こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

VLADIMIR COSMA 「Promenade Sentimentale」'81

2010-09-12 00:55:33 | 想い出かたちんば
昼、起きたら二日酔いで調子悪し。

その後、水を飲み続けていたが、次第に「むかえ酒」ではないが、また、つべたいビールを呑み出す「堕落者=かたちんば」。

ひっそりと憂鬱に部屋の暗い中に居る。
二日酔いとともに、昨夜までの最低だった今週の記憶と未だに残る「怒り」がなかなかきえず。

MZ師に電話して馬鹿話などをして、いっときそういう引きずっていた嫌なモードを切り替えることは出来たが、電話を切れば、また、独りの世界に戻ってしまう。

***

時間の経過とともに、部屋に沈む陽の暗さが次第に伸びてゆく。
キッチンに行き、1週間たまりにたまった食べ物の残骸を片付け、皿洗いをする。

夏のフェイバリッツ⑲でも紹介したヒューマン・オーディオ・スポンジの「Everybody Had a Hard Year」があまりに素晴らしくて、何度も何度も聴く。

幸宏の切ないセンチメンタルな歌・ステキな歳の取り方をした細野さんの表情・しなやかで優しく・まだ蒼さの残る高野くんのギターのギターの弾き方・歌い方・歳をとってもカッコイイ教授の長い白髪とうつむき加減の表情。
何度見ても、こんな素晴らしいライヴ演奏は、余り出合った事が無いほどのお気に入り。

***

1981年 フランスで作られた映画『ディーヴァ』は当時のサブカルチャー、レアモノをたたえる一部のスノビズム(今野雄二ら)では、ひそかに語られていた。

僕は、その後、そういう空気を嫌う中だったが、深夜テレビで放送される事となり、ヴィデオに録画しながらみたが、これほど面白さを持ちながらも、ロマンティックな映画は無く、ツメを折って、永久保存版のヴィデオにした。



僕自身は、2人の異なる事情下にいた男女が、夜明けのパリの中心地を歩く、このシーンがとても好きで、バックで流れるピアノ曲の良さも相まって、この映画の中でも、特に美しいシーンとして刻み込まれている。

***

この映画「ディーヴァ」のサウンド・トラックのCDもちゃんと買って持っているという具合。
様々な要素の曲、インドのシタールが使われていたり、まるでクラフトワーク的なテクノの要素が入った「メトロ・ポリス」という曲(これも名曲)などが混在し、映画を見た人には、このサウンドトラックの素晴らしさもわかってもらえると思っている。



このサウンドトラックを創ったウラミジール・コスマ自身が弾くこのピアノ曲は正式には「Promenade Sentimentale」というタイトルであるが、日本語タイトルでは「センチメンタル・ウォーク」という名前が付いている。

この曲は、アンダーグラウンドで音楽を聴き続けてきたヒトにはひそかに有名で、たまにTVのノンフィクション番組、ニュース特集などのバックに使われていることがある。
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夏のフェイバリッツ⑳ ムーンライダーズ 「くれない埠頭」'82.09

2010-09-11 16:15:41 | 音楽帳
果たして、夏がいつ終わるのか?

この数日、「猛暑」では無く・若干過ごしやすくはなったものの、一方では気象庁の発表する内容も含めて「今年は秋は無い」と囁かれている。。。

「この多少温度が下がったのは、もしかしたらいっときのもの?」と戸惑う。

ただ、好い加減「夏」は終わって欲しい。

気象庁も、さすがにこのような気候変動の大きい中、梅雨も天気も季節の変わり目も当たらなくなった。
それは、本当に神さえにもわからないもの。

***

昨日は、女性営業マンだけを集めた「男女差別」バリバリの研修を行い、前夜、同僚のSさん・Nさんの助けを借りて作成した資料を元にして、自分のパートを説明したが「この研修の目的・意義・方向性も聞かされない」中作成した資料は、ふたを開ければ温度差がある資料であり、また、緊張症の自分は「頭が真っ白」になり・声も震えてしまい、たどたどしい説明で、伝えたい事の一部も伝わらなかった。。。。

