ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

歴史に目をつぶってはいけません

2004-12-13 00:40:03 | Weblog
「エホバの証人」「モルモン教」はアメリカから。「統一原理」は韓国から等など。キリス
ト教をベースの新興宗教。それぞれの宗派が、啓示を受けたという人物が教祖らしいわ。世
の中に啓示を受けた人はごまんといるって言うから、あとはどれだけ人を説得できるものを
持ってるかでしょう。時代とその人物が所属する社会との折り合い。いまや、教祖が属する
その社会だけじゃない小さな地球になって、布教活動は、簡単にグローバル化。
我が家にもよく見えます、「エホバの証人」の人々が2人1組になって。
今年知り合った、否毎週「無料英会話」でお邪魔している「モルモン教会」。
真摯で、陽気な宣教師達と、そこそこ仲良くなってきてるんだけど、最近、なんだか彼等が
可哀想に思えてき出してね。
ざっと400派とも言われるキリスト教の会派。
そのどれもが、「ウチが正しい!」って、言ってきて早や、2000年。

異教徒との血みどろの戦い、迫害、殺戮のキリスト教だったってことは、歴史が証明してる
でしょう。
「愛です」って。決して「愛ではありません」って、誰が言うの?言えないわねぇ。
お題目がどんなに正しくとも、どんなに「ウチが正しい!」と、口角泡を飛ばして言ったと
しても、根っこが同じ「キリスト教」に、どうして人が救えようか?って思えてしょうがな
いのよ。「だから、ウチが正しいのです」って、言われてもね。

終末思想、末法思想で人を脅して、・・・宗教って、恫喝よね。そしてお布施、浄財という
名目でお金を出させる。キリスト教では収入の10%とは聞くわね。
未来永劫の幸せを得られるって、言われれば、この世の金品などいかばかりのものかと提供。
ま、いいでしょう、その人が幸せならば。他人がとやかく言うものじゃあないからね。
アメリカ人の宣教師が、
「神様のお話、聞いてくれますか?」って。
「いいわよ、いつでも聞いてあげる。・・・・けど、あなたたちを悲しませるかも知れない
からねえ。どうしょうかなあ」って、返事をしたんだけど。

伝道者になるには、相当の「ディベート」をクリアしてきてるって思うわ。シュミレーショ
ンも何通りも用意して、こう言えばああ言う、ああ言えばこう言うって、練習をね。
虚しいって、思うけれど、信じてる彼等にしたら、必死よね。仲間を増やすことは至上命令
なんですもの。「数は力」簡単明瞭。

モルモン教に限って言えば、何故か宣教師達の家は一様に裕福らしい。それが何を意味する
かは各人各様の受け取り方。大抵が、「恐れ入っちゃう」様子よ。
私は、鼻白むだけ、なんだけどね。
まあ、どこかの宗教が掲げるスローガンが、「真・善・美」ではなく「真・善・利」。
「利」というところが、現実的で、多くの信者を獲得して、今や、お定まりの政界進出でい
っぱしですものねぇ。
癒されない寂しさ・苦しみの上に、強烈な物欲が「もっと、もっと、もっと!」でこの世を
生きていれば、人はいつも物心共に飢(かつ)えて、地獄をさまよい、その時に出会った宗
教に救いを求めるのは人情なんだけど、1神教の猛々しさは怖い。殺戮の歴史を背負ってい
る宗教だって事を、なぜ人は見ようとしないのかしら?
ああ、でもそれは出来ないかもねぇ。メクラにならなければ、良き信徒ではないのだし、
そこでも又疎外感を受け取る地獄には居られないから、やっきになるのよね布教活動に。
これは自然の流れ。ましてや1人でも信者を獲得すれば、あなたはもっと幸せになれる。
だって、まだ知らない人々に教えを広めるって、こんな人助けがほかにあろうか?否、
ない!の論理ですものね。正に「アメとムチ」の両刀で迫る。

けれど、砂漠に生まれた宗教が、この水に恵まれた「和をもって貴しとする」民族に、理解
させるのは、難しいでしょうねえって、思うんだけど、ヨーロッパの歴史は、「血の歴史」
宗教戦争がつい最近まで。今は、世界を覆っているわね。テロじゃなんじゃって。けれど
アメリカから入ってきたそれは、五感で感じられる幸せを運んでくる白人崇拝が消えない
信者達が受け取るそれは、選ばれし民としての恍惚感に酔い痴れてるに充分らしいわ。 
だからなおのこと、一様に不幸な人々って映るのよ私には。
日曜礼拝にお邪魔して、彼等を観察するでもなく眺めてみれば、人は、何かに属さなければ
生きていかれないんだと、それも、かなり強力なものに属したい、という欲望の中に生きる
ものだと痛感させられたわ。
弱いのよねぇ。まさに迷える子羊たちなのかも知れない。
私みたいに、誰かさんの演出に、役者として登場するのは真っ平ごめん!の女から見れば、
可哀想に!って。

新渡戸稲造が、彼の国の人に、「宗教がなくてどうやって人々を導くのか?」って、聞かれ
たそうよ。そこで、彼が持ち出した、当時の日本人のバックボーン「武士道」。元は、「朱
子学」なんだけど、日本人独特の価値観・死生観までをも作った精神の拠り所。そして、
庶民の高い教育。寺子屋あたりから、出発したそこに通うのは一般庶民の子弟。
なんせ、飛鳥・奈良時代に大陸から輸入したものが、経典を初めとした書籍がメインという
から、わが国の知的水準の高さが知れようと言うものでしょう。今?ゆとり教育と、欧米が
絶対と思ってきた結果の、子ども達の、ということは、親達の水準の低さよ。

人がいるところ、迫害、争いは常にあり、
「助けて~~!」が、宗教を引き寄せるのでしょうが、大体は、親との係わりが、その人の
一生を決定付けることは、もうわかってることだから、苦しみ悩む人々を救うのは、もしか
したら、カウンセラーの方が上かもしれないって思うわ。それに、漠然とした「神」の助け
「錯覚」を頼んだり、あなたの前世が、なんて脅しに怯えるより、「コレコレシカジカの体
験が、あなたを苦しめているのです」って、本人も納得するものが見えてくれば、それはグ
~~ンと身近で、わかり易い救いが得られるって、私は思うのよ。
っていう私も、どれだけマザーコンプレックス、シスターコンプレックスに悩まされてきた
か、最近になって私の芯のところに居座った、母親と姉達の生霊(?)に悩まされてたかが
判明して、と言うのも、それが「諸悪」の根源だったなんて思いもよらなかった事ですもの。 
解放されたわねえ。宗教は、解放じゃなく、取り込むものだからね。誰も、前世の行いが、
とか、信心が足りない、なんて本当は言われたくない筈よ。誰かに指図される事が心地よい
って感じる人は、それこそ幼少期に、何かしらの経験・体験を受けた結果。
がんじがらめになっている様々な心の中の鎖を断ち切って欲しいって望むのに、宗教はまた
新たな鎖で縛るのよ。「救いです」「同じ仲間です」という安心感の裏書付きでね。

けれど、科学的じゃないって言って、宗教をバカにする人もいるけれど、そういう人は又傲
慢なのよねえ。科学教の信者だって事には気付いてない、マスコミ教信者と同じよ。
ただ、一つ言える事は、「神様」より「親子」関係の洗い直しを!ってね。充分な愛を親に
感じられない人は、直行でカウンセリングを受けるべきで、簡単に親になってはいけない。
親子の情愛って、・・・最近の世情を見ればわかるわよね。負の遺産は、渡してはいけない
のよ。宗教が介在するって、ネ?不幸だって事なのよ。永遠の幸せ?
欲しい人はどうぞ! 前世の記憶がないんだから、そんなものは存在しない。恫喝に怯えて
はいけません。そう、思いません?

