夏の帰省は、北海道日高にある競走馬生産牧場にいる馬専科、我が家の三男。
帰省するいつもの利用最終フライトは、東京を襲った豪雨と落雷で欠航。
駐車場へ預けていた車の中で一夜を過ごし翌朝始発便で帰省。だったそうな。
帰ったその晩、彼と話す、まあ、聞き役だった時間は数時間。
「あ~、すっきりした~~~」
男の子ということもあるし、彼の環境からすれば、とりとめもなく話すなど
ない日々です。
時折、彼らがまだ若い頃、どの子とも、何て言うこともないお喋りをしてきた
ものです。それは数時間に及び、グラスを傾けたりはかなり大人になってから。
未成年の頃には、ただ何となく。私の「感」がその時間を設けたものでした。
今、この子は何かを吐き出したいのだって、感じた時は、その何かなどはどう
でもいいのです。とりとめもない時間を親は子どもと共有しなければいけない
って、子どもが何かを、抽象的なものであるかもしれないけれど、吐き出した
い、そのままを受け止めて欲しいって。彼らにも具体的なものを持っていると
は限らないし、そこには触れてはいけないって、心に留めながら、数時間を、
明け方までも、喋ったものです。
ググッと身体が大きくなって、3000gあったかどうかの子どもが、母の
知らない所で大きく大きく育っています。骨組みも大きくなることを彼の
体躯で知ります。
「俺はすっごい感情人間だから、いつも理性的であろうと思ってるんだよ」
この母は、彼が感情的になったところは2度見ただけです。
いい子で過ごす彼を、このまま側に置いていてはいけないと、彼の希望の地
中国へ留学させたものでした。
牧場へ行って2年目に、泣きが入りました辞めたいと。
20枚からの便箋に、
男の子が1度決めたことを、グダグダ言って辞めるなんて、母は情けないって。
都会に帰って来るなんて、人が人らしく生きられない場所に帰るなんて、あな
たはきっと息が出来なくなるわって。
そして、10年が過ぎました。
古本も入れて、30冊以上の本を買ったそうです。
それに母の伝統コロッケを持って、彼は北国に戻っていきました。
ニートになりたいっていう彼は、本に埋もれて暮らしたいそうな。私と同じ。
「人は環境によって作られるんだよ。あなたが権威に頼るな、自分で考えな
さいって、言ってたでしょう?感謝してるよ」
「それは、当たり前の事じゃない?でも、ありがとうそう言ってもらえて」
生きるのには、人の気配がするって大事、から、
「そうねえ、皆が住める大きな大きな家を作りましょうか」
「お願いするよ」
「一生お金のことを考えないで過ごすにはいくらぐらい要る?」
「そうだねえ、俺だったら3億くらいかな」
見たこともないけれど、お金の話は嫌いだし(1億円以下の話はしないでっ
て前に言った事があったわ友人に)、なんだか実現しそうな、全く裏づけの
ない無責任、夢見たいな話だけど、昔から日本では「願う事は叶う事」って。
望みましょう、実現を思って。
そんな息子達との関りを持ってきた私です。この世に送り出した者の彼らへの
愛と断言できます。
そんな私が少し憂うつなのです。
我が家の前に国有地があります。ここのところ数人弱の子ども達がちょこ
ちょこそこで飲み食い。大声でお喋り。散らかしっぱなしでいずこかへ。
この度、それに爆竹が加わって、思案しました。
何事も、腹をくくらなければいけません。
おもむろに、出向きます。
「この前ゴミを散らかしっぱなしで帰ったでしょう?」
「俺達初めてですよ」
「わかった。じゃ、片付けなさい。ここは立ち入り禁止」
グダグダ言う彼等。
女の子が1人。
「アッ、こいつは俺の女」
「100年早い!」って私。
中学生が、俺の女だって?バカ言うんじゃない!取り敢えず10年早い!
ちょっとからかって(相手をして)、「帰んなさい!」
携帯電話の受信コール。
「今、お巡りさんを呼んで来てもらってるのです。あの子達がまだいるの
ですよ」
「私が行った方がいい?」
「出来ましたら」
「わかったわ」
「何、まだいたの?何やってるのよ!」
お巡りさんの事情聴取なんて知っちゃいない。邪魔はしないけれど。
悲しいのです。中学生がつるんで少々いたずらしてる、うるさい、もしか
して、この子達が自転車を取ったのかも知れないから警察へ電話って。
目の前から、ジャマなものが消えればいい!
ウチが平安であればいい!
悪い子達はドンドン補導すればいい!
そんな大人が腐った社会を作っているのです。腐った社会で子ども達は
その作り手たちにここに住むな!って。
彼等はどこで息をすればいいのでしょう、もちろん親に責任の大半があります。
被害者なのです子ども達は。
甘やかしてはいけません。毅然とした態度が必要なのです。仕返しされるから
怖い。直接は関らないで、権威を引っ張ってくる?その大人に彼等は絶望する
のです。尊敬できる大人はいない。なら、大人の快楽を味わおうではないか!
俺の女よ!
「あなたにとって、あなた以上の存在はないのよ!自分を好きにならないで
誰を好きになるの?人の真似なんかするんじゃないのよ。眉毛をそるな!
心の中の本当の自分を裏切っちゃいけないのよ!」
お巡りさんが引き上げました。だから? 子ども達はどうするでしょう。
「ヤバかったよな。うるせ~ババァだよ」
そんなところでしょう。
女の子が何かを探しに戻ってきました。見つからず、去っていく後姿に
「お友達よ~~私は~。又あいましょうね~!」
って、声をかけました。そして、警察に電話を入れた近所のママに
「次、何かあったら警察に電話をしないで、私に言って」
情けなくて、泣いてしまいました。たかだか14~5才の子どもを説得する
ことも出来ない大人達。怒鳴るか、権威を呼ぶかなんて。大人なんて言えない
でしょう。そんなつまらない大人ばっかりが彼等を取り巻いているそれが今の
日本なのかも知れません。悲しい、情けない、恥ずかしい、・・・・・
誰も受け止めてあげない。誰も道先案内人になってあげない。
だって、ウチの子じゃないもの? そんな親という大人の姿を、生き方を、
我が子も見ていることに気付かないとしたら、・・・・・絶句です。
いつか又会うことがあったら、このオバサンはジックリ相手をしてあげましょう。
信じるのは自分だって、教えてあげるわ。
泣いて目がさめました。夢の中で泣いていました。
無力な自分を嘆いていました。苦しんでいる子ども達に泣いていました。
大丈夫!あなたを救うのはあなた自身なのよ、大丈夫って泣きながら言って
ました。
子どもは私たちの未来なのです。未来を阻害してはいけません。
彼等が、青春の重い扉を開ける時、向こうに見えるものが肉体の快楽だけで
はないものがあることを知らしめなくてはならないって、心から思います。
そう、全ての大人達がくぐってきた青春の門なのですから。