ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

子ども達は・・・・・・

2008-08-30 23:32:47 | Weblog

夏の帰省は、北海道日高にある競走馬生産牧場にいる馬専科、我が家の三男。
帰省するいつもの利用最終フライトは、東京を襲った豪雨と落雷で欠航。
駐車場へ預けていた車の中で一夜を過ごし翌朝始発便で帰省。だったそうな。

帰ったその晩、彼と話す、まあ、聞き役だった時間は数時間。
「あ~、すっきりした~~~」
男の子ということもあるし、彼の環境からすれば、とりとめもなく話すなど
ない日々です。

時折、彼らがまだ若い頃、どの子とも、何て言うこともないお喋りをしてきた
ものです。それは数時間に及び、グラスを傾けたりはかなり大人になってから。
未成年の頃には、ただ何となく。私の「感」がその時間を設けたものでした。
今、この子は何かを吐き出したいのだって、感じた時は、その何かなどはどう
でもいいのです。とりとめもない時間を親は子どもと共有しなければいけない
って、子どもが何かを、抽象的なものであるかもしれないけれど、吐き出した
い、そのままを受け止めて欲しいって。彼らにも具体的なものを持っていると
は限らないし、そこには触れてはいけないって、心に留めながら、数時間を、
明け方までも、喋ったものです。

ググッと身体が大きくなって、3000gあったかどうかの子どもが、母の
知らない所で大きく大きく育っています。骨組みも大きくなることを彼の
体躯で知ります。

「俺はすっごい感情人間だから、いつも理性的であろうと思ってるんだよ」
この母は、彼が感情的になったところは2度見ただけです。
いい子で過ごす彼を、このまま側に置いていてはいけないと、彼の希望の地
中国へ留学させたものでした。
牧場へ行って2年目に、泣きが入りました辞めたいと。
20枚からの便箋に、
男の子が1度決めたことを、グダグダ言って辞めるなんて、母は情けないって。
都会に帰って来るなんて、人が人らしく生きられない場所に帰るなんて、あな
たはきっと息が出来なくなるわって。
そして、10年が過ぎました。

古本も入れて、30冊以上の本を買ったそうです。
それに母の伝統コロッケを持って、彼は北国に戻っていきました。
ニートになりたいっていう彼は、本に埋もれて暮らしたいそうな。私と同じ。
「人は環境によって作られるんだよ。あなたが権威に頼るな、自分で考えな
さいって、言ってたでしょう?感謝してるよ」
「それは、当たり前の事じゃない?でも、ありがとうそう言ってもらえて」

生きるのには、人の気配がするって大事、から、
「そうねえ、皆が住める大きな大きな家を作りましょうか」
「お願いするよ」
「一生お金のことを考えないで過ごすにはいくらぐらい要る?」
「そうだねえ、俺だったら3億くらいかな」
見たこともないけれど、お金の話は嫌いだし(1億円以下の話はしないでっ
て前に言った事があったわ友人に)、なんだか実現しそうな、全く裏づけの
ない無責任、夢見たいな話だけど、昔から日本では「願う事は叶う事」って。
望みましょう、実現を思って。

そんな息子達との関りを持ってきた私です。この世に送り出した者の彼らへの
愛と断言できます。
そんな私が少し憂うつなのです。
我が家の前に国有地があります。ここのところ数人弱の子ども達がちょこ
ちょこそこで飲み食い。大声でお喋り。散らかしっぱなしでいずこかへ。
この度、それに爆竹が加わって、思案しました。
何事も、腹をくくらなければいけません。
おもむろに、出向きます。
「この前ゴミを散らかしっぱなしで帰ったでしょう?」
「俺達初めてですよ」
「わかった。じゃ、片付けなさい。ここは立ち入り禁止」
グダグダ言う彼等。
女の子が1人。
「アッ、こいつは俺の女」
「100年早い!」って私。
中学生が、俺の女だって?バカ言うんじゃない!取り敢えず10年早い!
ちょっとからかって(相手をして)、「帰んなさい!」

携帯電話の受信コール。
「今、お巡りさんを呼んで来てもらってるのです。あの子達がまだいるの
ですよ」
「私が行った方がいい?」
「出来ましたら」
「わかったわ」

「何、まだいたの?何やってるのよ!」
お巡りさんの事情聴取なんて知っちゃいない。邪魔はしないけれど。
悲しいのです。中学生がつるんで少々いたずらしてる、うるさい、もしか
して、この子達が自転車を取ったのかも知れないから警察へ電話って。
目の前から、ジャマなものが消えればいい!
ウチが平安であればいい!
悪い子達はドンドン補導すればいい!

そんな大人が腐った社会を作っているのです。腐った社会で子ども達は
その作り手たちにここに住むな!って。
彼等はどこで息をすればいいのでしょう、もちろん親に責任の大半があります。
被害者なのです子ども達は。
甘やかしてはいけません。毅然とした態度が必要なのです。仕返しされるから
怖い。直接は関らないで、権威を引っ張ってくる?その大人に彼等は絶望する
のです。尊敬できる大人はいない。なら、大人の快楽を味わおうではないか!
俺の女よ!

「あなたにとって、あなた以上の存在はないのよ!自分を好きにならないで
誰を好きになるの?人の真似なんかするんじゃないのよ。眉毛をそるな!
心の中の本当の自分を裏切っちゃいけないのよ!」

お巡りさんが引き上げました。だから? 子ども達はどうするでしょう。
「ヤバかったよな。うるせ~ババァだよ」
そんなところでしょう。
女の子が何かを探しに戻ってきました。見つからず、去っていく後姿に
「お友達よ~~私は~。又あいましょうね~!」
って、声をかけました。そして、警察に電話を入れた近所のママに
「次、何かあったら警察に電話をしないで、私に言って」

情けなくて、泣いてしまいました。たかだか14~5才の子どもを説得する
ことも出来ない大人達。怒鳴るか、権威を呼ぶかなんて。大人なんて言えない
でしょう。そんなつまらない大人ばっかりが彼等を取り巻いているそれが今の
日本なのかも知れません。悲しい、情けない、恥ずかしい、・・・・・

誰も受け止めてあげない。誰も道先案内人になってあげない。
だって、ウチの子じゃないもの? そんな親という大人の姿を、生き方を、
我が子も見ていることに気付かないとしたら、・・・・・絶句です。

いつか又会うことがあったら、このオバサンはジックリ相手をしてあげましょう。
信じるのは自分だって、教えてあげるわ。
泣いて目がさめました。夢の中で泣いていました。
無力な自分を嘆いていました。苦しんでいる子ども達に泣いていました。
大丈夫!あなたを救うのはあなた自身なのよ、大丈夫って泣きながら言って
ました。

子どもは私たちの未来なのです。未来を阻害してはいけません。
彼等が、青春の重い扉を開ける時、向こうに見えるものが肉体の快楽だけで
はないものがあることを知らしめなくてはならないって、心から思います。
そう、全ての大人達がくぐってきた青春の門なのですから。

結婚は免許制に?

