ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

変化は色々と

2008-06-30 22:12:13 | Weblog
辞めました。週2回(別々)の、公共施設利用スペイン語レッスンを。
我が家からスタートしたレッスンは、先生と場所を替えて、足掛け5年。
飽きるって言葉を辞書で引けば、私の名前が出てくる(そんな訳はない
冗談です)、その私が、最近、---いいのかなあこんな関りでって。
何かにつけて思うようになってきちゃって。---いいのかなあ?って。
な~んだか何かが足りないって。昔々のコマーシャルみたいに、
「○○ー○を入れないコーヒーなんて」
何か物足りない、そんな腰の落ち着く場所がなくなったみたいな感覚で。
それで、横浜駅近くの県民センター「横浜スペイン協会」のレッスン見学。
オッオオッ、初級で日本語禁止?やりますなあ、各々方。これはかなりな
刺激だったわね。皆さん楽しそうで、文法もスペイン人の先生がそこだけ
日本語の、なかなか興味深い進め方。
前期、後期に分かれているその前期も、あと1月で夏休みに入ってしまう
ので、後期から受講しようかしらって、思っているところです。

今日は、ワカコサンとランチをご一緒に。彼女はミリャムクラスのお帰り。
ミリャムクラスでは、ずっと「ねえねえ、なんですって?」って言う私の
通訳をして下さってた彼女にもその協会のことをお教えしたら、早速彼女も
見学申し込みをなさって。グッと難しくなる中級クラスへ。
10年ほど南米各国へJICAへお勤めのご夫人の赴任で、滞在なさってらした
彼女は、ボランティアでも活躍。
それでも、まだまだスキルアップしたいって、意欲的な方なのです。

毎月初めに書き込むカレンダーは、今のところ中国語講座の月2回だけが
埋まっているスッキリ7月です。
開放感があります。本当にウチが好きな女なのです。出不精です。
電車に乗って?う~ん、成田までならいいけど。そして飛行機っていうの
ならね。その辺をウロウロはしない。ウインドウショッピングなんて、
物欲しげな、浅ましいことなんか、絶対って言っていいほどしません。
ワカコサンが、
「物価も何も値上がりで、大変よね?」
っておっしゃるけれど、
「そうなの?実感はないわねえ。なんせ(小声で)ジイがお買い物はして
るから。稼いだ人がちゃんと管理すべきが自論の私だし。彼はそれが好き、
私は買い物のために出かけるなんて嫌いだから、ウチは利害の一致よ」
彼女はそのまま、最寄駅へ車を置いて、中級講座の見学へ行かれました。
「教えてね、感想を」
「ええ、メールするわ」

好きで通っていた所でも、行かなくていいってなったら、開放感がヒタヒタと、
なのです。どこかに束縛感があったのかも知れません。
一人で、ひたすら文字を追いかけて、その面白さに、埋没したい、否している
日々は、今のところ、何にも変えがたい快楽です。
「水滸伝」で、鼻水をすすり(汚い!)、涙をぬぐい、英語で書かれた
スペイン語問題集に頭を抱え、電子辞書拒否の私のスペイン語辞書は、ボロ
ボロになってきだして、それだけ覚えられていない多くの単語達なの。
憎たらしいもう一人の私が、いっつも
「ヒヒヒ、さっき引いたんじゃあなかったっけ?」
ってね。
「そう、その通り!でも、うるさい!No habra demasiado !おしゃべり!」
って、無視!
あの紙を触っている感覚が好きなの。だから、絶対に紙派の私は、この世
から紙がなくなったら、楮三椏(コウゾ・ミツマタ)で、紙漉きをやっちゃ
うかも知れないわ。

3色カラーの我が髪の毛、又自分でカットしちゃいました。
ナチュラルカラーは、2色です。ツートーンカラー。まあこれも悪くは
ないわね、自然です。

ワカコサンから報告メールが届きました。かなりお気に召したご様子で、
明後日、他のクラスも見学なさるそうで、明後日は、私ももう一クラスの
見学がありますが、レベルが違う彼女とは、ご一緒はありません。
又、私を取り巻く環境に変化が起きつつあります。嬉しい予感がします。
途中入学、実費で可能とのことですから、お家が好きな私も通うことに
なるかも知れません。それはそれで嬉しいことです。

出来る!よ

2008-06-29 09:47:45 | Weblog
生徒は3人。黒1点(なんて言う?)の男性生徒はお休み。
相変わらずお若い格好の先生。そして、よくお似合いの素敵なフィギュァ。
ポリーちゃんに言われた"ナイスボディは失礼”、とっても下品ですって。

生徒は3人ですから、す~ぐ当たる当たる先生との応答。
宿題?先生曰く
「又やり直しって言っても間違えるよ」・・・トホホホホホホ全員。
私も先生の真似事をしてみてよ~くわかったそのご苦労。
教える難しさ、習う気楽さをね。
でも、自分の覚えの悪さにいい加減厭になってるのも事実。で、諦める?
「不!」・・いいえ!
出来るだけ文字を見ないで!に挑戦するのだけど、これがね~~~。
今回いただいたプリントの中身は、東西南北道路に関する、否方角に関して
中国人がこだわる話。その中国語を読むことの難しさ。「東西は物」でも
遣う単語。場面で違う発音よ。
下記の問題をチラッと見れば、オ~いよいよ登場 和文中訳。
これがすんなり出来れば大きく中国語へ近づいた、理解しているってこと?「対」・・そう。
いつものように疑問文に直すそれと、その問題(中訳)が宿題。
たまには1回で通過したい宿題なんだけど・・・加油!・・頑張ろう!

