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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

廣島城

2011-09-11 00:00:24 | 城郭・城下町

(鯉城 広島市中区 旧国宝  国指定史跡 日本100名城73番)
 天正十七年(1589)毛利輝元によって、天然の堀である太田川の分流に囲まれた地に築かれた。関ヶ原の戦い以後は福島正則が入城し、城郭の拡大と城下町の整備が行われた。然し、元和五年(1619)太田川の洪水破損による修築許可の不備、いわゆる武家諸法度により信濃川中島(高井野)五万石に減封となった。代わって紀伊和歌山より浅野幸長の弟、長晟(ながあきら)が入封し、以後廃藩まで浅野氏十二代が藩主を務めた。
(内堀中堀連絡暗渠跡)
(平櫓)
(平櫓・多聞櫓・太鼓櫓)
 (表御門)
 (太鼓櫓)
   (二の丸)
  (昭和32年復元天守)
(内堀)
(旧天守礎石)
 廃藩の際、建物の破却は免れたが、明治7年(1874)に火災で本丸御殿を焼失、そして、原爆投下によって天守、櫓を含む全ての建物を失った。また、城内は広島大本営及び中国軍管区司令部防空作戦室等が設けられた。
         

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