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(久米城 湊山城 鳥取県米子市久米町 国指定史跡)
山陰歴史館から国道を西に向かうと、米子城の麓に辿り着く。大正14年に置かれた、四国八十八ヶ所の石仏に沿って巡った。
米子城は、中海に面する標高90mの湊山に築かれた山城である。米子城の前身は、文明年間に東隣の飯山に築かれた城であり、天正十九年(1591)吉川広家のときに、城域が湊山にも拡張された。慶長五年(1600)豊臣秀吉の三中老であった中村一氏は、駿府城下内膳屋敷で徳川家康と会談し、東軍徳川方に加わった。この論功により、一氏の嫡子中村一忠は伯耆国十八万石で移封し、米子の城下町と四層五重の天守を築いている。然し、慶長十四年(1609)二十歳の若さで一忠は急死し、代わって美濃黒野より加藤貞泰が六万石で入封した。元和三年(1617)貞泰は伊予大洲に転封となり、米子藩は廃藩となったが、以後鳥取城の支城として城代が置かれた。
(鉄御門跡)
(天守礎石)
(大山方面)
(弓ヶ浜方面)
(中海方面)
(主郭北側虎口)
(水手門跡)
(内膳丸へ)
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