ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

歴史に目をつぶってはいけません

2004-12-13 00:40:03 | Weblog
「エホバの証人」「モルモン教」はアメリカから。「統一原理」は韓国から等など。キリス
ト教をベースの新興宗教。それぞれの宗派が、啓示を受けたという人物が教祖らしいわ。世
の中に啓示を受けた人はごまんといるって言うから、あとはどれだけ人を説得できるものを
持ってるかでしょう。時代とその人物が所属する社会との折り合い。いまや、教祖が属する
その社会だけじゃない小さな地球になって、布教活動は、簡単にグローバル化。
我が家にもよく見えます、「エホバの証人」の人々が2人1組になって。
今年知り合った、否毎週「無料英会話」でお邪魔している「モルモン教会」。
真摯で、陽気な宣教師達と、そこそこ仲良くなってきてるんだけど、最近、なんだか彼等が
可哀想に思えてき出してね。
ざっと400派とも言われるキリスト教の会派。
そのどれもが、「ウチが正しい!」って、言ってきて早や、2000年。

異教徒との血みどろの戦い、迫害、殺戮のキリスト教だったってことは、歴史が証明してる
でしょう。
「愛です」って。決して「愛ではありません」って、誰が言うの?言えないわねぇ。
お題目がどんなに正しくとも、どんなに「ウチが正しい!」と、口角泡を飛ばして言ったと
しても、根っこが同じ「キリスト教」に、どうして人が救えようか?って思えてしょうがな
いのよ。「だから、ウチが正しいのです」って、言われてもね。

終末思想、末法思想で人を脅して、・・・宗教って、恫喝よね。そしてお布施、浄財という
名目でお金を出させる。キリスト教では収入の10%とは聞くわね。
未来永劫の幸せを得られるって、言われれば、この世の金品などいかばかりのものかと提供。
ま、いいでしょう、その人が幸せならば。他人がとやかく言うものじゃあないからね。
アメリカ人の宣教師が、
「神様のお話、聞いてくれますか?」って。
「いいわよ、いつでも聞いてあげる。・・・・けど、あなたたちを悲しませるかも知れない
からねえ。どうしょうかなあ」って、返事をしたんだけど。

伝道者になるには、相当の「ディベート」をクリアしてきてるって思うわ。シュミレーショ
ンも何通りも用意して、こう言えばああ言う、ああ言えばこう言うって、練習をね。
虚しいって、思うけれど、信じてる彼等にしたら、必死よね。仲間を増やすことは至上命令
なんですもの。「数は力」簡単明瞭。

モルモン教に限って言えば、何故か宣教師達の家は一様に裕福らしい。それが何を意味する
かは各人各様の受け取り方。大抵が、「恐れ入っちゃう」様子よ。
私は、鼻白むだけ、なんだけどね。
まあ、どこかの宗教が掲げるスローガンが、「真・善・美」ではなく「真・善・利」。
「利」というところが、現実的で、多くの信者を獲得して、今や、お定まりの政界進出でい
っぱしですものねぇ。
癒されない寂しさ・苦しみの上に、強烈な物欲が「もっと、もっと、もっと!」でこの世を
生きていれば、人はいつも物心共に飢(かつ)えて、地獄をさまよい、その時に出会った宗
教に救いを求めるのは人情なんだけど、1神教の猛々しさは怖い。殺戮の歴史を背負ってい
る宗教だって事を、なぜ人は見ようとしないのかしら?
ああ、でもそれは出来ないかもねぇ。メクラにならなければ、良き信徒ではないのだし、
そこでも又疎外感を受け取る地獄には居られないから、やっきになるのよね布教活動に。
これは自然の流れ。ましてや1人でも信者を獲得すれば、あなたはもっと幸せになれる。
だって、まだ知らない人々に教えを広めるって、こんな人助けがほかにあろうか?否、
ない!の論理ですものね。正に「アメとムチ」の両刀で迫る。

