ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

お彼岸も過ぎて

2009-09-29 07:51:15 | Weblog
「暑さ寒さも彼岸まで」って言われます。
そこには毎年間違いなく咲く彼岸花があります。春と秋のその時期に、
待ってましたって感じでね。今では白・黄色まで見かけるけれど、かつては
真っ赤なお花のそれが一斉に咲いて、ちょっと不気味。
「ハイハイ、皆さんお彼岸ですよ。お墓参りしましょうね」って、言ってるみ
たいに。どうも仏事に関係すること(宗教行事)が苦手なあたくしは、菊のお
花もあまり好きではありません。法事?しません。死者の事は死者に任せよってね。
けれども、毎日写真の母に語りかけています。初物や戴きものは、まず母です。
美味しそうなものなどは供えながら、
「お母さん、全部食べちゃイヤよ」なんて(笑)。

脅しすかしが宗教です。そしてその宗教に属していれば極楽(天国)に行ける
って。今現在幸せじゃなければ、あなたの信心が足りないって。先祖の、前世の
祟りだって?そこはそれある種の暴力団のような。
脅す事は犯罪だって事を知らない人々。
でも今や、仏教はお葬式用。他にはお盆や春秋のお彼岸,命日の法要。あくまで
形式。それすらも希薄になってきてる現実。
でも、誰かに自分を委ねたがる、気色の悪いことを皆さんなさいます。
先人の努力の結果の何がしかを戴いたりお借りしたりして生きてはいるけれど。
特定の神様や仏様のお陰ではないって思うのですあたくしは。
そして世界は、昨日より今日、明日の方が確実にいい方向へ動くのです。あた
くしや貴方が何もしなくても、出来なくても、世界中の叡智が人類の幸福のた
めに日夜働いていてくれる事を知らなければね。
例えば、石油に替わって様々なものからエネルギーを取り出せる、創れるなんて、
その叡智の一つが引き出し、作り出しているのです。まだ、日の目を見なくても、
必ず多くの人々のためになる事を信じてね。それは様々な分野で。
素晴らしい!でしょ?
あたくしたちはそれをただ「ありがとう」って気持ちで戴くのです。
エッ 思わないの?言わないの~~?!

お彼岸は、自分に繋がる先祖を形式的に敬うのじゃなく、お墓参りが大事じゃ
なく、多くの先人のお陰で生きていられる事をフッと思う、そんな時期とあた
くしは思ったりするのです。
もしかしたら、身近な先祖もだけど、過去の偉人たちを思う時、彼等の魂は
あたくしの側に居るのかも知れないなんて、とんでもない幸せなことを思ったり
しています。 幸せ者でしょあたくしって。ええ、あなたもなれる事よ。

スコットランドからイングランドへ

2009-09-22 08:08:12 | Weblog
年末の29日に我等がポリ-チャンが来日します。
「レイコサン、チケット予約しちゃったわ。ヒヒヒ」なんて、嬉しそうな
メールがスコットランドのエジンバラからロンドンへ戻ってきた彼女から
来ました。10日間の滞在です。ホテルも利用するので3~4日泊めて下
さいますか?なんて、水臭い事を言います。
もちろん、そんなもったいない事はしないでウチを軸に動きなさいって返事
を。あまりゲストって感じはしない彼女なのです。そう、姪って感じかしら?

日本からも行っている「英語→日本語」「日本語→英語」翻訳家になるため
の修士課程専門コースをこの9月から1年間勉強です。
作家の意図する所をちゃんと翻訳できるかどうか、少し緊張するって、心情
を吐露する彼女です。でも、心配はいらないでしょう。そのためのお勉強で
すし、あたくしが「いつまでたっても大人になりきれないって主人に言われる
のよ、恥ずかしいわ」ってこぼした時に、
「どこに大人がいますか?」って。その言葉を聴いた時に、ああ、この子は
素晴らしい資質を持っているって感じたのを昨日のように思い出します。
その深い洞察力と現実処理の能力を思えば、あたくしは彼女の未来に明るい
光を感じるのです。

