黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

打たれ弱くないか?

2007-12-20 09:58:37 | 仕事
 毎年この時期になると思い出すことがある。哀しい嫌な思い出である。
 それは、20数年前のことになる。脱サラして小さな焼鳥屋を始めていた義兄から電話があり、「一夫は、S君という同級生を覚えているか」と聞いてきたのである。S君のことは、よく覚えていた。めちゃくちゃ親しかったわけではないが、おとなしい勉強家で、大学への進学率が10パーセント以下であった時代に、東京のある私立大学に進学した、田舎では「エリート」の属する、将来を嘱望された男であった。
 義兄からの電話は、そのS君が店にきて3回目なのだが、「この次払うから」と言って、一度も金を払っていない、一夫の同級生と言うからこれまで黙っていたが、今度払わなかったら次回から来店を断るつもりでいるのだが、それでいいか、というものであった。詳しく事情を聞くと、義兄の店にきたのは全くの偶然らしかったが、初めての顔なので、どこの出身かを聞いたところ僕と同級生ということにまで話が及んだ、という。また、義兄(店を手伝っていた姉も)の話によると、S君はどうも失業しているらしく、同業者の話によると界隈の居酒屋や焼鳥屋で「無銭飲食」を繰り返してきたらしい、とのこと。
 それを聞いて、僕は絶句せざるを得なかった。将来を嘱望されていたあのS君が、どうしてそこまで「落ちて」しまったのか。まだ、ホームレスという言葉が一般的でなかった時代、義兄は、S君が着ているスーツもよく見るとよれよれの垢まみれで、近づくと異様な臭いがした、とも言い、「宿無しの浮浪者なのではないか」というような言い方もした。何故、そのようなことになってしまったのか。義兄からの電話があった数年後、別のS君と親しかった同級生に会う機会があり、S君のことを話題にしたとき、S君に何度も無心された経験を持つ彼は、「理由はわからないが、ある日ポッキリ折れてしまって、会社へ行くのを止め、離婚もして浮浪者まがいの生活をするようになった」と話をしてくれた。
 あれから20数年、どうもこの社会はますます「生き辛い世の中」になっているのではないか、と思わざるを得ない。というのも、大学の事務官から「偶然だと思うのですが、黒古先生のところに問題学生=怠学者・精神的に追いつめられた者、等が集まりますよね」と言われるような状態をここ数年経験しているからである。昨今の大学生は、いとも簡単に「折れ」てしまうのである。せっかく苦労して(苦労せず)大学に入ったというのに、ちょっとしたこと(本人にとっては「重大事」なのかもしれないが)で「挫折」してしまい、学校に出てこられなくなったり、自傷行為を繰り返すようになったりする。「世知辛い」現代社会を反映していると言えばそれまでであるが、痛々しいまでに神経を研ぎすましてピリピリしている彼ら彼女らを見ていると、やはりこの社会はどこか狂っているのではないか、どうすれば「再生」することが可能なのか、と思わざるを得ない。
 少子化や子育てを阻むもののことが問題にされるが、専門家に言わせると実戦的にはほとんど意味のない「ミサイル防衛計画」に何千億円ものお金をつぎ込みながら、薬害肝炎患者の救済には(部分的にしか)お金を払わないと言う現政権の在り方こそ、少子化や子育ての困難に関してその元凶になっているのではないか、と思う。こんな僕の論理は飛躍しているように見えるかもしれないが、しかし、そうではなく、現実の方が「大矛盾」を抱えていて、そうであるが故に、若年にしてこの社会から脱落するような人間が増えているのだ、と僕は思う。一挙に、というのは不可能かもしれないが、一歩一歩身辺で起こることに誠意を持って対処していくしか方法はないのかもしれない。
 「折れて」欲しくない、と切に思う。