ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

女友達と小さなアミーゴス

2004-12-26 00:40:13 | Weblog
     ◎ 本日のキャスト

    大和のノブコ・・・古本屋主人
    マリア・・・Corazon Latino 主人
    ユタカ・・・マリアの長男
    ユウキ・・・マリアの次男

電話をかけても応答ナシ。暮れも押し詰まってきたので、お休みかしら?
買い物ついでに、注文していた本が入ってるかどうか、ちょっと気にな
って、電話には、反応がなかったけれど車を出したのよ。

いらっしゃいました、女主人は。遠くブラジルにお住まいの息子さんがお見
えとかで、チョコチョコ外出の最近だったそう。
「頼んどいた本、入ってるかしら?」
「ええ、あるわよ」
昭和32年発行の初版本。富士正晴:訳「金瓶梅」
作者は不明。明の時代に書かれた「水滸伝」の中に登場する人物の下世話色話。
超がつくほど、ませた女の子だったから、10代のどこかで読みかじった本。
久しく忘れていたんだけど、BOOK OFFなどと違って、個人経営の古
本屋には、こういう古~い、古典なんかがあるのが嬉しいのよね。
どんなお話かは、アウトラインを知ってる程度だったけど、ノブコサンが
「かなり端折った、ダイジェスト版みたいだけどいい?」
「中国のお話を、ジックリ読もうとしたら、かなり気合と根気がなければ読め
ないから、いい!いい!三国志も水滸伝も超ダイジェストで読んだくらいだから」
ケイコサンからの翻訳物と、こちらも翻訳本だったけれど、西洋と東洋。現代と
古典。なにしろ読みたい本だらけだから、同時進行で、同時に色々な味を楽しむ
私流読書方法。

彼女は、歌(演歌・ポップス・シャンソン必須なんですって)を習ってらっしゃ
るとのことで、指導される方は出版社をリタイアした男性。
なぜかいつも奥様同伴の、鹿児島県出身ご夫妻。その話から、県人気質に話は進
み、高知県の女性で、ブラジルにいらっしゃるノブコサンの親友のお1人。その
彼女は熱い人なのよ、やっぱり南国の女性だなって思ったものよ。でも、その女性は
ご自分のことをカベッサ フリア・・・頭が冷たい女、ようするに理性が勝って
る女だって、のたまったそう。

日本人が苦手とするディベートも、土佐(高知県)人だったらできるかも。例えば、
犬と猫とどっちがエライみたいなテーマでも、延々議論できるって言うくらいだから。
山口県(長州)人も、議論好きって言うわね。山口県出身のご主人をお持ちの奥様に
お聞きした事があるわ。
土佐と長州といえば、幕末に活躍した人物を輩出した所ね。
土佐・・・坂本竜馬、 長州・・・吉田松蔭 他
忘れちゃあいませんか?って、言われそうね、鹿児島県(薩摩)人から。ハイ、
薩摩・・・西郷隆盛
我が故郷が出した偉人です。

本屋の帰りに、久しぶりにマリアさんのお店にお寄りして、小さなアミーゴスに会
って、ユウキ君は、ほっぺにチュッよ。
「ねえ、ユウヤ君は、ママに会いたがってない?」
マリアさんの妹さんがペルーに帰国で、一緒に行ってしまった末っ子のユウヤ君。
「それが、帰らないって言うのよ」
「エ~ッ、もう、日本語忘れちゃうわね」
「来年の3月に1回帰ってきて、又すぐペルーに行っちゃうんだよ」
って、ユタカ君が一生懸命に説明してくれる。
「なんで?」
「予防注射が、あと一つ残ってるから」
って、マリアさん。
ユウヤ君は4才になったばかりで、まだ予防注射が必要らしいんだけど、我が子達
のそんな時期は、遠い過去の話だから、今一ピンとこなかったわ。
そのために、一時帰国らしいんだけど、地球を半周してっていうのも大変な事よね。

今日は、朝からパン作り。発酵時間内にガラス拭き。
娘時代に、母から同時に3つの事をしなさい、ってやかましく言われ続けてきた名残よ。
いやあ、我が家のエカテリーナ女帝も、絶対的な権力者だったからねえ。
アッ、でも、なぜかそう言う時は姉達は居なかったわねえ。「デべソ」の2人。休みに
家に居た事なんかなかったわね。こよなく家が好きだった私は・・・ハイ、かなりしご
かれました。お陰で、結婚生活は、初めからな~んの支障もなくこなしてこられたから、
我が家のエカテリーナ女帝に感謝したものだったわ。

      ☆ 本日の言葉・・・「デべソ」・・出好き人間の事
      ☆ 本日の歴史上の人物・・・「エカテリーナ女帝」
                    「坂本竜馬」「吉田松蔭」「西郷隆盛」      
      ☆ 本日の古典・・・「金瓶梅」「三国志」「水滸伝」

 

ダイアナと丸焼きチキン

2004-12-24 22:18:05 | Weblog
♪君~は僕より年上と、まわりの~人は言うけれど~♪
懐かしいアメリカン・ポップス。ポール・アンカ「ダイアナ」の有名な日本
語歌詞。でも流れてくるそれは、ポール・アンカ本人の声。
必死に覚えたものだわねえ、意味もわからずに英語の歌詞を。
名曲となった「マイ・ウェイ」も彼の作。まあ、この歌がカラオケで歌われ
たら、大方の聴衆は「ド」がつくくらいしらけるって曲よ。よほどの歌唱力
があって、リクエストされないかぎり、気持ちがいいのは本人だけらしいわ。
歌い上げる曲って、そういうものかもしれないわね。
カラオケ嫌いの私にはわからないけど。上手だったら聞いて見たいけどね。

ここ暮れに来てのBGMは、ラテン・ミュージックにアメリカン・ポップス。
若かりし頃に耳に馴染んだ曲は、皮膚の一部のように、およそ30日弱で交
換するという細胞の代謝でも、垢となってお風呂場の排水溝に流れず、シッ
カリとしがみついてるから、いとしい。