2008-08-22 10:52:54 | Weblog
元・義理の兄死去の電話が、今・義理の兄から入って、感慨深いものがあり
ました。元・義兄に会ったのは、姪(彼の長女)の結婚式が最後だったから、
もうかなり昔の話です。
若い頃は、家も近くで、お互いに、子ども達を我が子と一緒くたに見たり。
かなり偏食の、彼の食生活を目の当たりにしたものです。キュウリが食卓に
上るだけでも嫌な顔をしていた野菜嫌い。けれど、持病はなし。
 親戚でも会わない人はいっぱいですから、元・親戚に会う機会はありません
でした。
業界で、知らない人は居ないという姪の仕事振りです。
彼女は前日、父親に仕事の嬉しい報告をしていたそうです。そして翌朝、
帰らぬ人になってしまった報告を受けたそうで、その衝撃はいかばかりかと、
察するに余りあるものがあります。再婚相手は、子どももない、突然の夫と
の別れにうろたえたそうです。当たり前ですね。前の晩まで元気でいた人で
したから。

「オイ、レイコ。俺だ」
って、電話でねいつも。
「俺って?ああ砂漠さんね」
男は「俺」、女は「あたし」って。身の回りのおれとあたしがどれほどいるか。
けれども水分の少ない声は、その中でも聞き分けられる独特な声でした。
今は懐かしい思い出です。

空を仰いで、
「やっちゃったわねぇ。ウン、見事な身の引き方かも知れない。あっちで
 お母さんにでも会ってあげて」
って言ってしまいました。享年69才。この10月で確か「古希」だった筈。
まあ、現代にいたっては、「古来より稀なリ」っていう年令じゃあない70才
ですから、早いって言えば早い永遠の旅行への出立だけど。
「死んでも元気でいられますように!」風、不健康な健康志向の現代の中、
今・義兄からの報告に、思わず「やったわね!」って言ってしまったのです。

先頃の激痛(心筋梗塞発作)に見舞われた私は、私の意志ひとつで追い払い
ました。「消えろ!」って。
 肉体の自己コントロールは出来ます。けれども、死に対しては、特別な関心
はありません。私の肉体コントロール力がなくなった時に生涯が終わる。それ
でいいじゃないって。医者にかかるつもりは皆無です、今のところ。

セニョール・ダンが義兄弟へ電話をかけながら言います。
「いいよなあ、彼みたいに死ねたらもう、今でもいいよ」
って。そう、セニョールも、生物としての役目を果たしたそれなりの達成感を
私同様持っているってことね。ですから、まあ、お若いのにって、もったいな
かったねえ、まだまだ若いじゃない等など。そんな陳腐な言葉は吐きません。
人は、なんて無意味な発言をしながら生きながらえるのでしょう。
ですから元・義兄の死に、そんな垢まみれの言葉は吐きません、思いも寄ら
ぬことです。意味のない、無重力な言葉は要らないって思います。
「キヨシさん、又ね!あっちで会おう」
で、おしまいです。それだって、全て心の(脳内の)出来事です。

娘2人は父親の死に、彼女達の対処をするのです。でも、寂しい別れです。

「結婚ってさ、僕はこう思うんだけど、10年は離婚は認めない。
 あとは、毎年意志があるか否かで、更新するって。どう?」
「免許更新と同じ?」
「そうだよ。こんな世の中で、離婚が日常的までは言わないけれど、様変わり
 した男女の関係でしょう?考えてもいいって思わない?」
「それは、グッドアイデアだわ。心変わりは常だしね。でもさ、制度の前に
 子ども達がどれほど傷ついて生きていかなきゃならないか、そっちが基よ」

言い訳はいけません。そして、無意識の意趣返しが始まるのです。
「どうせ、親だってやってきたことじゃない!偉そうなこと言える?」
同じ轍を踏むのです。満たされない心は、やっぱり自分が露骨に最優先なので
す。私個人としては、離婚経験者を、子どもの心をずたずたにして、言い訳を
しながら生きる人を尊敬しませんし、人を踏みつけて自分の幸せを掴もうとす
る人を軽蔑するのです。シッシッシシ近寄るでない!ってね。

ウン、更新?結婚も免許制度?いいかも知れない。
はなからそういうものだって決まってたら、毎年更新で、引き締まるかも知れ
ないわね、気持ちが。この人と今年度も頑張れるか?愛していけるか?

 でも、なんだかねえ~。もっとピュアな関係で、いえ、自身の生き方を子ど
ものような心で、真っ直ぐ世の中をみたいものです。損得じゃなく、有利不利
じゃなく、取引じゃなく、相対評価じゃなく、まっすぐこの人を愛した、を、
死ぬまで貫くって、それこそ自分を好きな人、人を大事に思える人しかできな
いことですし、それが何よりも大事で、多くの人に欠けている最重要事項です。

流行を取り入れるって、その分量だけ自分を捨てることです。嫌っているとい
うことです。そんな失礼なことを自身にしてはいけないのです。
「あのね~、そんな流行遅れでどうするの?」
「ウン、私はバカじゃない。だって、世界で一番好きな私を他人と同じになん
て、そんな失礼なことは出来ないのよ。私は私以外の何者でもないからね」

街娼のような格好の女の子。眉毛をそった男の子。ズボンを囚人スタイルで。
あ~~~イヤだ!薄汚い髭を生やしてイチロー?中身は真似ないの?
「表現の自由」って言葉をスペードのAみたいにちらつかせるけれど、
暗黙の内に下品にします、下品が大好きですっていってることに気付かない。
意識してなら確信犯よ。
高貴・高尚・上品・思慮深く・節度など等の言葉からも、いくらでも紡げる
表現でしょうに!世間を薄汚くしていくバカ垂れ達、被害者は子ども。
考えることを、誰かに委ねた所から腐敗が始まる。
自分を捨てた人は文句垂れです。気色の悪い生き物に成り下がります。
「~~が言ってた」って?そんなことはどうでもいいのよ。自分は、自分が、
どう思い、行動するか、したか、でしょう?