自分の「しゃべりのへたくそ」な営業としては能力が無い事が、今更ながら、自分に対して突きつけられた機会となり、自戒とともに、さらにウツ的世界へと入っていった。。。

***

その「差別研修」には最高級の飲み会がセットになっており、逆に言うと実は「飲み会」が主であり、研修とはそれにとって付けたものだった。
だから、実は、その研修には、実は目的・意義・方向性など元々無かったのである!
『シャンパン』がポーン!と上がって、女性に囲まれて、上位者はニッコニッコであった事だろう。

みんな、その研修への疑義を思いながら、納得行かないココロを内包しながら、業務命令に従って遂行したが、その反動としてのモチベーション低下・義憤もあり、仲間だけで飲み会をした。

結局、酒好きの自分は、話のヴォルテージのヒートアップに従い、ビール → 角ハイボール → 日本酒と次第に濃度の高い酒に向かっていった。

日本酒は、「菊水」のつべたいヤツを頼んだ。



少し甘めの方の新潟のお酒だが、まろやかで、味に女性的な色気のあるお酒で美味しく呑んだ。

そのうち、邪魔者がやってきて、大喧嘩になり、ブチ切れて、大きな交差点で大声で罵倒するに至った。。。。

情けない。
まさに、情けない1日だった。

***

「夏」がいつ終わるのか?否かは?不明であるが、夏の終わりに必ず聴くのが、ムーンライダーズ【日本の最長期バンド】の1982年9月に発表された、ムーンライダーズが「永遠なるB級バンド」から「A級」に変わるかもしれないという、淡い期待/もしくは、残念!という境目にあったアルバムが、この『青空百景』である。



***

それは、江口寿司という「仕事は嫌いだが才能がある」漫画家の描いた、だーい好き!な『ストップ!ひばりくん!』の中にも「青空百景」は出てくるし、過去、ラジオ番組を江口がやっていたときにも、その中の曲がかかっていたのを思い出す。。。。


***

「ワールド・ハピネス2010」の、野外で、少し日が傾きかけ、風が吹いて・雲が流れる大きな空のもと、ムーンライダーズの1曲目が、この『くれない埠頭』だった。
ジャリやガキたちは、座ってメシを喰ったり・寝たりする中、僕はずっと立ちつくして、この大好きな曲を聴いた。



数人しか立って聴いてはいなかったが、その数人は、まさに僕ら世代の、ある種の「思い入れ」を持っている人たちだったことだろう。

ムーンライダーズは永遠なる「東京」を代表するB級バンドなんだ!
一生死ぬまで続けて欲しい。

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かたちんば徒然日記 : カネが欲しくて働いてんじゃねえ!

2010-09-10 01:44:54 | 写真日和
『カネが欲しくて働いてんじゃねえ!』というと、たぶん、MZ師も含めて全否定されるのはわかっている。

そんなこと「かたちんば」さん言っても、カネ貰うために働いているんでしょ?と。

そう。
まさしく、その通りです。

ただ、『バブルの申し子』と指指されるくらいだからかもしれないが、仕事量がカネに直結している意識は無い。



まあ、それは、自分が44歳にして独り者であり、無頼派の『こげぱん』にシンパシーを感じるような、自分の所属する課では、みーんなに迷惑を掛けながら、ある日は誰かの家で野垂れ寝していたり・知らない野外で寝ていたり・ブチ切れて誰かに絡んでいたりする、どうしよーもないニンゲンという名のゴミのような生き物だから・・・・それはよくわかっている。



今日も、明日の、ババア営業ウーマン相手の研修に「なんでこんなクソ野郎相手に研修なんかするんだ!」と上司を責めながらも、結果、同僚のSさんやNさんに助けられて資料を1日半で仕上げて、明日の説明会に臨むのだが、納得が行かないのは変わりはない。

年下の上司が「これは、組織として決定した事項であり、義務ですので、やって頂かないと困ります。」と言われながら『コンチクショー』と燃えながら資料を朝~作っていたが、途中から訳がわからなくなって、優しい同僚のSさんやNさんに助けられたから何とかなったものの、相手にとっては迷惑な事だっただろうね。

