ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

おばあさん・グランマ・アブエラ・ナイナイの幸せな1日

2007-12-30 08:09:47 | Weblog
2007(平成19)年12月29日午後4時過ぎ、とうとう?やっと?
あたくしは孫を持つ身になりました。生物としてのまっとうな姿に。
バンザーイ!
乾杯!
ご苦労様グリーンちゃん。どれほど痛かったでしょう。
なかなか下りて来ない龍ノ介(ええもう名前は付いています)に、陣痛促進剤を
前日から点滴で。そして晴れて3440gでこの世にオギャーーーッ!
先月あたりから塩分・水分を制限されてきたグリーン。もう、いいのよ。

これから彼女の母親業が始まります。
「ひよこクラブ」やら何やらを彼女のママに買ってきて!って頼んでいた彼女に、
「母子手帳と一緒にもらった小冊子、あれだけで充分。自分をしっかり信じて、
困った時はお母様にお聞きすればいい。怪しげなコメンテーターの意見は無視
しなさい。そんな雑誌を読んで、揺れてしまうより、専門家と称する人たちの
考えはみんな違うので、楽しみとしての読書をするほうがどれほどいいか、
お母様、そうお思いになられません?あたくしはそうしてきましたし、身近に
いる経験者以上の先生はいませんわよねえ。お嬢さんへのプレゼントは、22才
の新米母親が奮闘した記録、息子の育児日記。これをお祝いにしたいと思います」
「エ~~ッ、書いてとってあったのですか?」
「ええ、子ども達の記録は3人ともね。小学校へ上がるまでの記録を。母子手帳
と一緒に。孫が出来た時はどの子にも渡そうと、とってきましたの。何かの役に
立つかも知れませんし、母親がどう関ってきたか、子どもにとってはあまり記憶
のない時期のことが書かれているって、かなり興味深いものでしょう?悪戦苦闘
育児日記。少し恥ずかしいですけれど、事実は事実ですから、お嬢さんへの出産
祝いにします」

心を込めて、下手なりに、若い母親は精一杯自分を信じて子ども達に向き合ってき
たのでございます。それでも最初の社会という存在の壁になる時期もありました。
思春期は彼らも悩み この不出来な親の子となった不幸を嘆いた時期もあったで
しょう。「なんで?」「なんで?」「なんで?」「なんで?」・・・・・・
それでもこの人生であがいた一人の人間、女が、どう我が子に対峙してきたか、
その発端を知ることは、子育てに向かわなくてはならない彼らにわずかな安心を
与えられると信じています。

まだ、龍ノ介には対面していません。
「レイコママ、ばーばよって言うでしょ?」
グリーンのママが言います。
「いいええ、・・・・・グランマ!始めまして、あなたのグランマよ、よ」
「エエ-ッ、本当に?グランマ?」
「ええ。いやらしいわね、日本人なのにね。でも、いいの。あたくしはグランマ」

厳しい躾をしてきました我が子には。そういう親は孫にはメロメロになるそうです。
多分そうなるでしょう。けれども誰に対してもあたくしの生きる姿勢は変えません。
生き続く限り、あたくしは「自分を信じなさい!」「あなたにとって一番大切でかけ
がえのない存在はあなた!」と、言い続けるつもりです。この世に生を受けた孫へ
精一杯の思いを伝えます。自我の目覚めを待っています。
「さあ、龍(ロン)、グランマがあなたの人生に大きな灯りをつけてあげるわ。何も
心配なんか要らないのよ!」
って。

久し振りにロンドンからメールが届きました。ポリ子ちゃんからです。
早速 新しい命の誕生を返信メールで。
「レイコサン、おめでとうございます。レイコグランマですね」

