黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「時代閉塞の現状」

2007-12-22 07:10:48 | 文学
 石川啄木の評論文に「時代閉塞の現状」というのがある。啄木は、1910(明治43)年に起こった「大逆事件」(天皇を暗殺しようとした社会主義者のグループの検挙と共に、関係ない社会主義者やアナーキストたちを一斉に逮捕し、実行犯と共に12名の人たちが死刑に処せられた)に最も敏感に反応した文学者の一人だったのだが(他には、徳富蘆花、永井荷風などがいた)、「時代閉塞の現状」はまさに「言論の自由」や「表現の自由」、「思想・信条の自由」が封じられ、世の中から「自由」が消えてしまった状況に異議申し立てを行ったものであった。
 この頃、よくこの啄木の評論を思い出す。時代の「閉塞感」が並大抵のことではないからかも知れない。小泉劇場のパフォーマンスに目をくらませられた人々が、「郵政民営化」という美談に踊らされ、与党に多くの議席を与えてしまったため、(先の参議院選挙で、その鬱憤のいくらかは晴らしたとも言えるが)全体として「無力感」が漂っている状況下にあって、「新テロ特措法」制定に関するなりふり構わない与党の振る舞い、また薬害肝炎問題に対する政府の対応の悪さ、イージス艦からの明細ル発射にはしゃぐ自衛隊関係者たちの存在、あるいは目を国外に向けて、地球温暖化について楽観視しているのではないかと思われるアメリカや中国の在り方、等々、「いいこと」など何もありはしない。
 さらに言えば、ガソリンに加えて小麦まで「投機」の対象になり、物価が上昇して、もろに弱者の懐を直撃する現状は、一体全体どうなっているのか、人間の「健全な営み」が根源から狂い始めているのではないか、との存在の根本を揺るがすような危機感を抱かせる。
 しかし、そのような危機感は、(啄木の時代、「大逆事件」当時もそうであったようだが)ごく少数の者しか持っていないのではないか、と思わせる、そこが哀しい。本当は多くの人が現状に不満や不安を抱いていると思うのだが、マスコミ・ジャーナリズムの世界では、幾分影が忍び寄ってきたのではないかと思われるが、相変わらず「毒」のない「お笑い」一色で、うんざりする。(僕は、例えば「そんなの関係ねー」と裸で連呼する芸人は嫌いではないが、4歳の幼稚園児が何かあると「そんなの関係ねー」を連発する姿を見ていると、思わず「関係あるよ」と言ってしまう、そんな状況の本質を僕らは見失ってはいけないのではないか、と思う)
 そんな「時代閉塞の現状」について考えると、目をむいて「オッパピー」などと言って済ませるわけにはいかないのではないか、と年の瀬を迎える時期になって痛感している。「徴兵制」の必要を唱えたので一挙に嫌悪の対象になった宮崎県知事に倣うのは嫌だが、「この日本を何とかせにゃいかん」という気持ちは日々強まりこそすれ、弱まることはない。しかし、僕らはここでシニカルになったり、あきらめてはいけないのだと思う。僕らは、「100番目のサル」(コメント参照)の出現を目指して、現在を生きるしかないのである。
 頑張りましょう。