電話をくれた今・義兄に、
「中国行かない?やっとお神輿を上げようかと思ってね。中国語も少しわかっ
てきたし。ついでにモンゴルも行きたいのよ」
「モンゴルを味わいたいなら、中国自治区の内モンゴルだけでも充分味わえる
よ」
「う~ん、やっぱり7月のナーダムにするかなあ。チンギスハーンの蒙古へ
行きたいのよ。ところで、月2回レッスンで、発音の難しさだけはよーくわか
ったんだけど、通じるかなあ?」
「あのね、中国人が何人いると思う?13億人。その人たちがみんな同じ、正
しい中国語をしゃべってるなんて思う?みんなそれぞれ13億分の1で話して
るんだよ。レイコサンもその1人ってことだよ」

なんて説得力のある話し方でしょう!そうなのね?そうなのよね!
なら、いつもの「当たって砕けろ!相手は猛獣じゃない、人なんだから」で
いけるじゃない。
相手をその気にさせない一方的話術で、自分の説得力のなさは棚に上げて、
「ホントにわかんないんだから~!」って人が多いでしょう?
その点は、今・義兄日本生まれの中国人は、忍耐強く(姉と生活を共にする
ことで実証済み)、言葉の出し惜しみはしない穏やかな人物です。
ありがとう!なんて素敵な贈り物でしょう。私もアナさんへそう言うわ。
あなたはあなたの日本語を話せばいいのよってね。謝謝!

世界一周を

2008-08-21 11:45:59 | Weblog
「お久し振り~~」(合)
「ハイ。ピクルス、缶詰パン、ランチョンマット5枚そしてパプリカの苗。
お荷物だけど、それぞれに曰くありの品なのよ。ピクルスはお約束ね。缶
詰パンは、特許を取っている万一用パン。美味しいわよう。ランチョンマ
ットはプレゼント用に、花屋をやってる頃大量買付けしていたもので、
そうだこれもってね。
パプリカは、去年の種からの苗よ。今年も、これはって思うお野菜の種は袋に
入れて来年用に保存よ。ホラッ小さな蕾はピーマンじゃないでしょ?ころっと
まあるい形のパプリカでしょ?」
「あら~ホント。可愛いわねぇ」
「色づくまでかなり日数がかかるのよ。だからかしら?パプリカって高いのよ
ね。癖もなく、彩りはいいし、是非作りたい一品って思うのよ。アッ、綿の実
はまだ、小さいから、大きくなってはじけたら上げるわね。白い綿の中に種が
入っているのよ。その内に次々に収穫して、種は毎年蒔いて、いずれお望みの
コットン・フィールドでも作るのは夢じゃない!って」
って、説明付き紙袋を彼女の手に。

ご両親(実父&義母)の話。お子さんの話。
「同じスペイン語を話す人々でも、なんとなくスペイン人と中南米人には大き
な違いを感じるけど、あなたはどうお?」
って、私。
「そうねえ、なんか違うわね」
「そう、違って当たり前だけど、征服者と被征服者の違いかしらね?だから、
無理して訳すみたいな VOSOTROS:君達・お前達みたいな、あの人称は中南米で
は言わないって言うじゃない。常にUSTEDES:あなた様方って征服者に言わされ
て来た彼等なのよ。だから、な~んかその悲しさを感じるわね。

「横浜・スペイン協会」で、初めて習うスペイン人によるスペイン語に、彼女
もグンと上のクラスに通うことになって、そこで感じるスペイン人先生から
受ける印象と、今まで関ってきた中南米人達との違いの話です。
彼女が大学生20才の時のバスでヨーロッパ一周旅行の思い出は捨てがたいって。
その後、ご主人のお仕事の関係で10年近く住んだ南米は3ヶ国。
その彼女の夢は、世界一周旅行ですって。お嬢ちゃんが高校卒業したら、GO!
「英語とスペイン語がお出来になるのですもの。問題は何もないわね。私の度胸
&毅然だけの旅と違って」
「2人で行けたら面白いわね~」
「あと2年半は無理でしょう、お嬢さんが卒業するまで。ところで、パスポート
書き換えって、謄本か抄本って要るんだったっけ?」
「エッどこか行くの?イギリス?」
「ううん、前からず~っと招かれていた中国、北京へ行こうと思ってね。去年、
イギリスへ行った時、帰国したらすぐ書き換えしなくっちゃって思ってたのに、
忘れててね。ああやっぱり要るのね。ありがとう。
住民票は要らない横浜市民ね。住記ネットありだから。なんせ、10年も経っ
たら、前はどうだったかしらよ。又写真添付。
おぞましいわよ、10年毎のパスポート写真て。最近は特に、自分の顔を見た
くないのよねぇ。でも、まあ取り敢えず10年で作るわ」
「私、エジプトへ行ってピラミッドを見たいのよ」
って、彼女は。
「ちょっと、遠慮したい所よ、砂漠は。だって、乾燥地帯じゃない?生きなが
ら乾燥ミイラになりそうですもの」
「アフリカ北部も惹かれるわねえ」
「モロッコとか、アルジェリアとか?私の友人が、ヨーロッパへはよくお出掛
けなのよ。その彼女が、はまってしまったって。アラビア語をお勉強しだした
りなんて」
世界旅行の話に盛り上がって。
そこへ、
メール受信音。
「アラ、アナさんからだわ。見て見て」
彼女もアナさんへ日本語を教えてあげてもいいって、面接済みの間柄。
「これに返事していい?」
「いいわよ。彼女はビックリするでしょうねえ。なんであなたが返信してくる
のかしらって」
アナさんへ、私が出来ない学校のことなどの資料をあげるわねって。
アナさんは2人の専属日本語教師持ちよ。

私・漢字教師(笑)は、いつまでもカナばかりのメールはダメよって言って
あります。間違っても挑戦しなさいって。
夜、改めて送られてきたメールは、形容詞も入れた漢字入り文章で、私の役目
もそう長くはないかも知れないって思う、日本語文でした。 Muy bien !

宝くじの話から、スイス銀行へ。

私 :「ケイマン諸島だったっけ?ホラ、税金はかからない、世界中のお金持ち
    が企業も個人も預金してるって」
彼女:「最近どこかで聞いたような気がするわ」

話はグローバル。こうこなくっちゃ!卑近な話ばっかりってつまんない!