しかし、ゴミってあるものなのねえ、って。じゃあ何かい、私達はゴミと
同居してるってことなのかい?よ。まあ、元はゴミじゃあない。いつしか、
知らぬ間に、不要のものと化しちゃったってことなんだけどね。不要のもの
はゴミでしょうが、その家にとってはってね。
大掃除がまだ続いてるのよ。
人間稼業を長くやってくれば、色んなものが身の回りにもたまってくるわね。
最近では、「汚女」達が増殖してるって。本人の垢まみれ+整理整頓が出来な
い、しない女達。昔は、どこの祖母も言ったものだったわ。「汚い所をきれい
にしたら、可愛い子どもに恵まれる」なんてね。イヤイヤだったけれど、心の
どこかに、「ふ~ん、可愛い子がねえ」なんて、せいぜい想像できるのは、お
人形くらいなものなんだけど、お掃除してたものよお便所を。トイレなんてシ
ロモノじゃない、汲み取り式雪隠、はばかりを7~8才の子どもでもね。
それでね、自分は不細工だって、思ったら、それは母親が、床磨きを日々する
ような、キチンとした掃除の躾をさせられないで大きくなっちゃったのかも知
れないわね。でしょう?

昔と比べようもないほど便利な世の中になってきたのに、ズ~ルズル易きに流
れる日々。「意識して食べましょう」「意識して歩きましょう」「意識して・・」
そう、本当に意識しないでいると、何もかもが易きに流れちゃうのが人って生き物
の行動なのよね。
そして、「理屈とトリモチはなんにでもくっつく」で、出来ない、やらない理由を
見つけるのよねえ。もちろん私が!よ。

「サンタ・クルス」も「キリスト」も関係ないんだけど、予約しておいたチキンを
受け取りに、例の日系ブラジル人のお店に。
テンヤワンヤの大繁盛。アルバイトのブラジル人達が働いてるんだけど、日本語が
今一わからないから、大変。シッカリわかって話せるのはオーナーとシェフの奥さ
んだけだから、2人はてんてこ舞いの忙しさみたいだったわ。
シッカリグリルで焼かれたチキンは、美味しかったわ。日本の味付けは、なんとなく
甘いけれど、今日のそれは、甘さは感じない味付けだったけれど、美味しかったわね。

とってくっつけたみたいだけど、とりあえず   MERRY X’MAS !

   ☆ 本日の言葉・・・「理屈とトリモチは、なんにでもくっつく」 
             トイレの和名・・・便所、雪隠、はばかり
   ☆ 本日のアメリカン・ポップス・・・「ダイアナ」

出自正しい?鶉

2004-12-23 22:58:21 | Weblog
     ◎ 本日のキャスト

   ケイコ・・・スペイン語クラスメイト
   レイコ・・・  私

「今回の旅行は、お食事では問題なかったみたいね」
「ええ。でも、トレドでの食事で、鶉(うずら)のお肉が出て、従姉は
鶏肉がダメなんですよ。ええ、これもダメだわって。それに、ここから
が笑っちゃうんですけど、夕方、鉄砲を担いだむくつけき男性が2人、
山の方に行ったところを見ちゃって。ねえ、もしかしたら、この鶉はあ
の男の人たちが撃ち殺した鶉?って」
「出自がハッキリしていていいじゃない。ああ、でもTVで見る限りな
んだけど、トレドって、平坦な街じゃないの?」
「そうなんですけど、たまたまそのホテルは、小高い森のような所に
あったんですよ。その森に消えちゃった男性2人で、出てきた鳥が鶉
って言うものですから」

マドリ(ッド)で泊まったホテルの隣りが、バスターミナルになってて、
彼女達3人は、自分達で調べてバスに乗ってセゴビアまで自由行動。
代理店を通さなければ、なんとその10分の1近い金額で済んだのですって。
やっぱり自分でやるって、それだけのことはあるということよね。

テロによる、駅舎と電車の爆破から、前回ラクに入れた、王宮等は、厳
しい検問と、増幅された警備員に守られてたそう。

けれど、絵画の写真が沢山あったので
「美術館て、撮影禁止じゃないの?」
「ええ、フラッシュは禁止なんですが、写真撮っても問題はないのですよ」
エル・グレコの宗教画も、彼女のデジカメの中に収まってたわ。

セニョリータの恋物語で終始した忘年会も終わり、アディオス!
帰りの電車の中で、ケイコサンが
「仕事の帰り、気持ち悪いものに会っちゃったのですよ。急いで通ったので、
詳しい事はわからないんですが、交通事故があったらしく、女の人が警察
官と話してて、もう1人、男の人が、顔半分から血を流して立ってるんで
すよ」
「ワ~、まさにケイコサンの世界じゃない!タイヤの跡はなかったの?」
「急いでたし、野次馬がいっぱいで。それにいえ、ダメなんですよ。TVな
んかでも、実際に手術シーンなんか写す事があるじゃありませんか?ああい
うのはダメなんです」
「ええ?フィクションだったらいいの?」
「はい、お話の世界だったら好きなんですけどねえ」
かなり、ラジカルなお話好きのケイコサンなので、実際のそういうお話も
お好きかと思ってたら、現実は生々しすぎるのね。事実って、
「これだ!文句あるか?」
で、想像する隙間も何もないのですものね。なんとなくわかるような気は
しないでもないわね。 私は、ちょっと苦手よ、フィクションもノンフィ
クションも。オドロオドロしいのはね。

今、彼女から回ってきている本は、ハードカバーのジョン・グリシャムの
長編作品。暮れは、じっくり読書ってなわけには、いかな私でもできない
ので、チョコチョコ、合間、合間で読み進めるしかないわね。
久しぶりの大掃除。♪掃除は済んだか、大掃除はま~だか~・・・♪♪の
第9はどこにもかかってないけど、あれは「大掃除の歌」って、勝手に
思ってるから。アメリカンポップスなんぞをエンドレスでBGMにして、
もう、捨てる捨てる、小気味いいほど捨てまくったわ。
さっさと2005年のカレンダーを吊ったりしてね。

