ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

違うから素晴らしい!

2012-12-30 09:42:40 | Weblog

昨日までの事は、サーッと消します。感慨も何もない過去そのもの。
なので、もちろん「~~だったら」「~~れば」なんて「タラレバ」ものは、即刻排除。

他者に期待はしないように、ふっとどこかで期待している自分がいたら「ダメよ!」って戒めるように心掛けるの、自分が不幸にならないために。

自分の人生の全ての時間、人はこちらの都合に合わせてはくれないって事実を受け入れる事。自分に都合のいい事をいつも考えてるから、家族あるいは恋人、およそ縁を結んだ人全てに対して、それが叶わないと不機嫌になり、相手にぶつける。その原因はオマエだ!って。

それはとんだ考え違いってものよ。知らないわよ、自分以外の人が今現在何を望んでいるかなんて。じゃない?勝手な(お互い)我欲が満たされないからって、感情をぶつける。アホちゃうか。期待に添わないからって相手をなじる、そりゃあアホ以外の何者でもないんじゃない?
どこかで、自分が期待する事は叶って当たり前なんてね(傲慢というアホ)。
でも、それでもそれを望む?
じゃ、祈るのよ。「何とかの一念、岩をも通すって、あれ。
自分で何もかも決めなきゃ、こうあるべき!こうでなきゃいけない!って勝手な期待が裏切られた結果の悪口と愚痴の人生でしかない、みじめと決別しなきゃ。
自分の人生は自分で創る。ただ、「こうする!」「こうなる!」裏書はこの意志だけって。
祈るって、神仏になんて思ってない?ほら、もう頭上に自分以外のものを置いてる。
失礼極まりないわね。
祈りは、決意を自分に確認させる事と解釈してる私よ。じゃない?
結局、人は、強弱は別として、思ったことしかその身に起きないのよ。ただ、覚えてないだけでね。幸・不幸合わせて。思った、考えた事しか起きない。
強く強く、自分の上になんびと(神仏さえ)と言えども置かない。

過去の(あるとして)栄光を反芻しない。
他者と違うから素晴らしいって、心の底から思えるようになったら、そこからその人の人生が始まるって思うわ。
マスメディアに露出する人の言に惑わされてない?そして、大勢の人が大声をあげるそれに同調する、自分の頭上に誰かを置いてない?権威に擦り寄ってない?
そんな自分に別れを告げられたらいいわね。オリジナル、原型の自分で生きていく。なんて素晴らしい人生でしょう、ね?

来る年に

2012-12-28 10:17:50 | Weblog

先ほど今年最後の家庭ゴミを集積場へ出してきました。
ふっと、とてもありがたいって思ったのです。日本中、同じような行政インフラ社会保障を享受できる国に生きていることを。

古来、八百万の神々はあらゆる所におわします、と。一神教のような懲罰はない、ただそれぞれの神様が居心地のいいように、祓い清めましょう。仏教やキリスト教が入ってくるまで、この小さな国に生きる人々は偉大な哲学の中にいました。ですから、日本はどこへ行っても祓い清められていたのです。ボランティアなんて言葉を遣う恥ずかしさ。誰に頼まれる事もなく、穢れを払い、手を差し伸べるのです。相身互いの気持ちで。

飾るのではなく、削ぎ落とす美しさを知っている国民、日本家屋がそれ!生活空間は、空間が生きる様式。無駄のない、簡素そのもの。貧しくてモノが買えなかったからでは決してない美意識。それが、日本人のDNA。空間をモノで埋めない、集めない。
それがいつしかモノに振り回される民に成り下がってしまいました。金品の多寡が基準となる心貧乏な人種の出現。

来る年。人々は、有り余るほどのモノに囲まれて、もっともっとモノを欲しがるのでしょうか?
終わりのない物欲。右肩上がりの経済活動を要求する人々。8:2位の割合で二極化。8が操られる人々。モノに取り付かれた人々。

来る年。「欲しい!」→「必要?」へ意識を変えることが要求されるような気がします。
マスメディアに振り回されない、「私は私」で生きることを意識することからスタートです。
あの3.11を経験した私達(間接的であっても)は、メディアの中の見知らぬ人達が、知った気に「ああだ」「こうだ」、それが何の力もなかった事実に直面させられたのです。「私は私」で生きることに、当たり前の事に気付いたって、思っています。ファッション一つとっても、もう、右も左も同じスタイルが徐々に減ってきているって思いませんか?