私 :「どうせなら、世界旅行で、各都市の銀行へ口座を開くってのはどう?」
彼女:「いいわねえ!」
私 :「やっぱりルピーを蓋が閉まらないほど欲しいんだけど、国外持ち出しっ
    て出来ないらしいわね」
彼女:「なんでルピーなの?」
私 :「なんでかなあ。宝石のルビーじゃなくね。去年くらいからそう思い込
    んでるのよ。それからルーブルも。北京に行ったら中国に口座を開い
    てくるつもりなのよ。な~~んてことない、これから世界をリードす
    るかも知れない国の貨幣ってことじゃないねえ。日々は感謝して暮ら
    していて、な~んにも不足不平はないのよ。だから、だからって可笑
    しい?でも、だからトランクいっぱいのルビーが欲しいのよ」
って、相変わらずの脈絡のない私の話。ド・デカ~~~イ話よ。硬貨は換金でき
ない外国のお金です。引き出しに眠っている硬貨は、ユニセフへ寄付が出来ます。
でも、訪れた国に口座を持つって、考えたこともないでしょう?
また、来られますように!って思いを込めて、口座を開くなんてカッコいい!
って、私目は思うのです。大体が人と同じ事なんて極力したくない女ですから、
スコットランドに今は住むポリーチャンへ会いに行きます(と思っています)。
その時も、未だユーロへ移行しないポンドのイギリスですので、ポンドで口座を
開くわ。エッ幾らぐらい?ああた、それが下品と言うことですよ。聞かぬが華!

因みに「的」を若者(バカモノ)達が粋がって遣ってるけれど、あ~~あ、
あれは「~の」の意味ですよ。発音は「ダとドの中間」。日本語の意味ではない
のよ。「中国的~」は、「中国の~」です。「我的~」=「私の~」
時代は「流れ者とばか者がつくる」って、本当に、しかり名言!です。ハハハ・・

不思議な縁は・・・

2008-08-20 09:19:49 | Weblog

今年は、しょっぱなから東欧との、否 チェコスロバキア、今のチェコとの
不思議なつながりを感じるのです。
1968年のドプチェク率いる民主化運動に、マルクス・レーニンを神のよ
うにあがめる権力・帝国主義(そうです)のワルシャワ条約機構に属する国々、
もちろん率いるは、ソ連。1夜にして侵攻占拠、そして潰した「プラハの春」
の苦々しい記念日に当たる今日8月20日です。
時、同じくして同じような感覚を今尚持っているロシアのグルジア侵攻。

「存在の耐えられない軽さ」の著者クンデラも、プラハの春その中にいた1人。
その本に出会って(遅い!)、かなりな衝撃を受けたのが早春の事でした。
久し振りの旧友から勧められた「プラハの春」春江一也。そこへ今回のグルジ
アへのロシアの軍事介入。

このブログは、極力、流行・時事問題には触れないようにしています。です
から今回の事でも蚊帳の外で、中に背を向けてだったのですが、何やら不思議
な縁を感じて、しかも、もう歴史上の出来事になりつつあるプラハの春。
それが、東洋の島国に住む1人の女の何かを揺さぶるなんてね。あくまでも
個人的出来事、しかも脳内の話なのですが、この世に偶然なんてない事を思え
ば、何のサイン?って思うのです。

至近な話を一つ。
あるメーカーのBB(ブルーベリー)ジャムが気に入って、けれども営業力が
ないそのメーカーなのか、見た!消えた!なかなか腰の落ち着かないそれ。
子ども達が食べ盛りの頃、よく行っていた駅反対側のあるスーパーで、
ありました。先頃通りかかって寄った懐かしいスーパー。1キロ入りの梅干を
手にしてレジへ向かう途中で「ン あれ?」そうでした。私が探していたジャ
ムがあるじゃあありませんか!ガラス瓶に入ったそれは重くて、近いうちにで、
そして、昨日。
中身400g1ビンの重さ650gを6個買ってきました。
昨日のお散歩は早朝5時過ぎ。加えること午前最後の徒歩は、ずっしり重い
買出しで締めて、フ~~、疲れた~~~。
何しろ、アラッ?もう消えたわっていうBBジャムです、そのメーカーの。
どれほどのメーカーのそれを味わってきたことでしょう。その中で、一番
甘味と酸味が私の舌にフィットでしたから、久し振りに再会したそれを買う
こと、半ダースです。これで来年までBBジャムを買いに出歩くこともないっ
てことですから、疲れたけれど、嬉しかったですねぇ。幸せ~~~~!

今日は、久し振りにワカコサンとおしゃべりタイムを持ちます。
8月は、ボランティアのスペイン語通訳のお仕事(って、変ですが)もない
のよって、お聞きしてましたから、彼女にあげるつもりで別ビンに詰めていた
ピクルスをお持ちしようって思っています。
BBジャムだって、イチゴほどの手ごろな価格で買えれば、もちろん自家製ジャム
を作りたいのですが、そこまでポピュラーじゃないべリーですから、ン?
庭をBB畑にしちゃえばいい!・・・とはならないわね。お花達も植えたいし、
バラとブルーベリーじゃ、土のPHは逆だから、・・・・・やっぱり無理だわね。

でも、今はすっごく幸せ気分。
毎夜・毎夜、ウルタド・アナ夫妻にメールで日本語レッスンもして。ビシバシと、
やっぱりスタイルだけのお勉強とは違う辛口俄か日本語教師をやってます。
彼女のやる気をテストしてます。形容詞を使った短文宿題も出して。
ジャンジャン雨霰(あられ)で日本語浸けにします。
追い込む、追い込まれるって初期は必要なのです。興味を持てるように、あの手
この手で迫ります。私流授業法です。

「お母さん、遅くなっちゃったけど、今から読むわ。よく聞いててね」
テレビは消音にして、好きもの光(太田じゃない!)ちゃんの色恋話の続きを、
臨場感タップリに、読みます。しかし、あれじゃあ、六条の御息所が生霊にな
って悩ますって、わからなくもない源氏の君です。