「サッ、会話!」
何しろ3人(と言ってもいつもも4人だけど)ですからす~ぐ回ってきます。
「・・・・???」
思考ストップ。言葉が出てこない。どうしよう!?アラッ本当に、????
「次!」
「アッ、わかりました!」
自分ではないって状況になった途端、わかって応えられる。
「緊張するのよ」
って、先生はおっしゃって下さるのだけど、簡単な、いつも投げかけられる
ごくごく当たり前の質問に、フッと頭の中が空白状態になってしまう情けなさ。
ク・ヤ・シ・イ~~~、情けな~~い、緊張する軟(やわ)な私の脳みそがね。

まあ、言い聞かせましょう。
ーーー出来る出来る出来るあなたは出来る、継続は力なりだから逃げないで!
ってね。おまじないみたいに、言うのよ。
この「出来る出来る」って重要な言葉かも知れないわ。
ああ、なんで出来ないのかしら?ああ、ダメ。もうダメ!どうせ無理なのよ、
って、結果が思わしくないと、そう思いがちなのよね?ドンドンドンドン
それから遠のこうとする思考方向。無意識に離そうとする自分。じゃない?
結果が良い訳がないのは当たり前ね。「出来る出来る」は、近づく言葉よ。
それは肯定の言葉ですから、ホンジャマッ!って、言うかどうかは別として、
前向きに考えてみましょう!(政治家の発言みたいで厭だけど)にね。

 子どもの頃、教師や親や周りの大人たちに言われてこなかった否定言葉や
比較言葉を雨霰って?
「どうして出来ないの?」「お前はダメなんだから!」「何々ちゃんは」
「お兄さん・お姉さんを見習いなさい」って。
あれは、言葉のギロチンよ。その子の未来をぶった切っているのよ。
フランス革命の時に使われた、あの恐ろしい未来を断ち切ったあれを多くの
大人たちがしてきていることを知らなきゃね。
否定の言葉を浴びてきた子が、未来に悲観したからって、その子を非難できる?
生まれたての子馬や子羊、哺乳動物がヨロヨロしながら立ち上がるシーンを
見たことがあるでしょう?映像で。人間は、独り立ちするまでに長い年月が
かかるのよね?自分の力で開けなければならない思春期という大きくて抵抗が
強く重い扉を開ける時に、何がその子の力になるか?
それは、そこまでの成長過程で浴びた賛辞、励ましの言葉に他ならないのです。
「ええ、あなたは出来るのよ」
「信じなさい自分の力を」
「素晴らしい」
「出来なかった?大丈夫大丈夫、きっと出来るようになるわ」
「いつまで待つのって?あなたが生きている間ずうっとよ」
きっと、そんな言葉で育ってきた子は、自分を捨てないはずです。自分の
可能性を信じることが出来、人の可能性も信じられる人間になるって、
迷うことなく私は確信しているのです。

 高校の英語で習いましたね?
   LIFE IS SHORT BUT ART IS LONG 人生は短く芸術は長い
って。ふ~ん、そんなものかいな?だったわね、その頃は。
でも、ここ迄生きてくれば、そうでもあるけれど そうでもないわって、
すべからく 言い切れないって思うようになったわね。
だって、1日24時間は、万人に平等に、そうこれだけは誰にでも平等に
与えられているものよ。気の遠くなるような事に挑戦している、結果を出す
「二兎を追う者一兎も得ず」?とんでもない、幾つものことを同時にする
人もいるわ。相乗効果があることを知っている人。全く違うことに敢えて
挑んでいる人、数え切れないほど楽しい人生を歩んでいる人がいる。
たった数%しか遣われない生涯使役脳みそ。
人の事なんか構っちゃいられない筈なのよ。子ども?
「君は凄い!偉い!世界一!」あとは、可能性に関して放って置く。
それより自分の脳みそでしょ!?
何にも挑戦しないで、人のあら探し?芸能人?政治?政治が高度なものだ
なんてこれっぽっちも思ってない私は、それに関しての興味もないわ。
あとは、自分は別格、できっこないって、とっくのとうに諦めて。
そう、そこよね。育って(こなかった)来る過程で、否定と比較の言葉を多く
浴びてきちゃったから、今更又惨めな(って思っちゃう)気分なんか味わい
たくないって、いっつもいっつも逃げ、拒否の姿勢ね。

私?もう比較比較比較の中で。苦しかったわねえ。励ましなんて要らない!
順位をつけたがる、常に上位に位置することを望んでいた母でした。
母の人生を思えば、やんぬるかな!でした。子ども心にもわかっていました
から、とりたてて反抗もしませんでした。たった一度だけ、後ずさりしながら
「比較するなんてナンセンス」って、言ってのけたことがありましたが。
その時の母の絶望のような姿をかい間見た時のショックは、未だに脳裏に
焼きついています。でも、心底そう思っていた私です、今尚、ええ、それが
とっても大事なことなのです。比較なんて思うことすら恥ずかしい、薄い
脳みそ働きって、確信です!

そして、その苦しい苦しい身もだえするような絶望の淵に陥らないように
するために、
「出来る出来る私は出来る。人生はそのためにある」って自分に思い込ま
せることが絶対に必要なのです。
子どもなら、周りの大人が言い聞かせる。
自分自身には自分が毎日、言い聞かすのです念仏のように。そうして、やっ
と人は「希望」という二文字に出会えるのです。ぼんやりとしてても、その
二文字が、自分の脳裏に浮かび上がってくるのです。でも、そこまでになる
には、「大丈夫!出来る!」って、言い続けることが不可欠なのは言うまで
もありません。脳みそはすぐ忘れるのです。ですから、言い続けることが
必要なのです。いとしい自分のために。誰とも比較することのない、そんな
ナンセンスなためじゃなくです。人?関係ない!のよ。声を大にして言いた
いわ。人を意識するから落ち込んだり、舞い上がったりって、無駄なことを
するのよ。全て自分のため!何番目?前に書いたように世界で?なら面白い
けれどね。

話は大きくカーブしちゃったけれど、ひたすら「対・・・そうです」のお言葉
を頂きたい私なのです。そして、スペイン語も中国語も、出来れば(出来る!)
英語も、これから増やそうと思っている外国語全て、ネイティブと話したいっ
て、それだけよ。
だって世界はグッグッグ~~~~ンって広がるのは目に見えてるじゃない!
だから、今日もめげずに、「私は出来る!」って言い聞かして問題集をやります。
出来なかったら?出来るわよ!そんな失礼なことを自分、自分によ!言いません。

なんて素敵な!

