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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

JAPAN   「Halloween」'79年12月発売

2009-10-09 03:49:08 | 音楽帳


駄目だ・・・・。

昨夜、暴風雨の中、夜中1:00まで仕事して、一応今朝に用意すべき資料を作り、タクシーで高速飛ばして帰る。

その翌日だが、どうも頭の回転力・速度が弱くて仕事がなかなか進まない。
今週、やってきた台風より低速のカメさん(うつこさん家の幸せなカメ=メメちゃんを思い出す)レベルの進度まで頭の回転力・速度が落ちてしまっているので、なんとか今日出さないとヤバい資料だけ仕上げて、珍しく早々と19:50仕事場を出る。

眠いのと空腹感に耐えられず。
まぶたは重く、お腹はさっきからグーグー鳴っている。
早く、家に帰ってごろごろしたい。
電車が混雑していて、はっきり言って邪魔で煙ったい。

21:00近くに帰宅して、食事も創る気力も無いので、100円SHOPで買ったおにぎり・ドライカレーと缶ビールをやり。横になっているうちに、飲み掛けの缶ビールを放置したまま21:30ごろ眠りに落ちてしまう。

再び、起きると時計は1・00を回っている。
灯かりはギラギラ点いたまま。
カラダがウツと疲れでとてつもなくダルく、ウツと頭痛が強い。
頭痛は特に、がんがん痛い。
睡眠薬と頭痛薬を飲み、少し楽になる(が頭ががんがんする)。

今度は、眠れなくて、2本目の缶ビールを開け、暗がりの中で、ブログを書き始める。

***

今月末は、「ハロウィーン」の月だ。
自分は、クリスチャンでは無いが、この時期になると、ジャパンの「ハロウィーン」が聴きたくなる。
初めてこの曲に出会ったのは「渋谷陽一大先生のサウンド・ストリート」の1981年11月の「NEW WAVEリクエスト・ベストテン」でのこと。

とてつもなく、この曲の始まる瞬間のイントロのスティーヴ・ジャンセンのドラムがめちゃカッコイイのは、初めてこの曲に出会った1981年11月も、2009年10月の今も変わらない。
途中から絡んでくるベースのミック・カーンのサックスも良い。



アルバム「クワイエット・ライフ」(しずかな生活)に入っている名曲中の名曲。
ジャパン3枚目のアルバムだが、この段階で、既にデヴィッド・シルヴィアンの頭の中には、「しずかな生活が送りたい」という意識が既にあった/ジャパンを解散して別の世界に生きたい意志が見て取れる。

ちなみに、ラスト・アルバムになる’81年11月の「ブリキの太鼓」にも、「スティル・ライフ・イン・モービル・ホームズ」という曲もあるが。

***

昨夜は、暴風雨の中、夜中に帰って早々にカップ・ラーメンとピザで食事を終えて寝たが、ちゃんと珍しく朝7:00には起床した。
余りに肌寒いので、シャワーを高温で浴び、傘を暴風に引きずられながら、東向島駅まで向かう。
朝のNHKラジオで、JRがほとんど動いていないのは把握していた。

その一方、JRとは無縁のこちらは、何とか、8:09発の浅草行きの東武線に乗れた。
しかしこんなどしゃぶりの横なぐりの雨と強風の肌寒い朝でも、ヘソ出しルックで居る姉ちゃんを(=外人から見たら。しょせんは単なる淫売婦なんだろうなあ)見ると「馬鹿丸出し」と思いながらも、目をぎらぎらさせながらその淫売婦を「まったく、スケベなオンナだなあ、こりゃ」といいながら、横目で有り難く拝ませてもらう。

「・・・・・そういうところが、日本という”自由”な国に生まれて、幸せだなあ、とぼくは思います。
これからも日本人で居て、真性の右翼として、国とヒトの形がおかしくならないように、国の形を守って生きたいでしゅ。
靖国神社周辺の多くに集まる凱旋車は、すべて仕事の無いニート・元不良上がり・韓国系の人々・被差別の人々で構成されていますが、そういう”エセ右翼”にならないように、真性の右翼として、これからも生きていきたいと思います。」と小学校の父兄参観日の国語の時間に、堂々と作文を読み上げたい気分だ。