何はともあれ、明日がババアどもとの決戦の場である!
鼻血が吹っ飛ぶような『強壮剤』を呑んで臨まないといけないとは思っている。



誰が何とも言おうと清志郎のように『カネが欲しくて働いてんじゃねえ!』と言い放ってやりたい気分には変わりない。



化粧臭いババアに擦り寄るなんてもってのほか・オレのプライドが許さない。

***



今日は、朝、駅前までの道で、新しい子ネコちゃんとばったり出会い、写真をパチリ。
過去、捨て猫である「オッポちゃん」を大事に飼っていた、優しいおばさんに飼われているようで、子ネコちゃんも良かったね。

徐々に仲良くなりたいと思っています。

***

今日は、昨晩の雨もあり、ひさしぶりにニンゲンらしい温度で過ごせた日で、なんだかうれしかった。



朝~晩まで資料をひたすら作っていたが、お昼は、豆腐ハンバーグのお弁当と、カップ麺を平らげた。

ふだんは、暑がりの自分だが、ラーメンのスープが別に暑くも感じなかった。

そして、もんもんと資料をコツコツと作りながら「ああでもない・こうでもない」を繰り返しながら、最後は、優しい同僚のSさんやNさんにアドバイスをもらう事で、資料が22:30完成!

20部コピーを仕上げ、22:50の電車に乗るが、ヘロヘロ状態。

何とか、23:30東向島駅に降り立ち、家路をたどる。
23:50着替えをすませて、また孤独な一軒家に1人。
缶ビールとタバコをくゆらせる。



明日は明日で何とかなるだろう。
何かを考えても、もう時間的にもどうにもならんし。

みうらじゅん先生のラジオのmp3でも聴きながら寝るべしか。。。。。。。
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Tears For Fears 「Mothers Talk」’84

2010-09-09 00:33:33 | 音楽帳
昨日は、つくば”ダッペ”村の工場で、会議・打ち合わせ三昧。

カラダを壊している割には、酒に溺れる、完全な堕落主義的な自分。
結果、溜まった鬱屈もあり、夜中2時まで酒を呑み、後輩宅で3時頃寝かせてもらう。

***

今日は、日々続くキチガイ猛暑の夏の中の「恵みの雨」。

とはいえ、後輩宅から駅まで着くまでに、ズボンはビショビショ。
涼しいだけでもありがたい事ではあるが。

つくばから、都内の本社に戻ると、あっけなく風も雨も降っていない。
ぬあんて事だ!

メシを喰わねば倒れてしまいそうで、小諸そばで「ミニかき揚丼+冷やしそば」の500円セットを平らげる。



13:30~吐き気と疲れと戦いながら、何とか今日仕上げなければならない資料を19時完成。
それから、金曜に向けた「気が進まない」資料を作り出すが、これが難関。

21:50まで粘ったが、今日には出来ない、と思い、帰ることにする。

***

23:00帰宅し、ビールと焼きそばと冷奴。

今夜は、どうもむしゃくしゃする。
気が進まない」資料を作らねばならない事に対する、内包された怒りである。



こういう日には、幼少の頃、しいたげられ・孤独で・いたたまれない・ココロにキズを負った自分と重なるティアーズ・フォー・フィアーズの「ザ・ハーティング」(「傷心」・ファーストアルバム)の後、シングル「ザ・ウェイ・ユー・アー」に続いて発表されたシングル「マザーズ・トーク」が聴きたくなる。


【当時、日本のみで発売された「ザ・ウェイ・ユー・アー」「マザーズ・トーク」が入った12インチ編集盤】

「ザ・ハーティング」で、ココロの内的な世界を歌った彼らが、次第に、その目を外側に向け出すきっかけとなったシングル「マザーズ・トーク」。

激しい打ち込みの嵐は、当時のピーター・ゲイブリエルの影響を受けながらも、独自な音を創り出し、むき出しの憎悪が音ににじみ出る。

憎むべき「親」という邪魔者を殺すか殺さないか?
その2つの境目の壁は極めて薄く、私含め、「たまたま殺せる勇気が無かっただけ」で犯罪者を間逃れただけの者たちは、こういう音楽に、その幼少の頃の痛みを叩きつけて聴くのだ。
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夏のフェイバリッツ⑲ HAS 「Everybody Had a Hard Year」'07

2010-09-07 01:09:20 | 音楽帳
日曜日には、京都で39.9℃の暑さという記録的猛暑となった。
「夏」は終わる気配が無い。

僕は思い出す。
おぼろげだが・・・・
「エヴァンゲリオン」で、綾波レイちゃんが、未来都市の錆びきった線路・かげろうのゆらぐ夏のさなか、彼女の住む(?)アパートに向かい歩く姿を。

たぶん、僕の記憶はおかしいのかもしれないが。
僕の頭の中には、そんなシーンが浮かんだ。

地球は、確実におかしくなっている。

僕は、それはいつかそう遠くでは無い年に来るとは思っていながら、うかつにも唐突に、それが来てしまった事にまごついている。

***

今日、帰り道、22:00頃、浅草まで来たところで、東武線が人身事故(飛び込み自殺)でストップしてしまい・・・・いつ来るのかわからない電車を待ちわびながら、結局自宅には23:00に着くハメになってしまった。

多くの自殺者、仕事に就けない人々、そして仕事をし過ぎて心身を病んでしまった障害者たち。。。。。
僕は、そういう人々に、同情の念を抱かざるを得ない。

何とか、苦しくとも・絶望しようとも、安らかに「生きる」という気持ちを捨てないで欲しいと祈るばかりだけだ。

そんな人々や生き物たちの「止まり木」に、自分はなりたいと思うばかりだ。
実に微力ながら。
人より、自分自体が不安定ではあるが、そういう優しき人々や生き物たちが安らかである事を。
さすって苦しさが取れるなら、【別に宗教や超能力ではなくとも】さすってあげたい。

***

そんな今日、僕の頭の中には、今の夏では無い⇔まともな夏の木陰が涼しく、草原や森が光合成を起こし、呼吸する自然の中の涼しさを持った中に立っているかのような、優しい自然に生かされ・気持ちをゆだねられるかのような幻想を持った、このヒューマン・オーディオ・スポンジの「Everybody Had a Hard Year」という曲が流れていた。

2007年5月19日に横浜パシフィコで、たった1回だけ行われたチャリティ・コンサート「Smile Together Project Special Live 2007」の会場で聴いた事を思い出しながら。。。。。。。



本当にステキなコンサートだった。

実は、僕はいまだにこの曲だけは、誰の曲かわからない。
レノン&マッカートニーのビートルズのにおいもするが、誰の曲でも良かった。

幸宏が歌い、アコースティックな感触の音に囲まれて、3人と高野寛くんたち他のサポートメンバーたちが奏でるこの曲には、妙な明るさと切なさが含まれていて(タイプは違うが、ロバート・ワイアットの「At Last I'm Free」のような)、過去のYMOではありえなかった新しい道を見つけたような気がした。

2010年「ワールド・ハピネス」でのピューパの「Anywhere」や、YMOの「ハロー・グッバイ」のような、暗さや重さの無い、様々な苦をくぐり抜けた後の突き抜けた感触がとても優しく感じて、自分の居場所を見つけた感じがする曲。

公園に座ってぼーっとしているときのような、安らかさを感じる。
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RCサクセション 「ぼくの好きな先生」'72

2010-09-05 22:43:02 | 音楽帳
土曜日は、朝~棚卸でつくば行ってたが、倉庫室内の暑さにギブアップ。(@O@)~

15時半には終わったけど、今週の深夜残業の疲れもあって自宅に帰って1本ビール呑んで横になってたら寝てしまっていた。

***

日曜日は、昼にマイ・パソコン=VAIOちゃんがおかしいので、石丸さんに来てもらったが、かなり瀕死の重傷。
当時は、20万円以上した代物だったが、この5年でハードディスクも酷使し過ぎて、もう変えどきかなあ、と思っている。

