使すればいいのです。

以上です。
アジテーション成分を含みつつ、上記の論旨、ぼくは本気でそう感じています。





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25 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして。よく判る意見です。ほぼ同意です。 (さんきゅ)
2006-05-14 06:52:58
仰っている事は、PTAに限らないですね。
私の身近な所では、労働組合、自治会や、マンションの管理組合など、いろんな組織で同じ事が言えますね。

一点気になる点は、そんなのおかしいよって思って、権利を行使したくてもできない人はどうすれば良いのでしょう?

そんな人も参加できる(意見を言える)組織を作っていく必要はあるかもしれませんね。
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もしも、本気でおかしいと思うなら、まず口頭であ... (本人)
2006-05-14 07:04:26
ですから、それをやればいいのです。
「権利を行使させろ。自分の意見を活動に反映させたい」という人が、まったく何もできない状況なんて事実上ありません。ただ、とっても大変な労力を要することになりそうですけどね。

と書いて……なんだか、さんきゅさんの意図する質問をちょっと誤解してますかね。
たとえば、平日昼間に学校にこられない人が、「権利行使」(活動にかかわる、活動に意見を反映させる)機会を持てるようにするのは、当然、努力しないきゃならないところです。
それがこの「権利論」のいいところです。
義務論だと、「我々ばかりがいつもがんばって、あいつらは義務を果たしていない」と考えがちなのに、「我々だけが権利を囲い込んじゃいけない、他の人にも機会を開こう」と考えることになるわけなので。
具体的には、やはり、PTAの活動一般を見直したりしなきゃならんですよね。
とはいえ、PTAを平日夜と土曜日にのみ活動する団体にすることは無理なんです。
学校は平日昼間にやっているので。
ここは悩み多きところです。
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早速のコメントありがとうございます。 (さんきゅ)
2006-05-14 08:06:34
ごめんなさい、意図を巧く表現できていませんね。

「権利論」の方が、私にはすっきりとしていて、大変好ましく思っているのです。

権利として考えた場合、やりたい人って出てくると思いますが、最近、共働きの家庭って多い訳ですし、その人たちの参加をどの様にするか、考えていく必要がある、と思ったのです。
それも当然に考えていらっしゃるようで、嬉しくなります。

いろんな場所で、この「権利」って発想に転換していければハッピーだなぁと思います。

でも、確かに本当にやりたい人ならば、何か工夫をして参加すればいいですもんね。私の心配って、杞憂かもしれません。
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はい、権利と考えた方が、すっきりしたり、楽にな... (本人)
2006-05-14 08:20:58
ただ、この主張が受け入れられ、権利が権利として定着すると、今度は「権利」という強い言葉が持つ、悪い面も顔を出しそうな気がしています。
ですから、理想的には、「子供の教育・育ちに積極的にかかわりたい人が、公に認められたものとしてかかわる機会としてのPTA」くらいの理解がいいのかなあと思いつつも、とりあえず、ここでは「権利」推進です。
これ、このエントリの「アジテーション成分」です。
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私も所感を一言。 (おんぶおばけ)
2006-05-14 09:57:17
私は川端さんと同い年のおっさんで、上の子供が2年生に上がったときに全くのど素人でいきなりPTA会長をやったことがあります。

そのとき感じたのは、働いている女性のほうが「権利」という感覚で、「できる人がやればいい」という意見で、専業主婦のほうが「義務」で「みんな公平にやらないとずるい」という意見だったということです。(実際に役員決めや委員決めで出てくるのは現状ではやはりまだまだ母親が大多数なので女性の意見がケーススタディになってしまいます)

私の妻も「できる人がやればよい」ということを常に言っていて、自分でも積極的にPTAや子供会の活動に参加していますが、私は主婦の多くの人が感じている不公平感も分からないではないです。

昔と違い今はかなりの人が高校後も高等教育を受けている状態です。そのため「女性が家で主婦」というのを最初から納得づくでやっている人が少なく、なんとなく流れで主婦になってしまっているという人が多いんではないでしょうか。

すると、夫婦でフィフティフィフティなどといっていても現実は、家事はほとんど妻がっていう状態で、そういう不公平感を日々感じているんじゃないかと思っています。「やれる人が」なんて言っていると結局全部自分が、ってことになると。