2008-06-28 09:39:29 | Weblog
「ああ、今日の始まりは素敵だわ」って昨日の朝の書き込みは、
素敵な終わりの日でもありました。
「素敵」って頭の中で言葉にした、「思う」って、核となるそれに付随す
る言葉を、次々と頭の中に浮かび上がらせることでしょう。
その言葉が持つ力が引き寄せる様々な現象って、昨日は思い知ったのです。

昨日の朝の「感謝」という文字に即反応した私の感情。それはなんて素敵
なのって感情を呼び起こして、そこから1日の終わりに、少し鳥肌ものの
感情となって、私を包んだのでした。

我が愛犬マリリンが、まだ小さな頃、歯が生える段階はむず痒いらしく、
手当たり、いえ口当たり次第噛み、布団カバー・枕カバー・クッション
カバーって、全て口に触るファスナー部分を、むず痒さ解消ツールにして、
その部分を使い物にできなくした枚数は、かなり。
捨てるにはしのび難く、お洗濯して収納していたそれ等を、つい先頃
ファスナー交換しよう!久し振りにミシンも出して。
1枚、又1枚・・・フ~~。お布団カバーのファスナー部分は枕カバーや
クッションカバーの比ではありません。ですから、交換し終わった時は
かなりな満足感でした。これで又使えるって、嬉しくなったわね。
2本しかなかった長いファスナー
いざユザワヤへ!ファスナーと手縫い糸を買いに。
セニョール・ダンが駅近くまで車で行く、ジャストタイミングで同乗させて
もらって、私は電車で隣駅迄、「ありがとう」。

午後1時前、少々空腹。
ーーーそうだ、コラソン・ラティノへ行こう!
ミゲル君の悲しい話以来だったので、3ヵ月ぶりくらいだったかしら。
私から彼へって、ある本(スペイン語版)はとうとう彼の手に渡らずに、
今や行方不明ってマリアさんが言う、我が唯一の生徒(中国人へのそれは
やめちゃった私なので)。
その本を返してもらいました。諦めた?いいえ、必ず彼を見つけ出すわ。
そして、彼の背中に手をまわして、
「大丈夫!大丈夫よ。よく頑張ったわね」
って、言ってあげるのです。
どんなに心細いか、日本にいる18才のペルー人少年は。

「マリアさん、私ね、今からお布団カバーを作るのよ。犬が噛み千切った
所を交換して。そう、 Parece que ? それとも Voy a hacer ?」
「それをするの?決まってる? それなら Voy a hacer,カバー?ウ~ン、
なんだった?」
 " funda"
"Si,si,si,"そう、そう、そう。
" funda? カバーのこと? Sr,gracias."
隣のテーブルでお食事していらした南米男性(多分)が教えて下さったのよ。
「ペルーじゃないからねえ、布団カバーなんて。だから、その単語が出て
来なかったのよ」
「それでは、Desde ahora,voy a hacer funda.」「No,La Funda!」
「ああ、冠詞ね。わかったわ。Otra vez!・・ もう1度。
  Desde ahora,voy a hacer la funda que mi pera・・・Rは2つ?」
"Si."
" ・・・Mi perra rompio."・・・私の犬が壊した
"Muy bien."・・・そう、その通り。
黙々と召し上がってらっしゃる男性に、
”Gracias!"・・・ありがとう
「今から、私の犬が壊した(破いた)布団カバーを作るのよ」のスペイン語
バージョンの完成です。 Muchas gracias!・・・本当にありがとう。

久し振りの徒歩。ちょっとミゲル君へ繋がるかも知れないある所を周って、
軽く2時間は歩いての帰宅は、いささかくたびれて、1時間のお昼(夕)寝。
マリアさんのお店のお料理がとても美味しく、全部たいらげたの。
コリアンダー(香菜)ライスは、ほどよい香りで。ご飯の上にどうだ!って
言わんばかりのトリ腿肉骨付き。美味しかったわ~。
それで、お夕飯は抜き!いつものワイン(赤)もなく、コーヒー片手に今日の
中国語宿題をよ。
情けないことにやり直し宿題だったそれを、う~ん、これでいいかな?で済ま
せて、新聞の番組欄に目をやれば、
ーーーエッ、エーッ、ホントに?
「越路吹雪物語」が、なんとNHK3ch.で。ピーターこと池端慎之介演じる
越路吹雪の舞台。いつか、そう、なるべく近いうちに観に行きたいって、思っ
てたのよ。でも、何しろ出不精な私なので、これはなんとしても実現させな
きゃって思っていたの。
それが、そう、正にそれがテレビで?こんな嬉しい事はありませんでした。
彼(彼女)が演じる越路吹雪は、乗り移っちゃった?って思うほど越路吹雪
その人だったわ。テレビが映し出す顔のアップは、絶対に舞台を観る所では
観られない表情まで映し出して、・・・・・・・・
「枯れ葉」「愛の賛歌」「サントワマミ」「ろくでなし」等など。なつかしい
シャンソンが流れます。意味もわからずに歌っていた13~16才頃の私でした。
アメリカンポップスは私を魅了しました。
けれども、シャンソンは私に語りかけているように感じていたのです。何も
わからない小娘にも。
そして、コーちゃんの舞台ははねたのです。午前1時でした。
1杯のワインを飲み干して、
「ありがとう、素晴らしい1日を!」
寝床で必ず読む本はまだ「水滸伝」。
頭の隅で流れるシャンソンをかすかなBGMとして読む「水滸伝」14巻は、
まもなく終わります。又「梁山泊」の漢(男)が倒れて行きます。
毎巻泣かせてくれる北方謙三水滸伝です。
  やっぱり素敵な締めくくりでした。ありがとう。