故障箇所は治らず、全部、データを出した後に、リカバリーディスクで再インストールする手もあるが、時間がかかりすぎる。

やはり、本体だけ買い換えようという結論。
愛着はあるが、MZ師曰く、PCの発展速度も速いし、リカバリーすること自体無駄であるし。。。

ヴィデオをDVD化するのも、ヴィデオ+ハードディスク+DVD一体型のモノも、数少ないがあるようだし、色々検討しようと思う。

***

昨日から今日、ずっとRCサクセションと清志郎ばっかり聞いていた。
とうに1周忌は終わったのだが、なんだか疲れているときほど、彼の歌を聴きたくなるものだ。



貧乏な売れない頃の「ぼくの好きな先生」が好きで、何度もクチずさみながら、日曜の夜がやってきてしまった。
また、明日からは、見えない未来に向けたクチがぽっかりと開いて、こちらを睨んでいる。

いつどうなるか人生解からんもんだ。
そんな存在不安を抱えた夜、独身独り者は、若き日の清志郎の声を聞きながら残り少ない時間を過ごしている。
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「記憶喪失都市、東京2010」

2010-09-04 00:48:18 | 想い出かたちんば
■関係性のわからない親族、遠くなる「昭和」という過去■

今週のTBSラジオ「爆笑問題カウボーイ」で田中くんと太田さんが話していたが・・・・。
まさに「そうだったのか!田中くんと太田さんもそう思っていたんだ。」という過去の幼少の頃のナゾが1つ解けた。

それは、僕ら40代より上の人。
要は今のような共同体が崩壊し・核家族で生まれ育った人には多分わからない感覚なのだが。

『身の回りに居る人が、一緒に暮らしたり、ときどき来たり、法事やら葬式やらで会ったり…それぞれの顔も《名前というより》愛称もわかっているのだが、誰がどんな関係性の中に居る《親族》なのか?さっぱりわからなかった』という事である。

***

とにかく、幼い頃は「閉ざされた世界/輪」の中になど居られず、いろんなおじさん・おばさん・おじいちゃん・おばあちゃん・・・・・まあ~広い老若男女の人たちが近くにとっかえひっかえしていた。

よく可愛がって遊んでくれた大好きだった優しいお姉さん。
お袋が外に遊びに行っている間にお世話になったお姉さん。
仕事の途中に立ち寄り「坊!(=私)いくつになった?」と言いながら、いつも仕事の話をしていて、帰り際におこづかいをくれたおじさん・・・・。

・・・・・かと思うと、数件斜め向かいのタバコ屋に住むおばあちゃんは、いつも、窓口に座って、タバコだけじゃなくて、駄菓子から生活雑貨まで売り、チョコンとその前にある赤いポストは師走になると中の年賀状を麻袋いっぱいに預かっていた。

ときに、お店のお留守番をまかされ、私もチョコンと窓口に座って、近所のおじさんやおばさんが来ては「えらいね~」などと言われながら、お話をしてタバコを売っていた。

おばあちゃん家の二階に行くと、かもいのところにいろんなおじいさんやおばあさんの色褪せた大きな肖像写真が飾ってあって、部屋には仏壇があった。

はっきりと教えられてわかっていたのは唯一、死んだおじいちゃんの写真だけだった。
波平さんそっくりのおじいちゃんだった。

自分は、よくおじいちゃんの生まれ変わりと言われたが、実感はわかなかった。

勇ましい地下鉄の車掌さんのような帽子をかぶり・正装をして黒ぶちメガネをした大きなおじいちゃんの写真があって、かっこ良かった写真をよく見上げて見ていた記憶があった。

***

後に今となっては、おじいちゃんが交通局に勤務していて、都電の仕事に着いていた事を知り、昭和41年1月に急死し、その後昭和41年7月に自分がこの世界に生まれ落ちたのを知る。

数軒となりがおせんべい屋さん・うどん屋さん・下駄屋さん。

当時、大きなタテ2メートル以上の下駄が店の看板で、この下駄屋のおばさんにも、いろいろ遊んでもらった。



しかし、それがまさかアラーキーのお袋さんとも知らず。

近所じゃ「下駄屋のノブちゃん(=アラーキー)ろくに仕事もせんと、エッチな写真ばっかり撮ってるらしいよ~」などと聞きながら、後に結婚する陽子さんと付き合っていた事など知らず。

