【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 3月21日(土)より転載】
【大道34】
三回目の記念勤行会は、午後七時前から行われた。激しい疲労が山本伸一を襲い始めていた。彼は、ここでは「日厳尼御前御返事」の一節を講義した。
まず、「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」(御書一二六二頁)の御文を通して、語っていった。
「御本尊の功徳は無量無辺です。しかし、私どもの信心が惰弱であったり、形式的であったりすれば、その功徳を引き出していくことはできません。たとえば、唱題に励んでいたとしても、心は上の空で、仕方なく、義務的に題目を唱えている――それでは、本当の功徳を受けることはできないし、祈りも叶いません。
受け身ではなく、御本尊に巡り合い、一生成仏できることへの感謝と歓喜をもって、主体的、能動的に、勇んで信心に取り組んでいくことです。その時に、御本尊の大功徳を享受していくことができるんです。今、この時に人間として生まれ、御本尊を受持したこと自体、大変なことなんですよ」
そして伸一は、この御書を最後まで拝したあと、一段と力を込めて訴えていった。
「私たちには、等しく仏性が具わっています。この仏の生命を涌現して、一生成仏していくことが、人生究極の目的です。それを可能にするのが、御本尊の功徳力なんです。
その大力を引き出し、功徳を享受していくには、“わが人生は広布とともに”と覚悟を定め、『勇気ある信心』『潔い信心』を貫いていくしかありません。
人間は一人では弱い。人の心は移ろいやすいものです。燃え立つような決意や誓いも、歳月とともに忘れがちなのが人間の性です。だからこそ、同志が、学会の組織が大事なんです。皆が団結し、互いに同志を思いやり、“一人も落とすまい”“自らも落ちまい”と心を決め、励まし合っていくことです。
どうか、東濃の皆さんは、仲良く、朗らかに、心を合わせて、幸の花咲く広宣流布の大道を、福運の人生を歩んでいってください」
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【大道34】
三回目の記念勤行会は、午後七時前から行われた。激しい疲労が山本伸一を襲い始めていた。彼は、ここでは「日厳尼御前御返事」の一節を講義した。
まず、「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」(御書一二六二頁)の御文を通して、語っていった。
「御本尊の功徳は無量無辺です。しかし、私どもの信心が惰弱であったり、形式的であったりすれば、その功徳を引き出していくことはできません。たとえば、唱題に励んでいたとしても、心は上の空で、仕方なく、義務的に題目を唱えている――それでは、本当の功徳を受けることはできないし、祈りも叶いません。
受け身ではなく、御本尊に巡り合い、一生成仏できることへの感謝と歓喜をもって、主体的、能動的に、勇んで信心に取り組んでいくことです。その時に、御本尊の大功徳を享受していくことができるんです。今、この時に人間として生まれ、御本尊を受持したこと自体、大変なことなんですよ」
そして伸一は、この御書を最後まで拝したあと、一段と力を込めて訴えていった。
「私たちには、等しく仏性が具わっています。この仏の生命を涌現して、一生成仏していくことが、人生究極の目的です。それを可能にするのが、御本尊の功徳力なんです。
その大力を引き出し、功徳を享受していくには、“わが人生は広布とともに”と覚悟を定め、『勇気ある信心』『潔い信心』を貫いていくしかありません。
人間は一人では弱い。人の心は移ろいやすいものです。燃え立つような決意や誓いも、歳月とともに忘れがちなのが人間の性です。だからこそ、同志が、学会の組織が大事なんです。皆が団結し、互いに同志を思いやり、“一人も落とすまい”“自らも落ちまい”と心を決め、励まし合っていくことです。
どうか、東濃の皆さんは、仲良く、朗らかに、心を合わせて、幸の花咲く広宣流布の大道を、福運の人生を歩んでいってください」
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