  ☆ 本日の歴史上の人物・・・エル・グレコ(ギリシャ人と言う意味)
               (クレタ島生まれのスペイン人)宗教画家

恋はホンモノ

2004-12-22 23:55:47 | Weblog
      ◎ 本日のキャスト

    セニョリータ・・・本日のスター
    スサーナ・・・我等のスペイン語プロフェッソーラ 
    ケイコ・・・スペイン語クラスメイト
    レイコ・・・   私

白波5人男ならぬ、エスパニョール4人女、久方ぶりの勢揃い!
9月から短期留学をグアテマラにしていたセニョリータ。
ちょっと物足りないスペイン旅行からお帰りのケイコサン。
キッチリお仕事、スペイン語教室掛け持ち、お忙しのスサーナ先生。
エブリデイ=サンデイ、否 トドス ロス ディアス ソン ドミンゴス 
どちらも、毎日が日曜日、の私。

例の日系ブラジル人経営の「エスタンシア・プラザ」で忘年会。
「キャー、お帰りなさ~い!幸せ一杯?」
「もちろんですよ~!」
ここから、セニョリータの独壇場よ。
「恋煩い?」
「いいえ、決めました。一筋ですよ」
グアテマラで恋に落ちたお相手は、母スペイン人父ドイツ人を持つハーフ。
パスポートを3つ持っているって。ドイツ・アメリカ・グアテマラ発行の。
東洋が大好きで、かってのガール・フレンドは、中国人、韓国人。日本は
憧れの地だそう。

1月の半ばには又、グアテマラに。約1年の滞在予定。
もう、遊びにいきましょうねえ、ってケイコサンと言えば、
「だめよ~!」って、スサーナが、にわかスポークスマン。もう大騒ぎよ。
写真と、なんと英語とスペイン語(セニョリータは英語も不自由なし)の
ラブレターが何枚も。いいのかなあ、正にプライベートな内容の手紙を読
んじゃって。でも、それほど「見てみて~、知って知って~、こんなに幸
せなのよ~」の彼女の気持ちなんでしょうから回覧。熱い、熱い。
キューピットの矢に射られた2人は、「もう、言う事なし!」状態ですもの。

「子どもが生まれたら、可愛いでしょうねえ」
「当然ですよ!」
「血は、なるべく遠く離れたもの同士にいい結果が現れるって」
「レイコサン、いいこと言ってくれますねえ。もう、その言葉は
私のためにあるようなものですよ!」

手がつけられない状態のセニョリータよ。
お砂糖と蜂蜜とメイプルシロップがミックスされたように甘い甘~い
2人の関係。

いいものねえ、幸せ色に染まってる人の顔も会話も。
「ねえ、3キロくらい、痩せたんじゃあない?」
「そうですね、そのくらいは痩せたかも知れません。だって、食べてる
時間がもったいないくらいでしたから」
「ワォ、言ってくれるじゃない」
「だって、本当なんですもの」
本能を同時に満たす事は出来ないから、フフフ・・それは、ご馳走様。

1年の締めくくりには、言う事なしのお話よ。
セニョリータの税理士試験合格と恋に。ケイコサンと私のある試験の
合格もついでに、
「おめでとう サルー!・・乾杯!」

ケイコサンのスペイン話は次回に。   アディオス!

女の好きな・・・あれ?

2004-12-21 14:10:18 | Weblog
 <唐芋>

亜季は、胸を叩きながら、ぬるくなったお茶をすする。
「ヴィオロンのためいき?どんなんだろう、ヴィオロンのためいきって」
亜季の部屋から見える外は、最近めっきり増えたカラフルな外壁の小さな
家々。
今年は実のなる年周りらしく、庭の隅にある柿の木には、野鳥さえも寄り
付かない熟柿がたわわにぶら下がっている。
「ヴィオロンもなんだけど、あの柿がおっこったら、汚いのよ、グチャッ
て潰れて。この間なんか、私の洗濯物にぶつかっておっこったのよ。汚れ
てたもんね。さっさと切ればいいのに。ふ~、ヴィオロンねえ。」
最近は、取れすぎる柿は誰も喜ばない。豊かな時代の象徴。
「秋の日の ヴィオロンのため息の・・」
ブツブツひとりごちて暗記に取り組む亜季。
お茶を、もう一口。胸につかえているような焼き芋を飲み込んだ途端、
ため息が下半身からもれた。

 <マロン>

「重装備の山登りは、もうできないわねえ」
澄子は、あきらめとも未練とも取れる含みで越し方を振り返る。
女子大に進んだ彼女は、なぜかいっつも怒ってる女だった。
「したいことなんかないわよ!」
そんな彼女が山に取りつかれたのは、どこかに体を鞭打つ事で、日頃の
憂さと、自分でもわけのわからない焦燥感からの脱却につながるような
気がしたから。
日本の山を攻略したのは大学時代。
決して幸せとは言えなかった結婚生活の期間中も、ますます山に向かう
彼女の目標は、海外の高峰。マッターホーンは断念したが、モンブラン
は踏破。おもいでの山。
彼女の結婚相手となった男性と初めてデートしたのは、銀座・資生堂。
「山がそんなに好きなんだ。じゃ、ケーキはモンブランだね」
その、2人の間にあったモンブランも、結婚後ほどなく、2人の間に聳え
立つ壁となり、今では苦い胃液と共にある過去の山。
1人身となった男は、寂しく遠い西国のひなびた病室で、酒で痛めた体を
抱いて息を引きとった。