けれど、砂漠に生まれた宗教が、この水に恵まれた「和をもって貴しとする」民族に、理解
させるのは、難しいでしょうねえって、思うんだけど、ヨーロッパの歴史は、「血の歴史」
宗教戦争がつい最近まで。今は、世界を覆っているわね。テロじゃなんじゃって。けれど
アメリカから入ってきたそれは、五感で感じられる幸せを運んでくる白人崇拝が消えない
信者達が受け取るそれは、選ばれし民としての恍惚感に酔い痴れてるに充分らしいわ。 
だからなおのこと、一様に不幸な人々って映るのよ私には。
日曜礼拝にお邪魔して、彼等を観察するでもなく眺めてみれば、人は、何かに属さなければ
生きていかれないんだと、それも、かなり強力なものに属したい、という欲望の中に生きる
ものだと痛感させられたわ。
弱いのよねぇ。まさに迷える子羊たちなのかも知れない。
私みたいに、誰かさんの演出に、役者として登場するのは真っ平ごめん!の女から見れば、
可哀想に!って。

新渡戸稲造が、彼の国の人に、「宗教がなくてどうやって人々を導くのか?」って、聞かれ
たそうよ。そこで、彼が持ち出した、当時の日本人のバックボーン「武士道」。元は、「朱
子学」なんだけど、日本人独特の価値観・死生観までをも作った精神の拠り所。そして、
庶民の高い教育。寺子屋あたりから、出発したそこに通うのは一般庶民の子弟。
なんせ、飛鳥・奈良時代に大陸から輸入したものが、経典を初めとした書籍がメインという
から、わが国の知的水準の高さが知れようと言うものでしょう。今?ゆとり教育と、欧米が
絶対と思ってきた結果の、子ども達の、ということは、親達の水準の低さよ。

人がいるところ、迫害、争いは常にあり、
「助けて~~!」が、宗教を引き寄せるのでしょうが、大体は、親との係わりが、その人の
一生を決定付けることは、もうわかってることだから、苦しみ悩む人々を救うのは、もしか
したら、カウンセラーの方が上かもしれないって思うわ。それに、漠然とした「神」の助け
「錯覚」を頼んだり、あなたの前世が、なんて脅しに怯えるより、「コレコレシカジカの体
験が、あなたを苦しめているのです」って、本人も納得するものが見えてくれば、それはグ
~~ンと身近で、わかり易い救いが得られるって、私は思うのよ。
っていう私も、どれだけマザーコンプレックス、シスターコンプレックスに悩まされてきた
か、最近になって私の芯のところに居座った、母親と姉達の生霊(?)に悩まされてたかが
判明して、と言うのも、それが「諸悪」の根源だったなんて思いもよらなかった事ですもの。 
解放されたわねえ。宗教は、解放じゃなく、取り込むものだからね。誰も、前世の行いが、
とか、信心が足りない、なんて本当は言われたくない筈よ。誰かに指図される事が心地よい
って感じる人は、それこそ幼少期に、何かしらの経験・体験を受けた結果。
がんじがらめになっている様々な心の中の鎖を断ち切って欲しいって望むのに、宗教はまた
新たな鎖で縛るのよ。「救いです」「同じ仲間です」という安心感の裏書付きでね。

けれど、科学的じゃないって言って、宗教をバカにする人もいるけれど、そういう人は又傲
慢なのよねえ。科学教の信者だって事には気付いてない、マスコミ教信者と同じよ。
ただ、一つ言える事は、「神様」より「親子」関係の洗い直しを!ってね。充分な愛を親に
感じられない人は、直行でカウンセリングを受けるべきで、簡単に親になってはいけない。
親子の情愛って、・・・最近の世情を見ればわかるわよね。負の遺産は、渡してはいけない
のよ。宗教が介在するって、ネ?不幸だって事なのよ。永遠の幸せ?
欲しい人はどうぞ! 前世の記憶がないんだから、そんなものは存在しない。恫喝に怯えて
はいけません。そう、思いません?

太陽が出ても、雨が降っても、自然の中に喜びを感じられて、誰かに何かをして上げられる
事を自分が嬉しがられて、誰にも褒めてもらえなくても、寂しがらずに。そう、心の在り様
が、何かに誰かに寄らずに生きていかれれば、それはとっても自然で幸せな境涯だって思うし、
そう生きたいって願うわね。神様を意識しないで生きられたら、調和してるってことだから、
何と?自然とね。ミジンコやアリンコ達と同じ生き物だって事よ。それはとりもなおさず
「自我からの解放」って、思うんだけど。ウ~~~!外は太陽がいっぱ~~~い!幸せね~。