4月19日

2007-04-19 17:27:31 | Weblog

   (きらんそう 赤塚植物園)

この花の別名は地獄の釜の蓋と言う、墓域に
密生し先祖の霊を封じ込めるように咲くからだそうだ。
この青紫のけなげな花に
もうすこし洒落た名前はつけられなかったのだろうか?

我が句会の締め切りが近くなった。
いつものことながら俳句を詠むルーティーンに俳書を読む
ことがある。読んでるうちに浮ぶことが多いのでいつからか
はじめたのだが、ふとかなり前に先輩からこんな話を聞いた
ことを思い出す。
俳句の詩の部分は作者それぞれの感性(生き様)の表現で
あり、形としての俳句は百余りしかない。どんな俳句もそれに
あてはまる。その中でも印象的に残っているのは「て」止めの
俳句について聞いたことだ。
そもそも「て、に、にて、らん、もなし」の止めは連句の第三句目
発句(第一句目)脇(第二句目)に添って一巻の変化展開の
始まりの場所、連句書によれば前句を受けながらも発句、脇の
境地から大きく転じることとある。

俳句はすべて発句として独立していなければ成立しない。
「て」止めがいけないのではなく、効果として「て」以降の
沈黙の中に読者への理解を求めてしまう。
つまり第三者を引き込んでいて独立していない
 ○○の ○○○○ ○○て
 ○○に ○○○○ ○○て
では、「て」止めを使うにはどうしたらいいのでしょう。
それは「や」切れ字を使うことで良いそうだ・・・
 ○○や ○○○○ ○○て
この「て」は「や」以前の○○が解決するということです。
文章にすると分かりずらいが、是非実作でお試しを・・・

**もう新茶の競が始まったそうだ***

   八萬八千円祝儀値のつく新茶かな  ころころ


 

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