つまんないじゃない

2008-08-18 13:01:09 | Weblog
あの激痛話から、花友と話すこと。
「お医者さんへは行かないの?」
「ええ、そんな自分を冒涜することなんてしないわ」
「エエ~~~ッ、大丈夫なの~?」
「なんで?持ち主が大丈夫って思うんだから、身体の方も頑張らなくっちゃ
って思うんじゃない?それに、もう生物的には役目は終わったことだし。
次世代をちゃんと残せたし、彼らはもう一人で生きていかれる。あとはおつり!
なんで、そんなに執着するの?生きればいいってものじゃないって思うのよ。
単なる石潰(ごくつぶ)しでしかないって。いいのよ、もう正真正銘の私が
もういいかなってなれば、さようならって。長生き?う~ん、難しいテーマだわねぇ」
「でもさ、つまんないじゃない」
「何が?」
「いえ、あなたが居なくなっちゃったら」
「あら、それは嬉しいお言葉で」
「それでさ、石潰しほど長生きするのよね~~」(笑)
「まあね。こんなこと言ってても、生物は生きたいって本能を持っているし、
あの、手術後、あと100年生きるって決めた女だからねえ。言う事と思うこ
とは別物って、いい加減な者よ」
「でもさ、食事は気をつけなきゃね」
「ええ、痛さに苦悶しながら、これは食事だ!なんてね。でも、よく考えたら、
長生きする食事よ、ハハハハハ。しっかり食べるのは朝食。
お昼はプレーンヨーグルトにローズヒップとブリーベリーのお手製ジャムと、
機能食品クッキー3枚。
夕飯は穀物抜き。酸っぱいものを取らない日はない。ウン十年って間食はして
ない。
禁煙7年目に突入。最近は、極力車は乗らない、自分の2本の足を使う。
今から隣・大和まで歩き。何か、文句がおあり?」
「いや~~~、参りました。行ってらっしゃ~~い!」

彼女の診断の結果(?・笑)「暑さに参ったのよ。気をつけてね」

日系ペルー人アナさんへ、・・・とうとう「真剣に本気になりなさい。
少しでもやる気が見えなくなったらすぐ辞めるわよ」って、日本語猛特訓を
引き受けてしまいました。(バカな女)
「こんにちは」
夫婦で入って来て。
「ちょっと待って。男の人の挨拶は。女の人の場合は」って、形を披露。
ウルタドさんは、お嬢ちゃんとどこかへ。
「さあ、始めましょう!椅子にかけて。早速、椅子と言う漢字からね」
およそ2時間。特訓漢字書き取り、私が言う言葉の聞き取り、書き方って、
きれいな字を書きます。先が楽しみな彼女の取り組みと意欲・能力。
まず、正しい姿勢を強要します。
「背中!姿勢!」って。
話す中で、漢字になるそれは、すぐ書いて彼女に。頑張る彼女です。

電車のチケットを、喫茶代を払うからって私に。「それは辞めて!」
「お礼は、あなたが一人前に日本語を習得することよ」
私も必死になります。日常の日本語を。漢字になる言葉はすぐ漢字にして。
10回書いてねって、彼女は10枚って思ったらしく、それはそれは律儀な
字で埋めていました。
"No diez ojas paperes,diez veces,entendistes?"10枚じゃなく10回よ。
わかった?ホッとした顔で
「Si.はい わかりました」

雨足が激しくなってきたので、帰りは電車です。

夜、愚息その①が近くでお客様のどなたかのライブがあって、見に来たから
帰りはこちらへって。ウチの宇宙人と飲みながら、11月23日、その1の
バンド「WALL:ウォール」そのWallと仲間達のライブへ宇宙人の「ザチック」
も参加で、その打ち合わせも兼ねての里帰り(て言うほどのこともない距離)。

さあ、母も久し振りに腕を上げたらしいWallのライブを見に聞きに行きましょう。
その前に、北京。
「モンチャン達に会って来るわ。少し言葉も覚えたから。前から誘われてたし」
「早い方が良いよ。北京は早く寒くなるからね」
ン?彼が何やらチョコチョコ行ってたのは、もっと北の方じゃなかったかしら?
長男は吉林省のどこか、次男は北京、三男は四川の成都って。
な~に、ウチの子は皆中国へ行ってるんじゃない!ホンジャ、母が殿(しんがり)って。
エッ、セニョール・ダンはって?
全く興味を示さないのですから、お話の外です。

2人の子どものお盆休みも終わって、いつもの日々が始まりました。
今週の木曜日の最終便で、馬専科が帰省です。最寄の駅迄迎えに行きます。

夜中に・・・痛!

2008-08-17 10:31:46 | Weblog
それは、寝入りばなのことでした。

ン?・・ン?・・・何?・・・ウッ・・・もしかして?・・痛っ!
 ああ、食生活だわ・・・痛い!・・苦しい!・・・ウウウウッ痛い!

チラッと隣のセニョール・ダンを見ようとする私に、
 ダメ! 彼には関係ないことよ!って。

・・痛っ!痛たたたたた・・・苦し~~~い・・痛い!痛い!痛い!  
ここで、彼を起こして病院へ連れて行ってもらう?・・・イヤ!
さあ、腹式呼吸よ。そう、いーちにーさーんしーごーろーくで吸って・
ゆっくり吐き出すのよ。
 でも、苦しい。痛い。

北京に行くんじゃなかった?ポリーチャンにも会いたいんじゃなかった?
さあ、いつものように、・・・ウッ・・痛!・・・苦・し・い・・・
誰が、許可したのよ!何やってるの!これは嘘なのよ。こんなことで私を
裏切るって?・・・いいえ、私は私を裏切るなんて出来ない、してはいけない!
痛~い・・・とっととどこかへ行っちゃって!私は・・信じてるのよ~~~!
当分お肉は食べないようにしよう・・・
ベジタリアンなんかにはならないけれど・・・・・
朦朧とした中で、そんなことを思っていました。
ともすれば崩れ落ちそうな(他者への依存)、痛みの中の自分自身を鼓舞し
続けました。
絶対に、私は私を守る。信じきる。それが自分への愛だって。自分をいとおし
む事だって。そうなのよ、こんなことで・・・大丈夫よ。こんなに信頼してる
のだから。
肋骨からみぞおち辺りを、もの凄い力で鷲掴みされたような激痛。息もまま
ならず。
そうです、心筋梗塞の発作です。今年3回目。1月に2回。

