黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

2007年の終わりにあたって(3)

2007-12-27 09:57:29 | 仕事
 今年1年を振り返って、何が一番気になったかと言えば、それはますます「生命」が粗末に扱われるようにな事件(出来事)が相次いだことと、「政治」の言葉があまりにも軽くなりすぎたこと、の二つである。
 今朝も起きてニュースを見たら、トップ・ニュースで「別れた夫が交際中の女性と元妻宅を訪れ放火し、焼け跡から2遺体を発見」と報じていた。60歳半ば過ぎの元夫婦に何があったかはわからない。しかし、別れた妻は、息子の家族と一緒に暮らしており、彼らは全員避難して無事であったが、まかり間違えば、大惨事になるところであった。
 この事件だけではなく、今年も相次いだ「親殺し・子殺し」に象徴されるように、いかにも短絡的に(簡単に)人の「生命」が抹殺される。いきなりブスっと短刀を腹に刺すような殺人が多すぎる。戦争(銃後も含む)経験のある親から生まれ、「平和」の尊さを学校で、家庭で嫌と言うほどたたき込まれ、そしてもっとも多感な時代(大学時代)に経験したベトナム反戦運動の中で叫ばれた「殺すな!」の論理と倫理を骨の髄まで滲み込ませた僕(ら)にしてみれば、現在の余りに「生命」が軽視される状況は、大げさでなく耐え難いものになっている。
 僕より少し年長の子供文化や教育問題に対して鋭い発言をし続け、著書もたくさん持っている友人は、子供が虐待されている話や子供が理不尽に扱われるような事例に出会うと(それらが話題になると)、いつの間にか頬に涙を流すのが常であるが、いかにも人間の「生命」が鴻毛より軽いと思われる昨今の事件に接すると、彼の友人と同じように胸つぶれる思いにおそわれる。
 なぜ、こんなことが起こるのか? 戦後「平和と民主主義」の幻想にくるまれて過ごしてきた日本国内だけを見ているとわからなくなるが、世界は第二次世界大戦(日本を中心に考えれば、アジア・太平洋戦争)が終結しても、決して「平和」が到来したわけではなく、依然として各地で「戦争」が続いていたということがあり、21世紀に入ってからは、中東を中心にアフガン戦争・イラク戦争と激しい「戦争」が続き、「自爆テロ」と称する絶望的な戦術が、圧倒的な武力を持つ「敵」に対して実行されるなど、人間の「生命」がもっとも軽視されたことの象徴とも言うべきアジア・太平洋戦争時における「特攻隊」攻撃(神風特攻隊・震洋特攻隊、あるいは「人間魚雷」攻撃)と全く同じことが、世界各地で行われている。
 そんな「戦争」の仕掛け人は誰なのか。そのことはわからない。しかし、一つだけわかっていることは、戦争の一方の当事者であるアメリカに日本も加担し、「生命」軽視の風潮に背景として拍車をかけているのではないか、ということである。「テロ防止」「国際協調」という美名の下でアメリカ加担のために血税を湯水の如く使う「テロ特措法」の延長に躍起となっている与党(自民・公明)の姿を見れば、「生命なんて、たいしたことないんだ。国だって、人殺しの戦争に協力しているんだから」と、多くの人たちが思うのではないか。そんな気がしてならない。
 来年も、こんな「生命」軽視の風潮は続くのだろうか……。
 明日は、「政治」の軽さについて書く予定。