素敵な朝は

2008-06-27 09:00:52 | Weblog
おはようございます。
って、芸能人や飲食関係者が時間を無視して言うあれとは違います。
正真正銘朝のご挨拶です。愚息その①の手伝いをしている時、初めて
顔を合わせた時に言う挨拶は「ごきげんよう」でした。もちろん朝は
「おはよう」でしたけれど。こういうことにどうしてもこだわる私です。
いいの、いいの、言葉は生き物だからって、あれは薄みっともないって
思うのですもの。
伝統が強い背骨を作るのです。そこには強い意志を働かさなくては
ならないのは言うまでもないことね。
増してや、この複雑で高度な、素晴らしい言語の日本語を、その辺を
無視して、いえ無知を棚の上に放り上げてグチャグチャにいじる人に
迎合は 絶対にしない私なの。
自分で作り出すのなら、・・・・・そのチャレンジ精神に脱帽よ!
誰かが作り出したものに、そう!そう!そう!って、シッシッシシッシ
寄るでない!
「おはようございま~~~す!」
その薄い脳みそなんとかならない?
ひたすら尊敬したい!尊敬させて~~~って、生きてきた私ですから、
大体が「みんなが」って、小学生の脳みそでストップしちゃった御仁
には近づきません、たまさか知らずに同席してても、そういう人だって
わかったら、す~~~っと逃げます。ひたすら避けます。だって、
尊敬できないのですもの。自分で思考する事を放棄している人は気持ち悪い。

でもね、WALLのブログに初登場のメンバーのそれを読んで、
「ああ、今日の始まりは素敵だわ」
って。ご家族のことが書かれてあったのだけど、「感謝」って文字が
そこにあったのよ。私はその文字に出会えた今日の始まりを、とても
嬉しく思えたのです。なんて、素敵な朝なのかしら!って。
こうしてパソコンを打てる指も健在なんて、嬉しい朝です、ありがとう!

早朝は希望に

2008-06-20 11:58:57 | Weblog
眠っても眠っても眠り足りない10~20代、ね?
我が母校(高校)は、遅刻の生徒の多さで有名、否、バレーボール、最近は、
なんとサッカーで。カンパをつのる手紙が来たりして、関係諸氏の興奮振りが
うかがえたわね。
「あと5分、3分、あ~~もうだめ~!」で、早送り画面のような動きの朝!
校門前で、チェックが入る。あまりな数の遅刻者。とうとう生徒手帳を没収なんて。
今はどうなのかしら?
そんな頃が懐かしい、ゆったりとした時間が過ぎる朝。
テレビ・新聞の三面記事ニュースは見ない・読まないように心がけているから、
心の中に不純物は取り込まないわ。政治家(屋)の反対のための反対をするかの
彼等も、無視!
ポピュリズムに陥る危険に気付かない、煽る税金泥棒は無視!選挙?行かないわ。

さて、やっぱり世の中は素晴らしい!エ~~~ッ、なにが?!嫌なことばっかり
じゃない?そう思うあなたは嫌なことがお好き。ありがとうの言葉を棄てた人。
ES細胞、もうひとつその名前は覚えていない何やらi○○○細胞、どちらも万能
再生細胞。しかも治療したい本人の細胞で作る。あらゆる器官の再生が可能になっ
たって、もう、感動で胸が打ち震えるでしょう?
ある知人のお嬢さんが、自動車事故で首から下が動かなくなって20年以上。
ご両親の嘆き心配は、もう筆舌に表せない苦悩の年月だったと思うのです。
でも、望みは棄ててないけれど、どこか達観した(ように見受けられる)お父様。
フフフ、愚息その①が経営する「おが屋」へお越しの節、酔っ払っておっしゃる
「女is the best in the world!」
いい男健在。そう、本当にいい男よ。男性に滅法激辛評価の私が太鼓判!若くない
のが尚いい!
若さ=未熟=恥ずかしい、だから。

そしてね、パンドラの箱にたった一つ残ったそれが「希望」。
そうなのねえ、希望を持ち続けることが、生きていくための杖かも知れないって
思うのです。
突然、飛騨高山だったかしら?からくり人形のお祭りがあるのは。
そのDNAが、医師であり漫画家の手塚治虫の偉大な作品「鉄腕アトム」へ。
そこへつながる日本人の技術は世界を席巻するロボットへ宇宙へと繋がって。
脊髄損傷で歩行困難の人をも立たすことに成功。この素晴らしさに感動しません?
装着するとかなり重いものまで軽々と持てる、そんな形のものまで。

こちらは、夕方のNHK番組で紹介された、思わずパチパチパチ「素晴らし~~い!!!」
ある技術。しかもこれからの私達に、こんなすばらしい贈り物を下さった人も日本人。
「音から電気を作り出す」オーディオセットの通電から音が発生。
なら、その逆は?って。そこが凡人と違うところ。
高速道路の車と地面の接地点から生じる騒音をエネルギーに変えて発電。
駅の改札口を通過する人々の床と靴から出る音から電気を作る。
ええ、もう石油もバイオ燃料も、化石燃料作物燃料も要らなくなるかもね。

タイムリーな話はしたくないけれど、一部のアメリカ人達が投機対象にしている石油。
資本主義、市場経済の世界で、とうとう起きてしまったお縄にかけられない最大犯罪。
その世界中の人々の暮らしと未来を踏み潰そうとする彼等に、汲々としている世界の人々。
私?元来騒がない人間です。
オイルショックのあの時、大阪に住んでいました。トイレットペーパー・洗剤買い
だめ騒動。まあその大騒ぎったら、あそこまでいったら、やっぱりお笑いの一大
拠点の大阪だわって思ったほど。買いだめ?そんなこと私はしません。
米騒動もありましたね?今も、じりじりすべてのモノの値段が上がっているみた
いね。私は買い物に出ない女ですから(時間がもったいない)、価格変動は実感
がないの。「だから?」だけ。
だってそうでしょう?必要なものは必要で、範囲内で購入ね。全く騒ぐ必要はな
いって、冷ややかに蚊帳の外から文句ブー垂れの人々を見ているだけです。

「投機で値上がりしている石油よ」
「だから、まだ戦争は続いてるんだよ。アメリカと。又戦争になるかもよ」
「石油が元の、あの先の戦争みたいに?」
「そうだよ」
これは、ウチの宇宙人との会話。
フフフ、今度は消費大国の自国民を巻き添えにするって?すでにそうなってきて
いるわね。消費は美徳でやってきた彼の国の人たちを御覧なさい。アメリカン
ドリームの行き着く先が現在よ。
ああ、どんなに日本に生まれてよかったか、最近の私はしみじみその幸福感に酔い
痴れているのよ。
日本の優秀な頭脳が世界の人々に大きな貢献をしているのよ。
大丈夫!大丈夫!どんな時でも、辛いって思う時こそ希望を捨てちゃあいけない。
音で電気を創る~~~? 凡人には思いつくことさえ不可能。ましてやそれを
具現化するなんて、ポカーーンって口を開けたまま。
しかも、微々たるものじゃあないその発電量。
その発明者いわく、「発電所から送電される途中のロスは大きいので、出来る限り
近くで発電すれば、そのロスはなくなり、丸々使える電気です」。