太陽が出ても、雨が降っても、自然の中に喜びを感じられて、誰かに何かをして上げられる
事を自分が嬉しがられて、誰にも褒めてもらえなくても、寂しがらずに。そう、心の在り様
が、何かに誰かに寄らずに生きていかれれば、それはとっても自然で幸せな境涯だって思うし、
そう生きたいって願うわね。神様を意識しないで生きられたら、調和してるってことだから、
何と?自然とね。ミジンコやアリンコ達と同じ生き物だって事よ。それはとりもなおさず
「自我からの解放」って、思うんだけど。ウ~~~!外は太陽がいっぱ~~~い!幸せね~。

異国の恋は?

2004-12-11 11:34:21 | Weblog
セニョリータがお帰りよ。
切ない切ない気持ちをお土産に。・・・多分。
去年に比べて、・・色々な事情が絡んでたらしいけれど、少ないメール。
ま、学校に1台しかコンピュータはないってことだったから、仕方ない
わね、って。 それでも、病気か何かに?なんて、ちょこっと心配もし
てたのも事実よ。
そして、やっぱり病気に罹ってたみたい。病名?通常
「恋わずらい」って、言うあれに。今時「恋わずらい」なんて言わないかしら?
患う事もなく、2人で恋におちたのかも知れないけれど。

    由良のとを  渡る舟人  かぢをたえ

              行くへも知らぬ  恋の道かな    曽禰好忠

     
    しのぶれど  色に出でにけり  わが恋は

              ものや思ふと  人の問ふまで    平 兼盛

大海原を越えての恋の行方は、いかがなものに?
恋が、結婚に至る。めでたしめでたし!かも知れないけれど、どうなるかわからない
過程は、恋って、楽しいばかりじゃないのよね。かなり、苦しく切なく、やるせない
ものでしょう。
詳しくは何もきいてないけれど、
「セクシー?これって重要よ」
「ハイ、多分」
恋って、このフェロモンがあってのことだから、その時はお互いにフェロモンを出し
まくってるのよね。賢くて、勇気があって、なかなか魅力的なセニョリータなんだけど、
それでも、もう一つ何かが足りないって、私には感じられてたセニョリータだったから、
ここでグ~~~~ンて、オトナの女になるかもねぇぇ。楽しみ~!
身悶え一つしてこなかった女も男も魅力に今一欠けるからね。 計算ばっかりしてる
つまんない人間ってね。 ところで日本の彼氏は?泣いてもらうしかないわね。

グアテマラに出発する前に受けた試験も見事クリア(帰ってきてから発表)。
晴れて、税理士よ。「恋と合格にサルー!乾杯」これが今年の忘年会のテーマ。
ウ~ン、〆がよかったわねえ。

食事風景から、どこへ行く?

2004-12-10 23:08:00 | Weblog
 みんなで、大勢で食べるとおいしいって、よく言われるけれど、そうかしら。
食べるという本能作業は、セックスと同じで、大勢で、しかも男女入り乱れての食事風景
なんて、乱交の何ものでもないって思えるわ。本能は、本能だし、誰でももっているもの
だから、本能の赴くままにして何が悪い。って言われれば、まあそうかも知れないとは思
うけれど、本能だからって、公衆の面前で、あられもないスタイルで、あっちでも、こっ
ちでもセックスが展開されたら、法律に触れるわね。その前に、本能だからこそ、すこう
し遠慮気味に、あまりハッキリさせないで、「今、食べているらしい」とか「この人いつ、
誰とセックスするのかなあ」って思わせる側面を持たせるのが、本能との、うまい付き合
い方と思うのよ。本能剥き出しって、美しくない。だから、食事をするという行為にたい
して、作法という衣を着せるようになったのでしょう。

美意識の強弱や、何に美しさを感じるか、はたまた美しいということに全く鈍感か、重き
を置いていないなどで、食事のとらえ方も大きく変わってくる。セックスも、劣情刺激否
芸術と、昭和の時代は本能を題材に、やかましい時代でもあったわね。本能に関すること
を取上げるのは、取上げる個人の教養と、人に対しての優しいまなざしを持っているか否
かに大きく左右されると思われるから、いつもなんとなくうやむやになってしまってるの
でしょう。

 繊細さをこよなく愛した日本人は、目で食べさせると言われるように、美しい食器に
色とりどりの、調理された食材をチマチマと盛り付けた。(ペリーが浦賀沖に来て、そ
の後の日本との交渉の場で出された食事の量に、アメリカ人がのけぞるほど少ないと感
じたらしい和食だけど)室町時代に作法が誕生。小笠原流の作法が今に伝わる。(伝わっ
ているか疑問だけど)舐め箸、渡り端、迷い端など、ご法度の動作が、きめこまかく決
められ、その一連の動作が身につけば、ものを食べるという本能行為も、作法の美しさ
の衣の下で昇華される。

 お箸を持つようになれば、美しく食べることを教えたいもの。
お行儀もへったくれもない、たーだ食べるという人達と、一緒に食事をするのは、苦行
を強いられるようで、なるべく遠慮するようにしている。ごくごく親しい間柄の人と、
静かに、スキャンダラスな話題は避け、そして「ウチのパパが」とか「ウチの何々ちゃん
が」とか「私って、○○っていう人でしょ」とか
もう、食材による蕁麻疹じゃない蕁麻疹ものの会話しかできない女達との食事も、いま
やパス。そして、せいぜいウン千円の料理、あるいはそれ以下の支払い額の料理に対し
て、文句たらたら。どうしてこう文句が次々と出てくるのかしら、女は。

 ちょっと気を利かしてこまめに歩いてみれば、ほぼ世界中の食材が手に入る時代。新
聞・テレビ・雑誌・専門書と、数え上げればきりがないほど提供される料理情報。外で
ぱたぱた七輪、なんて時代じゃない。ピッポッパッでなんでも、ほぼオールマイティに
調理できる電子レンジ。これが殺人用の戦争武器が元だったなんて、信じられない電化
製品だけど。システムキッチンでお料理したい!だって、餌(ファーストフード)を喜
んで食べる人が。