 <南瓜>

「すご~い!」
80才もとうに過ぎた姑の、相も変わらずの力に、ナミは少なからず、
恐怖感を抱く。
いつも格闘という具合に、それを切ろうとするナミに、
「寄越しなさい。ほらっ、こうでしょうが!」
って、畳に新聞紙を敷いて、俎を置き、グァシッと包丁を立て、勢いで
もって切る。 力仕事は、力だけを使うものじゃないとは言われるけど、
姑のそれは、まさに力だけのものとしか思えない。積年の、おのが人生
に起きた不条理に対する抵抗のような力のいれよう、込めよう。
ナミは、これだけは義母の仕事にしといたほうがいいのかもしれない、と
思っている。
「おかあさん、煮物でいいですよね?」
「アラッ、ナミさん。それはスープにする方がいいわ。裏ごしをシッカリ
してね。そうそう、いつものように固ゆでしてから冷凍庫よ」
私達の親子関係をそれに例えるなら、日本それとも西洋の味かしら?やっぱり
日本だわね。ちょっと水っぽく、淡白な味。でも、品がいいってね。


 <タコ>

「たくよう!何度言やぁわかんだよ、このウスラトンカチのタコが!」
「え~~っと、竹は小刀でこうやって切って」
「バカ~! 違うだろ!」
「そうでした、すんません。そんでもって、糸はイカじゃないよね。
イカ糸ってえナシは、聞いた事がねえしなあ」
「あ~あ、野郎何~勘違いしてやがんだ?」
「しっぽもいったよなあ。何尺に切りゃあ、よかったっぺ?しんぶんがみ」
「オイオイォィォィ・・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ウワァ~~!何なんだぁ~、前が見えないよう」
「ホラッ、鍋の湯も沸いてきだしたし、誰かヤツの顔に墨~吐いて、張り付
いてるのを取ってやんな!」
「イテ~~!!、俺は 山葵醤油より、イテテテ、塩とラー油で食いた~い!」

 <こんにゃく>

結子は、腹這って、直径50センチほどの池の中をのぞきこんでいる。
水溜りじゃあない、深さはそこそこあるみたい。もしかしたら、深い泉。
何を見てるか。腹が赤いトカゲのような生き物。「いもり」。
結子が腹這っている足先には、肌色に茶色のまだら模様の植物が。
いつも遊びに行く家のバーバが、
「あれはコンニャク。好きかい?」
「ええ、だ~い好き。本当?」
大人になった結子は、もう過ぎ去りし昔の風景を思い出すこともなく、
今夜もまた、夕食「おでん」に、三角形に切ったコンニャクを鍋に入れる。
「おなかの掃除をするから、マメに食べなきゃね。砂掃除って言うのよ」
調理前のコンニャクは生臭い。そんなコンニャクを、できる限り季節を問
わず食卓に乗せたものだった。あの歯ざわりは好きだし、ダイエットに使
うカサアゲ食材にももってこいなのよ、と結子。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ギャ~~ッ、何~この痛さは~~!」
七転八倒、脂汗が滴り落ちる。
腹を掻っ捌いてみれば、もちろん外科医が。
胆嚢から出るわ出るわ大小さまざまな石に砂。手術による疲労が、再び
結子を昏睡に。その途中の脳裏に、「食べる量が少なかったのかもねぇ」
と、三角形のコンニャク達がなぜかラインダンスをしてる。

ーーーーー女が好きな食べ物トップ5-------

  < 芋・栗・南瓜(かぼちゃ)・たこ・こんにゃく >

ですって。芋は「サツマイモ」のこと。
けれど、かっての薩摩おごじょは、サツマイモ大嫌い。薩摩じゃ「唐芋」
って言ったものよ。里芋は好きだから、やっぱり南の島向き女よ。タロ芋
って、里芋に近いお芋らしいからね。続いて、栗は一生食べなくていいって
シロモノ。マロングラッセ、それがどうした?程度のものでしかないけれど、
モンブランていうケーキは、栗が使われいるのよね、なぜだか。
それらにまつわる「ショートストーリー」。作:薩摩産子   

体は一つ

2004-12-20 21:35:11 | Weblog
3ヶ月の間に2度のくも膜下血腫(1度は破裂)の手術を受け、両手の
むくみ&麻痺による使用不能の状態から完全主婦復帰に至るまで、約2年
近くかかった。
激痛との闘いが「リハビリ」よ。家族には知られないように泣きながらや
ったわね。だって、人の手を借りて生きるなんて、考えるだけでも耐えら
れなかったし、誇りが許さなかったから、ひたすら
「こんなことでギブアップなんかしないんだから、わかってるんでしょうね!」
って、自分に言い聞かせの日々だったわ。それで今は何の後遺症もナシ!
目いっぱい自分を褒め称えたものよ、心の中で。
「あなたはエライ!やったね!」ってね。
そんなこんなで、 
およそ、古くからやって来た日本人の主婦達の仕事「衣替え」などは、知
らん顔で過ごしてきたけれど、それに、時々出かける海外に、前ほどの几
帳面な衣替えもせずに、早や数年。
色々な理由をくっつけて、サボる事サボる事。季節の変わり目に、仕方な
くお茶を濁す程度の体たらく。けじめがなくなる一方。だらしなくなって
いく自分に少々うんざり。

「あの、服はどうしたかなあ?」
時々、目をつぶって(これが肝要)ビニール袋へ放り込む、かなりの量の
服だから、なくなっても仕方ないんだけど。 ここ何年かは、そんなこと
をする気力もなかったからね。
極力服は買わない女だから、従妹に「それでも女?」と言わしめた私よ。
およそ、女性が関心を持つことには、希薄な関心しかないから。それでも、
もらいものの服や、なんとなく買っている服などがたまるから、そう、
エイヤッ!で処分しないと、着る事もない服で、衣装ケースはいっぱいになるのよ。

何回も言うけど、人と同じ、皆と一緒っていうのが、たまらなく嫌いな人間
としては、洋服にしても流行を追うなんてしないし、体型が変わらない限り、
何年でも着るのよ。
そうそう、この前、久しぶりにパーマ&カットをしてもらったんだけど、流
行に添うのは嫌いなのよって言ったのに、今風のスタイル。気にいらないっ
たらありゃあしないよ。サービスのつもりだったんでしょうけどね。余計!
事ほど左様な浮世だから、外に出るって嫌いなのよね。