帰省している馬専科。物知り彼から教えてもらった
「君子豹変す」・・・易教
日本では悪い意味で遣われるけれど、本当はその反対なのよって、グリーンの
ママと話していてって、言いましたのよ。そうしましたら、彼は
「その後に続く言葉があるのを知らないんだよ、ほとんどの人が」
「ちょっと待って!書くわ」
「君子豹変す。大人虎変す。さて このあとは・・・そう、小人革面す。君子と
小人は知ってても、大人はを知っている人はいないよ」
「ありがとう~!今日、又新しいことを知ったわ。嬉しい!」
最近あたくしが読んだ本「奇貨居くべし」:宮城谷昌光著を見て、
「始皇帝の父親の話だよね」
「そう、始めはあの赤壁の戦いの呂布(?)に関係する人物の事かと思ったのだ
けど、始皇帝の父親のことだったのよねえ。でも、貴族の出じゃあない呂不偉
(該当する字なし)よね?」
「そうだよ」
ここから彼の薀蓄が。奇貨居くべしの意味から始まって。

幸せな幸せな1日でした。
初孫(ういまご)の誕生。久し振りのポリーチャンからのメール。新しい知識。
お金では買えないプレゼントを、中身の濃いプレゼントを戴いた1日でした。
ああ、嬉しい!

蛇足:東アジアでは今年は60年に1度巡り来る素晴らしい「猪年」で、なんと
中国では今年誕生の赤ちゃんが2000万人ですって。「金猪」って。
中国語の先生も「金豚ちゃんまだ?」っておっしゃるのよ。続けて、
「陰暦で読む諸々だから、来年の2月7日までに生まれた子は金豚ちゃんよ」
金運・強運を手に掴んで生まれてくる子ですって。
姓名判断を「門前の小僧習わぬ経を覚え」のように、愚息その①を可愛がって
下さった占い者の占いからみようみまねで覚えたそれを我が子に。そこで辿り
着いた「龍ノ介」。きっと素晴らしい人生が展開されるでしょう、しかも金の
猪の年なのですから。そしてあたくしが転ばぬ方法を・・・です。

コントロール

2007-12-29 02:01:25 | Weblog
おが屋の前の道はなぜだかクネクネ曲がっているのです。
そして、今や私道以外の道には必ず「駐車禁止」の標識が立つものですが、
ここにはそれに相当する標識は全くありません。一方通行でもありません。
なんと、地図上ではその道は川なのですって!
川という事は左右の建物は土手に立っているという事なのでしょう。
そう言われれば家屋の裏側が道路へ面している建物が幾つかあるのです。
現在は、道路下には大きな土管が通ってそこを水が流れているって、地元の
方々がおっしゃいます。蛇行する川の姿が残された道は、不自然な曲線を
描きます。

90年以上続いている畳屋さん。
関東大震災以前から商っているという古本屋さん。
スーパーに押されながらも頑張って商いを続ける各個人商店。そこには今や
消滅しつつある「会話」が今なお健在です。

棚から勝手に商品を取って籠へ入れ、レジで清算。何やら不気味な光景が繰り
広げられているように感じるのは私だけ?一言も口を利かずとも欲しいものを
勝手に手にする、無言で支払う。

スーパーの袋の取っ手部分をクルクル巻き込んで、要らぬ世話を焼くレジの女達。
「あのね、細くされると、重い物を持って帰る時は痛いの。できるだけ幅広く
して持ちたいものなのよ」

誰かが、「こんなのはどう?」それをマスコミが取り上げる。すると、それは正
しく善なることになってしまう怖い社会。
マニュアル人間だらけ。考えを放棄した不気味な人間の増加。
「~~円からお預かりします」
ーーーー返してくれるの?お預かりって言うのなら。
「あのね、~~円から戴きますが自然じゃない?考えなきゃダメよ」
って教えなきゃならないアホらしさ。

ああ、テンションが上がってきた!
ドイツもコイツも「うん」「ウン」うんウンうんウンうんウンーーーバカ垂れ~~!
「うんじゃなくハイでしょ!」
親は何をしてる!何をしてきた?してこなかった?
お行儀も言葉遣いもなってな~~~い!!!
養っても育てない親!可哀想な子ども達。そして、幾つになっても自分を育てない
アホ面大人たち!シッシッシ寄るでない!「だよ」「だよね」「やばい」ETC.
これが女の子?違うでしょ!?私は認めないバカな親子。この高尚な日本語を汚す
脳みそスカスカ日本人もどき達。男言葉を操るのがかっこいいなんて思う女の子、
それに擦り寄るアホ親。シッシッシッシ近寄らないで!

