
(山口県岩国市横山 日本100名城74番)
錦川に架かる錦帯橋を渡ると、岩国城の城地となる。
慶長五年(1600)関ヶ原で敗れた毛利輝元は、広島城から萩城に減封となり、一族である吉川広家も米子城から岩国に三万石で転封となった。八年の歳月をかけ、横山の麓には居館の「土居」と、標高216mの山頂には「横山城」が築かれ、四重六階の天守が築造された。しかし、元和元年(1615)一国一城令により破却され城は廃されたが、麓の土居のみ岩国陣屋として使用され、吉川家十三代で明治維新を迎えた。城内には、鎮守とした白山比神社や、藩主吉川家の祖を祀る吉香神社が鎮座する。
(三代藩主吉川広嘉と佐々木小次郎銅像)
(県重文 岩国藩家老 香川家長屋門 元禄六年)
(県重文 吉川家厩門)
(錦雲閣)
明治18年(1885)居館「土居」跡が吉香(きっこう)公園として開園し、櫓を模した錦雲閣が建てられた。また、寛政五年(1793)に建てられた昌明館(七代経倫(つねとも)の隠居所)の長屋門が現存している。 昭和37年(1962)には、元来の天守跡の南側にRC造りの復興天守が建てられた。平成7年には、旧天守台が調査後修復されている。
(旧天守台)
(復興天守と天守台)
(堀)
(横山斜面)
(重文 吉香神社)
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