川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

日刊現代の「週間読書日記」に書きました

2005-06-02 17:34:30 | 自分の書いたもの
本日6月2日の日刊現代、17面に出てます。
グインサーガの百巻目のことやら、国書刊行会の最近のSF刊行のことやら、書いています。

顔出し。おまけにニヤケております。撮影者バニーボタンのマスター。
着用グラス、何年か前のミクリ。



旭山動物園から「回答」がきた

2005-06-02 05:21:28 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
リンク: 「動物園」に対する思い.

これ、たぶん、ぼくのエントリに対する回答だと思う。
というのは言い過ぎかもしれないけれど、ぼくのエントリを彼らが読んでいない可能性は限りなくゼロ。なにしろ、共通の知人はたくさんいるので。

聞くところによると、2チャンネルなどでも、前の「レッサーパンダを『見せ物』にしないで」メッセージについて、あれやこれや書き込みがあったというから、おそらくは、ぼくのものも含めて、ネットで盛り上がった反響に対する返答。

ぼくが挑発的に書いた「動物園も見せ物じゃん」「少なくともある人たちにとって、風太君も旭山も同じくらいダメダメじゃん」という主張に、しっかり回答してくださっている。
「動物たちのありのままを「魅て」もらおう。命として伝えよう,感じてもらおう。動物たちの能力や行動,習性を引き出してあげよう。生き生きとした彼らの姿に触れた時きっと感動があるはずだ。命が飽きられるはずがないんだ!」

というのが、主張の眼目。
「野生動物の野生の部分を見せる」=「魅せる」というのが、旭山のセントラルドグマなのだな、とはっきり分かる。
見せ物なのではなく、「魅て」もらうことを目指すのだそうだ。

了解しました。
いいんじゃないかな。
そりゃあ、その観点、それオンリーでいくならやっぱり素朴だよーとか、風太君の立ち姿って「能力や行動」を引き出して魅せる方面に活用できる可能性もあるわけでそのあたりのポジティヴな提案はないわけ、とか、ツッコミどころは、ある。
でも、彼らが「立ち位置」を明らかにして、批判を展開するのなら、ぼくが最初に感じた違和感は解消。

あとに残るのは、やはり、旭山ってすごいなあってことだな。
機動力。
正しいと思ったら、ささっと情報を発信し、また、修正したり、柔軟に対応したり、できる。
これは、ぼくが知る日本の動物園では希有なこと。

そうそう、ぼくが最初に書いた「動物園って見せ物じゃないか」というの敷衍しとかなきゃ。

広辞苑第6版では、

みせ‐もの【見世物】
*珍しい物・曲芸・奇術などを見せる興行。「?小屋」
*衆人の目にさらされ、面白がられること。恥さらし。「とんだ?になる」

ということなのだけれど、この中で動物園は「珍しい物を見せる興行」に隣接する。
動物園の原点はまさにそれだったし、今でも動物園の展示にはこういった意味での「見せ物」要素が必ず含まれている。
それを否定することは、動物園の存在の否定、いや、それどころか、ヒトという生き物の好奇心やら、今現在かくある我々のありようの否定にもつながりかねない。
だから、ぼくは動物園の「見せ物」性をまず肯定するところから始めなければ仕方ないと感じている。
そういうこと。
これは、旭山の主張と大きく矛盾することではないとぼくは思っているのだけれど。



日々のiPod mini 28、fra-foaをまた聴いている

2005-06-02 03:20:20 | ソングライン、ぼくらの音楽のこと
album1アグレッシブに新しい音楽を聴く気分でもなく、昔のアルバムを聴いている。
特にfra-foa。
知らないうちに解散しちゃっていたのだけれど、宙の淵、という強烈なアルバムを残していて、それが好み。二枚目の13 leavesも悪くないのだけれど、ファーストのアク強さといったら、ない。

アクというのは、言葉のアクであり、モチーフのアク。
実は歌詞カードをまともにみたことがないのだけれど、昔死んでしまったアニ/オニのことを歌った、青白い月、とか、すさまじい曲が多かった。

三上ちさ子というのだなあのボーカル。
あれだけ聴いていたのに、アルバムも買ったのに、今、ぐぐって今更知っている奴である。
彼女の声ってすごく独特で、深い息と、浅いビブラートの組合せ。
ビブラートとうようり、砂嵐のようなエフェクトを表面的にかけたみたいな耳ざわり。
すごく喉に負担がかかる歌い方じゃないかなあと思っていたら、セカンドではそれほどそのやりかたを多用しなくなったのだった。
また聴きたいって気はあって、ソロって出るのかと気になる。
なにやら、出産されたようですね。
おめでと、です。