これから私は自分の事を「あたくし」と言う事に決めました。
「あたし」「わたし」だと、ドンドン低下しやすくなるのです何もかもが。
品下れる(しなくだれる)自分は、・・・・・オ~~怖!イヤ!嫌い!
「あたくし」にすると、後に続く言葉は丁寧になります。ならざるを得なくなる
のです。そして、前にもまして他人(よそ)様のお身内へは「~様」をつけるよう
に厳しく自分を律しています。例えば
「おかあさんは?」→「お母様は?」のように。

誰に対しても丁寧な言葉で話したいと思うのです。それはもちろん相手への配慮
ではありますが、それ以上に自分自身を大切にしたい強い思いがありますの。
全ては我が身に関ることなのです。お他人様?正直に申し上げて、あたくしには
関係のない事でございますのよ。マスコミ?近寄らないように極力注意致しますわ。
ええ、こちらからとうの昔に三行半を叩きつけておりますわ。
シッシッシッシ・・・近寄るでない!って。

あなた。あなたにとってどなたが偉いってお思い?
会ったこともない、お話したこともない、有名人?知識人?宗教家?慈善家?
政治家?いいええ~~~~~、どなたも該当しませんことよ。
あなたにとって一番偉いのはあなた!ですから、もっともっとご自分をいとおし
まなくては、ご自身がお可哀想じゃございません事?汚い言葉、誰かに仕掛けられ
る流行り物。そんなものは無視しなくてはいけません。操られてはいけません。
自分を高める、自分を尊敬・信頼するためには、何をします?
「私にとって私以上の存在はこの世に存在しない!ホントよ!」
これを思いつく限り自分に言い聞かせるのです。
ですから、当然宗教はいりません。他者に委ねる必要は全くないということでござ
います。苦しい修行なんて、あなた、そんなもの要りませんことよ。訳のわからな
いお経をありがたがってはいけません。
絶えず権力の中心にいたキリスト教。バチカン?要りません!
自分以外を、どんなことであっても有難がってはいけません。本当に!

何やかや、色々と不都合が身体のあちらこちらに起こります。「痛!」
息が出来ないほどの胸部激痛に夜中起こされたこともありました。
症状からそれは「心筋梗塞」と友人に言われました。
くも膜下出血で手術したあたくしでございますから、循環器系統は強くないのか
も知れません。あまりの痛さに瞬間、セニョール・ダンを起こそうかと思いました。
息が出来ない!
けれども、あたくしはあたくしを信じようと思いました。
いつも自分に言い聞かせている自分への信頼を裏切ってはいけない、正念場に
いるのです。自分が試されていることを知ったのです。
「これは冗談よ、ウソ!さあ、元に戻りなさい。何をモタモタしてるの!2度と
病院へは行かないって、決めたことを忘れたなんて言わせないわよ。さっさと
真面目に機能させなさい!痛みよ去れ!」
そして、何事もなかったかのように又眠りにつけました。

他にも痛い・苦しい等の症状に襲われることもしばしばでございます。決して若く
はございませんから。ですからその歓迎できない状況に遭遇した場合、必ず
「誰が許可したの!?痛がっていいなんて!許しません!さっさと追い出しなさい!」
これを強く自分に言います。何回も何回も。根底に100%の信頼を置いて。
ハイ、何事もなかったかのようになります。そうしましたら、
「ね?やっぱりあたくしって素晴らしいじゃない!?偉い!」
って、申します。目一杯褒めます(褒めてあげますは下品)自分を。