今日は、押入れをゴソゴソ。衣装ケースの一つのふたを開ければ、冬物が
ごっそりよ。 これまた仕方なくアイロンを出して、かけまくりよ。
体は一つなんだから、それぞれの衣類は、最低数量しか持たないようにし
ているんだけど、なんと、ハーフ、ロング合わせて、すでに着用している
ものも含めてオーバーコートが12枚。
思わず、「どうするのよ!」って、自分に毒づいちゃったわ。
なんだか、あさましい人間のように思えちゃってね、自分自身が。
でも、「それでも女?」に「ええ、私も女だったわ」って言えるかもね。
ハハハ・・、その中の何枚かは、私には到底買えそうもない母の形見で、
ブカブカでなくなったのが、ちょっとくやしいんだけど。
まあ、時々は、母の愛に包まれるとしましょう。
他は? 余分なモノは持ちません。今回も、処分衣料が袋一杯になったわ。

1日経った、一塩のお大根のお水が上がって、半分は、カクテキキムチ。
もう半分は、ユズを散らし、タカの爪を入れた甘酢漬けに。純和風にね。
トンカツの衣のパン粉は、ビニール袋に入れて、麺棒でもっと細かく。それに
白ゴマを加えて、揚げ油は少なめに。

アラッ、今日は「主婦」みたいだったわね。

ア・ラ・カ・ル・ト

2004-12-20 01:15:53 | Weblog
ホラ、暮れよ! 掃除すんだか~~?って、せっつかされる曲がTVから
流れてるわ。何の曲かって?
暮れの曲よ。ベートーベン「交響曲第9番」・・・いわゆる「第9」
あれって、♪掃除は済んだか 暮れの大掃除~ ♪ って聞こえるのよ。
学校で習った時は ♪晴れたる青空 漂う雲よ~♪って、歌詞だったような
気がするけど、最近は、大掃除の歌 のように聞こえちゃうのは、手抜き
暮れの家事全般に、ちょっとうしろめたさがあるからかしら?

セニョール・ダンは、泊りがけの忘年会&麻雀大会にお出かけよ。メンバーは
身内。高層ビルの部屋から、副都心の夜景を眺めながらのお楽しみ。
高所恐怖症の私は、苦手なのよねぇ。空中に浮いているような、お尻の座りが
悪い所は嫌い。 何が悲しくて空中に居なきゃならないって、思うのよ。
ウチの宇宙人いわく、
「太古の記憶がそうさせるんだよ。穴居時代の名残だな」
「でも、あれって地面、もしくは山肌を削ってねぐらにしたんでしょう?今でも
人が住んでるって言う、トルコのカッパドキアのようなアリの巣みたいな住居」
「まあね。でもやっぱり太古の名残ではあるな」
そうねえ、なんでも理屈って後付けですものね。有効面積が少ないから仕方ない
なんてね。でも、快適でいいわあ、って住むのよね。

でも、私は寝る場所は、地面に近くなければ絶対にイヤ!という女。
ベッドより畳に布団が好き。宇宙遊泳みたいな感じがいやなのよ。不安定じゃない?
何を何するのも、・・・アラッ何のお話をしようとしてたのかしら?
只今林立中のマンションには住めないってお話よ。けれど、すごいマンションの数。
もう、香港みたいになるわ。香港のビル郡はすごいわ。あそこのマンションの一角に
住むなんてことになったら、逃げるわね。姉は3年以上も住んでたけれどね。

セニョールが借りている菜園に、ハサミを持って行って来て、すご~く嬉しい収穫よ。
しかもそれは「ブロッコリー」。好きなのは私だけ。見事な出来栄えのそれ。
お大根も3本抜いて、ほうれん草もね。ついでに雑草と枯れたお野菜なんかも抜きま
くって、畑の手入れ。こういうのがなんとも言えずいい!何を今更なんだけど、農家の
嫁が良かったかなあ、なんてね。バッカじゃなかろか、そうその通りでありんす。

いつも、あるお家の前を通って帰るそのお家。私の元・英会話個人レッスン(1年間)
の先生だった方のお宅。日米ハーフの女性。
日曜日だったので、ピンポン! だって、彼女は高校の講師でいらっしゃるから、当然
お休みと思ってね。出ていらしたのは1人っ子のお嬢さん。取り立て、農薬は1滴もか
かってないから、安心して召し上がって、ってブロッコリーとお大根を。
ちょっとガッカリ、少しホッだったわ。なぜって、元・先生の彼女が出ていらしたら、
絶対に英語だったはずだからね。

帰って、2本のお大根は拍子木切り。軽くお塩をまぶして、カクテキキムチの下ごし
らえよ。ほうれん草はさっと茹でて、小分けにして冷凍庫へ。もちろんブロッコリーも
茹でて、こちらは冷蔵庫。幸せ~~な気分で、ケイコサンから回ってきている本を貪る
夜。いつのまにかTVから流れる音が、ガラッと変わってたわ。

画面は「地唄舞」になってて、やっぱり「第9」よりいいわねえ。
大体が、へそ曲がりの女だから、みんなが、というものにはソッポを向く性質(たち)よ。
すっごく恥ずかしいのよね。みんなと同じ方向を向くってことが。
だから絶対に「第9」の合唱団なんかには入らないわね。歌は大好きだけど。あんな恥
ずかしいことなんかできないわ。
伝統芸能の紹介をやってる。女文楽(人形浄瑠璃)、金毘羅歌舞伎なども。いやあ、見
事な舞いだったわよ、地唄舞は。


♪きょうで おわ~かれね~♪♪

2004-12-18 21:06:36 | Weblog
     ◎ 本日のキャスト

    アロン・・・アルゼンチン人にわか日本語生徒
    マッキニィ・・・韓米ハーフアメリカ人宣教師
    マルコ(保)・・・南米レストラン・食料品店オーナー
     私・・・今日を限りのインスタント日本語、いい加減教師
                 