薬を投与されて、自助回復力は低下、・・・何よりも他者へ自分を委ねる
失礼を自分へ与えることに。・・・それは自分への裏切りです。信じきってな
いってことですから。私は自分の可能性を、使わないでいる未開拓の脳の各
分野を、総動員させたいのです。過去の人がなんと言おうと、私の人生は私が
決めるのです。それは孤独でもあるのですが、なんと崇高な戦いを私はしてい
るのだろうって思うのです。競争という文字はありません私の辞書の中には。
けれども、可能性という言葉に挑戦する自分を私はほくそえみながら眺めるの
です。ですから、大きな捻挫、そこから引き起こされた膝痛だって、医者に
かかるなんて事はしませんでした。失礼です自分自身に。ええ、元通りにな
っています。ストレッチは思いつくままにしていますが、何もむきになんか
なっていません。しなやかな身体でいたいだけのことです。

誇り高き人間は、人との比較なんてしません。それは自分への冒涜だってこと
を知っていますから。対峙するのは自分自身だけって事を知っていますから。
自己愛(ナルシズム)とも違います。もっと突き放しています。その上で
自分の可能性を信じているのです。・・・って、私は思います。その中の1人
であることは確かです、私も。

一夜開けて、私は深呼吸できる自分に、感慨深いものを感じました。
ありがとう、私!です。信じるって、期限も程度もありません。もちろん
条件なんかありません。ただ、ただ、出来る!大丈夫!あなたは凄い!って、
信じるだけで、人は凄い力を発揮できるのです。

今朝は、又一つ峠を越えた自分に(過去2回もクリア)、この小さな目が見開
かされた思いでした。やるじゃない!
な~んにも難しいことはしません。いつものように、ただ自分の力を信じ続け
ただけのことです。

ちょっと、素敵な、でも、ゾクッとするお話でしたでしょう?
今朝は、立秋のあとの涼しい風が窓から入ってきています。律儀な季節の
贈り物です。ありがとう、ちょっと息がつけそうです。

北京は秋へ

2008-08-16 22:22:11 | Weblog

「好久不見」"Long time no see.""Cuanto tiempo."すべて「お久し振り」
で、今、世界中の耳目を集めている北京に住むモンチャンへメール。
才媛・1才の男児のママは、素晴らしい日本語を操れます。なんせ、3年
間の日本滞在で、「笑点」を観て私たちと同じところで笑う彼女でしたから。

オリンピックのことはテーマにはならない私達よ。遠くは、関りがないとは
言えないアスリートもいるけれど。直接じゃないから遠い人です。昔の彼氏は
オリンピック水泳選手だったけれど。遠い遠いlong long a goの話。生きて
おいでやらって感じね。

10月に行ってい~い?って話よ。
過去、何回もお誘い戴いている北京なの。でも、お互いのスケジュールが
合わなくて、そこにオリンピックだなんてね~~。
去年はさっさとイギリスへ行っちゃった私よ。ポリーチャン会いたさで。
英語を試したいって思いもあって。でも、全部彼女が通訳世話焼きの、
殿様 否 女王様旅行だったけど。まあ、入管で係官とやりあったから、
英語は試せたって事よ。

スペイン語も、度胸だけをバッグに入れて、いざグァテマラへ一人で。
面白かった5週間一人借家住まい。

次!およそ1年半(月2回)の中国語レッスン。
そろそろ試してみてもいいんじゃない?って自分にね。
「欲しい」「~って思う(~たい)」「要らない」「もう一回」「何?」
「これ」「あれ」「どこ?」「ありがとう」「そうです」なんてところが
言えるようになったから。
興味を持った外国語は、さっさと試しに行かなくちゃ!これが自論です。

ウチの宇宙人が、その昔、北京にお邪魔して、モンチャンのご夫君趙さんに、
特訓されたっていう発音・四声。
日本語にはない子音がいっぱいだし、母音も「イの口でウ」「ウの口でイ」
なんてのもあるのよ。頭で考えてても、・・・
エーイ!行っちゃえ~~~!ってね。

オリンピックも済んで、しぼんだ風船みたいな北京へ行くのもいいんじゃない、
ってね。そして、一番素敵な季節の北京は10月って聞いているし。
ほっぽらかして欲しいって。フートンを訪ねたいだけで、一人で動くから。
あれもこれもしてあげなきゃ!は要らないって。
私が和食を作ってあげるわ。
観光地は嫌いじゃないけど、人が多いのがダメなの。人を見に行くような
そんな事は、避けることにしてるので、ただ泊めて下さいって。

早速、待ってますってお返事が。嬉しいことです。ありがたいことです。
これも、姉親子、特に姉のお陰で知り合った素敵な中国人夫婦なのです。
宇宙人に言わせれば、
「趙さんのような人を教養人って言うんだよ」
辛口の宇宙人をして言わしめた趙さんの博識ぶりが伺えるって事ね。
そういう人が知り合いの中にいるって、幸せよ~~~。
ポリーチャンの頭のよさも言う事なし!
尊敬させて~~~!が口癖の私です。吸収できないまでも、その何かに触れ
られるって、幸せです。数えられない宝物をちょっと見せていただくような、
快感を味わえるのですから。ちょっと私も物知りになったような錯覚を味わ
えてね。知らないことを教えていただけるって、素晴らしいことです。

さあて、パスポートを更新に行かなくちゃ!夏眠があけたら(笑)。
ツアー旅行なんかしません。群れないのが信条ですから、できるだけ一人
行動です。対面ならどうとでもなる人同士です。外国だからって、相手は
猛獣でも、なんでもないのです。人間ですから、通じるものです。
グァテマラを出国する時、ぜ~んぶトランクの中身を見せろ!って。
毅然として、
"No tengo DRUG nada !" ヤクなんて持ってないわよ!
イギリスでも、滞在先がお気に召さなかったらしくて足止め。そこで、
"I'm not a terrorist !" テロリストじゃないわよ!
そう、要するに、態度だわねえ。毅然としてたら怖いものなんかないって。
でも、発展途上国で、金目のものをちらつかせたりなんて、日本国内と
同じ感覚でいたら、そりゃあ、何かが起きても仕方ないって事よ。
外国人にころっといかれちゃう女の子だって、・・・アッそれが目的なら
何も言う事はないけれどね。

楽しみだわ~、やっと大陸へ行けるのよ。足を伸ばしてモンゴルへもって、
思ってるわ。若かりし頃からの夢よ。ゲルの中で寝る。満天の星を見る。
360度地平線の中の自分を想像して。人工的なモノは何もないって。
モンゴル語は、これまた発音できない難しい音です。いつの日か挑戦したい
とは思っている言語だけど、これはいつのことやらって、そんな言語です。
逆の場合は・・・モンゴルのお相撲さんは日本語の習得が早いそうです。

秋の楽しみができました。さあ、何回も何回もCDを聞きましょう。
聞くことがとっても大事ですから。
相手が何を言っているのかわからなければ、何も始まりませんから。
でも、なんて素晴らしい時代に生きている私達でしょう。
若い頃には想像もできなかった、素晴らしい日本に生きています。感謝!