よく、「ねえ、これを英語で何て言う?」って折節尋ねるあたくしに、
「ピッタリなんて表現はない」って。そう、その通りの各民族の感性の違いは、
長い年月を経て培われたものですから、標準的・模範的表現なんてないって
思います。日本人の感性をイギリス人のそれに変換するのは、翻訳家の個人の
資質に負うところが大ですから、彼女の翻訳する日本語の本がどのようなもの
になるのかとても楽しみです。

最近、ベストセラー驀進中の「1Q84」の作者村上春樹がリメイクするアメ
リカの既訳本は、彼の頭の中で「ここはこう訳すな~」って思いが強かった
結果だと思うのです。

以前にも書きましたが、もちろん難解な話ではない「87分署」シリーズの
毎度の書き出し、アイソラという架空の町の風景から始まるその表現が後に
続く本題へ急がされる美味しさを、もちろん 導入部分がE・S・ガードナーの
オリジナルの巧みさによるものであっても、いかにそそらせるか?翻訳家の
腕が大きくモノをいうのは言うまでもありません。
翻訳本は訳者の腕にかかります。引出しが多くなければつまらないものにな
ります。
際立ったそれぞれのキャラクターを巧みに登場させたその警察(事件)物語。
英語(に関わらず)の人称及びそれに伴う個々人の表現は、日本語の右に出る
言語はないって思うあたくしですから、「I=私」だけではない日本語の表現
から、その国の人々にすんなり受け入れられる表現に変換するのは、原本に
忠実であるのとは違ったものがあるはずです。

ポリ-チャンがこれからの1年でプロの道を歩むためのお勉強をするのです。
イギリスで有名な、東洋、とりわけ日本に造詣の深い教授の指導を得られるの
ですから、彼女の本気も感じ取れます。日本の親のように甘くはない彼のお国
の親たちです。子どもは20才も過ぎれば自立をします。彼女もカフェで働き
ながら、自力で修士課程へ進みました。親の援助なんてありません。意志の強
い彼女は正にイギリス人です。大英帝国の末裔です。
そんな彼女を姪のように思えるあたくしは何者?フフフ、500才の魔女よ。


次は上海?

2009-09-19 10:11:26 | Weblog

高老師、中国語前期課の最後の日が昨日。
相変わらず控え目な雰囲気をお出しの先生です。お声もお小そうございます。
北京で、何を怒ってるの?っていっつもつい思ってしまってた彼の地の彼等の
ものいいです。電報文のような、簡潔な構造です漢語は。それをハッキリ、
大声で言います。「用件だけでいい!」って感じでね。

帰国3日目に行った例のフリー英会話で、担当宣教師(長老)の声が聞き取れ
なかったのには、正直ビックリ!エエッもしかして難聴になっちゃったの~?
そのくらい聞き取れないのです。大声の環境にいた1ヶ月は、確かに普通の
声がささやき声ほどにしか聞こえない耳になっていました。

帰国の飛行機は何回も、気流の不安定な所を通過中ですってアナウンスがあり、
耳がキーン!圧迫で調子が悪くなってたのも聞き取れなかった理由の1つでは
ありましたけれど。

最近、やっと通常どおりに戻りました。ホッ 1番よく聞こえる時間帯は、
早朝です。前の晩のテレビのままですと、慌ててボリュームを下げます。
住宅街ですから、騒音はありませんが、夜と朝では気付かない音があったり
なかったり、目には見えない周波数のせいなのかも知れません。

