和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

大道25/小説「新・人間革命」

2015年03月11日 08時30分44秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 3月11日(水)より転載】

【大道25】


 山本伸一は、強い確信を込めて訴えた。

 「日蓮大聖人は、『如説修行』すなわち、仏の説の如く修行せよと叫ばれた。私たちは現代にあって、末法の御本仏であられる大聖人の仰せ通りに広宣流布を進めてきました。

 苦悩に打ちひしがれていた私たちが、御本尊に巡り合い、見事に人生を蘇生させ、仏の使いとして、最高の聖業にいそしんでいる。その姿こそ、地涌の菩薩の出現です。

 『我等の決めた道』『この道』とは、この妙法流布の大道なんです。広布誓願の大道であり、久遠の使命の大道なんです。

 この道にこそ、世間の次元では味わうことのできない、信心の醍醐味があり、生命の奥底から湧きいずる喜楽があります。

 その偉大なる所願満足の法理を人にも教え、自他共の幸福の波を広く社会に、万年の未来までも流れ通わせていくことを誓い合い、私のあいさつとさせていただきます」

 そして、最後にまた、「この道の歌」の大合唱となった。記念幹部会は、大歓喜のなかに幕を閉じた。閉会が告げられると、伸一はマイクを取り、会場前方に飾られたグラジオラスの花を見ながら言った。

 「今日は、会場を美しいグラジオラスの花で飾ってくださり、ありがとう。どなたが準備してくださったの?」

 会場から婦人たちの声が響いた。

 「愛知の婦人部です!」

 有志が各家庭で育て、持ち寄ったものだ。グラジオラスの花言葉には「勝利」もあり、なかでも赤いグラジオラスは「堅固」の花言葉をもつことから、堅塁中部を表現しようとしたのである。

 伸一は、花を手に取って言った。

 「それでは、この花を、壮年部の皆さんから、婦人部の皆さんへ、感謝の思いを込めて差し上げるようにしてはどうでしょうか」

 賛同の大拍手が起こった。

 壮年たちが花を手にして、婦人に渡した。

 「花――それは希望にほかなりません」(注=2面)――ロシアの文豪の言葉である。



■ 小説『新・人間革命』の引用文献
注 ドストエフスキー著 『作家の日記3』小沼文彦訳 筑摩書房




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鰊(にしん)/今日の俳句 ≪第.1708号≫

2015年03月11日 07時26分38秒 | 今日の俳句
■<2015年(平成27年)3月11日(水)>■



     ◆東日本大震災から4年から5年へ◆

     ◆……「人間復興」を加速………◆


 東日本大震災から4年となるきょう11日、東北39会場をはじめ全国・全世界で追善の「福光勤行会」が行われ、全ての犠牲者の冥福と、被災地の一日も早い復興を祈念する。
 また、池田名誉会長は「随筆 民衆凱歌の大行進」<咲き薫れ 希望の花々>を贈り、不撓不屈の「みちのく魂」で進む東北の同志を心からたたえた。(聖教新聞3面に掲載)


     ◆心の福光プロジェクトを継続…◆

 ○音楽隊による「希望の絆」コンサート

 ○東北復興青年主張大会、フェニックス大会

 ○被災地の小・中学校への図書贈呈など

【聖教新聞:2015年 3月11日(水)付】
http://www.seikyoonline.jp/news/index.html




     ※今日の俳句※



  鰊来る気配に曇る雄久岬
      岡本昼虹



  坑夫くる青く大きな鰊ぶらさげ
      高橋葦男



  鰊焼く焔が皮に移り燃ゆ
      田川飛旅子



※ 鯡(にしん)・鰊(にしん)・かど・かどいわし・走り鰊・中鰊・後鰊・鰊群来・群来汁・群来鰊。
 ニシン目ニシン科の代表的な回遊魚。前兆三〇センチほどになる。背部は青暗色。腹部は白色。三月からの産卵期に北海道西岸などの沿岸に大群で寄ってくる。
 これを鰊群来といい、漁期にあたり、かつては三度あった。ほっかいどう近海に鰊が回遊してくるころの曇り空を「鰊曇」とよぶ。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】




     ※わが友に贈る※
【聖教新聞:2015年(平成27年)3月10日(火)付】


  広布の一切の労苦は

  三世に崩れぬ

  「心の財」と輝く!

  不撓不屈の挑戦で

  わが勝利史を綴りゆけ!


       2015年3月11日



     ※北斗七星※
【公明新聞:2015年(平成27年)3月11日(水)付】


「あらんかぎりの 悲しみを 命のかぎり 泣きすだく ?(こうろぎ)の身の羨まし」。悲嘆を胸の奥にしまい込み続けると、思い切り泣く虫さえ羨ましく見えるのだろうか。永井荷風の「こうろぎ」の一節だ(「摘録 断腸亭日乗」岩波書店)



東日本大震災から、きょうで4年を迎える。被災地の町並みやインフラは、着実に整備が進んでいるように映る。しかし、最愛の肉親や友人、日常生活も奪われた被災者の多くは、「暮らしの復興」すらままならない



冒頭の「こうろぎ」は、戦時下の1943(昭和18)年に詠まれた。翌44年の11月から米軍機による空襲が本格化、45年3月10日には東京大空襲によって首都の大半が焼失した。自宅が黒煙に包まれた荷風は岡山に疎開。そこでも、大空襲に遭い炎の海の中を逃げ惑う。60台半ばの身には、さぞやこたえたろう



大震災後の被災者にも、長引く流離の日々によって「確かな明日」が見えず、悲傷感がただよう。特に高齢者が心配だ。戦禍や天災をくぐり抜けた人々の多くが、哀惜の念にさいなまれる。慟哭の涙は決して枯れるものではない



「あの日」の忘却は復興を停滞させ、被災者の心をくじく。あらん限りの悲しみには、あらん限りの支援で寄り添うしかない。「3・10」と「3・11」。鎮魂、哀悼、そして誓いの日が続く。     (明)





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