ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

この夏は・・・

2011-08-21 09:28:39 | Weblog

1年間、スペイン語習得のためにチリへ行ってたコウイチクンに会いました。
その学校創設以来の優秀な生徒だったらしく、校長先生主催の表彰、卒業&お別れパーティを彼だけのために開いてくださったのですって。これは快挙ね。
元々、日本人の株は高いお国だそうですが。

初めての海外が留学!
ホームステイも確保して、一時学校の寮へ入ったけれど、毎晩毎晩どこかしらドンチャン騒ぎのフィエスタ。
膨大&難解な宿題をこなすには、そこは不向きで、契約してた家庭へ。子どもさんのいないシニア夫婦のおうちで、勉強に打ち込んで。
同じくホームステイのアメリカ人女の子2人は、ボトルからお酒をラッパ飲み、スナックを食べ食べパソコンをズ~~~ッと(Facebook?)ですって。アメリカではまだ禁止のアルコール年令。ご多分に漏れずデブ(あたくしが言う)!精神を病むと、本能剥き出しになるのよ。
「滅んでもおかしくないアメリカって思うわ。教育がなってないものね~」
最近のアメリカの内外を思えば、自ずと結果は見えてるってものじゃない?民主党だろうが、共和党だろうが、実が熟して落下する原理にのっとるってことよ。そうそう、ニュートンのあれ。
歴史が物語るなるべくしてなる結果ね。行き過ぎた個人主義も大きな誘引でもあるわね。

大阪で行われる心理学の卒業式をキャンセルして、その選択は正しかったって今更ながら思ってるあたくしよ。多数の中で自己を見失う愚を冒さなくて良かったってね。白々しく斜めに見てる自分もイヤだし。
そして、お天気も悪く、吾が家でユングの自伝を読んでいるあたくしに、天が付き合ってくれてるってね。「いい選択だったよって。
素晴らしい講義だったけれど、ここまで。
あたくしのアドレスにはもう、その組織名は載ってません。印刷物にはこれからも目を通すでしょう。けれども直接そのまま誰かに渡す(話す)つもりはありません。それは依存ですから。
「誰にも寄らず、組織に属さず」寄らば大樹の陰?したくないわね~。

気持ちの切り替えも終わって、今月は2回英会話倶楽部へ行ったわ。
「オー、久し振り」
は、タロウクン。
「何か変わった事ある」
「僕、恋してます」
「男女を問わず、恋してる人は話したいのよね、その恋物語を。聞きましょう」
自然に頬が緩むタロウクン。いいことよ。

元・中国語クラスの面々と、就職が決まった老師を祝ってあげましょう!
愚息その①のお店で「快楽!=おめでとう」総勢9名で祝杯をあげます。
ミカエサンと、二人で決めた「日本語禁止」。罰金箱をあたくしが作って、テーブルの真中に置いても、みんな無視でオシャベリよ。ただ、お嫁さんが中国人ってタツオサンは、先生相手に一所懸命中国語で話してらしたわ。非常好!

先月の29日から1日1食を敢行。
日野原重明97才現役医師は、もうず~っとそれをしてるわね。
生きるという事は、他者の命を食べる事に他ならないのですから、少し、ほんの少し、その命を貪ってない自分を善しとしてるの。食べたくない、拒食症では決してありません。食べたいわ、いっぱい、色々とね。
けれども、あたくしは敢えて1日1食に決めたのよ。
ドドドドーッて痩せた?いいえ!ジリジリは減少してるけれど、しぶとくしがみついてる余計なものよ。途中で口にするものは食塩水(粗塩3%+レモン汁入り)。たま~にトマトジュース。

人は、自分の頭の中にない事をする人に、必ずと言っていいほど批判の言葉を発します。
極々平均的モノサシ、人の脳みそから出た言葉を遣うのです。
「ダメよ、そんなことをしては!」
「3食食べなきゃ!」
「病気になる!」
もう、ギャハハハでしかないわ。その言葉を裏付ける検証はお済み?ないでしょ?
自分の言葉を吐かない人は嫌いだし、考えない人はもっと嫌いよ。
誰かが、考えて決めた事、その結果の言動には、エールしかないでしょ?自分では考えられない事であっても、否、あればこそ。じゃない?
人と同じ流れに乗る、どうでもいい事をする、思考を放棄って、恐ろしい事なのよ。
マインドコントロールは、巧みな方法で迫ってくる。大丈夫?あなた・・・・・

いつも原点に

2011-08-04 07:02:57 | Weblog

20日の卒業式(心理学)をキャンセルです。
なぜ?
ああ、これが世の中なのねって、この年になって、気付くことよ。
1回も休まず受講した、都度レポートも提出した、頭を抱えた3つの課題もこなし、提出した。これが全て!じゃなかったのよ。

卒業式を、本部のある大阪で行うのは、まあ仕方がないという事で出席の申し込みをしたわ。でも、どこかでずっと小骨がささったような違和感があったの。卒業式とその後のパーティが一緒で、その費用を負担しなさい。ン?
それにでなければ、証書はあげません。ン? 全てを修了しましたって証明の証書なんじゃないの? これがひっかっかってたのよ。それが嬉しい人はいいのよ。でも、パーティは講座とは直接関係の無いことなのですもの(と、思うの)、参加か不参加は自由にしたらいいって。

とってもいい講座内容だったし、それを学べたのはとても幸せだったって心から思うの。そこに出てきた多くの人・種類・方法は、
「さあ、これがどんなものかジックリ自分で検証してご覧!」ってね。
フロイトと袂を別ったユングを初めとする様々な心理学の専門家と、期せずしてそこで出会った他の分野(宇宙物理学や宗教)の偉人達の足跡。
ああ、あたくしは幸運だったって。

最後に来て、とても残念です。
もちろん、内容に関して、いかような料金設定しても問題はありません。それこそ自由です。いやなら行かなければいいだけの、シンプルな話ですから。納得です。けれども、最後に、ああ、ビジネスだったんだって。

・・・・・でも、あたくしは考えたのです。
・・・初心は?
ああ、そうだったわ。
15才のあたくしに出会うことで、心の奥深くに巣食う、自分でも分からない、なんだか得体の知れない膠(にかわ)でガッチガッチに固まった自分を解放することだったのじゃない?
素晴らしい講座に出会ったんじゃないの?
肩書きが欲しかったの?
本末転倒じゃない?
物心ついた時から、集団が嫌いだったんじゃない?
あの、ねえ、ねえっておぞましさを嫌って、スックと独りで立つ事を旨として生きていたんじゃなかったっけ?
誰にも、何にも属さないはずだったでしょ?

そんな事が、ざああぁぁぁって頭の中を駆け巡ったのよ。
なので、クラスで、何かといえば「一緒に~~しましょう」ってのも拒否してきたあたくし。
「ねえ、一緒にトイレ行こう」って小学生のような彼等に見える。
そんないやらしさに、はっきり距離を置いてきたあたくし。
そして、
大勢で、酔い痴れる空間にいる自分を想像して、
「違う!イヤ」
って。目的を明確にし直して、あたくしは卒業式をキャンセルしたのです。
その卒業式に出ない人には、証明書は出しません。
あらそう、なら要らないわって。ぶれない生き方をしなくちゃね。