***

深夜3:00、今夜、3本目の500MLの缶ビールを開ける。

東京の人というのは、すぐこういう程度の低い災害にも大げさに騒ぎがちで、地方との格差が大きいが、JRのほとんどが運休停止という中、東武線と地下鉄を駆使するかたちんばは、邪魔な上野駅のJR集団にぶつかり、かきわけ、駅員にくだを巻きながら上野を通過し、無事、8:50には、仕事場に到着。
しかし、茅場町の階段を上がると、ドピーカンになっているには驚いた。
あっという間に、傷を残しながら、台風は北上して行ったのだ。

9:00に来ない人々を無視し、自分の稼業に専念する。
月初は「経営戦略会議」なる上層部の資料作りに、無理な納期で対応するのが、毎月の習わしだが、1日考えて搾り出したものをきちんと文章化したものの満足せず「んんん・・・」とうなっていたが、これ以上は搾っても答えが出ないのは「出ないのだ」とあきらめてさっさと帰った次第である。

***

毎日、実家に電話して、退院した「まみちゃん」の様子をお袋さんに聴くのが日課になりつつあるが、ちゃんと食事と水の摂取は行っていて、比較的状態は安定しているようだ。

今週末の土日は、泊りがけで実家に行き、まみちゃんの面倒を見る予定だ。

さかんに、ケイタイ・メールには、またお店に来てね、というキャバクラや銀座の高級クラブからのメールが届くが、「お前らの営業努力は解かるが、そんな事より、残り少ないまみちゃんとの時間が大事なのだ。」と書くと、みんな一気にドン引きしてくれる。(要は、カネという「表層」にしか関心がないんだろう。)
「まみちゃん」をネタに使うつもりはないが、お前らより、死を目の前にした愛ネコとの時間の方が大事なのだ。

ごめんねえ~ごめんねえ~という感じ。

ヘソ出しルック姉ちゃん同様にして、生き物への意識の無い、お前らなんか相手にしているヒマはないんだよ。

周りの余計な声で、「独身で家持ち」というと近づいてくるオンナは多いが、俺にはもっと大事なモノがあるんだよ。
苦労を知らずに生きてきた平成生まれの、「自分が世界で一番かわいい」と思っている、頭の悪いやわなオンナどもに共感する余裕も無いし、みんな血反吐吐きながら生きている現実も知らないオンナにはいずれ不幸が訪れるだろうと思いながら、今夜のブログを終わりたいと思います。
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坂本龍一  「エスペラント」'85年10月5日発売

2009-10-07 01:32:04 | 音楽帳


とにかく時間が無い地獄のような状態が続いている。
仕事もパンパンで毎晩帰れば0時近いし、独り者だからあれやこれやと細々とせなあかんこともあるし、家の中はしっちゃかめっちゃかだし、まみちゃんの命も短いけど近くに居られない状態だしで、余計に焦り、身が引き裂かれる思いだ。

1日でゆっくり「自分」に戻れるのは、帰ってから寝に落ちるまでの1時間ちょっとしかない。
今夜は、ストレスが溜まって特にいらいらしており、誰にも接しないほうが良い夜だ。

缶ビールとおにぎりと冷奴という妙な夕食だろうが、これが、自分の流儀なのだ。

タバコをふかしながら、いらいらしながら、一筆書きのように書きなぐりたい気分にピッタリのものが、このアルバム「エスペラント」である。

***

再び、時代は素浪人時代のことに戻る。
シングル「ステッピン・イントゥ・エイジア」と同時期に、坂本龍一が作っていたのが、前衛舞踏家モリサ・フェンレイのダンス・パフォーマンスの為に創ったアルバム「エスペラント」である。



この「エスペラント」は、実にひさびさに、坂本龍一の過激さ、暗黒面全開のアルバムで、「B-2UNIT」以来の、突き抜けるような悪意に満ちた快感のあるアルバムである。

1984年の「音楽図鑑」が余りにも、まとめようとして出来たアルバムであり、個人的には、A面1曲目の「チベタン・ダンス」などかなり「あざとさ」が目立って聴くに耐えなかった。
(この曲は、正直、未だに好きになれない。)
かなり、妥協した上の産物という事を感じたものだが・・・・長い仲間の画家の大竹伸朗や元DNAのアート・リンゼイにも「最近のお前はまっとうすぎてつまらない」と言われたとか言われないとか・・・。