お隣りの席のヨウコサン。戸締りをして、門扉に施錠。その鍵をある所へ返却
するのに、お当番の彼女は、
「ねえ、一緒に行ってよ~」
「小学生が、一緒にトイレへ行こう、みたいにね」
もう1人、付き合って下さって。道々中国話です。
ヨウコサンは上海に住むお嬢さんを訪ねてこの2月に1人で。
お嬢さんがお住みの所は、高い塀に囲まれた外人居留区みたいな所だったそうで、
出入りは専門シャトルバス。危険とはほど遠い生活をなさっていらしたそう。
あたくしも、モンちゃんが
「レイコサン、バッグは抱えて!」
って注意してくれたけれど、危険な感じは1度もありませんでした。これは
中国人達の名誉のためにも言います。でも、それはあたくしだけかも。
グァテマラでもイギリスでも、昔々のタヒチでも、1度として危険を感じたこと
などないのですから。イタリアやフランスのその手の話は山ほど聞きますけどね。

我がクラスの2人の男性。(もう1人いらっしゃいますが割愛)
20代と60代くらい。この2人が出来る出来る出来る~~~~!
しばし、考えて。ありません!即 中国語が口から飛び出します。
若者は近くの中国料理店で働いて、しょっちゅう「快!=早く!」って言葉を
浴びているって。中国人経営のお店で、日々中国語に接しています。
それでもキチンと勉強しようって、なかなか好もしい姿勢です。
もう1人は、なに者~?
聞くところに寄れば、かつてどこかでお勉強していらしたとかいなかったとか。
その滑らかな発音は、しばし中国人じゃないのって思わせるほど素晴らしいのです。

その彼等の素晴らしい中国語のお話をしたり、そのうちに中国へ遊びに行かない?
って。北京はもういいけれど、上海は行って見たいってあたくしも思うのです。
日本人に帰化なさった横山先生も、是非上海にいらして下さいっておっしゃいます。
お父様がお一人で住まわれる上海(妹さん1家はお近くらしいのですが)に
この連休を利用して帰省なさっておいでです。

「中国はどうでしたか?」
「う~ん、説明できないほど極端なお国で、整理がつかないの」
「多分、どの中国人も説明できないですよ。指導者たちも先はわからない、そんな
国ですよ。でも、嫌いになりましたか?」
「それも、明言できないのよ」
「ハハハハ。僕でもそうですよ。あっちへ行くと、早く日本に帰りたい。けど、
又すぐ行きたい。それが中国です」
「そうなのよね~。北京1ヶ所だけでああだこうだ言えないわ。まずは上海辺り
行って見たいって、ほらもうこれよ。不思議な国よね~中国って」
「ぜひ、上海へいらして下さい」

今日は、その横山先生と交代で受け持ってくださる宋(Song)老師の授業です。
場所がいつもとは違うある画廊喫茶で、講演会プラスの授業です。
「日本から見た日中の国民性の比較」という内容らしいのですが、体験してきた
ばかりのあたくしが聞くものでもないって判断しましたから、その講演が済む
頃合いを見計らって、授業のみ出席です。

嬉しい!

2009-09-15 22:30:41 | Weblog

1ヶ月留守にしていた我が家の庭は、茫々たる有様で、蚊たちの棲家になってい
ました。完全武装で草むしり。枯れ果てて、「あれっ、これはなんだったっけ?」
大小さまざまな鉢もいっぱい。その中の一つです。茶黒の枯草。よく見るとその
枯れ果てた元・枝だったと思われる個所に何やらしがみついています。種!
去年植えたキンギョソウは、去年とはまるで違う生育でした。その枯れ姿に
次代の命を抱えていたのです。芥子粒より小さな種を殻から取り出して・・・
急いで園芸量販店へ車を出し、種まき用土などと銘打った土を購入。ついでに
種まき用ポットも。
ハガキに小さな種を入れて、そのポットの土にそうっと蒔きました。
お気に入りのツルバラの実生もパラパラと。
1週間経ちました。
毎日如雨露でそおうっと水を。・・・・アッもしかして芽?小さな小さな双葉が
いっぱい出てきました。ほんとに小さな姿です。
買ってきた苗も嬉しいものですが、自分で採取した種から次の命が芽吹いてくる
のを見るのは格別な感動です。何ともいえない幸福感に満たされます。
バラはまだ出てきませんが。

