こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

ネコの死に方・ネコの運命

2009-10-23 08:40:07 | 写真日和


実家に行った際に、昔、自分が撮影したまみちゃんの生後1ヶ月半の写真が出てきた。
クリネックス・ティッシュの大きさと比較して見れば、一目瞭然、いかに小さかったかが、解かる。
ネコは、箱や袋が大好きで、よくこうやって、箱の中に入ったりして遊んでいたのを思い出す。

まみちゃんは、コチャコのお尻の方からニュルーっと出てきたのを見たのが、1996年4月8日だから、この写真は、おおよそ、1996年5月下旬位のこと。

子ネコは、とにかくよく遊ぶものだが、レースのカーテンはよじ登って行くは・トイレを開けたら、洋式便器の中で水浴びして遊んでいたり。放っておくと、容赦無い日々だった。

***

コチャコは、第1回目の出産で、4匹の子ネコを産んだ。

・白に薄茶の模様の入った「シロちゃん」。
・イノシシのような瓜(うり)の白・茶の模様の入った「ウリちゃん」。
・三毛猫の「正(しょう)ちゃん」。
・そして、毛がふわふわした「まみちゃん」。

「シロちゃん」は、老夫婦に。「まあ、かわいい」ともらわれて行き、厚い温情に包まれて育ったが、数年前、家の火事・焼失と共に、老夫婦とともに亡くなってしまった。
「ウリちゃん」も、同様に近所の人にもらわれて行ったが、この4匹の中で唯一、今生きているネコである。

うちで飼ったのが、「正(しょう)ちゃん」と「まみちゃん」の2匹であった。

子ネコはみんないずれもかわいかったが、とにかく、僕は、まみちゃんの丸くくりくりした「目」の優しさ・かわいさに参ってしまって、どうしても他人に譲る訳にはいかなかった。
「正(しょう)ちゃん」は、とにかく激しくて、頭脳の回転の速い「天才」的なネコだった。

***

「正(しょう)ちゃん」の命名者は、親父で、「しょうちゃん帽」を被っているみたいだという単純な理由からで、最初は「正太郎」と言っていた。

一方、「まみちゃん」の命名者は僕で、それは当時大好きだった(今でも大好きだが)「山瀬まみ」ちゃんから取って命名した。
こちらも理由は単純で、「山瀬まみ」ちゃんみたいな一目ぼれしそうなかわいくて・優しそうな顔だったからだった。
その「まみちゃん」から、「まみ子」だの「まみころ」「まみたん」とかも言われた。


のちのちのことになるが、動物病院に解かったことだが、
われわれが認識していた「正ちゃん」=オス・「まみちゃん」=メスというのは大間違えで、実際は逆。
「正ちゃん」=メス・「まみちゃん」=オスということが発覚!

発覚はしたものの、もう既にその愛称で馴染んでいたので、いまさら変える訳に行かずに、そのまんまの愛称で呼ぶことにしたのだった。

***

「正ちゃん」はとにかく人懐っこくて、遊ぶのが大好きで、激しい気性と頭の良さから、閉まったドアを開けたりという芸当や、遠隔地への探索に出掛けたりと、いっときもじっとしていないネコで、親父が溺愛した。

一方、どちらかというと、のんびりやさんで、ぽわーんというふんわかした雰囲気の癒し系の「まみちゃん」は、性格の悪い親父からは「馬鹿ネコ」などど言われたが、純粋でピュアな優しいまなざしに僕はイチコロで、とにかく溺愛していた。

冒険家でフロンティア精神に満ち溢れていた「正ちゃん」がリーダー格で、優しい「まみちゃん」はその後ろについていく弟分という感じだった。

***

ネコは、毎朝、外に出ると、それぞれのパトロールに出かけて帰って来るのが日課だったが、しかし、「正ちゃん」のフロンティア精神がアダとなって、家からかなり離れた距離の所で、クルマにはねられて、7歳の命を閉じることになった。

はねられた瞬間に亡くなったらしく、口から血が出ている以外は、きれいな寝顔だった。
その朝まで、一緒の布団で抱いて寝ていた親父は、その姿に泣いたという。
まさに鬼の目にナミダだった。
会社にまで、ぼうぜんとした様子で電話がかかってきた。
そのときは親父は相当ショックだったらしく、しばらくは親父も呆然とふさぎこんだ時期を過ごした。

その一方で、どんどんと「食べること」が大好きになり、ぐんぐんと6kgにまで育った「まみちゃん」は、その長毛のふさふさした毛も手伝って、近所では(ネコも含め)有名な巨大ネコに育った。

その「まみちゃん」も生命力が強いネコで、僕は20歳は生きるだろうと確信を持っていたが、先日、13歳半の命をまっとうし亡くなった。

***

人間同様、ネコの運命もそれぞれ。
4匹でじゃれあっていた兄弟も、それぞれの飼い主の元にちりぢりになっていったが、さまざまな生き方・死に方があると、今更ながら思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Altered Images 「Thinking About You」'83年秋

2009-10-23 01:10:15 | 音楽帳
23:35退社

いつも、こげぱんのように後ろ向きで被害妄想なかたちんばだが、今日は、珍しく、自分をほめてあげたい程よく働いた。

午前は、昨夜19~深夜2時までべろべろになるまで呑んでた影響で、酒臭いまんま、半分酔っ払った状態で、社長の出る会議の議事進行をビシッと時間通り仕切り終えた。
今日の仕切りは切れ味良かった。

***

昼は、仲間4人みんなで楽しく中華、僕は大好きな五目ちゃーはんを食べ、高速飛ばして、つくばから都内にUターン。
4人のうち3人が酔っ払いなので、みんな会議終わったら「だるだる状態」で、「打ち合わせと称してみんなでミーティング・ルームでカギ締めて寝るか」と言っていた。

実際、戻ると席について、あくびばっかりしながら、暑いのをうちわであおぎつつ、馬鹿ツラで2時間位「ぽか~ん(◎△◎)」と白痴状態でいた。
ひたすら退社時間を待つだけの、私腹を肥やす「天下り役員」みたいなもんだった。

***

しかし、不思議なもんで、こんな日に限ってイメージが膨らむもので、18時頃からいろんなアイデアが浮かび出し、それに夢中になって資料をまとめているうちに、こんな時間になってもうたですばい。

なかなか、実りある1日だった。

とはいえ、さすがに0時回って、体内ガソリンもヤクも切れて、一気にガタンと眠気とウツがやってきた。

0:40帰宅



今夜は、優しい音楽が聴きたくなって、大好きだったクレアちゃんの居たオルタード・イメージの’83年の名盤「BITE」に入っている「Thinking About You」を聴く。



精神性胃潰瘍で入院した1983年、高校2年生の秋の寒さ、蒼く高い空の切なさを思い出す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする