Late Night Shopping...
夜遅くのスーパーマーケットに行くと、心地良い鈴の音が聴こえてくる。
音の発生源を探して歩いていくと、早くも冷やむぎ・そうめんコーナーがあって、白い乾麺とおつゆ類の涼しげな風景。
「もうそんなことになっているのか」と思う。
お昼にお弁当を食すときに、流れていた地上波テレビのニュースからは「7月初旬から中旬の気温になります」。
まだ、梅雨さえも来ていない、というのに。
気温はされども、朝夕(にしか外に出られないのもあるが)外を歩いていると、風がとってもさわやかで気持ち良い。
こんな日には、延々と仕事場にも家にも向かわずに、あてもなく風と共に歩いていたい。
突然、消えてしまう行方不明者の中には、こんな夜の裂け目に出会って、そのままの人も居るのかもしれない。
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外に居る時のために、と、ごっそり好きな曲をmp3プレイヤーにぎちぎちに詰め込んで出掛ける日々。
遠足に出掛ける子供時代のナップサック、あるいは、家出のときのような風だったり。
ピンク・フロイド、ジェフ・ベック、ティナ・ターナー、チャイナ・クライシス、ローリング・ストーンズなどに混じって、頓服薬としてのブライアン・イーノ、ハロルド・バッド、デヴィッド・シルヴィアンなどなど、よりどりみどり。
帰れば、CDの山からレゲエ、ダブ、ファンカラティーナ、ニューアコースティック等々の大好きな曲を引っ張り出して流しながら、お掃除、皿洗い、食事を作る暮らし。
今の自分にごまかしはしようもないが、年始の絶望以降、それより少しは精神状態は良い方に転がっているように思う。
朝お水を上げたきゅうりの苗の葉のみどり具合だったり、夜にお酢を掛けたご飯のすっぱさだったり、ほんの少しのさじ加減が、日々のうるおいとなる日が単純にうれしい。
昨日は、月一回の定期健診で、午後半休。
だるいだるい・・・と言いながら、街という外野に出れば、水を得た魚のようにシャッターを切り、街角をステップ踏み踏み、歩きすぎてしまう。
その反動で、帰った夜にはすっかりグッタリ疲れている。
自分という一個の肉体存在が持っている時間も、暮らす上での動ける制限・限度と言うものがあるのに、それを超えてしまおうとゴリ押しするから、そんな自分は時に疲れて病んでしまう。
今更のことであるが、インターネットの「仮想空間」があたかも「現実」と思い込んでしまいがちな傾向のなか、全ては永遠に思えるが、それは全てを呑み込み・生き延びられる、死を知らないコンピューター内だけの世界。
人には生と死、朝と夜があるように、老いも、限界もある世界の反対側。
その落差を直視するのが怖くて、忘我すべくパソコンに向かう面があった。
もっともっと知りたい、、、そんな猛烈な生へのエモーショナルな固執が、平日でも夜中になろうがパソコンを落とせずにのめり込む導火線となっていたのは事実であろう。
しかし、近時、自宅パソコンの一部破損・不調をきっかけにして、ただラジオやCDだけを掛けて、暮らしのこまごましたことをしている夜が多くなった。
情報なんか最低限でよい。
その方が、心にゆとりがあったり、自由に空間を動けたり、不意の発見がある。
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1982~1983年、男子校に通っていた時分。
部活の無い日には、帰り道に近くの池袋に寄り道をしていた。
持参金はほとんどなかったが、中古レコード屋さん、それに、百貨店内に入っていた新星堂に寄っていた。
当時、新星堂は、クレプスキュールレーベル、ファクトリーレーベルの国内販売の権利を持っていて、ささやかだけれど手作り風の広告を音楽雑誌に載せていた。
お店では、初めて見るヨーロッパのミュージシャンの12インチシングル、ミニアルバムなど、よだれが出るような輝きを放った、憧れの未知世界。(1枚1,800円以上の高価格)
そんな中の1枚がアンテナの「カミノ・デル・ソル」。
水彩画風のジャケットがとっても美しいデザインで、夏に向けた陽光が織り成す陰影を付けた室内調度品の風景は、数十年に渡って好きなものである。
■Antena 「Camino Del Sol」1982■
そんな自分がやっと、アンテナの音楽に触れられたのは、1983年高橋幸宏のオールナイトニッポンで掛かったシングル「ビー・ポップ」。
その後、1984年に終わる事になってしまったFM番組「スタジオテクノポリス27」(土曜深夜3時~/DJ:ピーター・バラカンさん)の次に始まった「FMトランスミッション/バリケード」。
そこで掛かった「カミノ・デル・ソル」「ザ・ボーイ・フロム・イパネマ」をエアチェックして、聴いては悦楽に浸っていた。
もう今では、数百円でブックオフで売っているCDは、アンテナのシングルをかき集めたもの。
自分がこれを購入したのは、2000年以降のことだが、小さいながらも、「カミノ・デル・ソル」のジャケットであるのは気に入っている。
昨夜・今夜と、久方ぶりに、このCDを聴いていた。
ジャケットと音楽がマッチングした曲「カミノ・デル・ソル」への個人的想い。
沖縄を「悲しき熱帯」という言い方をするケースがあるが、夏や南洋の明るいイメージと共に、その中には必ず哀しみが佇んでいる。
そんな物憂げさが、余計な加工をしていないストレートな簡素な音のキーボードの音程に、うまく表現されていると思う。
PS:CDを整理していたら、このCD「カミノ・デル・ソル」を2枚も持っていたことに気付く。
全く持ってぜいたくであり、ボケまくっている。
>そんな自分がやっと、アンテナの音楽に触れられたのは、1983年高橋幸宏のオールナイトニッポンで掛かったシングル「ビー・ポップ」。
これ、私もオンタイムで聴いていました。
そして翌日の午後、授業があったかどうかも定かではないけど、渋谷のタワーにいました(笑)
くっだらない仕事で、PCに今も向かっていますが、音は一服の清涼剤兼トランキライザ。ボッサに枝葉を伸ばす本気を与えてくれたantena。
クレスプキュールごとく歪んだ果実のような10代の自分が、オーバーラップします(笑)
当時も今も、四月の魚さんは元気な様子が、行間からいつも伺えます。
1983年の火曜日は、教授のサウンドストリート~二人の部屋~クロスオーバーイレブン・・・
1時間ほど、うろうろして、オールナイトニッポン。
そんな翌日は、朝へとへとでした。
「クレスプキュールごとく歪んだ果実のような十代」
上手な表現ですね。
なんとも言えない白でも黒でもない視野と聴覚と嗅覚と憂鬱さ。
それが当時の自分であり。。。
それは今も大して変わっていないと思います。