また、僕のおじいちゃんとアラーキーのお父さんが盆栽仲間で、僕のおじいちゃんが死んだ葬式の写真を撮ってくれていたなども知らず・・・・。
(当時は、お葬式のさなかの写真というのは、みんなが集まる機会として写真に残したもんなんである。)

***

話は脱線してしまったけど、親族(身内)から近所の人まで含めて、誰と誰がどんな関係性があるのかも知らないまま、いろんな関係性の渦の中で生きていたのだ・・・・。

その全部はいまだにわからない事も多いが、その昭和の下町「三ノ輪」の記憶から40年・・・・・・・。

全てブルドーザーで共同体を壊して行ったかのようにして・・・・・・・・・・・・・はるか遠くの未知の都市に、僕は今、立っている。

***

2010年、僕は記憶喪失都市=東京に、生きている。
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かたちんば徒然日記 : 死ぬほど疲れた・・・・・

2010-09-03 00:19:14 | 雑記帳


疲れて痴呆状態です。。。。

***

●9月1日になると同時に、ビールは「秋向け商品」・雑誌も広告も「秋・秋・秋」という浅はかで稚拙なノリとなるが、自分はそれに対する疑念・疑問符を毎年感じている。

夏は、暑くて暑くて暑くて、いまだに終わっちゃいねえよ!

●今年の恐ろしき「恐怖の夏」。
既に、我輩の歌姫:竹内まりや様の歌っていた名曲「セプテンバー」は、当時の日本の気候を離れてしまい、亜熱帯⇒熱帯になってしまった2010年には通用しなくなってしまった。
「夏」は今だに終わらず、かたちんばの心身はボロボロになっていく。。。

ああ、DavidSylvian先生の名曲「セプテンバー」に漂う季節感も遠くになってしまった。。。

まさか、来年の夏も?と思うとぞっとしてしまう。
地球がキチガイになってしまったのだろうか?

***

8月31日 火曜

仕事に没頭するものの、急遽明日までに作らねばならなくなった社長ミーティングの資料のために、数十メガのいろいろデータいじくり・数万行のデータをこねくり回しながら、結論を導き出そうと格闘していたが、どんどん周囲の人が帰り出し、最後の1人も帰り・・・23時を回りだすあたりから、完全に半泣き状態におちいり、必死の形相。

しかし、なんとか、すったもんだの上、24:00、出来の悪いプレゼン資料が、一応出来た。
上司の期待値には程遠い出来(-_-#)、と思ったが、適当な数字も置けずまごまごしているうちに、無駄な時間投資して失敗した。
徹夜しても、これ以上アップした資料作れる感が無いので、半泣きでプリントアウトして帰ることにした。

終電に乗るが、途中までしかいけず。
仕方なく、南千住で降りて、とぼとぼと熱帯夜のヒートアイランドを歩く。

「あしたのジョー」の舞台だった泪橋(なみだばし)の交差点を曲がり、東向島に向かって歩くが、汗が止まらずカラダもココロもSOS状態となり、仕方無く、途中からタクシーに乗り、帰って、泣きながら寝る。

***

9月1日 水曜

朝の朝礼に始まり、また砂漠の中をただよいさまよう。。。。。。

今日は、昨夜の疲れがあるので帰ろうと思っていた19:40.
某師にお誘いを受け「えっ!」と思いながらも、短時間と思って、板さん1人で仕切る「本当の」お寿司屋さんにて3人で静かに語らいながら、酒を呑んだ。

ここで、また「かたちんば」の悪い癖、仕事の話と酒が絡むととことん「逝って」しまうクセが出てしまう。
お寿司屋さんで、ビールのみでセーヴすべきところを、店長に勧められて麦焼酎をガバガバ呑んでしまう。