お笑いになられます?嘘つきとお思い?でしたら、
あなた様は不幸な人生を歩まれますわ。
ご自身を100%信じられない方は、絶対に他人も信じないお人ですもの。
いっつもいっつも不平タラタラの文句吐き出しマシーンになって、
痛い・苦しい・辛いって、毒素を何の責任もない他者へ浴びせまくるのです。
人を不幸にするのです。そんな方に幸せはやって来ないのです。
幸せって、五感では感じられないものと、あたくしは思うのでございます。
ご自身を信じきれない人は、病気や事故が付いて回ります。幸せからは遠くにいる
人です。

あたくし?何も怖いものはなく、肉体をコントロールする術を持っています。
「痛い?ご冗談でしょ!シッシッシ近寄るでない!」
魔法の言葉を持っています。ええ、どなたもできることです。
では、お試しを。
アッ0,000001%でも疑問をお持ちになられたら効きません。お忘れなく!                    
           ではごきげんよう。 Hasta la vista. 再見!



傲慢・恥知らず・不愉快!

2007-12-16 22:59:19 | Weblog
電車の中の相変わらずの風景。
着席してみれば、隣の女の子、おもむろにお化粧の開始。
す~ぐ席を立ちました。彼女から離れること10m。不愉快!
下半身を見せられるようで、気色悪いこと甚だしいったらありゃあしない!

食事時、感謝の言葉をはかないで、いきなり食べ出す恥知らず。
外国旅行、と言っても観光旅行はしないから滞在型。
必ず「いただきます」の言葉をその地の人に教える、もちろん日本語で。
同席する人々によって対応が異なる人を決して尊敬しません。その不遜さに
辟易です。謙虚さが感じられないって、最近では不愉快の上に悲しさも加わります。
なんでこう、恥知らずなのかって。傲慢な心模様を見せ付けられる不快さ。

子ども達を育てる時、耳にタコができるほど、「おなたならどうする?」を
繰り返してきたものです。
「ママお水!」
「お水がどうしたの?」
「お水が欲しい!」
「なら、なんて言うの?」
「ママ、お水を頂戴」
・・・・手渡す時、すぐ与えません。
「なんて言うの?お水は一人で来たの?」
「ママ ありがとう」
そうして彼はお水の入ったコップを手にするのです。

それは、誰であっても同じです。
大人は言わなくていい?・・・とんでもありません!
生きると言う事は、「お陰」で生かされていることなのです。

「いただきます」は、作ってくれた人へ、目の前に並べてくれた人へ、
自分が生きるために他者の命を戴くことへ、普通に食べられる境遇へ感謝!
ですから当然「ご馳走様でした」も心から言えるのです。
ええ、もちろん一人で食事する時でも当然のことですよね。
「いただきます」「ご馳走様でした」

「ありがとう」も、自分の出来ないことを代行してくれた、あるいはプレゼ
ントの心、その気持ちの好意と行為に感謝です。
家族間で言えない人を軽蔑します。シッシッシッシ近寄らないで!
人以下なのですから、そんな生き物と付き合う暇はない!です。だって、不遜・
傲慢なのですよ。触発されない人との関りは無駄です。
いつもいつも他者を批判する人は、他者から批判されると勘ぐる狭量な性格
ですから、内弁慶です。内弁慶の人は家族を大事にしません。いつも自分の
感情が最優先です。

生きることが、家族のあり方がどのようなものか知っている人は、外部に対
して臆することはありません。自分を本当に大事と思える人は他者へも優し
い気持ちを持てます。時として、自分を打っちゃることが出来るのです。
損得は存在しません。

生きることは又、日々己の未熟さを思い知らされることでもあるのです。
後悔の気持ちに苛まれる時を持つことでもあると私は思います。
そこに、本当の成長があり、他者への優しさが初めて誕生する瞬間を持つこと
でもあると思います。