素敵な夏の過ごし方

2008-08-14 21:39:25 | Weblog
なんとなく風通しがいいって感じる人気(ひとけ)の少なさ。
旧盆の日本列島です。元々の住民って少ない都会です。ここ横浜の外れも
なんとなくスカスカしてるような、地方からの方々が多いって事でしょうか?
それとも、燃料代も何するものぞ!で海外旅行でしょうか?まあ、あと少し
したら、投機で儲けて売り抜けて、その莫大なお金の行く先は植物、穀物へ
って私は思うのです。もう少ししたら、石油は投機対象から外れて、下がる
ってね。だから、いつでもバタバタ騒がない!文句ブー垂れない!ニヤニヤし
ながら世の中の動きを見ています。持っていない強みです。な~んにもない
って、心は平安。心配もない、至ってさわやかな日々ですよ。
マグネットに買い物リストを挟んで冷蔵庫のドアへ。
いつの間にか、ちゃんと補充されています。
セニョール・ダンへ、どこかへ連れてって!なんて言いません。
どこか?そうねぇ、外国へ1年くらい行ってみたいけれど、それをねだったり
はしません。ビザ有効期限滞在って形の海外旅行だったらね。なのでねだりま
せん。みっともないことはしません。~~してって、私から見ればあさましい。
そして、なんか買って!なんて言いません。欲しい物なんかありません。
ね?お金を遣う必要なんてな~んにもないのです。

ですから、いっつも平安です。
毎日、母へ「源氏物語」1帖ずつ読んであげるようにしています。ちょっと長い
場合は、2~3日かけますが、54帖のお話にはまだまだ時間がかかります。
「ドンファン」「カサノヴァ」「光源氏」って女垂らし。
どうやって女を篭絡するか?もてない殿御は一読なさいませ。あの手この手で
女をモノにする源氏の君の手練手管は、その道のお手本かも。
絶対に、「マメ」でなくてはなりません。これは、必須。なびかない女へ・・・
やっぱりこの世界へ誇れる本は、読むべき一冊でしょう。

なるべく陽射しを遮断して、クーラー効率を高め、そこで読むは「プラハの春」
ソ連軍が一夜にして侵攻占拠した、あの事件の前夜というところで1巻目が
終わりそうです。強烈なニュースでした。鮮明に覚えています、あのニュースを。
零落した共産主義がまだ貧しく知識の少ない時代にそれなりに力を持っていた(?)
時代の話です。口角泡飛ばして激昂する人々を作ったマルクス。
人を攻撃するのが彼らの好みです。

子どもの頃から「蚊帳の外住人」であった私から見ると、なんで?でした。
左翼人でなければ人でない、みたいな。
平清盛の全盛の頃、「平家人にあらずば、人であらず」のような、ね。
人を踊らす理論理屈には、冷ややかな女です。
「みんなのために?」バカみたいってね。人は自分のために生きるんじゃない!?
それが、厳然とある事実。それがいけない?ブルジョア?排斥?
バカじゃない!って、ず~~っと思ってきました。そして、今のどこかの国々
が個人の欲を踏み潰せなくなってきて、ひずみからグズグズ崩れてきかかって
ます。

でも、騒ぐ必要なんてこれまたありません。
自分の日々の生活を大事にするだけ。楽しいことは自ら作り出して、人の価値
観に振り回されず、なんて自分は知らないことだらけなんでしょう!で、手当
たり次第本を読むのです。それには絶好の季節です。猛烈な暑さの中、ウロウ
ロなんてしたくありませんもの。お行儀悪く畳みに腹這って、良くぞ日本人に
生まれけりって、全身で畳の感触を味わって、枕にしない本をドドーンって傍
らに積み上げて、読書に没頭です。素敵な夏の過ごし方じゃありません?


頭の中に住む虫が

2008-08-11 09:55:56 | Weblog

又 歩きました隣駅まで。正しくは、私は又、隣駅迄歩きました。
主語抜き並べ方柔軟(?)でも充分伝わる日本語です。立場の違いをきちんと
区別できれば問題無しです。それは、相手を敬う気持ちの表現です。

突然、「わたしは○○・□□□です。さきにcorazon latinoペルーのレスト
ランはじめてであったんです」とういうメールを受信。
さて、この人は?アッ彼?
そう、先日マリアさんのお店で会った馬専科と同じ年のペルアノからでした。
何回かやり取りメールの結果、彼の奥さんに会うこととなって、場所は彼と
会ったCorazaon Latinoにして、ゆっくり歩いて行こうで、約束時間2時に
合わせて1時間前に家を出ました。曇りの日で、強い陽射しがないのが救い。

日系ペルアナは、熊本県出身の祖父母を持つ、日本人の血が間違いなく入って
いるってわかる(お金で日本名を買って入国する事実が横行の中で)が、なか
なか美形で、素敵なプロポーションをお持ちの4才の女の子のママでした。
在日11年にしてはお粗末な日本語で、日本語の何を知りたいのって聞けば、
全部(聞く・話す・読む・書く)って。お嬢ちゃんが小学校へ入るまでに、
読む・書くを習得しなければ、学校からの印刷物が読めないでしょう。それは
お子さんにも影響することですから、・・・・・・

ミゲル君の時とは明らかに気力が衰えているのを感じている私は、今回は一応
顔を合わすだけのつもりで行ったのです。・・・ですが、・・・・・
「100円ショップへ漢字書き取り帳を買いに行きましょう!」
あ~あ、又私の頭の中に居る「ほっとけない虫」が動き出してしまったわ。
小学校1年生のドリル2冊(マスター・トレーニング)を買って貰って、
「次が何時って約束できないけれど、全部やること!いきなり試験をするので
そのつもりで真剣に勉強してね」

そして、マリアさんへ言ってもらったわ、
「勉強してますってスタイルの人は嫌いだから、日本人の英語がそうだから。
そんな関りなら私は辞めるから」
って。真剣かどうかはわかるもの。いい加減な、取り組みなら私は関らないわ。
カナは読み書きできるので、あとはビシバシの漢字の暗記と、話し方の特訓よ。
でも、同じ人とだけって、あまり勧めないので、彼等の自宅からちょっと離れ
た最寄駅近くの学習センターでも「日本語教室」があるのを知人から聞いてい
たので電話をかければ留守電。あ~~~あ