長いので続く。
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続き。 (おんぶおばけ)
2006-05-14 09:59:08
私は妻の仕事の事情で、アメリカのベンチャーに単身でいた8年前に日本に戻ってきて、自分で会社を立ち上げたりしましたが、現状はずーっと開店休業状態でほとんど主夫という感じです。子供たちが3歳5歳のころから小学5,6年の現在まで子育て家事はほぼ90%自分でやってきて、非常に楽しかったし、貴重な経験だったし、もう一度自分が子供時代をすごしているようでよかったのですが、それでも時々「何で俺ばっかり」って思うときがあります。

このメンタリティは主婦(主夫)にはよく分かるメンタリティだと思います。こういう感覚がお互いに分からないとポジティブに「権利」という感覚に持っていくのはなかなか難しいんじゃないかと私自身は思っています。

「俺自身はできる人がやればいいっていう意見だけど、みんながやらないと不公平だって言いたい気持ちも俺はわかるよ。」ということを上に挙げたことを説明しつつ妻に言っても、理屈では分かるけど感覚的にはどうもピンとこないようです。まーしょうがねえかなって思ってますけど、これが現状じゃないでしょうか。

私がPTA会長をやった経験から言うと、やれる人がやったほうがいいけれど、無理やりでもnew comerを迎えいれないと全体としてはなかなか変えるのは難しい、ってところですね。
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PTAって、やることが肥大化しすぎちゃってますよね。 (本人)
2006-05-14 10:16:47
かといって、整理整頓するのがいかに大変なのか(そういうことを口にするといきなり拒絶反応が出る)、首を突っ込んでいるものとして分かっているつもりです。

でも、どうなんでしょうね。
もともとボランティア組織なんだから、やりたくない人、できない人が、やらなくていいのは当たり前のことなんです。
そこのところがあまりに忘れ去れているような気がしているんですが。
ちなみに、おんぶおばけさんのところは、意志を問うことなく「全員参加」ですか?
うちはそうなんですが、ちょっと気持がよろしくないです。

で、本題。
new comerは必要です。
どのみち、すべてのPTA会員はやがて「卒業」していくわけだし。
new comerが入ってきやすい仕組み、雰囲気を作ることができたらいいなあ、というのがぼくの目論見というか、希望ですね。
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あ、あともう一点、おもいついたんですけど、じゃ... (本人)
2006-05-14 10:18:44
たぶん、確実に「できること」は減るでしょう。
でも、これまで権利を行使できなかった人たちに機会を与え、義務だと思ってきた人を解放できます。
にもかかわらず、「それはだめ」って言われそうですね。
でも、思考実験としてはおもしろくありませんか?
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当時何もかも分からないことだらけだったので(学... (おんぶおばけ)
2006-05-14 10:52:58
で、そのあたりの情報をまとめて説明し、そんなにやる人がいないんなら一度PTAなくして再出発したほうがいいんじゃない?って言ったことがありますが、みんなそれは困るって言うんですよ。

私としては、川端さんがおっしゃるようにPTAとしては今までの積み上げでやることが肥大化しすぎてにっちもさっちも行かなくなっている状態なので、一回リセットしないと無理だと思っています。

「社会を明るくする運動」と「児童福祉協議会」ってのがありますが、PTA会長になったりするとこいうのに自動的にあて職として係わり合いを持つことになります。これ地方では活動の中身はほぼ同じで、法務省と厚労省?だったかの縦割りの影響で二つとも残ってます。

結局肥大化はこういう行政の場所でも複雑に絡み合っていてPTAの役員をやるってのがかなりの負担になります。こういうの整理して何とかならんのか?と市議会議員やら役所の職員に聞いたけど、「無理だ」ってことでした。まあ、なんと言うか自らが「壊す」とか「無くす」っていうことをすると後々「誰が」っていう責任を負わされるのがいやなようでした。

結局こういうのを一つ一つほぐしていって負担を軽くしないと、なかなか気軽にってわけにもいかないかなという感じです。
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やらされてる感について (A-WING)
2006-05-14 11:01:58
「義務」の出発点は「権利」で,権利の行使は,「こうなっていたら良いのに」を実現することですよね。
「やらされてる感」を抱いてしまうのは,「なぜそうすることになっているのか」への理解がないからだと思います。

共働きの権利行使について
たとえ共働きであっても,意見表明の権利ぐらいは行使できますよね。
出来る範囲で精一杯権利を行使する,出来ないところはあきらめる,でいいんじゃないかと思います。
全ての立場の人の行使の範囲を,全て同じに考えるから,「できない」になってしまうのではないかと。

家事も,「こうなっていると良いな」と思うから洗濯したり掃除したりするんだと思います。
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