調味料も、スーパーに今や勢揃い。ただ、みんな持っているけれど、使い方を習得し
ているかどうか、大きく乖離しているもの。それは「前頭葉の活用頻度」。
お料理は、創造・創作活動。
これとこれを混ぜると、こういう風な味になるから、これはやめて、こっちのこれを入
れてみよう。色合いも、これだけじゃ釣り合いが取れないから、これをちょっと入れて。
みたいな想像と、出来上がり図形と味のマッチングが料理。銀シャリ(これも死語?)
の白米は、定位置にドーンとおわします。そこにおかずの配色に白がハバを効かすと、
もう食欲がガクッと落ちて、
「さっきまですごくおなかすいてたのに、もうどうでもよくなっちゃった」状態になる。
病院の壁を真っ白にすると、情緒不安定になるって。だから、病院の食事に使う食器が
、みんな白く、その中に、ご飯・豆腐・白菜なんかが大きな顔してたら
「食べなくていい」って、言われてるようなものなのよ。
「もっと食べなきゃダメよ」って、看護士が心配しても、裏方で食欲を落とす工作をし
てるのに、何言ってるんだって、思うわ。大病患って長期間入院の私の経験からいって
も、これはまぎれもない事実。

 想像と創造は緊密な仲。これは前頭葉の活動が大きくモノをいう。だから、色・形・
味を想像することが、とりもなおさず脳味噌を刺激してることになるのよ。すると、す
ぐ女たちは
「おいしい食事に連れてってくれないから、味がわかんないじゃない」って。
 
わが友人のご母堂は90歳近くになっても、お台所の現役。私にしてもまあそれなり
に人を長くやってれば、外で食事をする機会もあったし、これからもあるとは思うけ
れど、今までにその母君が作られるお料理の上をいくものに遭ったことがない。
「ずるいわねえ、これだけ腕のいいコックを、一家族だけで独占しちゃって」って、友
人に毒づいたもの。
「お母様はよく外食なさったんでしょう」って言えば、
「母が外出することって、法事とか、よほどの用事があるときだけよ。それに外食はし
ないのよ」と友人は言う。
「新聞やテレビの料理番組なんかで、新しい料理を仕込むみたいよ」ですって。
まさにこれ。前頭葉がフル活動してるってことね。長年の技術に新しい知識を加え、創
意工夫を重ねられる。頭も舌も、衰えるどころか、益々磨きがかかる。その意欲と月日
の重みは、
「どこそこのイタリアンがおいしかったわ」
「和食はやっぱり、何々よねえ」
「あのホテルのフランス料理は逸品ね」
なんていう、日々脳味噌の手入れを怠ってる女たちには、到底理解できないものがある。
煮豆一つ、漬物一つ、納得できるまで挑戦しない女達が、
「どこそこの、なになにが」なんて、
チャンチャラおかしい台詞を吐いてくれるなって思うのよ。

四季の食材を使って、季節の料理を作る。これが基本でしょう。
「落語」のみかん話じゃあるまいに、なんで冬にきゅうり、夏にほうれん草を食べなき
ゃならない。季節はずれのものを食べるって、一つのステータスなのかしら。まあ、今
じゃ夏のみかんも、冬のスイカやメロンも、かなりメジャーになってきたから、有難み
も大してないでしょうけれど、横一線が大好きな国民なのに、そのへんのつまらないと
ころで見栄を張って、優位を保とうとする。なんだか悲しいわね。
季節、季節の食材は、その季節の太陽・雨・風などを浴び、充分な栄養価を含むけれ
ど、人工的な調節をして、無理して育てられた野菜たちは、栄養価も低いし、腐りやす
いのよ。冬のきゅうり、夏のほうれん草、両方とも冷蔵庫の中で、すぐグニュグニュに
なって腐る。バイオの技術がもっと発達して、組換え遺伝子の大豆ように(害がある、
ないで未だに大もめだけど)、腐りにくい野菜も、遅かれ早かれ登場してくるでしょう
が果してそれが幸せなのか、大いなる疑問ね。
 
ただ、普通の人のすることには限界があるし、当然味覚音痴の人がいるのも事実だと
は思うけれど、風潮として、お手軽方向へ行ってしまってるような感じがするのは否め
ないわね。挑戦する前に、方向転換しちゃって、自分自身に色んな場、チャンスを提供
しないということが問題だし、もったいないと思う。
私の知人が
「努力はセンスに追いつかない」って言ったのに
「なるほどねえ、車の運転もセンスが大きくモノを言いますって、レーサーが普通の人
の運転技術についてテレビで言ってたけど、すべからくみんなそうなのね。私は未だに
縦列駐車の免許もらってないんじゃないかって思うくらい、下手だから、これも運転に
関してのセンスがないってことなんだわね」って、妙に納得した私だったけれど、そん
なこと言ったら、
「ハイ、あなたはセンスがないから諦めましょう」になって、
「どうせ私はできないのよ」と、
努力の前に挑戦する意欲を捨てかねないから、
「玉、磨かざれば光なし。だから磨きましょう」に
したいものだわね。
どこでどう目覚めるかわからないから。「四十の手習い」って、可能性のことを言って
るのでしょう。そして、これだけは、というものをモノにする努力は惜しまない。

お料理で言うなら、煮物なら、自信あり。揚げ物ならプロ級、漬物なら先祖代々の味を
習得、なんて。これは財産なんです。絶対に泥棒にとられない財産。
知識と技術は、終生その人だけのものだから、生きていくための大いなる武器になるの
は自明の理だわね。
 
けれども、日々、食事にありつけることに、私は心から感謝してるわ。今年の自然の猛
威、そして被害に遭われた方々の心痛いかばかりかと思うけれど、今のところ私自身が自
然の脅威に脅かされることなく、戦争に巻き込まれることもなく、今日も今日の糧に、
ありつけた幸せを、時折立ち止まって、当たり前と、何の疑問も持たず、考えたことすら
ない日々の営みを、特に生きていられることを、じっくり考えて、振り返ってみるのよ。

冬ならば、暖房の効いた暖かい部屋で、季節の野菜がふんだんに入った鍋料理をいただ
く。家族が揃うと、一番のあったか料理だわね。そんな時、
「もう、いやだ。俺この会社辞めたい」
とか
「もしかして、会社が倒産したらどうしよう」
なんて思いながら働いているかもしれない一家の主に、
「毎日、本当にご苦労様。こうやって食べられるのも、あなたの(お父さんの)お陰よ」
と声に出して、そう、声に出さなきゃいけないのよ。以心伝心なんて、ありえないと思っ
て。
「今更、そんなこと恥ずかしくて言えない」
とか
「家族を養うのは当たり前じゃない」
とか
「現実、戦争も自然災害もないんだから、なんでこの人に」
なんて、言わないで。

