【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 3月24日(火)より転載】
【大道36】
記念勤行会は、遂に五回目となった。既に時計の針は、八時四十五分を指していた。
山本伸一は、皆の帰宅が遅くならないように、短時間で終わらせようと思った。
彼は、参加者をねぎらい、ユーモアを交えて呼びかけた。
「東濃は、五、六十人ぐらいの方が出席してくださればいいと思ってまいりましたが、なんのなんの、大盛況でびっくりいたしました。これはどうなっているんでしょうか!」
会場に爆笑の渦が巻き起こった。
ここで伸一は、信心の究極は、「無疑曰信」にあることを語っていった。
「『無疑曰信』とは、『疑い無きを信と曰う』と読み、何があろうが紛動されることなく、どこまでも御本尊を信じて疑わぬ信心です。その信心に立った時、三世十方の仏・菩薩が必ず守るであろうことは、御聖訓に照らして間違いありません。
一方、『有解無信』、つまり、教えを理解していても、心では信じていないという生き方もあります。それでは、どんなに教学に精通し、どれほど才能に恵まれていたとしても、一生成仏することはできません。
『行学の二道をはげみ候べし』(御書一三六一頁)ですから、もちろん教学は大事ですが、絶対の信心に立つための教学なんです。信心によって、絶対的幸福境涯を築けるんです。
広宣流布は魔との戦いです。権威権力の迫害をはじめ、予期せぬことが起こり、不信を煽りたてることもあるでしょう。
どうか、何があろうが、『信』の一字を、深く、深く、胸に刻んで、広宣流布の大道を歩み通し、断じて幸せになってください。
『信』によって結ばれた、地涌の固いスクラムは、いかなる力も、決して破ることはできません。どうか、東濃の皆さんは、信心第一に、誇らかに民衆の王者として、所願満足の人生を進んでいってください」
生命を振り絞り、魂をとどめての指導であった。彼は、大拍手を聞きながら、目まいを覚えていた。勤行会は、すべて終了した。
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記念勤行会は、遂に五回目となった。既に時計の針は、八時四十五分を指していた。
山本伸一は、皆の帰宅が遅くならないように、短時間で終わらせようと思った。
彼は、参加者をねぎらい、ユーモアを交えて呼びかけた。
「東濃は、五、六十人ぐらいの方が出席してくださればいいと思ってまいりましたが、なんのなんの、大盛況でびっくりいたしました。これはどうなっているんでしょうか!」
会場に爆笑の渦が巻き起こった。
ここで伸一は、信心の究極は、「無疑曰信」にあることを語っていった。
「『無疑曰信』とは、『疑い無きを信と曰う』と読み、何があろうが紛動されることなく、どこまでも御本尊を信じて疑わぬ信心です。その信心に立った時、三世十方の仏・菩薩が必ず守るであろうことは、御聖訓に照らして間違いありません。
一方、『有解無信』、つまり、教えを理解していても、心では信じていないという生き方もあります。それでは、どんなに教学に精通し、どれほど才能に恵まれていたとしても、一生成仏することはできません。
『行学の二道をはげみ候べし』(御書一三六一頁)ですから、もちろん教学は大事ですが、絶対の信心に立つための教学なんです。信心によって、絶対的幸福境涯を築けるんです。
広宣流布は魔との戦いです。権威権力の迫害をはじめ、予期せぬことが起こり、不信を煽りたてることもあるでしょう。
どうか、何があろうが、『信』の一字を、深く、深く、胸に刻んで、広宣流布の大道を歩み通し、断じて幸せになってください。
『信』によって結ばれた、地涌の固いスクラムは、いかなる力も、決して破ることはできません。どうか、東濃の皆さんは、信心第一に、誇らかに民衆の王者として、所願満足の人生を進んでいってください」
生命を振り絞り、魂をとどめての指導であった。彼は、大拍手を聞きながら、目まいを覚えていた。勤行会は、すべて終了した。
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