育ち過ぎたインゲンやオクラの実から来年用に種を採取。封筒に入れて2009年
種と書きます。 去年のパプリカは相変わらず遅い成長です。棉の実は大きくなって
その内に、はじけて白い綿を披露してくれます。去年のそれと合わせたら、結構な
量になりそうです。棉もオクラも月見草のような清楚な花を咲かせます。

時期をずらせて種を蒔きます。春菊は育てやすい野菜です。1年中プランターで
育てられます。最近はそれを買う事はありません。大鉢に1株ずつ植えたのは定番
ブロッコリー。今年はそれに芽キャベツも加えました。ネットでくるんで防虫。
ナメクジ避けにはコーヒーかすをパラパラって。これは有効です。
セニョール・ダンは白菜や大根を菜園で育てます。あたくしは蔬菜作り。もっぱら
鉢やプランター栽培です。キンジソウ(金時草)は相変わらず旺盛な発育ぶり。
どんな所でも育ちます。夕べの深夜放送「白洲正子」を語る元首相・細川護煕氏の
晴耕雨読のシーンにも登場したキンジソウでした。

外国旅行もいいけれど、読書に継ぐ楽しみは土いじりです。何かを育てるのは至福。
その最たるものが子育てといいます。たった3人しか育てられませんでしたが、
至福の時間を持てたことは間違いありません。個性的な息子達からどれほどの幸福な
時間をもらえたか?言い尽くせないほどです。そして多分これからもずうっと。

つながっている?

2009-09-11 21:31:00 | Weblog

人は皆必ずつながっているって、どこかで何かで知っていたけれど、取り立てて
気にしたわけでもないし、つながりたくなんてないって思う人もいないではなし。

いつものように、早目に高老師のお教室へ。
授業はこちらもいつものように質疑応答を先生から先生へ。これは内容を理解
していなければチャンチャンとはいきません。ヨウコサンと、「難しいわね~」
って。ボードに書かれる「早晩涼」は朝晩は涼しいですねに、ヨウコサン
「あれでいいの?」
「ええ。電報文みたいな言語ですもの」
本当に、ホントに無駄のない表現です。
例えば、私は東京へ行きます。→我去東京。ね?電報みたいでしょう。
余韻がありません。無駄なし!でも、寂しい。無駄があるから余裕や想像の楽しみ
が生まれるし、ギシギシきしみも緩和されるって思うの。
ビシバシ無駄なし言語は喧嘩をふきかけられるような、ちょっと腰が引ける時が
あります。歯切れがいいって言えばそうでもありますが、「ねえ、そんなに怒った
ような言い方はしないで」って言いたくなるような、中国人同士の会話です。

かなり盛り上がる授業です。先生の力に負うところ大です。
今、小さな映画館で上映されている「孫文」の話から、中国の近代の歴史になり、
現代へ。日本人も深く関わった歴史は他人事のようには聞かれません。
「下ge星期見!」=また来週!

「作品展をやってるけど見て下さる?」
ヨウコサンの作品も展示。かなりの年数、色が変わらないという押し花。
帰りの道すがら、その会場へ数人で向かいました。・・・素晴らしい!!!
鳥肌が立つほど繊細で優雅で愛らしく、どの作品も素晴らしいものでした。謝謝!

よく質問なさる、中国の各地に詳しくておいでのクラスメイト。
帰りは同じ方向です。
「どちら?」
なんと、もう半年近く机を並べているのに、ついぞご一緒になったことのない彼女
は、同じ駅で乗降する同じ区民同士でした。しかも私の最初の中国語の先生を
ご存知で、授業を見学されたとか。その先生は3つのクラスを区内にお持ちです。
見学されたクラスは一番古く、難度も高いそれだったようなので、他のクラスを
お教えしました。

「レイコサン、縁ですよ」
って、日本語で人のつながりをそう言ってのけたポリ-チャンから久々のメール。
いよいよ日本語翻訳家になるための修士課程に進むため、スコットランドから
お父様のセカンドハウスがあるロンドンへ戻ってきた彼女です。冬休みに日本へ
遊びに来ます。その飛行機のチケットを予約しようかしら?って。