大体、熱しやすく冷めやすいのが私たち日本人。喉元過ぎれば熱さを忘れる。そう、嫌
なことは早く忘れた方がいいと思うけれど、大事なことは、反芻しなくては。
 声に出さなかったが故に、誤解が生じたり、失望したりになりやすい人の関わり。女達
だけじゃない男達も、そうなのよ。
「ま、いいか。」
とか
「触らぬ神に祟りなしだから」
とか
「ワイドショーの話と、誰それさんがの話だけか」
とか
「また、何か買いたいって話か」
なんて思わないで、思うのは自由だけど。便利なお手伝いさんか
「もう、しょうがないわねえ、今度だけだからね」
って許してくれる、母親代わりの存在に、妻をしていないか。考えてみる必要があるわね。

月々100万円も200万円も妻に渡している男は滅多にいないでしょうから、
「大変だよなあ、俺の収入でヤリクリしてるんだから」
とか
「安心して仕事に精を出せるのも、お前が(お母さんが)一生懸命家の事をやってくれて
るからだよ」
って声に出して言うことが、いかに大事か。

そんな感謝と褒め言葉が存在する家庭で育った子ども達は、ほっといても何の心配もな
いわ。援助交際に走ることもないでしょうし、カツアゲしたり、ホームレスの人をなぐり
痛めつけたりなんてこともしない

「お母さんは、あなたが元気で、おいしそうに食べている顔を見るのが好きよ」
だったり
「うーん、いい顔してる。楽しい?」
って聞く。
この場合のいい顔っていう表現は、美男子や美女に対して言うそれじゃなく、幸せそうな
満ち足りた、安心している状況から派生する、なんとも言えない味がある表情ね。
それに美男、美女かどうかは、自分たちのご面相を見てりゃわかるものだし、事実認定はとっく
に済んでいることでもあるわね。
「あのさ、子どもの喧嘩に、親は口出しするなって言われるじゃない。私もそう思うわ。
だけど、どうしても子ども同士で解決できない問題が起きたら、言うのよ。そのために
親って居るんだから」
って。

どうして家族間だと、言葉の出し惜しみをするのかしら。相手を褒める、持ち上げる、
いわゆる相手をいい気持ちにさせることに、ものすごいためらいや、抵抗を示すって、
どういうことなのかしらって。じゃ、家族ってどういうものなのかしら、どうしてこの
女あるいは男と結婚して、子どもを産んで育てよう、と思ったのか。家族を作ることと
はどういうことなのか、考えたのかしら、って思わずにはいられないわね。そして、自分
の想像外(この想像という作業をあまりしてないことが問題なんだけど)の事態に遭遇
すると、パニックに陥る。そして、自分以外が全ての原因って思う。グジャグジャの部
屋の中から、探し物をする。益々グジャグジャになって、探し物は見つからない。こう
いうことでしょう。

人は誰しも自分が一番可愛い。だからその自分が納得したり、いい気分でいられる状
況の中にいたいって、思うのよね。しかも常に。強欲な生き物が人間だから、無意識な
自分であっても、心地よい居場所を求めるし、心地よい空間を得たいって思ってるのよ。
そうすると、それが家族であっても、いえ、家族ならばこその無遠慮な間柄に、安心し
て、剥き出しの自分の大売出しになってしまうわけね。底は割れてるんだから、カッコ
つけてなんかいられないって。

不安定で、ストイックな自分が、普通の、スタンダードだなんて、絶対思ってない。誰
よりも幸せでありたいって思ってる。そこに、
「ああするな、こうするな」や
「ああせい、こうせい」の
艦砲射撃の日々だと、自然仏頂面になるし、口なんかききたくなくなるわね。
たとえば親が子どもに言う台詞。あれを他人の子どもに言えるか。言えない。そうよね、
あの剣幕はすごいものがあるからねえ。
「もう、ンとに何回言ったらわかるんだよ。ンとに馬鹿なんだから」
「エーッ、聞いてンの、おまえ」
「勉強はやったの、宿題は済んだの」
「なんとかちゃんより上だろうね」
ビビリまくってた子どもも、そのうち
「自分だって覚えられないクセに」
「俺・私の言うこと、ちゃんと聞いてくれたことあるかな」
「トンビはそうそう鷹は産まない」
「よかったね、あんた達の成績表が今なくて」
って、思うようになるのよ。
あれはなんなのかしら。私は耳を覆いたくなる。
おまえという呼称は、貴様と同様、侮辱語ではなかったという話は、こっちに置いとい
て。ごく普通の会話の中に登場させるに、あきらかに自分より格下の者を呼ぶ時に遣う
「おまえ」を、私は人に対しては遣わない。我が家の飼育動物にのみ遣う言葉を、いと
も気軽に遣う人に、嫌悪感を抱いてしまう。「おまえは」なんて、偉そうに、そう決し
て偉くない証としてしゃべる人の意見や説教を、心から聞くことなんかできないし、聞
く必要などないと思うわ。

教師も、よそのお子さんをつかまえて、よく呼び捨てなどできるものと、あきれ果てて
モノが言えないわね。浮世を渡るための一手段の、教職課程を通過したってことで、自
分が習得してきた(と思われる)知識・技術を伝授する立場の人間が、
「教えてやるんだ」
って、思って教職についたとしたなら、
「どうぞ、お辞めください」
だわね。ましてや、給料が税金(汗・涙の結晶)でまかなわれている国公立の教師は。
お上に守られているのに、日本が大嫌いな教師を、何で私達は養わなきゃならないのか。

人が人として、人と関わる時は、優劣をどこにつけるのか。その前に、人の優劣って
何って思うわね。能力の差は、あって当たり前の話で、何かの分野で大きな差があったと
しても、興味・関心があって、なおかつ志向が向いていれば、大いなる刺激として受け
止めて、自分を鼓舞するための教材にすればいいことで、その正反対の位置に自分がい
たとしても、なんら恥じ入ったり、落ち込んだりする必要もないってことに気がつかな
ければいけないし、親や教師の仕事はそういうことの手助けをすることじゃないのかっ
て、思うわね。
それに、能力の点からいっても、上も下も「ここが終点」というものはない。限界はな
いということも知らなくてはならない。これは、教える立場の人間が知らなきゃならな
い最重要課題よ。
「私があなたに伝授することは、ほんの少しかも知れない。それでもできる限り、私が
学んできたものを、あなたに渡したいと思っているし、また一緒にあなたと学びたいと
思うから、頑張りましょう」って。

自分が大切なら、当然人も大切ということを知っているはず。そんな人は、相対する人
をつかまえて、それがどんなに自分より格下であったとしても
「おまえ」呼ばわりはしないし、呼び捨てなんかしないものよ。

遠い昔を思い出すに、髣髴(ほうふつ)と心に浮かんでくる過ぎ去りし人々は、すべから
くみんな謙虚だったし、優しく、節度を心得た人々だった。
「少しだけ、あなたよりこの分野の事は知ってるかもしれないけれど、人としての立場
は、そんなに違わないのよ」
って、言ってたような雰囲気を醸し出していた昔の教師。