早く起きて、することは、
ああ、これを言いたかったのです。こちらも希望につながるお話です。
消毒に手間暇のかかるバラ。植物も、流れ沁み込む土壌にもその薬剤の害を思うと
たまらないって、バラ栽培を止めたって某作家。そうなのよねえ、あの薬まみれの
バラ達。
それでも寒の頃から春にかけて、最小限行った消毒。
けれども、見事に(?)病気に侵されたバラ達へ、治療を施そうと薬剤を買いに。
その棚で見つけた薬は、丸々化学物質ではなさそうな、自然由来。いつだったか菌
(例:納豆菌)で薬剤を作る研究が進んでいるって、こちらもNHKテレビで知ったわ。
自然界に与えるダメージをなるべく少なくっていう考え。
空気がまだ動かない早朝、私のバラの治療が始まります。
「すぐじゃないかも知れないけど、病気を治してあげるから元気を出してね」
黒斑病に侵されて、ボロボロになってしまった葉っぱ達。残るは骸骨みたいな姿の
彼女(?)達の治療にとりかかったのです。
彼女達の足元には、かすみ草、金魚草、秋桜のまだ弱弱しい種から出てきた苗達も、
こちらは虫に食われて、惨めな姿に。彼等も消毒です。自然由来の薬剤で。

今が、問題を抱えているから、今現在出口が見つからないから、なす術を持ってない
から、もう、ダメなんて思ったとしたら、それは大きな間違いです。
私達の知らないところで、優秀な頭脳が人類に光明を差し出してくれることを、
そのために、彼らは日夜研究しているのです。その恩恵を、ありがたく戴けるのです
から、なんて素晴らしい時代に生きていることでしょう。

石油を、投機対象にしている彼らを、決して負け犬の遠吠えじゃなく、冷ややかに
眺めているだけ。私達が子どもの頃、石油なんて身近なものではなかったのよ。
だから、全てに絡む石油ではあるけれど、私の生活は変わりません。騒がないのです。
もっともっと素晴らしい世界が来るわ。ええ、ごくわずかな、けれども世界の人達に
多大な貢献をする人々が出現するのよ。  思いつづける希望です。



13才の恋に

2008-06-16 23:01:47 | Weblog
新しいことに挑戦する時、大体何でも、一人で黙々と、って言うほどのことでも
ないのですが。
その数の多さに驚く「検定試験」。布団作り、畳職人、いわゆるモノ作りのプロを
認定する(級別)試験から、その道の専門家達に与えられる様々な、ホント、
エーッこんなものまであるの?
の中から、昨日、ある受験会場へ足を運んできました。
その、他言しないで手続きを済ませ、とんだ落とし穴だった(想像もしてなかった)
大嫌いな写真を貼り付けた受験票と筆記用具、細々した必需品と、読みかけ「赤毛
のアン」原書をバッグへ入れて、某大学へ。
どこかでけじめをつけたかった英語の、いわゆる「英検」受験です。

素晴らしいお声で、ニッコリ微笑んで、
“Good morning ! every one. How are you?”
恋に落ちたのです。ええ、正に
“Fall in love”
13才の女の子が恋したそれは、その先生のお口から漏れる英語でした。
感激の英語の授業でした。素晴らしい中学3年間を過ごしてきました。

光陰矢のごとしは、幻影を引きずる年月でした。あっという間に、容赦なく膨大な
時間が過ぎ去り、ポワ~~~としたまま、片想いで白髪を頂く年令に達してしまっ
たのです。
あの、3年間が忘れがたく、その後も英語と接してきましたが、いつも落胆。
英語は好きなのです。けれども上達しないのです。覚えられないのです。
何もかも、全て、私の英語は、誰かが代わって教えて下さるのではいけなかったの
でした。
どんなに教え方が上手な方でも、・・・・・ダメだったのです。

孫を抱く年令に達した私です。けれども、いつもうごめくどこかに住み着いている
ような感覚が、私の中の英語に気付いたのは最近のことでした。
片思いの、せつない、けれども いとしい私の、13才の感動の存在であった英語。
その私が恋した英語と、大人らしい決別をしなくてはいけないって、どこかで思い
始めていました。英語との付き合いが、今後あろうとなかろうと、どこかでけじめ
をつけなければって。小さく笑ってしまいます、バカねぇって。

それで、ものぐさ女は、インターネットで検索して、さっさと申し込みです。
決心すると即行動の女です。ホットなうちに行動へ移します。コンビニから受験料
を送付。
「エエーッ、写真添付なのー?自己証明が必要だなんて、信じられないわ」
グジャグジャ言っても始まりません。今は便利な無人撮影ボックスなどがあって、
あ~~、不愉快!でも、パチリ!ウン十秒後に、見たくもない写真が出てきて、
それを受験票へ貼りました。なるべく見ないようにして。

当日。
駅からゾロゾロ同じ方向へ向かう若者達。小学生と、その保護者と見受けられる
人達も。やっぱり世間は子どもから英語を!ということなのね。
ふ~~ん、これが今の日本ってことなの。
日本中で実施された「英語検定試験」。膨大な受験者数だったのでしょう。
三々五々入場してくる若者達。
確認はしなかったけれど、多分否絶対に、高齢者は私一人だったと思うわ。
ざっと見渡せば、ほぼ全員、試験開始まで参考書と首っ引きな様子です。
私は、そのへんが潔いのか、諦めがいいのか、関係物は持ち込みません。
唯一英語の“Anne of Green Gables”を読んでいました。

