【9月13日 深夜0:30 南千住駅前のスロープ】
■疲労・憤怒で眠れない夜に・・・・■
先週になってしまったが、金曜の晩までの憤怒を溜めながらの資料作りと、金曜の晩の罵声と暴力的な態度と酒は・・・・納得行かないまま、土曜の2日酔いとウツ状態に繋がっていった。
日曜日も、昼には一度起きたが、ふさぎ込んでしまい、ずっと、ござの上で横になって耳だけで撮り溜めた音楽・ラジオ番組を聴いていた。
16:00炊いたご飯にシャケのふりかけをかけて食べた。
胎内に吐き出せないで居る『重い想い』。
MZ師としばし話すが、「月曜の資料準備に会社に行くよ・・。」といいながら、その後、また再び寝てしまう。
起きると、デジタル時計は21:00を告げていた。
「やばい」と思う部屋は真暗。
お風呂を沸かし、2日間寝たきり老人だったカラダを癒したのち、家を出て22:00駅に向かう。
23:00仕事場の明かりを付けて、パソコンを立ち上げ、作り掛けの月曜日の資料を仕上げ、部数分コピーし、準備を整え、机を整理し・・・・再度、全部の灯かりを消して、駅に向かうが、あるのは0:13分の終電のみ。
仕方なく、南千住まで行き、そこから歩いて、家に帰る事にした。
救いなのは、涼しい事ぐらいだった。
心中のもやもや感は、高まって消えない。
***
結局、歩ききって、白鬚橋を渡り、家に帰ると1:00.
かなたには、ガズって頂上まで見えない東京スカイツリー。
***
こんな夜には、ビールと枝豆をやりながら、スローバラードの名曲、唯一の6つ上のアニキに教えてもらった『アマデウス』という大好きな曲が聴きたくなる。
YOUTUBEには、プロモーション・ヴィデオとしても傑作だった動画は消えてしまっていたが、オーケストラとのヴァージョンを見つけ、それを聴きながら、ココロを鎮める。
つらい夜だ。
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『アマデウス』Byくるり
アマデウス きみはどうしてそんなに 高らかに歌えるの
アマデウス 僕はどうしてこんなに 胸が苦しいの
時速は200キロ越えて 真っ青な荒野かけぬけ そんな間も
胸の中スローバラッド スローバラッド スローバラッド
アマデウス きみはどうしてそんなに 臆病者なの
アマデウス 僕はそろそろ腰を上げて 椅子をたたむよ
知らん間にこの世界すら 君のものじゃなくなってた
そんな顔しなさんな
旅はこれから これから 旅はこれから これから
~僕はどこかへ行ってしまいたい~
子供の頃から離人症?解離?に悩まされ、
行き着くのは失踪企図。
今でも出勤の時に
勇気をもって逆の電車に乗ってみるのですが、
横浜辺りで戻ってしまうヘタレぶり…
でもそうやって
ぎりぎりのところで踏み留まっている
普通に見える人の方が多いかもしれませんね。
だから普通じゃなく見える人たちのように
散在したり刺しちゃったり、ができない分、
空想や逃避やらに使う
ほんの少しの時間が大切です。
~そんな顔しなさんな~
おばあちゃんによく言われました。
(強烈なおばあちゃん子です)
全部分かってる上で
説教でもないこの言い方が、
今日はまた特に効きます。
今日は、公式的に仕事をオヤスミしました。
といっても、やっぱり疲労を取るためにだらりんちょんするのが関の山です。
「赤い電車」って、昔聴いた事あります。
自分は、最近の新しい音楽は、いつも拒否反応が強いですが、もう1回その曲を聴いてみます。
「子供の頃から離人症?解離?に悩まされ、
行き着くのは失踪企図。
今でも出勤の時に
勇気をもって逆の電車に乗ってみるのですが、
横浜辺りで戻ってしまうヘタレぶり…」
僕も、幼少の頃から「自分は、なぜかたちんばという名前で、こういう境遇の元、そのニンゲンの中に入って、皮をかむって居なければならないのか?」という感覚は、よくありました。
最近はそれは消えていますが。
たぶん、それは三島由紀夫もそうだと思っていますが、自分を責めに責め切ることに拠って、その痛みに耐える事で、痛みを感じる事で「自分」を強く感じさせ、離人感覚から放たれるためじゃないかな。。。。
と思っています。
世の中では、こういう人種を「マゾ」と呼びますが、その要因はこういうところにたどり着くのかもしれません。
***
「そんな顔しなさんな」。。。。僕はこの曲は音楽も好きですが、詩もイイですよね、確かに、うん。
「そんな顔しなさんな」には、なにか東京・昭和の匂いがします。
自分にこの曲が馴染む要因の1つは、そういうところにあるんだと思います。
私も積極的に聴く方ではありませんね。
たまにいいなと思っても、もともと聴いていたローテーションにそれを加えるのは
自分自身がなかなか許さないというか。
密度の濃い、音楽の発展の時期を体験してきたからでしょうか。
自分を構成しているジャンルは多々ありますが、
大きく影響しているのはやはり
「あの頃」の曲です。
かたちんばさんに因んで(笑)YMOだと
「ABSOLUTE EGO DANCE」、「NICE AGE」
に囚われ続けています。
小学生か中学生だったか、年末に?NHKで放送されていたライヴの(武道館でしょうか)
「MAPS」
の衝撃も忘れられません。
昔のNHKはいい音楽番組がありました。
ピーター・バラカンが自分の好きなアーティストのPVをひたすら流していたのを覚えています。
あそこで1回とりあえず死んだ事に、自分の中ではどうもなっているようです。
1991-1995年、社会人でいきなり放り出されたのが大阪のど真ん中で、その5年だけは密度の濃い・というか、必死だった分、当時出会った音楽には思い入れはありますが、だからと言って、なんら「在るべき」音楽シーンがあった訳ではありません。
今では、お店に入ったときにたまたまかかっていた曲・ラジオでかかった曲・ふとした出会いの積み重ねですよ。
結局は、1978-1987のあいだ、特に80・81・82・83の音を聴いている・・・ということが多いですね。
「アブソルート・エゴ・ダンス」は、まさに踊っている姿が頭に浮かびそうな細野さんらしいウキウキ感が出ています。
途中から沖縄の音が混じったりしながらも、よく整合性を保っていたなと思います。
「MAPS」は、YMOが協力した大村憲司さんの曲ですね。
お酒好きの大村さんも、49歳に肝臓を壊して亡くなりましたが、「MAPS」が演奏されたあの第2期ワールドツアーは、まさに音楽の歴史に残る、そして少年の自分にとっての夢のような日々でした。
「あまり、昔の良さを言うと今が生きずらくないかい?」
「いえいえ、そんな事、まったくありません。
だって、アートは時間も場所も越えて輝く存在ですから。」
思わず自分がいくつだったのか書き出してしまいました(笑)
自分のコアな部分に根付いているのも
確かにこの頃の音楽です。
アートは嗜好品ですから、
昔だろうが生き辛かろうが構いません。
その当時を思い返したり、
また新たな想像・世界を広げるのも一興です。
~追伸~
別の記事のコメントが途中で切れてしまい、
やり直してみましたが同じでした。
別のパソコンで改めてコメントしてみますので、
お手数ですが削除をお願いします。
僕のVAIOちゃんも、酷使し過ぎてしまい、おかしくなっていますし。
MZ師からも、パソコンは5年も使ったなら替え時だよと言われています。
本体だけ安いものを探しに行こうとは思っています。