そこで奮起した、と言うことでもないのだろうが、「フィールド・ワーク」「ステッピン・イントゥ・エイジア」と盛り上がり、そして、このアルバム「エスペラント」は、デヴィッド・バーンの「キャサリーン・ホイール」同様、舞台のバックに流れることを前提とした、いわば「サントラ」にも関わらず、舞台を見ていなくとも、アルバムとして独立して聴くに値する名盤である。

ニューヨーク・パンクの血を引くアート・リンゼイの過激な暴走するギターに、バリ島で採取した音のサンプリング、ヤスカズのパーカッション等を交えながら、「B-2UNIT」と双璧をなすかのような、坂本龍一の真骨頂が展開しているのが痛快である。

***

この暴発寸前の坂本龍一は、翌年の「未来派野郎」という自己崩壊的アルバムへの前兆(まえぶれ)だったのかもしれない。

自分の持っている「ミュージック・マガジン」の1985年10月号の「アルバム・レビュー」では、真保みゆきという大馬鹿「音楽評論家」なる、しょーもない(誰でも書ける程度の)「自称」売文家が「・・・・サンプリングという鉄骨で汲まれたレプリカ・ジャングル見ているようで、”ダンス・パフォーマンスの為の音楽”の有難味がわからぬ自分がつらい・・・と言いつつ、ついトム・ウルフ『現代美術コテンパン』に手が伸びる。点数は興味の度合いとして。」と書いて、「3点」を付けている。

何が「3点」だ。お前は、耳をそぎ落としてしまえ、と言いたくなる。

そりゃそうだ。
坂本龍一は、「俺のやりたいようにアルバムを創らせなかったら、YMOを脱退する」という交換条件の下、アルファ・レコードとYMOへの反逆として創った「B-2UNIT」同様の「悪意剥き出し」の状態で、このアルバムを創ったのだから。

その悪意に満ちたフェアライト・バンバンで構成された音のジャングルが、とてもギラギラしたナイフのように美しい。

***

正直言って、「B-2UNIT」と「エスペラント」を評価出来ない人間というのは、金輪際、音楽に関わる必要の無い人であり、坂本龍一のファンをやめた方がいい人である、と僕は思う。

「まあ~、癒しなのねぇ~」と、「エナジー・フロー」(’99)などという、極めて「甘い(=軽い)」曲ごときに、いちころにされて数十万枚のヒット曲になってしまう日本人の音楽を聴く耳の悪さというのは、実に軽く・ふけば飛ぶような存在なのだろう。

上部のYOUTUBEは「ADELIC PENGUINS」という曲だが、これは「アデリー・ペンギン」を教授がてっきり「アデリック・ペンギン」と勘違いして命名した表記の曲名だが、良い曲である。
教授の薄笑いの表情に、良い意味の「悪意」を感じて快感である。


アルバム「ESPERANT」

1. A WONGGA DANCE SONG
2. THE ”DREAMING”
3. A RAIN SONG
4. DOLPHINS
5. A HUMAN TUBE
6. ADELIC PENGUINS
7. A CARVED STONE
8. ULU WATO

「ダンス・パフォーマンスの為の音楽」という事など関係なく、先入観無く聴いてもらうと、アルバムの良さがわかる1枚である。
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まみちゃんの手術終了

2009-10-03 22:42:39 | 雑記帳


横になって、ラジオを聴いているうちに寝てしまった。
起きると21:30.
真暗。

***

実は、夕方、動物病院からまみちゃんの手術終了の連絡が来た。
歯は無事、全部取ったとのこと。

全身麻酔は「歳の割りに、比較的早く目覚めた」ようで、まだ、先生曰くは「まだ、ぽうっとしているが、ネコちゃんがやる楽な体勢になって、部屋に居ますよ。」とのこと。

明日、1日ちゃんと食事をすることを確認出来れば、月曜日には退院出来るとのことだ。

***

お兄ちゃんに電話した。

お兄ちゃん「そうか・・・。全部の歯が無くなっちゃったんだね。本人はどう思っているんだろうか。」

かたちんば「そうだね。ただ、自分の家で預かっていたときも、抱いてクスリをスポイトで上げる際にも、歯を触ったらグラグラだったからね。食べるときにジャマになっていたかもしれない。」