受験票の写真面を上にして、電源を切った携帯電話も机の右隅に置いて、
スタートです。
筆記40分・・・35問、2分のインターバル。
続いてリスニング28分・・・30問
13:30~14:40は、粛々と。取り敢えずは埋めて終わりました。
出来ようと、出来なかろうと、途中退場なんて出来もしない、これっぽっちも
余裕のない出題に、ビックリ。
見極めのいい私なのです。考えても仕方がないって状況は、さっさとクリアです。
モタモタなんかしません。さっさと進行です。
2回のスペイン語受験の時、真っ先に退場してきた私は、まあそんなものでしょう
って思って臨んだのですが、とんでもない思い違いで、ギリギリ間に合うかどうか
の問題作成で、慌てる自分に驚いたのです。エッ私もちょっとパニック?
嫌だ!慌ててるじゃない。
エーッ、こんな私も居たのねぇ。ホラホラ、焦ってる私よ。

新鮮な驚きです。こんなスリルはかつて経験したことがない、記憶にないという
スリルじゃあありませんか。少々慌てている自分を眺め(意識上)、それを面白
がっている自分に出会い、いや~~~、たまりませんなあ、なんて、その状況の
何もかもが面白かったのです。
帰り途中、外出中だったウチの宇宙人に運良く拾って貰って。
「面白かったわよ~、焦る自分に出会ったりしてね」
「娯楽としては、ちょっと高いかな英検は」
「そうねえ、私にはそれを(資格)何かに役立てようなんてこれっぽっちも思って
るわけじゃないから、純粋な娯楽ね。でも、今日のスリルも加味すると、そんなに
高くはないわね」
「漢検受けてよ」
「ウン、旧友から勧められてたし、読めても書けない漢字がいっぱいって、
情けない現状だから、受けてみようかなっては思ってたのよ」
ハイ、これも決まり。
いつものスペイン語レッスンの帰り、本屋へ寄って、わき目もふらずに実用コーナー
書棚へ。漢字検定問題集を1冊購入。他のコーナーは無視!
さっさと本屋を後にします。

ケイコサンが、
「いいですねえ、レイコサンはお好きなことが出来て幸せですね」
「ええ、お陰様で。でも、どなたも、みんな、お好きなことをしてるのよ。今一番
したいことをね。その対象がそれぞれ違ってもね」
そうなのです。比較も善し悪しも、無駄なことです。人は好きなことをして生きて
いるのですから。
これからも、私の「何か面白いことはないかい?」の旅(?)は続きます。
七夕の頃、合否がわかります。
これでやっと、13才の恋に別れを告げられるような気がします。新たな出会いに
なればそれはそれで楽しいものになるでしょう。




意識無意識に選ぶ自分の人生

2008-06-13 10:13:41 | Weblog
又、入院ですか?
最近、入院された方、そう、具合が悪かったその方の現状を認めなかった私は、
嫌われたみたいなのよ。お見舞いも行かなかったし、慰める・励ます言葉も吐
かなかったからね。だって、そういう状況を受け入れる人を、なんと弱い人か
って、私は思うのです。同情を買おうとするその弱い心を。

私は、お見舞いに来られたり、「大変だったでしょう?」って、声をかけられること
も嫌だったから、それって、すごい傲慢さって思うわ。だから、それを行くべし!見
舞わない人をどこかで差別って、本人も他者も。あ~~あ

あなたは、あなた自身を頼まないで、病気に負けて、その対処を他人(医者)に任せ
てるのよ、って私は言ったのよ。自分自身を頼むって、強い意志が必要。そして、そ
れを心から、ず~~~っと思い続ける、自分を信じる力を持ち続けなくては、
「ふ~ん、そんな程度?なら、これからも人生はあざなえる縄の如しの人生を歩むっ
きゃないわね。もう、知らない、他者に全てを任せて、自分の不幸を嘆いてたらいい
んじゃない?」
って。

お見舞いしたり、金品を包んだりって、考えようによっては失礼なことよねぇ。
何かって、すぐ金品よ。本当に、その人がそれを欲しいって望んでいて、初めて
モノを言う金品でしょう?
人によっては「知らない振り」がどれほど大切か?又、人の干渉を欲しがる人の心の
貧しさは、情けないし、気色悪いって、思う私よ。
大勢が是とする、(だから私もそうだと思う)価値観と違うから、優しく慰め・励み
の言葉をくれないから、嫌い!じっくり経過を聞いて欲しいって?
どんなに私が辛かったかを?・・・鏡に向かって言いなさい。顔をしかめて、苦しそ
うに訴える自分の顔を見て、・・・・・そこで、こんなことをしててはいけない!
って、気付けば、自分をコントロールできる何かを感じられる筈よ。
それでも、他者へ自分を委ねて、文句ばっかり垂れたいのなら
上等じゃあないって思うわ。そんなに自分を嫌いな人は、こちらから願い下げ。

不都合な場面に遭遇したり、取り込まれそうになったら、
「これはウソ!認めない!さっさと元にもどれ!」
これを心底から。
髪の毛の先ほどの疑いも持たず。これが肝要。そう思える人が自身のナビゲーター
になれる。
肉体のどんな不都合なことも乗り越えられるわ。数え切れないほどそれを乗り越え
てきた私の体験。 前にも書いたけれど、そんな個人的なことは他言しません。
全く関係ないことですから、真っ只中でそのことについて言いません。
私にとっての不都合は、他者にとっては無関係なことです。

先頃は、立ったり座ったり時の激痛に惑わされたわ。あまりの痛さに、瞬間、病院?
いえいえ、そんな自分に対して失礼なことはしません。信頼を裏切れません。
人を裏切ることが、万に一つあったとしても、自分を裏切ってはいけません。

入院せざるを得ない状況それ以外(それだって、意志の前では力はないのよ)で、
入退院を繰り返す人のことを、なんて弱い、自分を棄てた人、全て他者が幸せを
運んで来る筈、なんて思ってるとしか見えないおバカさんとは、縁切りです。
その不幸な話を聞く耳は持っていません。
いつもいつも楽しいことを思うようにしてます。眉根を寄せる話なんか、
             
         シッシッシッシシシ寄るでない!!!

