デジカメぶらりぶらり

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消えた水

2011-04-02 06:02:30 | Weblog
ブッダの「毒矢のたとえ」というのがあるが、こんな折だから、心に強く残る。毒矢に当たって苦しむ男がいる。毒は何か、誰が矢を放ったか。どこから飛んできたのか。

そんなことを聞くより先に、毒矢で苦しむ人を救え。そう説いたという。わが身に思い当たる節がある。首都圏の知人に飲料水のボトルを送ろうか、と持ち掛けた。乳児に対する水道水の安全性黄色信号が点滅し、店から水が消えて久しいという。

いつまでそんなことが続くのか。やがて大人も危なくなりはしないか。情報はどこまで信頼できるのか。尽きぬ心配を思いやって親切心から申し出たが、「心配無用」と断られた。

毒矢のたとえに従えば、大事なのは乳児のための水の確保。それも将来の健康被害を懸念してのことである。大人は二の次。「将来を心配するほど長い寿命ではない。お互いに」と、買占めに加担するような世話焼きを、皮肉られた。

思いは見えないけれど、思いやりは誰にも見える。テレビのCMで、すっかり覚えてしまった。「消えた水」からは、逆のことが見えてきそうである。