人の個人的な不幸をえぐり出すメディア。いつも言いますが、何の意義、意味があるのでしょうか?知らしめることに。

人は人の不幸が大好きという事です。無意識に「私はそうではない」という安堵感。
ねたみ・そねみが蠢くから、幸せ話はあまり好きではない。

ケニア・エチオピア辺りが人類の故郷らしい。まだ武器を持たなかった私達の祖先は、絶えず猛獣と自然災害に怯えてきました。その恐怖が私達の脳に刻み付けられて、瞬間反応が不吉な事を想像する今もなおなのです。ですから、個人の「私はネガティブ思考」なんて思う必要なんてないのです。全ての人類が共通して持っている様々な無意識の記憶、神という存在を否定しきれないのも、その恐怖から逃れる、慰めるための手段だったのですから。
同じ経験から、同じような事を考えるのも不自然ではないのです。
気が遠くなりそうな人類共通の経験に、連綿と続く個人の経験や思考が加わって、いつも「私」という個が存在しているのです。

無意識に操られる個人そしてその集団。その無意識からの解放もまたその個人でしかないことを知らなければ、いつも自分以外のせいにする怯惰な生き方の自分を、言い訳をする自分を見るのです。そしてそれがまた、未来の自分へ渡される無意識の層へ重ねられる負の財産として。

際限なくのめり込むモノへの執着は、愛の飢餓感の裏返し。
親との相克。暖かさへの飢え。
乗り越えられるのです、乗り越えなければ、自分が可哀想。
過去(無意識)に怯えるなんて。・・・けれど、ほとんどの人はそれを知りません、認めたがりません。意識しないから、始末が悪いのです。
肉体の健康診断はしても、心の健康診断はいない。心が操る肉体なのに。

来る年。マスメディアから遠のく自分を見る。全ての判断は自分にあるという意識。権威なんてない。自分にとって自分以上の存在なんてないという確かな認識。けれども、全ての専門家の業績は、自分のためにあると思ってもいい。解放、過去からの、無意識の悪しき束縛からの解放を人が得た時、きっと他者へ優しく、けれども、そこにある距離感を自覚して拘りあうようになるのです。
人は変われる。チョコチョコ顔を出す悪しき経験から来る思考、でも怯える事はないのです。それを否定すればいい事なのですから。
人を取り巻く環境に、過去の経験に怯える事もなく、影響されない強い自分に出会う。そんな来る年に。

優しさは自分に

2012-12-24 14:08:01 | Weblog

一所懸命に話を聞いている私。ただ、ひたすら聞いている私。
お相手は女性(中年)、友達でも知り合いでもない。カウンセリングをしている私。
そんな夢を見ました。

世間を震撼とさせる事件、そこまでいかなくても心の闇に操られる人々が痛ましく感じられてならないのです。浮ついた、マスメディアに踊らされ、コマーシャルに踊らされ、見知らぬ人とかりそめの友達(SNSで)ごっこをする孤独な魂。
お祭騒ぎに身を置く魂。ごまかす魂。キリスト教が利用した今日明日。

見知らぬ人と繋がるより、家族ともっともっと繋がりましょう、愛しましょう。ごっこはなし。虚しさが倍増するから。
そして、何よりも大事な 「自分を愛しましょう」一番心を砕く相手は自分なのです。
話なんかない家族となんか!? 自分と話しましょう。無理して言葉を発する必要なんてありません。心静かに向き合う自分と。いとしい自分と、少しでも会話が出来たら、言葉なんか言わなくても人と繋がれる、増してや家族と。

聖ニコラスの善行に感謝。そんな良き日に。カウンセリングをしましょう。ええ、自分でできるわ、向き会う事で。

居場所

2012-12-23 09:42:36 | Weblog

重い。そんな感じがする朝。私の心が?ノン!私を取り巻く色々な空気が。

昔、山本書店の店主が書いた「空気」って本の中に空気の種類が書かれてたわね。
酸素と窒素のそれから色々。ふっとそれを思い出したわ。
その人?って言われたイザヤ・ベンダサン「日本人とユダヤ人」。いっとき話題になった本。

夕べ、「ユング自伝」①を読了。私が体験した様々な不思議、内的経験、見てた?ありえないのだけど、思わずつぶやくその内的、無意識世界の話は、眠らせてくれない強烈な自己体験・解析・迷い・分析そして確信へ繋がるユングがユングである由縁へ。

フロイトが個人に固執したそこから大きく羽ばたいた人類共通の、男女の性の違いと同一性、それは神話の世界へ遡り下る。異端視された、名より実を取る過程の苦痛と、現実生活(家庭)を営む事が出来ている幸福感後ろ盾、形而上学だけの精神分析ではない説得力。