漬ける

2008-06-12 10:09:46 | Weblog
毎年、この季節になるとラッキョウを漬けます。
毎年書き綴る高校生の私とラッキョウの話。
「エーッ、今年もまた~~?」
家の裏手に、軽く20キロ以上はあると思えるラッキョウが、大きな樽の水の中に
放り込まれて、ドドーンて、置かれているのを見るのは私。
西日が強くなりだす6月の中旬あたり。
バス停から、高校生ともなるとずっしり重たくなっているカバンを持って、
や~れやれ、誰もいない我が家へ。
「ただいま~」
「お帰りなさい」
の言葉は存在しません。母と二人の姉達は仕事(次姉は学校?)でいません。
お玄関の戸を開けようとする私の目が、捉えてしまいました、その大きな樽を。
毎度の事ながら、水につけたラッキョウは、一刻を争うほどの勢いで目を伸ばし
ます。文句を垂れている暇はありません。今、目の前で進行していることを止め
なければならないのです。
大急ぎで着替えて、包丁1本持って、椅子に替わりそうなものを樽の前に置いて、
俎板などは邪魔なだけ!左手にラッキョウ、右手に包丁で、さあ、開始です。
ラッキョウの髭根と上に伸びようとする部分をカットすることウン時間。
 真っ白な肌になった彼等(?)を、漬け込むのは母。それを眺める私。
これが、我が家の6月の行事でした。なぜか?姉達が居た(手伝った)という
記憶はありません。

あのあめ色になったラッキョウは、我が家の味でしたが、私はあの白肌が茶色く
なるのがもったいなく、今私が漬けるそれは、真っ白とは言えませんが、かすかに
黄色味を帯びていますが、歯ざわりを残した美味しいラッキョウ漬けです。これが
今や、我が家の味になったのです(お母さん、ごめんなさいね)。

そして、作っては消え、作っては消えしていた、(飲んだ記憶はない)リキュール。
梅・レモン・苺他は、どなたの喉を通過してたのでしょう。
子育て中は、飲酒など思いもしないことでした。
30才喫煙、40才飲酒って、15才の時に決めていたのですから(変な女の子)。
でも、3人の男児の育児中、ジャムをリキュールを、もちろんラッキョウ漬けを、
今では考えられないほど作りまくっていました。
合い間に、油絵を描いたり、編物をしたりって。用事は忙しい人に頼みなさい!
しかり、名言です。暇な人ほど「忙しくて」って、ウソをつきたがります。

そして、久し振りに梅酒を作りました。飲むのは秋以降です。
小ぶりの梅を洗って、一つずつ拭いて、めり込んだヘタを爪楊枝でほじり出し、
1ヶ所ブスって楊枝で穴を。そこから沁み込む焼酎で、シワシワにならずに美味しく
いただける梅です。
 輸入ではない、国産レモンを探しています。大量の消毒剤をまとったレモンは、
ちょっと遠慮です。ま、漬け込んでから1週間で引き上げるレモンですが、それでも、
できるだけ排除したい薬剤なのです。
果物屋さんを折々覗いてみましょう。
「アラッ、これで作ったら美味しいんじゃない!?」
って、果物に出会うかもしれませんから。
出来るだけ、手作りです。買えばいいじゃない!は、貧しい発想です。
世界で一つです。大量生産には、できるだけソッポを向くようにしています。

やっぱり、ありがとう!

2008-06-10 11:11:41 | Weblog
青空です。
お日様が輝いています。
暑くも寒くもありません。
木々の緑が、昨夜の雨のシャワーを浴びたせいで、しっとりと、それぞれの緑を
際立たせています。
風が、羽毛で撫でるように、緑たちの上を優しく渡っています。そよ風です。

客観的に言えば、美しいとは言いがたいご面相でも、世界にたった
一つの私の顔は、今朝もキチンと機能を果たしています。
見えます。
感動すると、涙も出ます。
どこからいい匂いが漂ってきています。初夏の匂いを嗅げます。
食べ物や飲み物を咀嚼する口、歯、飲み込む力があります。
懐かしい曲が流れているラジオの音も聞けます。あれは、カーペンターズの曲。

季節によって調節できるお布団があります。それを汚れから守るカバーもあります。
いつでもお湯が使えます。
ひねれば、好きなだけお水も使えます。
お風呂上りには、カラッと乾いたタオルの中から好きなそれを使えます。
ヘアブラシも櫛もあります。
歯ブラシもあります。

屈伸できる肘と膝が日々の動きをスムーズにしてくれます。
前かがみも、見返り美人(?)にもなれます。
前後左右、カメレオンのような機能はないけれど、人並みに自由に動かせる頭・
手足があります。

去年の秋、散歩途中で手にした、コスモスの種。
先頃パラパラと蒔いたそれから、細身の双葉が出てきました。
ビックリするほど育った、アロエべラの花は存在感があります。
巡り来る季節は、私に日々の贈り物を渡してくれます。持つことはできないのですが。

冷蔵庫の中には、私のために、ハム・ベーコン・ソーセージの燻製品が、いつでも
あります。
床下収納庫には、調味料他がいつでも用意されています。
それは、セニョール・ダンの心遣いです。
その中にあった昆布・乾燥椎茸・削りかつお節で、濃いおだしを作りました。
小分けにして冷凍です。 とっておきのおだしです。

いつでも、おなかいっぱい食べられます。
手足を伸ばして眠ることができます。
調節できる衣服を過不足なく持っています。
黒いフラット底の靴を買いました。サイズは22cmです。
安い値段でした。それでも、それを買えるお金を持っていたのです。
それも、セニョールのお陰です。

相変わらず、道路を横切る時に、迫り来る車はありません。
「ありがとうございます」
思わず口をついて出てきます、いつも。そう、いつもです。


どれも、これも、あらゆる身の回りにあるモノも出来事も、あって当たり前?
いいえ、どれも私が作れないものばかりです。ですから、感動に、鼻の奥が
ツーンとするのです。
ああ、なんてなんて幸せな私なのかしらって。 本当に、心から。

ですから、私には、いいことばっかりがやって来るのです。
正・美・喜・楽がつく言葉だけを選びます。
それ以外は排除です。関心も関りもこれっぽちも持ちません。

お日様の力で、大洗濯物が、カラッと乾きます。ありがとう!



マリーさんは?

