工房八重の部屋

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山科アスニーの講座 『小野小町ゆかりの隨心院とはねず踊り』

2012年03月29日 | Weblog
山科アスニーの講座 14日(水) 594回『小野小町ゆかりの隨心院とはねず踊り』

講師は大本山 隨心院 執事長 亀谷 英央 氏でした。

小野小町は、小野良実の娘として出羽国(現在の秋田県)で生まれ、仁明朝五郎の

舞姫(ごせちの舞姫)として宮中に仕える。

後、仁明天皇の更衣 (更衣 妻の位の1つ)として寵愛を受ける。

更衣の位は高いものではなく、個室に住む身分ではなく、他の更衣の方と仕切りで

区切った部屋に住むような身分であったとのことです。

仁明天皇が崩御後は、現在の随心院の地に戻って暮らし、このときに多くの貴公子から

恋文をもらう。 もらった恋文を埋めた文塚が今も残っています。

百夜通い(ももよがよい)の深草少将の伝説は有名ですが、毎日京から通い、通った日を

数えるのに使った、かやの実の木は今でも近辺に2本残っているそうで、

最後の日の百日目に深草少将が息絶え、百日通ったら、

恋人になれるという宿願は果たせられなかった!

才女で、絶世の美女の小野小町が多くの恋に破れ、失意のうちに各地を放浪し、哀れな

晩年を過ごしたという伝説が残っています。

はねず踊りは、随心院が直接運営はしなくて、はねず踊り保存会が運営し、地区の

方の協力により存続しています、とのことでした。

講師の亀谷氏は、現在の隨心院をたずさわっておられる方なので、小野小町との随心院

とのかかわりや、はねず踊りの歴史や現在存続しているのは、はねず踊りの保存会の

ボランティア活動によるなど、  毎年、梅を見に行く近くにある随心院なので、

他に随心院に関する色々な話も、うかがう事が出来て、興味深いものでした。


講師は大本山 隨心院 執事長 亀谷 英央 氏でした


はねず踊りもポスター
はねずは、昔の言葉でうす紅色を意味し、同院に咲く梅の花も同名で呼ばれ、
古くから親しまれてきたとのことです。


梅園は、はねず踊りが開催された25日は、五分咲でした。