                   他

「美味しそう!だけど、なんとなく可哀想」
丸のまんまのチキンが、外の巨大な回転式グリルの中で、ジワ~~って、焼かれ,
い~い色に。マルコ
「朝6時半から焼いてるんだよ」
「エ~ッ、何羽焼いたの?」
「ハッキリ覚えてないけど、すぐなくなっちゃうんだよ」
「それは、それは結構!良かったわねぇ」
22日の「忘年会」の予約をしに行って、ついでに店内に入って、いつものように
「Por cuant vou tomar un cafe,por favor」・・とりあえずコーヒーを1杯ね。
そして、いつものようにポルトガル語を1単語or1フレーズを習う。
「今日は何曜日?」が本日のフレーズ。これは、ほとんどポルトガル語もスペイン
語も変わりなし。
「な~んだ」って、たかをくくると、全く違う表現にぶつかるから、やっぱり外国
語は、難しい。

アロンへの日本語レッスンも、今日が最終日。
5分、10分、15分て、待つけれど、来る気配なし。
しょうがないから、きょうでおしまいの訳をスペイン語で、ホワイトボードに書いて、
ADIOS!
車を発進したら、向こうから必死にペダルをこぐ彼に遭遇。又Uターンして、
教室に。3時からの英会話まで、いつものように容赦なきレッスンよ。
「Todos latin americanos dicen ,siempre "Hasta manana",no?」
笑ってるのよ。「アスタ・マニャナ・・・あしたね」で、済ませるんだからって言ったら。

それでも、彼の努力は脱帽もの。私がピックアップした形容詞を書いた紙を見て、
「40も漢字?」
「何言ってるの!小学生で、2000は覚えるのよ、頑張れ!」
「ワーオ!」
「だけど、アロン君はすごいわねえ。よく頑張ってるわ」
「何、すごい?」「ン~、マーべラス、グレート!ユーアーグッドスチューデント!」
「ホント?嬉しいね。でも、あなたもいい先生だったよ」
って、たったこれだけでも3カ国語ミックス会話なのよ。お互いに都合のいい言葉が、
つい口から出てくるから、そして、いつもそれでわかりあえたから面白かったわねぇ。

「無料英会話教室」を勝手に卒業したんだけど、日本語のお勉強は土曜日だから、
アロンにちゃんと挨拶をしなきゃ!で、出かけたのよ。
マッキニィがいたから、
「宣教師には、自由な時間てないんでしょう?」
「はい、そうです。なぜ、英会話やめるのですか?」
「あなた達を見ているのが辛くなったから。信じられないでしょう?
あなたたちは、キリストを信じない私達が可哀想って、思ってるでしょう?
けれど、私はそういうあなたたちが、とても可哀想に思えて、もう続けられなく
なっちゃったの。いつか又会いましょうね」
って、言ってる内に、涙が出てきちゃった。ランguストンへも涙のGood-bye!
だって、みんなとてもいい子達だったからね。

2000年という歴史が証明している「キリスト教は殺戮の宗教」
その宗教に身をゆだねなければ生きていかれない彼等を、哀れと思わずにはい
られないのよ。そして、それぞれのバックボーンが、彼等を宣教師に駆り立てた
みたいで(私が感じた)、それも哀れ。混血・親の離婚・人種問題等などの、
本人の意思と関わりのない理由が、その人間を苦しめてね。そして、永遠の救
いを得られると思い込むことによる安心立命の境地。
見方を変えれば、なんと強欲な!よ。生あるものに必ず訪れる死すら、なにごと
かのものにしようなんてね。傲慢でしょう。
誰が死のうと、世界(自然)は変わらない。だから、ここで謙虚さが求められる
って思うのよ。生きとしいけるものの中の一つという自覚。多くの命の贖いによ
って生かされているという事実。
「キリストの贖い」がベースになっているキリスト教だけど、キリストの贖いより、
多くの生き物の命の贖いで生きている私達であることを感謝する事の方が求められ
ているって思うんだけど。

でも、短い間だったけど、もっと英語に近づけたし、リスニングに対するプレッ
シャーも、随分なくなってきたのは、間違いなく彼等のお陰。
鎌倉、小田原城へ彼等を案内できたのが、せめてものお返し。

アロンへ「22日、エスタンシア・プラザで、スペイン語関係の忘年会。先生は
アルヘンティナだった人よ。いらっしゃいな」「Si」

教会を後にして、目指すは時々お会いしてた英会話クラスメイトのお嬢さんのお家。
NYに旅行だけど、宿が決まってないという彼女のために、NYに住む我が親戚の
子が、そんな人たちのために、自分のアパートの2部屋を開放。その返事と詳細の
案内を郵便受けに。そこのお宅の門扉の前には、大きなペルシャ猫が門番。
「誰?何しに来たの?」みたいに、ニャゴニョゴって。

ちなみに、NYに行きたいけど、宿がねえって、思っていらっしゃる方は、いかが? 
詳細をお知りになりたい方はご連絡を!
今まで、延べ人数にして250人の人が泊まったそうよ。リピートの旅行者も。



今月は?

2004-12-17 23:32:06 | Weblog
         ◎ 本日のキャスト

          ヒロコ・・・従妹
          レイコ・・・私

「もう、レイコチャンとは一緒に観劇はしない!」って、言わしめた従妹と
国立劇場へ。ウン十年ぶり(?)に一緒に観劇。

紀伊国屋ホールだったと記憶してるけど、高校時代に、2人で「サド公爵夫人」の
観劇に行ったのよ。
私は、定期試験の最終日で、普段が普段だから、どの教科もいつものように一夜漬け。
さあ、薄暗くなってきたらもうダメ!イビキまでかいて熟睡モード。ヒロコがその度に
突っつく有り様。観客の拍手で目が覚めて、私も慌てて拍手。その繰り返しで、ヒロ
コはプンプン。恥ずかしかった~~!で、先の発言よ。
その後、映画も一緒に行って、
ベティ・デービス主演のその映画が怖くて、叫んだ事なんかない私が、思わず
「ギャ~~~!!!」。又もやプンプンのヒロコサンだったのよ。