色々なお稽古事をしていたから、当然師匠につく。習い事は厳しいものだから、その中
では、思うようにいかないジレンマに陥ったり、そんな時の先生たちは、一様に怖かった。
けれども、どんなに厳しくても、人を見くびるような言動はなかったことを、子ども心に
も察していた、否、子どもなるがゆえに素早くキャッチしたのだったのかもしれないわね。

多くの大人たちが勘違いしていたり、認めたがらないことが、それなのよ。
子ども達の感受性の強さ、もろさ、傷つきやすさ、感動するやわらかい心などなどを持
ってる事実と現実を、知らない親おとな達。

行事

2004-12-10 00:57:07 | Weblog
サンタクロースがよじ登ってるのやら、毎年、新種のデザインのクリス
マスデコレーションが、植木を、ベランダを飾って、道行く人達の目を
楽しませてる住宅街のイルミネーション。

子ども達が、小さい頃は、各部屋にクリスマスツリーを飾って、あっちの
お部屋でも、こっちのお部屋でもピカピカピッカピッカ。サンタさんが来
るって、シッカリ騙されてくれてた、今は懐かしい思い出のクリスマス。

年々、行事に関心が薄くなって、困った事よ。
何事もケジメが大事って、「おせち」を買うなんて、できないわって、
責任食べをすることになっちゃうんだけど、毎年作るおせち料理も、
年々気合が入らなくなってね。

「なんで、正月料理って冷たいものばっかりなの?」って、子どもの頃の
子ども達が。
そう、だから10年位前から、我が家の定番料理が、おせちの他に「ビーフ
シチュー」。拳(こぶし)ほどの大きさのお肉が入ってるそれは、2日の朝
からなくなっていくわ。 こっそり2日の朝からトーストとコーヒーの私には
もってこいの1品よ。

1年中、何でも手に入る「不幸な時代」(?)に生きている私達。
だって、それと引き換えに「感動」「感激」を手放しちゃったのですもの。

「あれを」「あれを」「あれが欲しい~~~!」
って、我慢して、想像して、手にした時の嬉しさって、えもいわれない。
もう、今や、そんな感動なんてどこかへ行っちゃったものねぇ。
何を手にしたって、何か一つ足りない。やっぱり禁欲がないからかしら。

もう、かれこれ10年になんなんとする、年賀状廃止。
そのときの気持ちは、「もう、忘れて下さい」だったって覚えてるわ。
連絡をとりたい人とは、それなりの通信手段を平素とってるし、でね。
それで、交友関係が減っていくなら、それだけの関係だったってことよって。
潔い女だわねえ、って今更ながらそう思うわ。ホント、芯からスッキリが好き
なのかもしれないわね。バーチャル世界が嫌い、うそ臭いのも真っ平。

「英会話教室」後半のプログラムを失礼して、車中から眺めた夜の住宅街の
クリスマスイルミネーション。しみじみ平和ねえって、思いながら。





プリンスって誰?

2004-12-08 13:55:28 | Weblog
「こんにちは、お久しぶり!ところでお宅のプリンスはお元気?」
「ええ、元気なんだけど、就職浪人よ」
「ハ~?」
「うるさいのよねぇ、まわりが、どうしたの?どうしてるの?って」
「もしかして、息子さんの事?」
「ええ」
「外野ってうるさいでしょう?ウチの愚息達の事にも、みんな関心大有り
だったものねえ。
中の1人が最近、とうとう定期券なんか持つ身分になって、な~んかつま
んないのよ、私はね。なんか誰もが容易に想像できる事って、つまらない
じゃない?だから、そういう事に関心持つような人とは、ハイ、さようなら
ってね。関心の対象が低すぎて、そんな人たちとは付き合わないことに
してるのよ。あなたも、息子さんの事を聞かれたら、ホホホ・・、遊んで
るわ、ってね。何か問題あるかしら?で、煙にまくのよ。誰も人の力にな
んかなれないし、なろうなんて気もないんだから、振り回されない。だって、
一番気に病んでるのは、ご本人なんだからねぇ。信じてあげなきゃ!
そう、私が言ったプリンスて、フラッシュちゃんのことよ」
「ああ、そうだったの?ええ、2階でいい子にしてるわ」

そこのお宅のワンちゃんは、同じシーズー犬で、オス犬。
前に、子どもを産ます?なんて話してて、
「ウチは、東大卒だけど」
受けて立った私の返事は、
「ウチは、東女(トンジョ)だけど、いいかしら?」
そばを通りかかった、これまたシーズー犬とお散歩の女性が、目を見張って、
「本当?」
これ、本当の話よ。もう、噴き出しちゃったわよ、悪いけど。

でもね、ある友人のお話も可笑しい。
お台所の向こうの林のあたりから大声。
「だから言ってるでしょ!言う事を聞かないから、5を貰えないんじゃない!
わかってるの?ええ~?5を貰わなきゃダメなのよ!」
彼女のお家のすぐ向こうには、中学校があるのよ。
だから、どこかのお母さんが、子どもの成績が悪くて、怒ってるって思った
んですって。でも、ちょっとしつこいなぁって、お台所の窓から覗いてみたら、
なんと、怒ってる相手は犬だったんですって。笑わしてくれるわねぇで、大受
けだったわ。
その時、私が犬語がわかるリポーターだったら
「飼主さんが、ああおっしゃってますが、今、どんなお気持ちですか?」
って、聞いたわね。

しっかし、そんなに親しくない人間に、内輪の話をなんでする?
だって、そこのご子息のお顔も存じ上げなし、その彼が今どういう状況下にいる
かなんて知らない、時々犬同士のお話をするくらい、ほとんど知人・友人の内に
も入らない関係よ。そういえば、お名前も存じ上げない間柄。 
そんな仲なのに、・・・・・ウ~~ン、想像力の欠如だわねえ。 
距離が測れないっていう、最近の人にありがちな思考回路と感覚。アッ、お若く
はないわ。成人男子のお母様なのですもの。

私と全く関係のない人たちの、楽しくもない話を聞かされる。人は好きですもの
ねえ、こういうお話が。もう、3度のご飯より好きなゴシップ。
私はだ~~い嫌い! もっともっと知りたい事が山ほどあるのですもの。
全人類のふるさとがアフリカ。ヨーロッパの女性のDNAは、7つの型以上には
分けられない、なんて。至近な話よりず~~~っとず~~っと興味がそそられる
でしょう? だから、そこのお宅の側はもう、なるべく近寄らない事にしたわ。