13才の少女(私)がフロイトに救いを求めて、そして、「イヤラシイ!」って、突き放した心理学双璧の片っ方。そして、人生後半に出会ったもう片方。
人の心ほど面白いものはないわ。でも、気付くか否か定かではないけれど、苦しみ抜く時、自分を見捨てなければ、必ず一条の光が差し込むことを信じていいって断言できる私。

今、見知らぬ人ととめどなく繋がりたい心理は・・・大きな問題が潜んでるわね。
現実生活の対人関係に不安、不満を抱く、いびつな心。でもね、本当の友人なんて、2~3人よ。
家族関係を、自分の居場所をそこに確保、いえ、世界の中にいる自分をもう一度見つめなおす必要があるのよ。数なんかじゃないし、誰でもいいってものじゃないでしょ?先ずは、自分と親友になることよ。
忘れられて、涙している自分に向き合って、
「ごめんなさい。寂しかったわね」って慰めましょう。

金融緩和とガン

2012-12-20 12:04:52 | Weblog
日銀:10兆円追加金融緩和。ニュース速報が今あったわね。
ず~っと生活の保障をしてくれた連れ合いに感謝。それだけのこと。
文句言う人の気が知れない。だって、何もかも「あなたが選んできた人生でしょ?」だけだもの。人生は、いつも選択を迫られている、そして選んできた結果、それが今それぞれが立っているポジション。言い訳無用!いえ、出来ない!人のせいにしちゃあいけない。

デフレもインフレも関係なく生きている幸せ。
何か? 文句なんて、これっぽっちもありはしません、ハイ。
生臭い話(モノ・カネ・損得)が嫌いです。

ところで、今って凄いわねぇ。ガンかも知れないってハッキリくっきり本人に。医者の息子(連れ合い)は臆病。手術についてはオッホン私は先輩。アチコチ身体に傷持つ姐御よ。嫌な事はさっさと決着をつけるがモットー。ウジウジ悩まない。
で、「かもしれない」ので、生体検査は細胞をちょっと取って検査へまわす。麻酔をかけて、モゴモゴモゴ。結構分厚い入院の手引き。「読んで」って、所望されて。

「すごいわね~、私の時って、こんな書類なんてなかったわ、どれも。す~ぐ裁判沙汰、アメリカみたいになっちゃった医療現場。出来る限り言質を取られないようにって?ふ~ん」

来月、結婚記念日入院(1泊2日)。家族も同席説明を聞くんだって。くも膜下出血で倒れた時は、正に気絶状態だったので、私は自分の事なんだけど、説明を聞けなかったし、署名捺印もできなかったけれど、他の手術入院に、付き添ってなんてもらわなかったわ。さっさと身支度して入院よ。だって、私自身のことなのですもの。なんかイヤね、本人の承諾サインでいいじゃない?子どもじゃあるまいし。どちらも覚悟をするだけ!実に簡単な話よ、でしょ?

息子のお店で

2012-12-19 11:52:19 | Weblog

ツイッターお互いにフォロワー、メキシコから来日の若者クリスティアンと、横浜:白楽にある息子①のお店でおしゃべり。

そこに馴染みの若者たち。その中の一人
「オカアサン、仏教と神どうの違いって教えてもらえますか?」
「ええ、いいわよ。先ず、神の道って書いて、シントウね」
簡単にその違いを話して、クリスティアンともしばし宗教談義。彼の国はカソリック。小さい時から教会へ行って(連れて行かれて)たけれど、色々考えて、今はカソリックも何も信じてないって。

神はいないのよ。神も仏も利用する手段になってる、現実を見ればわかるわね。不実に生きてるから、神や仏が必要なのよ。自分に言い訳するためにある神仏。ああ、やんぬるかな。
自分に人に誠実に生きていれば、神仏は不要よ。
お祭の道具にもしない。じゃない? 