先月に引き続き、国立劇場へ。
演目は、歌舞伎十八番「勧進帳」・・・松本幸四郎
もう1本、「花雪恋手鑑・・はなふぶきこいのてかがみ」 どちらも高麗屋一門。
我が友人ソノコサンのご子息も、ちゃんと名前(松本染二郎)がプログラムに載ってて、
ハイ、ちゃんとわかったわよ。やはり、知り合いが舞台に出るって、違うわねえ。

花道で、義経を無事に安宅関を通過させた弁慶が、ほ~っとする場面をみて、役もさり
ながら、60才も越えた幸四郎が長い舞いを終えた、ほ~もあったでしょうねえって。
でも、中村勘九郎の方が好きだわって、ヒロコ。そうねえ、勘九郎の方が色気があるわ
ね、来年勘三郎襲名よね。又観に行こう! 中村獅童は、伯父さんにそっくりね、とか、
ずら~っと並んだ、三味線・謡・大小鼓・笛による長唄に酔いしれて。

私もヒロコも日本舞踊を習い、共に、それぞれに別の土地で、「藤娘」の披露目もやった
従姉妹同士。かなり大きくなって知った事実。
まだ、日本が戦後の苦しい時期に、親が、何がしかのお稽古事をさせてくれた事を2人で
感謝。それも、実利とはほど遠いお稽古事だったことが嬉しいわねって。

「親達は、離れ離れに(養女になって)育ったのに、広島の伯母ちゃんが謡曲、ヒロコ
チャンのお母さんは長唄・三味線、うちのお母さんはお琴。なにかが流れてたんでしょ
うねえ。共通するものがあったってことですものね。でも、お陰で、私もヒロコチャン
も、幸せなことに、これからの人生は、楽しみが道連れよ。親に感謝ねえ」

そして、2人で「本屋は鬼門」って。お互いに「ビブリオマニア」すれすれの女。だから
いくばくかのお金が入ってるお財布を持って外出したら、「ああ、どうしよう。誰か私を
とめて!」状態になっちゃうから鬼門なのよ。
それでも「宮本輝の最新作はいいわよ。機会があったら読んで見たら。上下2巻を3日間
で読みきっちゃったくらいに面白いから」って。
「そうお?じゃあ、なるべく早くBOOK OFFに並ぶ事を期待するわ」
って、作者には申し訳ないけれど、他にも欲しい本がいっぱいなんですもの。
そう言う彼女は、彫金に只今いそしんでるそう。

他人の、身内の馴れ合い会話なんて、面白くも何ともないでしょうけれど、こんな従姉妹
同士もいます、という見本でした。

あなたも、私も?そう、あなたも・・・

2004-12-14 01:16:47 | Weblog
まあ、ひどい親と姉を持った人なのね。最悪な家族?フフ、うちだけ?
違うような気がするけど、ま、いいでしょう。追々にわかる事だから。

マザコン、シスコンの告白に、
「ヒヒヒ・・、ど~れどれ」って、人ンチの揉め事(って思ったわよね)って、ほ~ん
と大好き人達は、興味津々のヨダレを流したでしょう。
「続き、続き。なんで?」
って、すべからず、人ンチの不幸そうな話は、3度のご飯より好きっていう人種達がそ
う思ったでしょうね。だからタイトルになったのよ。
幸せだった人は、人の不幸話は受け付けないわ。
「ワイドショー」番組がなくならないのは、そのせいよ。
「もしかして、私より不幸な人がいるかも」って思う事で、自分の境遇と折り合いをつ
けようってする、無意識の行動。

さて、私ンチの事に戻して、
彼女達の名誉のために、「松・竹・梅」ランクで言って、お寿司みたいだけど。
能力的に言えば「松」。なべて「竹の上」くらいの人たちよ。私から見れば、母以外は
少々口が軽い、想像する力は「梅」っていう人達。 まあ、その辺を言うなら、普通の
どこにでもいる女達よ。

幼少期と思春期に、自分より強い人間にどう扱われたか。弱い立場の人間に、どう接して
きたか。そこが加害者になるか被害者になるかね。加害者も元は被害者よ。
子どもに、弟に、妹に、言葉の暴力を与えてこなかったって、言い切れる人が何人いる
かしらねえ。
「もう、アンタって子は!」「何やってんのよ!」「サッサとしなさい、グズなんだか
ら!」「お兄ちゃん(お姉ちゃん)を見習いなさい!」「こんな点数でどうするのよ!」
「お前は、小さいんだから、黙ってろ!」「うるさい!」「生意気言うんじゃない!」
「親の言う事を聞いとけばいいんだ!」など等など等・・・・・。
1片の愛情も感じられない言葉の数々。
そして、長子は「お兄さん(お姉さん)なんだから!」と、勝手に弟だか妹だかを生ん
で上にしといて、言われなき理不尽さで、プレッシャーをかけまくられる日々。
そして、結婚して、はなから当たり前の「性格の不一致」を筆頭理由に離婚。
足元の青い鳥なのに、その鳥を育てる努力を怠って、「今度こそ!」って、再婚。
ハッキリ言って、ズタボロよ、子ども達の心は。
癒されないのよ、一生ね。何の権利があって、人の心を傷つけるのかしら?
そして、ここでも
「人は、辛いと勝手な事をしてもいい」って、見本を見せる親達。
じゃあ、なんなんだったのよ!私達を世の中に送り出した、愛し合っての結果じゃないの?
ええ?! 単なる衝動の結果が私達だったって訳? なら、生まれる前から私達を傷つけ
まくってきたって事? 今更百万遍だら言い訳しても、屁の役にも立たない繰言よ!