お兄ちゃん「ネコは、自分で痛いと言えないからな。」

かたちんば「あとは、お袋さんも通うのが大変だし、体調がひどくなったら、注射を打つ以外の手は無いとのことです。」

お兄ちゃん「問題は、面倒見るのはお袋さんだから、お袋さんの意見が一番だ。それを確認するのが最初だ。」

かたちんば「それはわかっている。でも、注射と言っても、血管に向かって打つのでは無く、皮膚に当てて、数ミリ押して入れるタイプみたいだよ。」

お兄ちゃん「・・・そうか。」

かたちんば「いずれにしても、先生の言うコトバが難しいことも多いので、全て自分の方に電話をもらって、僕なりにわかるようにお袋さんに伝えることにするよ。」

お兄ちゃん「わかった。大変だろうけど。」

***

まずは、とりあえず、第一のヤマは越えた。

今夜は、中秋の名月だそうだ。
さっき起きて、スーパーに行く道で、空を見上げたら、曇りのはざ間に、まんまるのキレイなお月さまが見えた。
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まみちゃんの手術決行へ

2009-10-03 15:41:15 | 雑記帳


くもおさん・うつこさん・Riverさん

さまざまな、それぞれの想い、ありがとう。

昨夜、ブログを夜中3時に書き終えて、それでも、缶ビールを飲みながら眠らぬまま音楽を聴きながら、夜が明けて来たので、5:30頃寝ました。

***

すると、朝から、まみちゃんの担当医から何度か電話アリ。(全部の情報連絡は自分のところに来るように、担当医に言ってある)

状況判断をして、今日、手術決行をするつもりだと言う。
但し、まみちゃんの血液検査をして、血液型を調べた上で、輸血用の血を取り寄せするということ。
ネコのほぼ9割はA型ということらしいが、もし、その型でなかったら、血を取り寄せるので、繰り延べになるととのこと。

第2報が来て、血液検査の結果、A型であり、顕微鏡等での検査の結果、輸血用の血との相性には問題が無いと判断し、夕方、16:00頃から、全身麻酔をして、手術を決行することのこと。
但し、これはやはり手術なので、これは当初からの了解ですが、100%の保証は出来ないとは言われました。

全部の歯を抜くなんて、とても想像出来ず、本人には恐怖だろうと思うと、心が痛みますが、まかせるしかありません。
「とにかく、よろしくお願いします」」とだけ言いました。


ただ、今は、時が流れるままに任せて、無事、手術が終わることを祈るのみです。
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DREAM ACADEMY   「PLEASE,PLEASE,PLEASE・・・」'86年

2009-10-03 02:51:41 | 音楽帳


Riverさん、気にしていただいてありがとうございます。
実は、自分の愛するパソコンの方も調子が悪くて、更新できずに居たのです。

再入院したまみちゃんは、点滴を打ちながら、また自由なき「檻」の中に入れられてしまいました。

お袋さんとは、電話で話しました。
「かかった舟だから、最後まで面倒を見るつもりだよ」と、それでも多少疲弊した声で、79歳の母は言いました。
兄は、お袋さん経由ですが「カネの事は心配すんな」と言ったそうです。

昨夜、仕事も相変わらず遅かったので、夜間に動物病院に電話してあんばいを聞いたところ、食事もしていて、自分でトイレもしているとのことでした。
(それも、点滴のお陰あっての事でしょうが。)
但し、もっと細かい話を聴きたければ、担当の先生から、明日電話させますとのこと。

***

今日、13:00に担当の先生からケイタイに電話アリ。
午後からの打ち合わせ用の資料をコピーしながら、話をしました。

食事・点滴もして、今は安定しているが、歯を抜くのに体力を蓄える必要があり、麻酔に耐えうるかの判断もあり、「かつ」歯を抜くと白血病の為に「血が止まりにくい」ので「輸血」をしないといけなくて、更に、その血も「拒絶反応」が絶対起きない訳でも無く、それらを総合的に判断して、歯を抜くと言う事でした。

それを聴いた上で、僕は言いました。
かたちんば「先生。仮定でしょうが、もし、それが越えられたとして、それで・・・まみちゃんは、あと、ぶっちゃけ、どこまで生きられるんですか?
はっきり教えてください。」

先生「白血病・エイズを別としても、内臓がかなり弱っているのは事実で、それはやはり良くなるということは無いです。
次第に弱っていくのは事実です。
あとは、通うのも大変でしょうから、薬と注射を出すので、それを容態を見ながら、家で注射をしてもらう。
そういうこと(=暫定的な延命措置)しか残っていません。」

