こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

人の死に方・人の運命 2

2009-10-20 21:25:13 | 音楽帳
Riverさんへ

応えになるかどうかわかりませんが、相変わらずの散らかった文章を、自分に向けても含めて、自動筆記したいと思います。

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「清志郎=ロック・愛してるかい」
「加藤和彦=オラハシンジマッタダ」

メディアが、非常に短絡的なコトバで簡略化し、映像で歪曲した人物像を描き、誤解されながら、あの世に送られる「英人」たちに義憤を抱く日々です。

清志郎は、シャイでありながらも、「自分の死をセンチメンタリズムに浸って欲しくない」という裏返しの願望もあって、華やかに葬儀が行われたが、是非、加藤和彦さんについては、本当にその音楽が好きだった人と身内だけで、ひっそりと偲んで欲しいと思います。

***

今年は、自分にとっても、愛猫まみちゃん、清志郎、加藤和彦と「失う事」ばかりで終わる年になるのでしょう、多分。

というか、我々の世代は、もう既に、これからは、こういった形で失う一方の歳に突入しているのだとハラを据えています。

昔の話ですが、あの高倉健さんが、ある学校で講演会をした際に、
「僕みたいな歳になると、君たちと違って、毎日、良い事など無い苦しい世界での日々です。
しかし、ほんのたまに、良い事がある。
それがあるから、僕は、生き続けているんです。」
そんな事を、あの健さんが、あの口調で語ったと言います。
健さんが言うから、余計に重みを増すんでしょうが・・・・。

同じように、大好きだった中島らもさんが「恋は底ぢから」という本で、こんなことを言っています。
「死んでしまったジム・モリズンの、何の詞だったのかは忘れてしまったのだが、そこに”The Day's Divinity,The Day's Angel”
という言葉が出てくる。
・・・おぼろげなのだが、僕はこういう風に受けとめている。
「その日の神性、その日の天使」
大笑いされるような誤訳であっても、別にかまいはしない。
1人の人間の1日には、必ず1人、「その日の天使」がついている。」
・・・ふとした瞬間のささいな出来事に、つい和んだり・つい救われたり。
そういう事をらもさんは言いたかったのだと思います。

***

人も生き物のように、日々血反吐を吐きながらも、限界まで「生きねばならない」とは、僕は思っています。

とはいえ、しかし、精神的な「病魔」に掴まれた場合、自分の意思とは無縁に、「病魔」が勝手にあの世に連れ去っていくのを、かつて自殺未遂をした僕は理解しています。

「自・殺」と一括してコトバでは書きますが、僕は自殺のうち、ウツに関しては「自・殺」では無く、「他・殺」だと思っています。

体内を「病魔」がのた打ち回るのを静止させるには、死に向かわざるを得ない事しか選択肢が無い瞬間があるのを知っています。

だから、良いということではありませんが、本人には罪のかけらも無く、まさに「魔物」があの世に連れて行くという事が、実際は多く存在するのだと思います。

***

ある本で読んだことですが、「人は、コトバのすり替え/言い換えをしながら生き延びていく生き物だ。」と。

「時」という誰の身にも同時に発生する進行形の「見えない神」は、社会という共同体の中でのモノ・コトの存在の意味合いを、ころころと変えて行きます。
日々、みんな、それぞれが内心でそれを捉えつつ、日々、等高線を引き直し、尺度を直しながら、生きて行かざるを得ない。

そんな中で、我々のように、ある程度の人生を生きてしまった者たちには、やはりその変化していく視界への対応=「体内でのコトバのすり替え/言い換え」をしながら生きていく至難のワザが問われているのだと、最近、この世を去っていく人々を見送りつつ、思う次第です。

たけしさんが、こんな事を言っていたのを思い出しました。
「生きていくには、時と共に、余計なモノを捨てていく必要に迫られる。それをしていかないと生きて行けないんだよ。」と。

また、坂本龍一と甲斐よしひろがサウンドストリートで「音楽図鑑」発表の’84年の対談の時に、「1枚目のアルバムが、20歳の時に創ったとすれば、そこには20年分の自分が投入されているが、例えば2枚目のアルバムを22歳に創ったとしたら、そこには、22年分が投入されているのではなくて、2年分の自分への鍛え方が注ぎ込まれているのだ。」と2人で言い、お互いうなずいていた事も思い出しました。

***

長い自動筆記になってしまいましたが、そういう今日のかたちんばが聴いているのは、David Sylvianの新譜「Manafon」です。



彼の「ブレミッシュ」以来、6年ぶりの新譜です。
<しかし、6年も経った気がしないのは、歳のせいでしょうか(笑)>
彼も、僕にとっては、冷酷にもただ黙って過ぎ行く「時」へのあらがい・闘いを続ける、愛すべき放浪者の1人です。


【David Sylvian 「Small Metal Gods」】

***

まみちゃんの死を境にして、多少、和解した親父からメールが来ました。

親父「先日、貴君から睡眠薬をもらい1錠飲み寝ましたが、強力に効きフラフラなり1日中具合が悪く寝込みました。
薬中毒になりますよ。
呉々も会社の犠牲者にならないように祈念します。」

かたちんば「ご心配かけてすみません。
確かに、今の自分は、クスリという「お守り」を頼りにしながら生きています。
そういう意味では、ヤク中と変わりないのかもしれません。

ただ、自分の人生、昔怠けていたとは言いませんが、誰が敵かはわかりませんが、死ぬまでにせめて矢の一差しでもしてからでなければ死ねない、という心境で日々望んでいます。
まみちゃんの分まで生きねばならない。
何に向かってかは解かりませんが、勝たねばならないと思っています。」
コメント (2)
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