またね~、我がいとしのスペイン!・・・ケイコサン便り 

2004-12-07 11:47:40 | Weblog
Sent: Tuesday, December 07, 2004 2:34 AM

今日はセゴビアで夜はパエジャを食べに行って、残念ですが、これで今回の旅行は終り。
買い物やホテルの人以外に話した男の人はいないですね~ みんなすごく素敵でした。今
回は短い観光だし、それにスペイン人の会話を実際に聞いてみると、その早さに驚くばか
り。日本語も外人が聞いたら、同じように早く聞こえるのでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
う~~ん、ホント、アッという間ね。
正に、光と陰は矢のよう(これはもっと時間・・期間が長い時に遣うけれど、ね)。
楽しい時間は、「ちょっと待って~~~!!」って言うほどに早く過ぎ去るわね。
そして、ロマンスが誕生する間もなかったみたいね。・・・残念!何をほざくかこの私。

前回の、パリ旅行では、怪しげなそしてとてもまずい中華料理らしきものがコースに
入ってたって。ほとんど味のない炒めた白菜のみ、とか、ご飯のてんこ盛、なんか出て
来てビックリ。もう、まずいのなんのって、その地のお料理でいいって、思いません?
って言ってた彼女だったから、パエジャが〆で良かったわね。

大体日本人観光客が、外国で「和食」って騒ぐから、変なお料理を食べさせられるハメに
陥るのよね、って言ってたのよ。そして、その地のものを食べようなんて言えば、「カッ
コつけて」って、いじめるのよ、年寄り達が。お醤油から抜けきれない男達が。ネ?

そうなのねぇ、もうケイコサンは、スペインにADIOS!なのね。いいえ、HASTA LUEGO !
又ね! 移住した~い!って、そのくらい彼女を捉えて離さないスペインだから、多分来
年あたりは、もっと長期で行らっしゃるんじゃないかしら?

短い旅行だったけれど、カソリックの人たちが迎えるクリスマス風景も見られたし、何より
心痛ませていたアトーチャ駅の、無事な温室も見る事が出来て、良かったわねぇ。
さあ、彼女が帰国したら、お話を聞くのよ!
何よりも何よりも楽しい嬉しいお土産。

Y、Otra vez,vamos a estudiar espanol,no Sra.Keiko ? Animo !
 そして、もう1回スペイン語を勉強しましょう、ね、ケイコサン? 頑張ろう!

マドリ(ッド)、アトーチャ駅から・・・ケイコサン便り

2004-12-07 00:00:37 | Weblog
Sent: Monday, December 06, 2004 6:44 AM

今日は朝から携帯が圏外になっていて使えなかったのですが、やっと直りました。昨日も
今日も街なかはすごい人出です。La plaza de Mayolはクリスマスの市が出ていて年末の
アメ横みたいな感じでした。アトーチャ駅はテロがあって壊れたみたいでしたが温室のと
ころは無事でした。

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毎回、素晴らしい写真を送ってくれるケイコサン。こちらがそれを取り込めないのよ。
もう、かなり前に起きたイラク派兵に怒ったテロリストに爆破された電車と駅のニュースで、
「とってもきれいな駅なのに。温室みたいになっていて、ステキなのよ~」
って、嘆いていた彼女からの写真は、まさに温室。熱帯植物の中を行き交う、くつろぐ人々。

今回の旅行は、そんなに長くはないのよ。
「帰りたくな~い!」って。まあ、浮世のこともしなきゃならないし、ま~だまだ完全
自由な身にはなってないケイコサン。妻・母・フルタイム経理のお仕事って、3足のわ
らじは当分脱げないってね。
けれども、彼女は時間の遣い方がお上手。というより人生の楽しみ方をご存知の方よ。
大体に、仕事をしたい、しなきゃならない人達。必ず愚痴がセット。男も女も。
けれど、彼女のそれって聞いた事がないわ。
映画観賞、展覧会観賞、ロックライブを楽しむ、他にも色々と色々と。そして、半端じゃ
ない読書量。
す~ぐ「時間がない」「忙しい」って、言う人って、口とは裏腹に何にもしてないことが
多いものよ。 時間の遣い方が下手、って言うより、人生の過ごし方を知らない。その上、
人の事には必ずって言っていいほどケチをつける。大変なのは自分だけってね。

彼女は、そんな心貧しき人じゃあないから、淡々とこなすのよ彼女の人生を。
人生のキャンバスに何色を塗るかは、個人のセンスと動き。
今年の幕開けは、「パリ見物」で、〆は「マドリ(ッド)とトレド」なんて、カッコいい! 
冬のパリは、私の感覚では、ユトリロよ。スペインは、やっぱりピカソ?それともダリかしら?
いい女って、何をやってもカッコいいものよ。
スペインの水は、ますます彼女を磨いてくれたって、思うわ。エッ、お水なんかじゃないわ、
Vino(ワイン)よ。そうよねえ、失礼しました。



幾つになっても、なぜ?どうして?

2004-12-06 21:44:52 | Weblog
 ?①・・・ネアンデルタールとホモサピエンスが人類の元って、わかってるし、
    「進化論」でも、生物の起こりから、進化の行程を説明してるのよね。
     土からアダムを創って、そのあばら骨からイブが出来たって言ってる
     宗教家は、そこのところをどう説明してるんだったっけ?
 
 ?②・・・もの(物質)の名前は誰が付けたの?特に、自然に関する名詞は?
      象形文字は、出所はわかるってるけれど、どうしてそう読むのか?
      例えば・・・山の文字は、山々が連なって、その姿からできた。
      けれど、どうしてそれを「やま」って読むようになったの?
      犬や猫は?ホラッ象なんて言葉も。あれは、「プオ~~」って鳴いた
      その声を聞いた人が「ゾオ~」って聞いたから?
      ね、不思議でしょう?

 ?③・・・枯れていた川、湖、沼、池に、水がたまると魚が出現するのはなぜ?
      アフリカには土の中で、そのときを待つ魚がいることは知ってるけれど。

 ?④・・・ショウジョウバエが突然出現するのはなぜ?
      1匹も飛んでいなかった、って断言できる状態のお台所。
      生ゴミは、小さく小さくして、何重にも包んで、専用ゴミ箱に。
      そして、ゴミ収集の朝、最後の大袋ビニールの口を縛る。
      いたー!その小さなハエが、ビニール袋の中をウロウロ。
      飛び回るほどのスペースはない。
      我が地域は、・・・ふるってる拡声器のアナウンス。
      「ゴミは、中身がハッキリわかる、半透明の袋に入れて・・・」
      これを聞くと、思わず笑って、
      「中身がハッキリわかる透明、なら納得だけど、中身がハッキリ
       わかる半透明っていうのが可笑しい!」って。
      それで、中身が見えちゃう。というより、袋内でうごめくものが。
      ハイ、他所のお宅のゴミ袋の中にもいるのよ。なぜ~~~~?  

ラジオの番組「電話子ども相談室」に、相談したいって、真剣に思ったものよ。
他にも、「なぜ?」「どうして?」だらけなんだけど、上4つは未だに、気になって
しょうがないのよ。人生上の障害になってるわけでもないし、それを知らない事が恥
でもなんでもないくらいはわかってるんだけどねぇ。エッもしかしたら恥?

