
(東京都文京区大塚)
天保九年(1838)佐賀藩士大隈信保の嫡男として出生し、藩校弘道館在籍中は、儒学教育に疑問を持ち藩校改革を訴えた。藩の蘭学寮で西洋の学問を学び、元治元年(1864)長崎で宣教師グイド・フルベッキから英語やアメリカ憲法を学んだ。翌年、そのフルベッキを招いて英学塾致遠館を開設した。明治時代となり、外国事務局判事、大蔵省次官に就き、明治14年(1881)イギリス議院内閣制を手本とする憲法制定と議会開設を明治政府に求めたが、急進的なものとして岩倉具視や伊藤博文らと対立し、重信は官僚を辞職した。然し、翌年にはイギリス議会政治をモデルとした立憲改進党を作り、その後総理大臣となって、日本初の政党内閣を誕生させた。そして同年、東京専門学校(1902-早稲田大学)を開設した。大正11年(1922)八十三歳没。
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