マリアさんのお店から歩いて行ける距離に、ご兄姉が住むそこへお嬢ちゃんを
預けていらしたアナ(彼女の名前)さん。日曜出勤だったご主人も合流して、
少しおしゃべり。お店もかなり混み出したので、
"Entonces, nos vemos. それでは、また会いましょう。」
「あいましょう?日本語?」
「ええ、会いましょう」

さあて、近くに住んでいるのなら、まったく問題なしなんだけど、・・・でも
これも何かの縁で、まあ、乗りかかった舟ということで、出来るところまで頑
張ってみますか。
久し振りに「小学生新聞」を買って、彼女の参考資料にしましょう。
出来る限りの美しい日本語女言葉を教えましょう。
「~~だよ」「やばい」は禁止言葉です、私の辞書にはない言葉ですから。
常に辞書を身近に置いて、絶えず調べなさいねって。

「レイコサン、彼からレイコサンの飲んだり食べたりしたのは、後で僕が
払うからって言ってました。珍しいいい夫婦よ。なかなかいないペルー人よ」
ですって。そんな申し出を受けたのは初めて。決してバーターではない心遣い。
ええ、もちろんそれに乗る私ではありません。飲み食いぐらいは自腹を切るの
が当たり前です。私の倫理観が許さないのです。飲食にたかる人の薄みっとも
なさが嫌いですから、好きなだけ自分で払う飲み食いをします。
でも、その気持ちはありがたく戴きます。思いを馳せられる人のこまやかさは
貴重です。優しいウルタド(メールの主)さんの気持ちにはGRACIAS!

又、新しい出会いがありました。
さあ、決して甘くない、にわか先生の再始動です。どんなことになるのやら?
漢字が入る文の方が、どんなに読みやすいか教えてあげましょう。
年長者への言葉遣いを教えましょう。これは、スペイン語にもあります。動詞
の活用が違いますから、そこはわかりやすいスペイン語圏の人たちの筈です。

さてさて、私も申し込みをしなきゃ!「漢字検定試験」にね。
ウチの宇宙人が「英検もいいけど、漢検受けてみてよ」。ご所望ですから、
経験の一つとして受けてみますか?読めても書けない漢字は結構あります、
情けないことに。初体験って、頭脳のそれって面白いじゃありませんか。
エッ?な~んだ?あらー、ウッソー、ETC.
ネットで申し込み出来ればそうします。さあ、検索しなくっちゃ!

母に読む「源氏物語」

2008-08-07 22:26:47 | Weblog
少し埃をかぶっていました。10年前に買っていた「源氏物語」です。
全10巻の寂聴の本。
アッそうだったのよ!そうだったんだわ。この本を買った時のことを、
まざまざと思い出したのです。
「お母さん、こんどね~え、瀬戸内寂聴、ン?そう元・瀬戸内ハルミって
言って、天台宗かなんかの宗派の尼さんになっちゃった作家。得度に立ち
会ったのは、かの今東光って。その彼女が書き下ろした源氏が出されたか
ら買ったのよ。いっつも難しくて放り出して、最後まで読んでないのよ。
エッ お母さんも?なら、私が読んで上げるわ。そのつもりで買ったのよ」
そうなのでした。

70才の時に脳梗塞で左半身麻痺。その後、横浜の住人になって(私がさら
って)闘病なんかしない母を、もう好きなようにさせてあげようと思ってい
ました。そうさせて上げたくて連れてきてしまったのですから。いいのです。
彼女はもう好きなことをしてきました。その前に、母の意志とは関りのない
所でもみくちゃになった、ありとあらゆる受難の生涯、波乱万丈の、それこ
そ何冊もの本が書けるような時を過ごしてきました。
ですから、もう母に、静かな時間を過ごして欲しくて、こちらの要求はなにも
ありませんでした。母の目を覗くとわかるのです。もう希望の光はありません
でした。時々思い出したように、
「レイコチャン、もう1回タヒチへ行こう」
って、弱々しく言うことがあっても。半身麻痺になった母を私はタヒチへ連れ
て行ったのです。ボラボラビーチホテルの従業員の優しさが母にタヒチを思い
出させていたのでしょう。けれどもそれは言うだけのもので、何が何でも治し
てもう一回行くというまでの強い意志はもうどこにもありませんでした。

まだ、私が若い頃、母によく落語を話してました。古典落語の本を何冊か持っ
ていましたから、その本を読む落語でしたが、それを母は殊のほか喜んでくれ
てました。
転勤で移動の多い私達でした。子どもの休みに里帰りする程度の私達母娘でし
た。母を看取るのは私と、密かに決めていました、とうの昔に。
希望という生きるための鍵を無くした母は、寝たきりになっていきました。
もう、夢うつつの時間が増えて、反応も日増しになくなっていきます。
母のために買った源氏物語は、1巻目の、母が大好きだった「雨夜の品定め」
の所に栞が挟まれていました。ここで母に読んで聞かせていたのが終わって
いたのです。

きょう、十年ぶりに開いたそこから、私は母の写真に話し掛けました。
「お母さん、お待たせしちゃったわねぇ。光源氏・頭の中将・左馬の頭・藤
式部の丞の勢ぞろい、又そこから読んであげるから聞いててね。ええ、もう
じっくり読むわ。期限なしでね」

母への朗読が始まりました。最後まで読みきれなくて、あの世で母はちょっと
肩身の狭い思いをしてるかも知れないのです。
「エーッヒサチャン(母の名)、源氏物語を読んでないの?」
って、猛烈読書家達の兄姉達に詰め寄られてたかも知れません。
そこに触れる必要はありません。
伯父・伯母達が話す内容に加われれば問題ないのですから、娘として、人肌
脱がなくてどうしましょう。

こんな想いの読書が始まり出しました。誰かのためにって、奮い立たされる
感じがします。ええ、もちろんこちらの勝手な解釈です。でも、素敵な理由付
けがあってもいいって、思うのです。
黙読と違って、朗読はかなり体力・気力を必要としますが、決めたことですか
ら、放り出すようなことはしません。それは、母のためと言っても、明らかに
私自身のためなのは、言うまでもないでしょう。そんな思いにさせてくれた母
に、今更ながら感謝する私です。ありがとうお母さん。