息子のお店の隣り。未だにメインがなんだか分からない飲食店。
「久し振り~、お元気?」
「あと10日で閉めます。富山に行くので」
って店主。息子と1ヶ月違いの開店のお店、頑張ってきた若いオーナー。

「今日はケニアのストレート、ミルクも砂糖もないですがいいですか?」
「ええ、いいわよ。ケニア美味しいわよね~。好き好きだけど。彼の後を借りて、クリ君、 喫茶店やる?」
「いいですね~。小さな喫茶店で美味しいコーヒー出すお店やりたいなあって思ってたか  ら。スタバばっかり」
「ええ、外で飲んだり食べたりって、そのものの味を楽しむだけじゃないものね~」
「そうなんですよ」
ごく普通にこんな話をして。

「世界にコーヒーベルト地帯ってあるじゃないですか?」
「ええ」
「そこにあるコーヒー、すっごく旨いメキシコ コーヒー、送りますから」
「あら、ありがとう」
 彼のママとも少しツイートしてた時期があって、私の写真を見たいって。
 彼と写真に収まったわ。息子の彼に少しずつ日本語を習ってお勉強してるって。楽しみ  よ。

「メキシコへ行くわ。一緒にキューバ行きましょう」
「是非」
「もう少し、頑張ってスペイン語勉強するわ」
「ハイ、頑張って下さい」

メキシコシティ直行便は高い。アメリカ経由の方が安いそう。
 彼もロサンゼルス経由の今回の旅だそうで。

 そういえば、私が北京へ行った時も、北京直行便より上海経由の方が安かったわ。
お世話になったモンチャン、「エーッ レイコサン。私はその飛行機は乗らない。イヤだ  恐い」
だって。上海足止め(機内6時間)だったその旅。その航空会社。でも、何があっても騒がない私よ。思い出になるじゃない。
でも、全ては過去形。写真は写しても見ない。記憶の中に留めるだけ、それも段々薄れ行く。見るのは今日から先だけ。過去に興味はない、「なにをしよう?だけ。

じっくり、焦らず

2012-12-17 14:04:42 | Weblog

平静の食事から四つ足・乳製品・鶏卵追放2ヶ月超。
酢漬け黒豆毎食前20粒は1週間、そして言い聞かす「何にも起こってない、不都合なことは」それが功を奏してきている平常値に近付く血圧。自分の健康は自分で作るのよ!っていい聞かせる ドスを利かせて。わかってんでしょうね!医者も薬もないんだからね!ヘー アネサン・・・

やっぱり自分

2012-12-13 09:35:44 | Weblog

まだとんでもない数値の血圧です。でも、私は私の潜在能力を信じることにしてるわ。自分の努力(大っ嫌いだった言葉)を優先。それは、食べる事に通じる。なぜ、「医療費を安くしろ!高齢者へ敬意を払え!?、今現在の立場は昨日までどうやって生きて(食べて)きたか?その結果でしかないのに。

身体に人間関係に心を配って生きてくれば、他者に依存しないし、今いる自分に「ありがとうねって気持ちになるって思うのよ。いつも他者の思惑に引きずりまわされ、批判して、不平不満あるいはダメな自分って思う自分を見る。
自分に期待しないで、どうして他者にそれを求めるのかしら?いっつも自分は二番手。可哀想な、忘れ去られ、置き去りにされてる自分。

ハラスメント?自分が自分にしてない?
無視ってすごい犯罪よ、いとおしみ励まし、関心を持つ。それが「愛」。愛の反対が無視。自分が不幸だって思うなら、思いきり自分を愛する。ないものを、失ったものを数えない。
自分以外の人になれないって、考えてみれば、すごく素敵なことよね。ちょっと涙ぐんじゃうほと健気な自分って思うでしょ?だって、艱難辛苦を耐えてきたから今いるのですもの、いっぱい抱き締めて「ありがとう。って言って上げましょう、自分に。

誰それ(上司・部下・肉親)が!って、被害者になってる自分をみるなら、その誰それの奴隷になってるって知ってね。自分を貶めているのですもの。「誰の奴隷にもならない!」「私の主人は私自身だけ!」アラッ
周りの何かが変わってくるのを感じる自分に出会うわ、必ず。

私は、私自身が体験・経験した事しか言いません。机上の空論はなしよ。全ての事は、セックスから」って言った、あのフロイトに出会ったのは13才。そして、この人は精神がおかしいって思った。同時代のユングはそこを突き抜け、フロイトを尊敬しながらも神経症って見破った。

大人になれば、経験や知識から自分のリーダーが誰だかを知ってる筈ね。なんとかセミナーなんて不要。だって、リーダーは自分自身の他にはいないのですもの。他者に依存したら、自分は引っ込む。心の片隅で膝小僧を抱えて涙ぐむ。ああ、私は何もしなくていいんだ。用なしなんだって。 だから、ちっとも見てくれないって、情けない顔をしているモノ言わぬ健気な自分に関心を向けましょう。すると今日はいい日になるわ。嫌な事なんか起きない!それに決めましょう。