こんな環境で育った人間は、萎縮するか、八方破れになるか、根性悪に。
何にしても悲しい人生よ。いつも斜に構えて人を見る。
もう、そこいら辺にウジャウジャでしょう。世相を見ても、悲しい子ども達でいっぱい。
そして、一番の悲劇は、人に心から優しく出来ない人間に育っちゃうって事。
競争心剥き出しの長女という存在。年下、格下の者には負けられないって思ってる、
毒を含む言葉で弱いものいじめをシャラ~って、やってのける可愛げのない女。
長男は又違う。嫌な事からどうやって逃げるか、の事なかれ主義、事大主義。
中に挟まれた人間は、いっつも人の顔色を見て、誰が自分に関心を持ってくれるかが、
最重要課題。人に何かをしてあげるのも、点数稼ぎの悲しき存在。
末っ子? 言い尽くされた生き物よ。
甘ったれ、依頼心の塊、わがまま、泣けば済むと思ってるの?存在。

だけど、その誰もが厚い無意識の層の中でうごめいてるのよ。
ちょっと計算高い人間ならば、手の内なんか、簡単には見せない。
損をしないように、人生を歩もうと頑張る。ソコソコの評価の元でね。
自尊心を満足させるくらいの処世術を駆使して。

けれど、さあここからよ、大事な話は。
どうにか踏ん張って、いい人間であろうとした私が、生きてこられたのは、
やはり、母の存在だったのよ。
言われなき、暴言を、浴びてきたわ。
「個」としての存在を認めてもらえなかった、歯痒さ,
悲しさ、悔しさにどれほど泣いたか。
成績が振るわないといって、長姉との比較。
何もかもを、姉達と比較され続けてきた。
そう、何度死のうかって、思春期に考えたか。

そこをどうやって乗り越えてきたか?
「人生いかに生きるべきか?」
「人生は意気に通じるか否か?で決まる」
「天知る地知る我知る」・・・吉屋信子の作品から?
「料理は誠意の味なくしては、料理とは言わない」
「教育はあっても教養がない人間は、尊敬に値しない」など等など等。
そして、時折見せる親としての顔じゃない、1人の人間の顔に見る無邪気さ、
次々押し寄せる不幸に対して、決して愚痴らなかった潔さと、我が家から消
える物品の、盗人をかばった
「やむにやまれないで、した事よ。なるべく会わないようにするわ。なぜ?
相手のいい訳を聞くのは辛いから」
なんて言う、母を私は反発と同時に、尊敬もしてきたのよ。
そして、彼女を取り巻いた残酷な世界。

「医は仁術なり」を実践してたっていう、医者の父親(私達の祖父)の死。それ
からの流転。戦争。未亡人。一つとして、母の意志が絡まなかった不幸な年月。
そんな母の人生。やるせない境遇から発せられる我が子への感情の爆発。
年端も行かない私でも、そんな母を、不憫に思っていたせいか、母に認めてもら
いたいと焦りまくって過ごした青春時代だったけれど、半身不随の母を、まさに
さらうように横浜の住人にしてしまったのは、母への恩返し。傷つけられたのは
事実だけれど、それを帳消しにするほどの宝をくれたのよ。宝って形があるもの
ばかりじゃないのよ。それは「至宝」となる無形の財産。そして、決して人の悪
口を言わなかった母を、私は誇りに思ってるわ、今でも。
加え、人生の岐路に支えてくれた人々の存在を抜きに、今日の私は語れない。
母の愛+他人の愛を受け取った私は、だから、根性悪のいじめなんかしない。
言い切れるわよ。だって、弱いものいじめなんて言葉は、私の辞書にはないもの。

人は、お金じゃ生きられないのよ。・・・生きる意味を知れば。
「ああ、私はここに居ていいんだ」
って、心から思える時間を持って来たかどうかなのよ。
そして、悲しくも辛い身近な人間から投げられた言葉、あるいは決定的打撃の無視を
受けてきたら、人は深く深く心が傷つき、死ぬまで苦しむと言う事を知らなければ
いけないわ。そして、学習してこなかった事は人にして上げられないのよ。
人格形成期と思春期に愛されなかった(シッカリ本人が感じ取れなかった)人は、
人を愛せない。

これからの日本は、お金に身売りしちゃった親達に育てられた、否 養われた子ども
達だらけになるわ。本当に何が大事か知らない人間で、溢れかえる。だって、育てて
もらってない子ども達なんですもの、可哀想に。彼等は、否 もしかしたらあなたも、
息を引き取るまで、愛を欲しがるのかもしれないわね。そんな今の日本人ね。

マザコンもシスコンも、ぜ~んぜん自覚してなかったのよ。だから、恨んだりもなか
った。ただよく見聞きする姉妹同士の会食や旅行なんかは、私はパス。たま~に付き
合うくらいのものよ。価値観が違いすぎるからね。だからって、なんてこともなくき
たんだけど、2度の大手術で、落ち込んだ私が自発的にカウンセリングを受けていた
途中に、「ああ、私ってすごいマザコン、シスコンだったんだ。全て、ここが出発点
で、分岐点だったんだわ」
って、気がついたって、訳だったのよ。長い年月だった。
でも、前にも書いたけれど、78才の息子が、99才の母親を許せなかった、甘えた
かったって、2ヵ月後に、まるで後を追うかのように、亡くなった近所の男性。
笑えない話よ。自分の力ではどうしようもない不幸な境遇に生きなければならなかった
人の辛さは、窺い知れない闇となって、住みつづけるのよ。

女にありがちな、意地の悪さ。根性のひん曲がり。もう1回、親や兄弟姉妹との関係を
洗い直したらいいわ。心のどこかに「もっと私の事を愛して~!」って叫んでる自分が
いるのかも知れないから。
そこを満足させないと、まわりの人に害をばらまく存在になるわ。
カウンセラーは、ひたすら聞いてくれるのよ。心の中を洗いざらいぶちまけてみたら、
「エッ、こんなことがひっかっかってたの?これが全ての元だったの?」
って、自分でもビックリするような事が出て来て、そして、整理されるのよ。
解放されるわよ。へ~んな宗教につかまるよりいいんじゃない?保険も使えるわ。