***

正直、もう覚悟は決めています。
いずれ、まみちゃんはあの世に行くんでしょう。
それは、はっきりいって、2010年の元旦を向かえるには至らないと思います。

果たして、こんなにも、色んな事を、まみちゃんに押し付けて<本人の意志さえ確認出来ぬまま行って>延命をするのが・・・僕は一体、どれだけ家族のお金と苦労を巻き込んで、自分のカラダでかくまうように1匹のネコの命をかばって・・・
これが良いことなのか?果たして悪いことなのか?
正直、もう自分で自分がわからない状態になっています。

それは、ひょっとすると真の味方が居ないからかもしれません。

お袋さんが一番今までまみちゃんの世話をしてきたのは事実ですが、本音は、声に出して言わないけれども「自分が36にして産んだ、もう43(のオヤジの独身)息子が大事に思っているネコだから、その意図を汲んであげよう・・・」という事かもしれません。

また、兄は、鬼畜親父の元、唯一の自分の弟が言い出した事だから、納得させるまで、そうさせてやろうという「父親代わり」の役目を、幼少から背負ってきたまま、そうしている。

なにか、そう僕が思っているからであり、たぶん、そうでしょう。

***

僕は、今まで、鬼畜親父が居るが為に、親父が(を)気に入らなかったネコを、よその家に引き取ってもらった悲しい想い出。

ネコには大事なヒゲを切られて、顔を黒く塗って笑っていた鬼畜親父にも、きょとんとしていたネコが、僕に「ニャー」と鳴いたシーンの想い出。

まみちゃんの母ネコのコチャコが、2回目に産んだ4匹のネコをちゃんと動けるまで育てた上で、「捨てに行け」と言われて、袋に入れて、雨の日に、大学生だったというのに、反抗/反論も出来ず、泣きながら歩きさまよった挙げ句、自分の判断で、たどり着いた幼稚園の門の前に「ここまで育てましたが、これ以上育てられなくなりました。どうか、可愛がってあげてください。」と書いた紙と、ぬれないようにタオルを上にかぶせて、置き去りにした想い出。

これ以外にも、幼少の頃から、ネコが大好きで仕方が無かった自分が、受けた(誘導された)かずかずの仕打ちは、実は初めてここに告白するものです。

そして、忘れようと・忘れようと、ココロの奥にしまってきたものです。

僕は、たぶん、それら愛するネコたちの命を粗末にしてきた事への最後のお詫びとして、その気持ちをまみちゃんに託しているのかもしれません。
「今度は、絶対に最後まで看取ってあげよう」

***

たぶん、まみちゃんがもし死んだとしても、僕は泣かないと思います。
「ごくろうさま。ようくがんばったね。」
と言うつもりです。

***

僕は、1985年4月から自己崩壊する1987年までの素浪人時代を、濃厚に振りかえろうとしていますが、実は、とっておきの「名曲」があったのですが、まみちゃんへの子守唄として、この曲を、今晩はプレゼントとして「先出し」しようと思います。

「スミス」のモリッシーが詞を、ジョニー・マーが曲を、という当時の名コンビが創り出した優しい唄、「PLEASE,PLEASE,PLEASE,LET ME GET WHAT I WANT」という曲。

***

2:30程度のこの短い曲を、1986年にドリーム・アカデミーが、カバーしているヴァージョン。
12インチシングルにだけ、収録された「隠れた名曲」。



「いつも失敗ばかりしてきたけれども、”どうか”、今度こそ、僕の祈りがかないますように・・・。」といった美しい、そして、モリッシーらしい詞(英語が苦手ですみません)と、それに合った美しくゆったりとしたハーモニー。

<実は、僕は、スミスの原曲より、このドリーム・アカデミーのカバーの方が好きです。>

一時、幸宏がたどり着いた「NEXT TIME」「NEXT LIFE」という概念、つまり、「来世」というもの、輪廻転生というもの・・・それを、僕は、この曲にも感じます。

***

23:45に帰宅してから、書き連ねてきたこの文章を、ここで終えようと思います。
まみちゃんとたくさんの仲間たちのネコの子守唄として、今夜は、この曲を贈りたい、そんな気持ちです。
今夜も、やすらかに、眠りについてください。

【原詞】
Good times for a change
See, the luck Ive had
Can make a good man
Turn bad

So please please please
Let me, let me, let me
Let me get what I want
This time

Havent had a dream in a long time
See, the life Ive had
Can make a good man bad

So for once in my life
Let me get what I want
Lord knows, it would be the first time
Lord knows, it would be the first time ・・・・・・
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