「雲の王」の特設サイトが出来てます。
こちらです↓
http://renzaburo.jp/kumo/index.html
日本の天気予報を変えた男、天達武史さんと一緒。
いきなり、「龍神さんによる龍神の装画」を、ばっと展開した形で見せてくれたり、ビジュアル的にいいかんじですよ。
天達さんとの対談もあり。これは、「青春と読書」に掲載されたものの忠実な再録。
オリジナルコンテンツとしては、こんなものが……。
ニュージーランドやらボルネオで撮った雲の写真を掲載してもらいました。
空が広いところでは、つい雲ばかりみているわたくしです。
本当に、あの頃(NZ在住の頃)、空ばっかり見てたよなあと遠い目。
当時書かせてもらっていた、NZネタの日記リンクも張っておきます。
全25回中、なぜか「蟹釣り」についての回をセレクト。
http://bunko.shueisha.co.jp/serial/kawabata/07_01.html
なつかしいです。
雲の王 価格:¥ 1,575(税込) 発売日:2012-07-05 |
香港の会社が撮ることにして、子供は新華僑、この鰻は蟹!と吹き替えて見たら、かなり切実で、面白そうだった。
美晴がおとずれたのは長崎じゃないのには、歴史がある。
諫早湾も閉め切っていなかったけど。
その部分、現場の人が違和感がないか、確認しておきます。> masudakoさん。
いずれにしてもご指摘感謝。
教えていただいたリンクで学会の声明を再読しました。3つ目は今回がはじめてでした。
読んでの感想ですが、やはり、失望という言葉が真っ先に浮かんできます。
1度目2度目の声明を読んで感じるのはむしろ「箝口令」としての性質です。この件については、3度目の声明での「振り返り」の中でも意識されていないようです。
強制力がない団体というのは分かりますが、それにしても、よくほとんどの学会員がこの声明に従ったものだと感慨を覚えます。新聞記者が、放射性物質の拡散についてインタビューを申し込んだ研究者が学会の声明を理由に断ったという話も聞きました。(誰と誰が学会員で誰と誰が非学会員という識別ができているわけではないので、そのような学会員だけではなく、情報発信などに熱心な方も大勢いらしたということであれば話は別ですが)。
さて、masudakoさまがご意見の中で書いておられる、他国のシミュレーションですが、ひとつはドイツ気象庁のものではないでしょうか。
4月4日の読売新聞のこの記事が出て、その記事の書き方がツボを押さえていなかったため、シミュレーションではなく、リアルなものだと勘違いする人が多かったと記憶します。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110404-OYT1T00603.htm
気象学会が、放射性物質の拡散について述べる主たるエージェントではないにしても、社会に還元すべき知識を、還元できる時に使わない手はありません。
たとえば、この読売の記事について、気象学会や、この手のシミュレーションに明るい知識を持った学会員が、記事のミスリーディングな部分を訂正するように求めたりしたでしょうか。
表に出ない部分でされていたかもしれませんが、表だってシミュレーションの性質について語り、粘り強く誤解を解こうとし、記事の修正をよびかけたのは、わたしが見ていた範囲では、気象学者ではなく物理学者でした。結局、読売新聞は、ミスリーディングな部分を認めず、今もそのまま形でウェブで読めるわけですが、気象学会がシミュレーションについての「正しい」考え方を伝えていれば、違っていたかもしれません。
もっとも、これも私から見えていた範囲内だけの話なので、気象学会や学会員もこの件で「火消し」に尽力されたのかもしれませんが。
なお、気象学会が強調し、masudakoさまも合意しておられるように見える「一元的な情報提供」ですが、基本的には良く言われる通りで、大切なことと存じます。しかし、それがままならないのが、リスクコミュニケーション、とりわけクライシスコミュニケーションと呼ばれる分野での常識です。そして、先の原発事故では、最初の時点ですでに一元的な情報提供は崩れておりました。
そのような時、社会的に上位のオーセンティックな情報提供者(例えば気象学会)がどう振る舞うかが、問われたように思います。
私の見立では、気象学会や、専門的な知識を持った学会員が沈黙した隙間に、怪しい情報がどんどん入り込んてたように思います。
本当に役に立つ知識やスキルを持っている人がまとまって、口を閉ざした件として大変残念ですし、「なぜここで発言してくれないんだ」と思ったことは一度や二度ではありません。今も、心が痛いです。
これはひょっとすると今も続いていることかもしれず、気象科学にかかわる人たちは「今から」でもできることをするべきかもしれません。例えば記事中で書かれている「シミュレーションについての丁寧な説明」など。
その上で、masudakoさまの今後への提言は大変興味深く読みました。これはむしろ一元化ではなく、多元化であり、また、日常化とでも言うべきビジョンと思えます。
追記
おな、シミュレーションがフィクションなのは、間違いなくそうなのでしょうが、専門家は「どの程度フィクションで、どの程度もっともらしいか」を常に問題にしていただかないとと思います。(ブログ記事の後半の記述はまさにそのようなものになっていると思います)
放出のシミュレーション結果の図についてのキャプションは当初なかったのではないか、という疑惑(?)が濃厚です。
ぼくはこれ、記憶になかったので、当時をしる人たちに聞いてみました。
魚拓などが残っているわけではないのですが、当時、この記事を問題にしていた人たちと読売新聞との間のやりとりは、「何の注釈もなく図を載せるのは不適切」という部分が論点だたったことが確認できました。
その後、読売新聞は、瑕疵を認め、キャプションを付けたのかも知れませんね。