その店を出るとショット・バーに行き、キンキンに冷えたアルミグラスで呑む角ハイボールが旨くて、たんまり呑んでしまう。

場所を銀座に移動して、スナックでウイスキーを呑んでしまい、最後の片づけまで手伝い、初老のママさんと、ご飯を食べに行こうという事になり、白金に移動。

オシャレな店の天外のテーブルで、ピザとビールを呑んでしまう。

もうぐだぐだに疲れだす・・・・。

某師のマンションに泊めて貰いに行くと、既に明け方の4:00.
少しは、水を飲んだのだが、それも不十分なまま、爆死したように4:30寝てしまう。

***

9月2日 木曜

完全二日酔いで、死んだような状態で起き、仕事場に行き、水分をひたすら摂り、周囲への臭さも含め、何とか引くようにするが、なかなかそうはならず、イスにも座っておられず。

已む無く、仮眠室で2時間死んだように横になる。

酒が抜けないまま、来訪者と面談し、死んだ脳で反応にぶくなってしまう。

夕方、最近逃げ切れずに通っている歯医者さんに行くが、まだ酒は抜けない。
さまざまな道具、のこぎりみたいなものなど使われて、約1時間の治療。

その後、月1回の医者通い。
先生に、「最近どう?」と言われ、「すんません、酒と暑さでぐだぐだです。」

漢方薬を出してもらう。

何とか、帰り道、よろよろしながらも20:20帰宅。
今日、初めての食事をするが、のどを通らず。

いなり寿司・もずく・枝豆・豆腐・チーズなどを摂取するが、多くはハラに入らず。
栄養剤とスポーツドリンクを飲み、今に至ります。

ああ。。。。何をやってんだか。。。。。むなしい。。。。

***

むなしいので、MZ師と「夜の時事放談」をする。

かたちんば:鳩山由紀夫ちゃんの憔悴し切った、あれほど「悲しさの固まりに変化した顔」というのを久しく見た記憶が無いなあ。。。

MZ師:由紀夫ちゃん、自殺するんじゃないかという位のすごい形相だったな。

かたちんば:ペーパーダイン大学に居たと言う学歴詐称していた民主党議員の泣き顔を思い出すなあ。
あんたは菅さんと夢の中で、2人で鴨川のほとりを歩いて会話してたらしいが、どうなんだい。

MZ師:当時は「小泉死ね!その名前をオレの前で出すな!」と叫ばれたが、若いものにはかなりきつく当たるらしく、嫌われているみたいだな。
小沢はしょーがねえな。

かたちんば:そんなこと言ったって、周囲が「小沢外し」のガードをしまくったから「誰のお蔭でお前ら生きとるんじゃ!」と逆ギレしちゃったんだよ。

MZ師:10数年前の「さきがけ」などの分裂を思い出すな。

かたちんば:いや、今はそれ以上に、日本という国が「死に体」の中の、ぐちゃぐちゃ騒ぎだ。
ただもんじゃないぞ。
大変なことになる。

MZ師:だから民主主義なんていうインチキは信用ならんのだ。
民主主義は、それなりの知的ベースの高い国民が前提にならないとこういう事になるんだ。

***

●その後、過去、3人で見に行ったお芝居「カクスコ」という劇団は面白かったなあ。
あの劇団が解散してしまい、今も無念だと2人で思い出に浸る。

●また、山本小鉄さんなど、どんどんと自分らが知り慣れた人々が去っていくのは、つらいのお、という話になる。

●かたちんばとしては、ハマコー師は人間臭くて、本音でズバズバ来るやさぐれた感じが大好きなのだが・・・とりあえず保釈金でシャバに出られたらしく、また、TVタックルで気炎を吐いている姿を観たいものだという。

MZ師も、細木数子との対談で、「あんたそんな事を私に言うとのろわれるわよ。」というコトバにブチ切れて、ハマコー師が「おめえ、やれるもんならやってみろ!バカヤロー!このペテン師が!」というは爽快だったと、2人で笑う。

***

お互い、仕事も気候も辛い者同士だが、また、何とか会える日を作ろう。
カラダ大事にしよう。

と言って、電話を切った。

さあ、寝よう。今週は、土曜までもが仕事だからね。
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