こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

China Crisis 「Dockland」'83

2009-10-10 01:08:09 | 想い出かたちんば


精神的不調である。

元々、”こころとからだがかたちんば”なのに「何をいまさら・・・」とは思うのだが、とにかく調子がすぐれない。
今この時間も、調子がすぐれないが、何か「出口なし」のような状況。

しかし、ためらっていても何も状況は悪くなるので、クスリを飲み、布団の中から、パソコンに向かって、書いてみる。

***

昨夜、夕ご飯を食べたら、その後、爆睡してしまい、夜中に起きてブログを更新した。
とはいえ、ちゃんと、朝は7:00に起きたのだが、がんがんする頭痛・ノドの痛み・それに、ひどいだるさに参る。

鬱は、今にはじまったことではないが、他の症状は、明らかに、何かのカラダ側からのサインで、とりあえずは、頭痛薬を倍付けで飲み、それをやっつけることにした。
仕事場に行く準備をしながらのことだったし、残している仕事・課題はたんまりあるのだが、タイム・リミットの8:00まで粘ったのだが、とても行ける状況では無いと判断し、午後から行く旨、仕事仲間には伝えて、また、さらにいろんなクスリを飲み、横になった。

自分なりに分析するに、2日前、夜中の1:00まで仕事と格闘していた事の反動と余波のようなものが、遅れてやってきた気がした。

結局、昼になっても、復調はせず、今日は仕事を休むことにした。

電話で、上司のTさんと話すと「ばあっと仕事のこと忘れて、”休む時は休む”で忘れちゃってください。」と言われたが、個人的にはそうもいかず、とりあえずは、やばそうな案件については、それぞれの各部署の仲間のケイタイに電話して、防御だけはして、ずっと横になっていた1日だった。

時には、寝たりもしたが、余り寝る事も無く、ラジオを付けて、聴く訳でも無く、もんもんとしていた。

***

「鬱というのは、都合の良い病ですね」という周囲の声が聴こえた。

こういう大不況下においては、特に、こういう迷惑者は、たぶん、周囲の者には実際迷惑だし、理解されずに「だらしねえやつだな」と内心思われているに違いない。
口では「大丈夫ですか?ゆっくり休んでくださいね。」とは言うが、そんなのは表面的な事に過ぎない。
大不況下には邪魔者であり、それはだらしなく目に映っているに違いない。

精神的問題をはらんだ者は、資本主義社会では、足手まといであるし、自分はいずれ、その社会からは切り落とされる、そういう日が間近に迫っていると、僕はハラを既にすえている。
その境界線を、クスリを頼りにしながら、キケンな綱渡りをし続けている。

***

ニートと呼ばれる人・浮浪者と呼ばれる人・破綻者と呼ばれる人、そういう類の人に僕は昔から親近感を覚えている。
15歳まで、三ノ輪で過ごした人生において、道端やあるいは家の前で人が寝ている姿は、見慣れた風景であり、コドモの頃、朝から酒を飲んだ人とお話しをしたり、一緒にキャッチボールをしたりすることもあった。

地方から出てきた人や、ブルジョアな生活をしてきた人には、些細なこういう人とのふれあいに慣れていない人が多いので、妙に驚いた反応を抱くことが大抵多いが、下町=低所得層地区に生まれ・育った自分には、ごくありふれた風景なのである。

しかし、未曾有の不況にあって、自分がいつそちら側にドロップ・アウトするか、放り出されるかは、僕だけの事では無くて、今、この日本を覆っている。

キケンと隣り合わせで、みんな生きている。
だからこそ、こういう鬱なるものは、理解されえない。
手を差し伸べる手も無き時代。

***

自分の聴いてきた音楽史の中で、多くの人には受け入れられないだろうが、自分にとっては、その理解者であったつもりのバンドやミュージシャンがいる。
その中の1つが、チャイナ・クライシス(China Crisis)である。

全てのアルバムを持ち、洋盤の12インチ・7インチシングルまでコレクションしている。

彼らは、リヴァプールの工業地帯に生まれ・育った。
工場が稼動し、煙突から煙を上げる姿を見ながら育った彼らに、下町生まれの自分は、背景は違えども、シンパシーを抱く。
家の屋上に上って、雲の流れる姿を見ていたり、工場地帯の風景を眺めていたコドモだったのだろうと勝手に思っている。

そして、ピュアで澄み切った牧歌的な音を奏でる彼らには、売れようとかいう野心が感じられなかった。
ブライアン・イーノやスティーリーダンが好きな彼らは、それらに憧れながら、純粋に音楽を創ることだけを思って音楽活動をしてきた。

当然、資本主義の中では、そういう野心の無い者は秀でた存在にはなれない。
(単なるヒットによる販売枚数・金額という意味において)
いくつかのヒットはあるが、存在自体が地味なバンドだったので、セールスとしても地味ではあったが、僕は、彼らの個人的趣味の領域を超えることの無い地味さに安心をしながら、80年代から付き合ってきた。

***

1983年に「Working With Fire And Steel」という2枚目のオリジナル・アルバムを発表し、そのタイトル曲の「Working With Fire And Steel」のシングルがヒットした。



日本では、このアルバムは一歩遅れて1984年に発売になったが、僕は、1983年に買った輸入盤をよく聴いていた。

ジャケットが彼らの姿勢をそのまま反映していた。
幼い頃から見てきた工場地帯の写真と、彼らの優しくぬくもりを感じる音のような青空を背景に揺れる麦畑のイラスト・・・。

僕は、このアルバムとは別に、12インチで発売された「Fire And Steel」というシングルを、御茶ノ水の駅前のディスク・ユニオンで買った。



A面は、「Working With Fire And Steel」と別のヴァージョンが収録されていたが、自分がカセットに落としてよく聴いていたのが、B面のインストゥルメンタルの2曲。

・FOREVER I AND I
・DOCKLAND

共に、自分の部屋で、録音された「宅録」であった。

両方とも大好きだし、高校生の頃、こんな精神の調子の悪い日には、真暗な中、横になって、精神安定剤としてよく聴いた。

今日も、そんな日なので、YOUTUBEで探していたら、同じような想いを抱く外国の人がアップした「DOCKLAND」を発見したので、今日の1曲として掲載する。

同じような想いで、チャイナ・クライシスを好きな人が居たことに安堵した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする