工房八重の部屋

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堺市の歴史、なぜ世界文化遺産となった古墳が作られたのか?

2019年08月06日 | Weblog
今回ツアーで堺市を訪れて、7月に大阪で初めての認定された

世界文化遺産の古墳群を見学しました! 

古墳前の柵と鳥居を見るだけでしたが、堺博物館やボランティアガイドの

方から、堺の歴史、古墳についての説明があり、堺にも興味がわいてきました!

堺市は大阪府で人口・面積が第二の都市です。

堺市周辺に人が定住し始めたのは旧石器時代のころで、市内の遺跡からは、

約1万年前の打製石器や、縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが

発掘されています。4~5世紀には大和朝廷が成立し、

堺には仁徳天皇陵古墳をはじめ、100数基から成る百舌鳥古墳群が造られました。

百舌鳥・古市古墳群は、古墳時代の最盛期(4世紀後半から5世紀後半)にかけて

築造された、古代日本列島の王たちの墓群です!

古墳群は、古代中央集権国家が成立する直前の時代に作られて、

激動する東アジア情勢への対応のため、墳墓によって権力があることを、

表したとのことです! その当時から貿易などもあったのですね!

天皇家も歴史は世界でたぶん最長で、世界でも類のない歴史でしょう!

紀元前600年の初代と伝えられるのが神武天皇です!

1600年前の墳墓の1部は今も宮内庁が管理し、

発掘などをできないようになっています!

平安時代、この地が摂津・河内・和泉の3国の境に位置しているところから

「さかい」と呼ばれるようになりました。

鎌倉時代には漁港として発達し、その後西日本の海運の拠点として発展。

戦国時代は、堺は貿易港として黄金の時代を迎えます。

堺は、対明貿易や南蛮貿易など海外との交流拠点として発展しました。

自治都市として繁栄し、堺の商人は富をたくわえていました

明治以後、近代工業の発展、人口の増大、市域の拡大、

交通の発達など急速に近代化が進み、現在も発展を続けているとのことです。

古墳を見ても同じようなものですが、ゆとりあればヘリコプターなどで

上空から見学もできると点在する古墳群がよくわかるようです!

日本が誇れる世界文化遺産なので、歴史などを感じて堺を

おとづれてよかったです!



堺市


仁徳天皇陵古墳