親は、な~んにも偉くなんてないのです。
子どもがいて初めて親なのです。子どものまっすぐな視線を浴びなくてはなら
ないのです。子どもがいるから親になれるのですから、親はいつも試されてい
ることを知らなくてはいけません。
人として、子どもに尊敬される存在にならなければ、子どもは悲しみます。
子どもは純粋です。その純粋さを親は往々にして汚します。
計算高い人間にしがちです。与えることより、受けることばかりを望む姿を
見せ付けてきます。教えられて、育てられてこなかった子どもは、親の二乗の
下らなさの中で人生を歩きます。社会、いわゆる家族間以外の人々の中で浮い
てしまう自分に出会っていきます。お行儀も言葉遣いもいい加減な親は、子どもの
人生の水先案内人にはなりきれず、苦しい航海を子どもに味わわせてしまいます。

人と比較する愚かさに早く気付かなくてはいけません。
全ての人は、全て個性的な存在で、他者と比較する必要なんて何もないのです。
「私は私以外の何者でもない」事にいち早く気付いた人が勝者です。比較する
という愚行を犯さずにすみますし、自分をいとおしむ事を知ります。
そして、言葉の持つ力を知ります。
「ありがとう!」「いいえ、どういたしまして」
「大丈夫?」「お陰さまで」そして心から「ごめんなさい」
これらの言葉をスムーズに言える人は、何かの能力を持っている?肩書き?
社会的地位?そんなものを持つけれど不遜な人、をはるかに凌駕します。
肩書きも地位もなくなるけれど、失うものを持たない人は死ぬまでその宝を
持ち続けられるのですから。

ここで、もっとそれらと同じように、否それ以上に大切なことは
「いりません!」
捨てる勇気を持つことです。心の中にいつもビクビク人の顔色を見ているい
やらしい根性をポイッて捨てられる人は強いのです。
他者が自分にとって、恐るるに足りない存在ということを知ることは力にな
ります。幻影におののいている自分に気付くべきでしょう。するとアホらしく
て、その時間と感覚を自分に向けられるようになります。
私は欲しいものなんてない!ハッキリと
「ありがとう、でも要りません!」
嫌われてもいいじゃありませんか?その前にこちらから願い下げなのですから。
本当に必要なものは、決して形をなしてないものかもしれないことを知るべき
なのです。
そして、この悠久な人間の歴史に、先人達が残してくれた普遍的なことを取り
入れることに時間を割くべきでしょう。どうやって?
 
死ぬほど本を読みなさい!です。偏らないで、出来るだけ多くのジャンルを!
そうすると、見えなかった一条の光がまっすぐに射しているのをある時感じる
自分に出会うと思います。
私は母に育てられました。そう、養われたと同時に育てられました。どれほどの
薫陶を受けてきたことでしょう。感謝!母の娘であったことをどれほど誇りと
してきたか、ありがとうお母さん!です。そして、折節に出会った人生の指導者。
そして、そして、多くの本が私を育ててくれました。断言できます。
ですから、私は3人の息子達に「死ぬほど本を読みなさい!」と言い続けました。
きっと、彼らは作者に、登場人物に案内されるでしょうから。
本は優秀な水先案内人です。


お久し振り・Long time no see・ Cuanto tiempo・好久不見!