蜘蛛がなぜ自分が吐き出した糸にからまないか。最初の糸は?蟻は洪水になっ
たらどうするの?  これも気になってたけれど、解決。なるほどねえ、よ。

小学生(否幼稚園児)くらいで、頭のどこかがストップしてるのかもね。
ただ、こんなことを、誰彼捕まえて聞いちゃあいけない、ってことはなんとなくわか
るのよ。知らない事を知ることが、人生の目的だ、みたいに思ってる私なんだけど、
学問以外で知ろうって、しかもいい年をした女がしちゃあいけない、って感じでね。

そういう事ってない? な~んか気になってる。幾つになってもね。
「図書館へ行きなさい!」そう、それっきゃないとは思うんだけどね。
例えば、このご時世で、こうやってパソコンの前で、カチャカチャやってるのだから、
インターネットで調べようってするじゃない?とすると、関係ないって思える言葉の
津波よ。イヤになっちゃうのよ。どこまで検索したら私が探しているものに会えるの~~~!
状態になるからねぇ。

それに、毎日こうやって書いてるのに、「アナログ」人間であり続けたいって、矛盾し
てる生き物だからねえ、私は。 誰も彼も「電子辞書」のご時世によ、重いなぁって、
思いながらも、しかもボロボロになった割りには覚えていない状態の辞書であっても、
頑なに紙製にこだわってるのよ。「フン、便利がなんだって?」って、そうでなくとも
「アッタマ悪~~い!」って、自認してる脳味噌だから、なるべくデジタル化しないで、
不便の良さを実感したいって、かなり無駄な抵抗をしてる日々。

そうすると、「なんで?」「どうして?」が、いっつも私を追いかけるのよ。
生活になんら影響ない事柄がね。
どこかの国の俳優が? 今年の流行は? 
そんなことなんか全然興味がわかないのよ。移ろいやすい事には、関心なし!
ご勝手にどうぞ! わたしゃあ興味がない浮世風呂ってね。
  

トレドから・・・ケイコサン便り

2004-12-05 20:55:22 | Weblog
Sent: Sunday, December 05, 2004 6:14 PM
Subject: Que tal?


今日はトレドにいて、これからマドリードに帰ります。お天気も良くてあまり寒くないで
す。今日も9度くらいはあるみたいです。楽しんでいます (^O^)

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 残~~~念~~~!
ケイコサンから送られてきた、彼女が写した美しいトレドの風景写真を、ここに
載せられなくて。何しろメカ音痴(これだけじゃないんだけど)で、遥かヨーロッパ
から送られてきた貴重な写真をお見せできなくて、・・・情けないったらありゃあし
ないわ! そのうちになんとかウチの宇宙人にでも教えてもらいましょう。
ウ~~ン、ケイコサンが3回も行くって分かるような気がするわ。

今、私が読んでいる「イスラム・スペイン千一夜」小西章子:著
スペインを語るには、イスラムは、はずせない。イスラムの歴史・文化・宗教が
あって、現在のスペインがある。スペイン語の単語で「ア」で始まる発音するそ
れには、アラビア語に由来してるものが多くあるって、どこかで聞いた事がある
のよ。スペイン語を勉強するなら、イスラム教からアラビア語もやらなきゃねえ
って、言われた事もあるわ。
権力闘争の結果、イスラム同士の争い。イスラムの本拠シリアからアッパース家
に追われたウマイヤ家が根付いたイベリア半島。
イスラム統治、およそ800年。豪華絢爛。医学・教育・商業・工業etc.学校・
図書館の数は、想像以上。文盲は少なかったみたいよ。すでに「白内障」や「人
工授精」等の手術さえ行われていたって。

中学生の頃、わずかなお小遣いを貯めて毎月買って、読んでいた「千夜一夜物語」
未だに大きな顔をして、古色蒼然の体はしてても本棚に鎮座ましましてるわ。
我が家の初代ペルシャ猫の名前は、「シェーラザード」:通称シェーラ。もちろ
ん私が命名よ。
毎夜、処女を貪って、翌朝殺すという王に、夜毎語った物語。話し手は、大臣の娘
シェーラザード姫。
その本は、私の空想が、アラジンの絨毯のように、縦横に駆け巡る世界に誘ってく
れてたわ。そして、今、多くの資料を元に書き紡がれているこの本に、うつつを抜
かし、我が友人のスペイン便り(写真も)に、ますます目を細めているのよ。
ほとんど単一民族で歴史を織り成してきた私達にしてみれば、ヨーロッパの歴史は、
壮大なる多色刷り絵巻物語と映るわね。けれど、ちょっと血なまぐさ過ぎるけれど。
イスラムが入ってきて、文化・文明というものが誕生したってことなんかが。
「食の、マナーのフランス」って言うけど、ナイフとフォークを使うのは、かなり
こっちにきて、イタリアから入ったって言うものねぇ。20年位前に知って、ちょ
っと驚いた事を覚えてるのよ。

学校で勉強した筈の歴史は、・・・カラッポよ。な~んにも残ってない!
当時は嫌いだったからねぇ。けれども、角度をすこうし変えて眺めてみれば、突然
舞台を見ているような輝きをもって、迫ってくるから不思議! なんでもね。

今日は、「お誕生日に何が欲しい?」「チョコレート!」って、言ったランguストンへ、
「日曜礼拝」の済む時間を見計らって「ハピーバースデイ!」でチョコレートを。
スペイン語版新聞に包んで、「スペイン語もお勉強したら!」ってね。健気に頑張
ってる彼に、日本のママ(?)からのプレゼントよ。
「家」「車」「宝石」なんかが欲しい!じゃ、「アラッそう」だけど、チョコレート
じゃねえ~~。渡して、デジカメに収まって、そして、すぐバイバイよ。

幸せな人生とは、「いい思い出をどれほど持つか」これは自論。お金をどれだけ持つか、
じゃ~ないってね! チョコレートが、いい思い出の一つになったとしたら、こんない
いことないじゃない?そのお手伝いができた私だったら、言う事なし! ね?