2008-06-09 11:43:10 | Weblog
昨日、続いてポリーチャンからメール。
「ああ、そうでしたね。その質問に応えていませんでした。はい、女の人のような
名前ですが、男の人です」

♪(5番街のマリーのメロディで)スコットランドへ行ったなら~~(字余り
マリーのうちへ行き~~、どんな~暮らし~してい~るのか見てき~て欲しい~)♪

元・眼科医のその方は、引退後の今は”Health and Happiness"を著作中。
バイクで移動、毎日水泳、食事に気を遣う、という73才ですって。
60才あたりから、大きく様変わりする。
健康管理に気を遣う人と、ほったらかし、自然のままにって人とに。

美容院へ向かう途中。1駅歩いて、もちろん自宅からですから、結構な距離です。
30~40代は、どこへ行くのも車・車・車でした。
馬専科(三男)に、よく言われたものです、
「気がつけば車椅子!になっちゃうよ」
って。
何しろ、自他共に認める怠け者の私ですから、即座に
「そんなことはない!」
って言えなかったものです。

この9月で8年になるクモ膜下出血による手術から。
術後、しばらく雲の上を歩いているような心もとない歩行でした。
それでも、2年後のドクターの言葉は「もう、何をしてもよろしい!」でした。
スクーバダイビングも、もちろん車の運転もです。
そして、私はできるだけ自分の足で目的地まで歩くことにしました。1駅は必ず
歩きます。手入れの行き届いたお庭に感心します。歩かなければわからない、
見過ごしてしまう様々な風景に出会う嬉しさがあります。
けれども、元々怠け者の私ですから、できるだけ家内をしています。ハッキリ・
クッキリした目的があって、やっとお神輿を上げる体たらくですから、久し振りの
徒歩移動は、ちょっとくたびれました。
そのまま美容院へは行かず、ちょっと寄り道は「春風書房」古本屋。
オ-ナーは、ブラジル生活経験者の同い年女性。
とりとめもない話をして、
「知的好奇心は、脳みその刺激になるしボケ防止かもしれないけれど、その前に
身体が言う事を聞かなくなったら、お手上げよね?」
お母様の面倒を見ながらの経営者は、しみじみとそうおっしゃるのです。
そう、その通り!
誰かのお世話になって、人生の幕引きは行われます。それまで、自分に甘えないで、
とりもなおさず、他者へ依存しないで、日々を過ごさなくてはならないって、心底
思います。
医療費が?  ・・・・・・ 誰が医者にかかっていい!って?・・・

最近の私、・・・これは?・・痛い!イタッ!ウッ!ウォーこの痛さ~~~
しゃがむ時の痛さ。立ち上がる時の激痛。何かにつかまらなければ立ち上がれない
のです。だから?それで?・・・・・もちろん誰にも言いません。
自分の不都合、不具合を、当たり前の事のように他者へ言うって、どういう神経?
いつも そう思ってきました。なんて、独り善がりの、他者への配慮を欠いた、
私をいたわるべき、助けるべし、可哀想がるべし、それが当たり前。なぜなら、
今の私は弱者なのだから。--------恐るべき傲慢。
弱者救済って言葉も大嫌いです。そこには自助努力、自身を頼まない怠慢さが
見え隠れするからです。
「アッチがコッチが痛い・具合が悪い・不快・辛い」など等。
それを、しかも、世の中で一番大切な家族へ言い散らして、次は友人・知人、
近所の人たちに、垂れ流す。
で?・・・その状況が好きだからでしょう? 人の事なんか、それを聞いた人が
どんなに不愉快か、自分の非力を認めなくてはならない辛さを味わわせている
なんて、毛ほども思わない、想像力の欠落人。

私自身は、そんな最低人間にはなりたくありませんし、自身を頼まなくて誰を
頼むの?って常々思っていますから、その激痛に対して、
「今度はこれ? 懲りずに色々と手を変え品を変えで迫ってくるわねぇ。だけど、
それに泣き言を言うなんて、思っちゃあいないでしょうね。病院へ行く?
まあ、正直に言えば、チラッと思わなかった訳じゃあないわ。エッヘン!で、ね、
ふざけるんじゃない!何をトチ狂ってるのよ、さっさと元通りになりなさい!」
そうねえ、軽く1週間は闘ったわね、痛さと。
   今? エッ、何かあった?・・・・・・・よ。
家人にも、そぶりも見せなかったわよ。そんな権利はない!からです。
何事も、ホットなうちは素知らぬ振りが肝要。
ある、物語くらいまで冷めてから、----実は・・・・・がいいのです。

誰も自分以外の人の主人公にはなれないのですから、心身ともに責任を持つのは
本人だけです。
「頼みはあなた(自分自身)だけって事、しっかり覚えるのよ!わかった?
誰も助けてはくれないって肝に銘じてね!」
ええ、ちゃんと自分を支えます。そこまで頼られたら、ほかでもない自分自身の事
ですから、見事な働きをしてくれます。
「ああ、やっぱり私って凄い!ありがとうね、嬉しいわ」
あらん限りの賛辞を我が身に与えます。
お笑いになられます?だとしたら、ご自分の事をお好きではないって事です。
シクシク泣いていますご自身が。もしかして、誰それと、何々と、なんて比較
なんかしてません?最低なことですよ。個々人は、比較する存在ではないのです。
私は私、あなたはあなた、これ以上でも以下でもないのです。

73才のイギリス男性は、頼みは自分自身ってことをようくご存知の方なのでしょう。
孫のような年令差のあるポリーちゃんへ、大きなお住まいの1室を提供して、
瞬時の判断を要求されるバイクに乗って、持久力を必要とする水泳で、筋肉を刺激、
脳みそをフル回転させて、著作作業。こういう人に出会う(聞く)と、ああ、自分
自身を大事にしている人なんだって、なに人であろうと、そういう人の存在が
嬉しいわね。ご自身が著作されるのですから、ポリーちゃんにとって、またとない
理解者が現れたってことで、それが何より嬉しいのです。
まあ、イギリス人の独立独歩精神は、あの石の堅牢建築物にも滲み出ているわね。
依存?そんな言葉は存在しませんって感じのね。