どこかで人は繋がっているって、今日は実感しました。思いもしない人との縁です。
だから? いえ、ただそれだけ。不思議を思っただけです。

今夜は、12:55からビートルズの番組があります。ああ、寝ちゃったらどう
しよう?録画なんて面倒な事は出来ませんし、今夜見たいのです。
「今ちょっと寝れば!」
ウチの宇宙人が言います。
「横になったら朝~~~!になっちゃいそうだから出来ないわ」
なんとか踏ん張って、若々しい彼等に会いましょう。
でも・・・・・眠た~~い。

サルサ,メレンゲ

2009-09-07 21:24:03 | Weblog
さあて、ビビちゃん(ペルー人女性日本語生徒)のために行動開始です。
「デカセーギ」って単語が存在します。中南米の人々が目的とするそれ。
彼女もおそば屋さんの下働きをしています。詳しくは知りたくありませんから
聞きません。彼女は大人ですし、それ相当の覚悟の来日でしょうから、何が
あろうと、関知しないことにしています。あたくしは彼女の日本語の先生。
それも上を目指さなければ即刻辞めるという約束。

ペルーでダンスの先生をしていたという彼女の言葉を信じて、Vamos!(Let's go!)
まず、地域のコミュニティへ登録。そこから生徒募集をかけます。
社交ダンスと違って、一人でも充分楽しめるダンスのようですから気軽に参加
してもらえるように、簡単なポスターも作って、カラーコピーを何枚か。

日本で、誇りを持って生きていってほしい!これはあたくしの切なる願いです。
たまたま彼女はダンスを教えるという技術を持っていました。
日本ではダンスはず~っとブームが続いています。これは彼女にとって追い風です。
好きな事、得意な事で生きて(収入を得る)いけるなら、それはその人にとって
大きな自信になるでしょう。彼女が自分で交渉が出来るようになるまで、あたくしは
マネージャーです。(早く独り立ちしてね!)
自分の勉強も色々ありますが、彼女の独り立ちのお手伝いを当分しましょう。

中国?北京?ああ、そんな所に行ったわね~。
余韻に浸るということは皆無です、昔からずうっと。そういう癖(へき)です。
過ぎ去った事に捕われる事はありません。無関心になります。
牛のように、飲み込んだものをもう一度吐き出して味わう反芻はしません(精神的)。
遠い未来ではなく、今、何をしようかしら?に心は満たされます。
相変わらず、したい事だらけ。あたくしが望む事は全て叶う日本です。
お金のかからない事です。セニョール・ダンから貰うお小遣いの範囲で選べる事。

このパソコンの周りは本だらけです。たまたま目にしたトルコ語の参考書。幼馴染が
「レイコチャン、トルコってどう?」
「いいわねぇ、じゃぁトルコ語だわ」
で買っていた参考書です。
12才のときにマージャンを教えてくれたマサアキチャンとの会話。
「イスタンブールからオリエンタル急行でパリ?」
「いいねえ」
「アガサ・クリスティね」

イスタンブールを。オスマントルコを。日露戦争の時からの親日国。
日本人名を冠したビールを想像して。
以前買って置いたものです。
パラパラとめくれば、そこに書かれた文の成り立ちというページに、
「主語+目的語+述語」って。日本語と同じ!形容詞+名詞も同じ。他にも色々と。

世の中は宝石箱です。
魅惑的な未知という宝石がつまっています。それを味わうあたくしです。

因みに、サルサはソースのことでもあります。メレンゲはお菓子用語でもあります。
インドのダンスもあるようです。
日本人の貧弱なフィギュァと違って、見事なプロポーションの彼女が踊るラテン
ダンスはどんなものでしょう?楽しみです。