彼等の「日曜礼拝」が終るまで、路駐、車の中で待機。
伝道から戻ってきたらしい古川さんとジョンソンさんが、目ざとく見つけて、ジョンソン
さんの、嬉しそうなアメリカ式抱擁挨拶。教会内へ「入って、入って!」って。
先頃より、すこうし腰が引けている私は、遠慮がちに、礼拝が済んでランguストンが
出てくるまで、壁の蛾(ガ)よ。
かなりな数の人たちが、大きなクリスマスツリーの前で、写真を撮ってるので、
「写してあげましょうか?」
「あの人達は、ファミリーだよ」
って、マッキニィが。
「ヘ~~、中国人みたい」
なんだか、圧倒されたわ。核家族化が進んだ時代に生きてきた人間から見るとね。
でも、何代もの家族が一同に集まれるって、幸せな風景にうつったし、もしかしたら
これが、本来の姿なのかも知れないって思ったわね。

今日は、少し意外そうな、そして嬉しそうなランguストンの顔が見られてよかったわ。
学校で、1年は、スペイン語のお勉強をしたって言うから、もう1回したら?って、
イヤらしくスペイン語新聞にくるんで、ハイ、どうぞ!お勉強もね!って。


□蛇足ながら、今回で100話。シェーラザードが語る話ほど面白くないのがネック?
   (図々しいにもほどがあるわね。失礼致しました)

雨のマドリ(ッド)から・・・ケイコサン便り

2004-12-04 21:12:13 | Weblog
Ahora estoy en Madrid,pero lo siento mucho,hoy esta lloviendo!
・・・今マドリ(ッド)にいるわ。残念ながら今日は雨です!・・・・
昨日はしのぶ(親戚のお嬢さん)のamiga・・友人・・が来てくれてbar・・居酒屋や
Mayor広場に連れて行ってくれました。クリスマスの市が出ていてとても綺麗でした。
感激です☆また写真を撮ったら送ります。まずはメールが送れるかテストという事で…
                   Hasta luego!・・・又ね!・・・
                    ※( )内&スペイン語訳:私
昨日、スペインへ向けて飛び立ったケイコサン。
今日は、友人へ、珍しく封書の手紙を書いて、投函しに出かけようと、マリリン相手に
" Quieres ir a buzon con mama en uppa? "・・・抱っこで、ママとポストへ行きた
い?なんて、相変わらず、ちょっと虚しい(犬相手だから)スペイン語のお勉強をして
たのよ。そこへ、「出てこない?」っていうスサーナからの電話に、ハーフ・コートを
羽織って。
すっかりその気になってた犬に、" Perdon proxima,no?"・・・ごめん、次ね?・・・
そして、マックでおしゃべりよ。その時に、
「ケイコサンは、スペイン初日をどうして過ごしてるかしらねぇ」
って、言ってたところ、今回の旅行に、携帯電話を替えて、その彼女の携帯から、こち
らのパソコンへ、第一報が入ってきたのよ。彼女の3回目のスペイン旅行。

ホテルもいい位置にあるそう。スペインを語るには、"Bar"と"Plaza"は、はずせない。
その、Bar にもお出掛けみたいだし、Mayor Plazaにも。順調な滑り出しで、よかったわ。
雨のマドリ(ッド)もいいんじゃない?風情があってね。

滞在中の、あちらの気温は、最高温度が数℃前後で、彼女のお荷物は膨れ上がった
みたい。もちろんホカロンも入れてって。
南の島が得意の私には考えられない荷物だと思うわ。冬のヨーロッパなんてね。

Bar(バール)のカウンターで、vino tinto(red wine) なんか傾けて、視線が絡んだセ
ニョールと、いつもの口調とトーンでゆっくりおしゃべりのケイコサン。(私の空想)
今日もスサーナに、
「ケイコサンて、中年女にありがちな自己主張って、しない女性よね。だからって変に尻
込みもしないし、あれがなんともたまらないのよねぇ。そう思わない?」
「ホント、そうね」
「私のエッセイを読んでる人が、ケイコサンに会いたいって。フフフ、会わせてあげない!
なのよ。あんないい女を、その辺のチャラチャラした人達になんか見せられない。もった
いないよ」

恋についても、スサーナとおしゃべりなんかして。
ケイコサンの恋物語を聞きたいわねえ、なんて、勝手な話をでっち上げて、2人で盛り上が
ったりしてね。
恋は突然訪れるもので、年令は関係なし!ただし、既婚者は、家族の誰をも泣かしたり苦し
めたりしてはいけない。この最低のルールは守るべし、ってね。オ~、現実味を帯びた話み
たいね。誰かそんな人いる~~~~?

パッチワークや、洋裁しましょうよ、から、
「そうそう、レイコサンに会わせたい男性がいるわ」
「私は、男の人には厳しいわよ」
「多分、大丈夫だって思うわ。スペイン語ができる日本人よ。リタイアして、在日南米人に
日本語を教えてる人なのよ。国際協会へ登録してて、多分レイコサンと意気投合できるって
思うのよ」
「わかったわ。じゃぁ、1回会わせて。その方と言葉のキャッチボールができるかどうか。
それができないと×よ。話がツマンナイ人と一緒って、苦痛の何ものでもないからねぇ」

最近の私にとっては、オモシロイ人(じん)か、ツマンナイ人(じん)しかいないからね。
ツマンナイ人とは付き合わない。だって、ツマンナイんだもの。
なに人も、老若男女も関係なしよ、基準は「面白いか否か」だけ!
下品な、低級なお笑いなんかを得意げに話す人は、それこそツマンナイ人よ。

既成概念の塊って、年配者に多いからね。そして、外国語が、ちょっと出来ると、鼻持ちなら
ないって感じの人が多い。なんなんだろうねえ?って、いっつも不思議でならないのよ。
なんでも、自分の意志で、好きで、取得したものでしょう?
映画を観るのが好き、読書が好き、スポーツが好き、なんかと替わらない筈よね基本的に。
人様に威張るものでも何でもないって、思う私だから、臭~~~い人間はイヤよ!ってね。
カンの鋭いスサーナのお勧めの方なら、クリアしてるんでしょうね、人柄において。

「ねえ、忘年会一緒にどう?」
「悪いけれど、例のメンバーでしょう?こっちはなんとも思ってないのに、すご~い
火花を散らして、つっかかってくるオバ様達と会食は、パス!一言で、つまらない人達だもの」
「セニョリータもケイコサンも帰国したら、湘南台のお店で、こちらはこちらのメンバーでする?」
「ええ、場所はどこでもかまわないわ。あの2人が帰国したら相談しましょう」

可愛い、清楚な(もう死語よね)彼女は、週末の、学校の先生が生徒のレッスンへ。
「ねえ、相変わらず、ロビー勉強なの?」
「Si」
「先生って人種は、一体全体なんなんだろうって思うわね。ねえ言えば!み~んなそれぞれ
お部屋を予約してお勉強してますって。なんで、1回3~400円をけちるの?頭割りしたら、
1人100円になるかならないかくらいの金額よ。そのくせ、自慢下にボーナスがいかに多いか
なんかのお話は平気でするんでしょう?海外旅行の話なんかで盛り上がったりして。ホント、
常識が欠落してる人達だからねえ。すっごく変な人種よ」
「ええ、センターのオジサンも、気の毒がってくれるのよ。大変だねえって。でも、今更
言えないわ」
「わかった。生徒は先生を選べるけれど、先生は生徒を選べないからねえ。まあ、しゃあないね」
マドリ(ッド)も雨だって。こちらも同じく雨の夕方。
              お互いにHasta luego!(またね!)で左右に。