2007-12-16 12:42:03 | Weblog
 出戻りスペイン語スサーナクラスへ木曜日に出席は3週間ぶり。
先生のご都合で、開始時間も2時間遅れの19:30~21:30。
なかなかスペイン語モードに切り替わらない脳みそ。
"Espera un momento,por favor!"・・・お願いちょっと待って!が度々。

最近、朝9時ちょっと前には家を出て、帰宅は深夜の日々。片道行スペイン語
の相手をかまう時間もなくてね。毎朝、
"Buenos dias.Buon giorno.Good morning.早上好。アニョ ハセヨ
Huomenta.おはよう。”の掛け声から始まる私の1日。相手はもちろん愛犬
マリリンよ。抱きしめて、7ヶ国語で朝の挨拶。これを最近言ってないのよ。
彼女のお散歩もセニョール・ダンが係り。まだ、夢の中のマリリンへ、小さな声で
"Mama tengo que ir a OGAYA,por eso no puedo ir a paseo contigo.
Entendistes?"・・・ママはおが屋へ行かなきゃならないので一緒にお散歩は
できないのよ、わかった?って。

久々の休みは、何やかやと野暮用で潰れる。
昔々の読書スタイル通勤電車内。正味にすれば30分弱でしかないけれど、
貴重な時間なの。私の人生から活字がなくなったら、大袈裟に言えば生きていけない。
私の指が紙をめくらなくなった時は死ぬ時。
携帯?パソコン?電子辞書?ン~~~、それがどうした?
身動きできないほどの活字(本)に埋もれて、コーヒーと緑があれば、言う事無し!

最近は、イタリア在住”塩野七生”の本に夢中です。
「ルネッサンスの女達」を読み上げたわ。「ローマ人の物語」の間に入れてね。
おが屋は神大(神奈川大学)側で、ここも古本屋が何軒もあるそそられる界隈。
暇な時間は、その本屋を訪ね、悦楽の時間に浸ります。
昨日も昨日とて、かなり大きい1軒へ。2代と思しき女主人2人が店番。
古色蒼然とした、本達が所狭しと並べられ、積み上げられ、どちらと言えば
無秩序な配置の膨大な本達は、あちらこちらから私に
「一緒に連れてって!」
って、声をかけるのよ。
その声を振り払って、今回手にした本は、
私の一生を、女としての一生を決定づけしたと今なお思っている懐かしい本に
出遭った、その名は「魅せられたる魂」ロマン・ローラン。表紙は、これまた
私の大好きなセザンヌの静物画が物語を包んでいたのです。これは迷わず手に。
ディケンズの「炉辺のこおろぎ」。難しい漢字で書かれていて、「?」とっさには
読めなかったの、情けないことに。
姉夫婦とその友人達6人が来店。その中にいる義兄(中国人)へ訊ねれば、
事も無げにその難しい漢字を読んで。さすが漢字の国の人と感心よ。
もちろん塩野七生の本も。計5冊の本を手にして、
「今日はこんなところで勘弁してやろうじゃないの!」
なんて、自分にね。

年内は無休のおが屋です。
私のできることを受け持ちます。
けれどもそこはプロとアマチュアとの線引きが要求されますから、背筋を伸ばさ
なくてはなりません。「このへんで」「とりあえず」「ま、いいんじゃない」は
排除しなければなりません。
お客様の線引きは・・・ありません、否、してはなりません。
お若い方が、私の煮物を美味しいといって下さいます。
「便利・簡単」からは価値あるものは生まれない!・・・自論です。

いつか又、横浜の片田舎でぐ~たら読書三昧の日々に戻れるまで、私はおが屋で
働きます。ええ、もちろん無給ですよ。お金?セニョールのお陰で不足なく日々を
過ごしていますから、強いて必要ありません。
飢えていません!裸ではありません!履く靴も持っています!冷暖房自由の家に
住んでいます!何が不足でしょう!充分満ち足りた生活です。
私は寂しくありません。ですからモノに取りつかれてはいません。
際限のない欲望に踊らされてはいません。不幸な人間ではないのです。
何が私にとって必要か?充分知っていますから。
人に操られない!これこそ誰もが自覚しなきゃならない事だと思うのです。
流行?・・・無視する勇気を持ちましょう!そこに自己の確立が生まれるのですから。
誰かの仕掛けに乗ること、私が絶対に拒否することです。
自分を、最も大切な自己を他者に委ねては、自分に失礼。でしょ?ね?