ただいま~

2009-09-05 21:48:05 | Weblog
1ヶ月も自由な時間を家族から貰って、中国は北京へ滞在(ホームステイ)
してきました。7月30日~8月31日。
夏休みに突入すると、チケットは日に日に高くなり、仕方なく上海経由北京
行きとなりました。2週間以上の滞在は大使館からビザの発行が必要です。
それも個人では出来ず、代理店を通じての申請取得。ソレも含めて、成田空港
で搭乗券を受け取ってから、帰国するまで、あたくし1人で何もかもしての
渡航です。グァテマラも、イギリスも、そうしてきました。
大人が何でも他人任せって、旅行ぐらいでそんな事くらいは自分でしなくては
と思うあたくしですから、頭と体を遣います。
上海で、機内待機6時間。天候不順、機体の不備、等などで、北京に着いたのは
夜中近くでした。モンちゃんのお迎えで、1時間半弱の距離、彼女のお家へ到着です。
機内で通訳をしてくれたのは、隣りの席の内モンゴル自治区へ帰省の日本語学校へ
お勤めしている包(パオ)さんというお嬢さん。機内放送を逐一訳してくれます。
本当に助かりました。
前席は、新疆ウイグル自治区を故郷にする3人の家族(母・娘・乳児)。
機内放送のいい加減さに、
「これが中国よ!」
と、淀みない日本語で怒りを表す彼らは時の人。タイムリーな話題の主役。

天安門のだだっ広さに圧倒されて、万里の長城は上る意欲が雲散霧消になってしま
った高さにあり、ロープウェイで登ってなんて、パス。車から降りて、連峰に見え
隠れするその建造物は、それだけでも圧倒するものでした。
最後の王朝「清」、名君といわれた乾隆帝、その孫のかの悪名高き女帝「西太后」
彼女にまつわる世界遺産の「イ和園」。
中国の歴史を読んでいないと(知っていないと)ただただその大きさに圧倒され
る何もかものかの国です。

ハイテクと、外国車と、馬が引く荷車、地べたにしゃがむ、あるいは寝る人々。
道端のそこかしこで数人の男達が楽しむ路上カード遊びや将棋のようなもの。
社会主義国の中にある競争社会、逃れようもない天と地ほどもある格差社会。
全てお金でカタがつく賄賂の世界。ルールは無視。
富裕層が徹底的に差別する、そうでない人々。
土地は国のもの(はず)なのに、投機のために存在する不動産。
公園や団地の空き地に設置されている英国製運動器具(装置)を、もっと増や
そうと、国民に宝くじを売る。・・・その数も半端ではない全国に設置となれば。
テレビではコマーシャルが流れ、西側と同じような番組が流れます。
もし、毛沢東が今生きていたら心臓発作を起こすわねって思わず思ってしまった
今の中国の現実です。
一部地区だけのものだった開放政策は、沿海部の都市に野火のように広がって、
平等を掲げた社会主義の中に、異様な怪物となって、想像もつかないような
格差社会を生み出しました。主義と現実の極端の中に生きている彼等です。
徹底的差別の社会です。

したたかな漢民族は、圧倒的人口と、現実主義で生きます。世界に散らばる
華僑です。バースコントロールを国が管理するなど異様です。内緒で生んで、
袖の下でお目こぼし。これも現実です。
彼等の富裕層は、日本人が逆立ちしても叶わないスケールです。
今、世界の高級品を買い漁るのは、最近まで中東の富裕層でしたが、今では
中国人に取って代わっています。中国人はあくまでも現実主義者なのです。
欲しいものは手に入れるのです。ビザなしで来日出来るようになった中国人達は、
表参道で買い物を楽しむのでしょう。彼等が来日時に遣うお金は100万円は
下らないと聞きます。
輸出産業は大打撃を受けましたが、国内はまだ高度成長真っ只中。
彼等の購買意欲はまだまだ右肩上がり。
来日する彼等にどんどん買ってもらいましょう。

東京オリンピックのあの頃の日本を髣髴とさせる今の北京です。
大阪万博のそれは、来年の上海万博となって。
感想は・・・・・没有(メイヨウ)=ありません