1982年3月、私は巣鴨学園(高校)に入る。
カラダが弱かった自分が、この「文武両道」の男子校でやっていくのは、とても辛かったが、さらに、ひ弱な自分にムチうつように、バレーボール部に入った。
毎日、身を引き裂かれる思いだったが、そのいっときの救いは、毎晩のラジオと音楽だった。
1983年4月、高校2年生の頃に「オールナイトフジ」が始まった。
当時、硬派を気取って、アイドル好きを蔑視したふりをしていたが、内心ではそういう「やわな」世界に相当惹かれ・相当憧れていた。
今、思えば、突っ張っていたが、童貞男としては当然だろう。
毎日、苦しい中、救いは、土曜日だった。
土曜日が来るのを毎週楽しみにしていた。
土曜日、授業とバレーボールの練習を終えると、もう夜も8時近い。
JR大塚駅までみんな、疲れてぼろぼろのカラダで坂道を歩き、駅で別れる。
草加の実家に9時頃着く。
これからが自分にとっての優雅な自分の時間だった。
一人、夕食を摂り、ワインなどを呑みながら、テレビを見る醍醐味。
コースはこんな具合だった。
23:00~23:30タモリの「今夜は最高」と「日立サウンドブレイク」
その後、「ベストヒットUSA」
そこから、多少間があって、
0:45くらいだったかな?「オールナイトフジ」を見た。
親が起きてこないかはらはらしながら。
当時のアダルトビデオの紹介コーナーがあり、それを恥ずかしそうに女子大生が紹介するのにもそそられた。
なにぶん、短時間の映像だったので、切り替わった鶴太郎のアップでフィニッシュを向かえる悲しい時もあったなあ。
(許してください。男子校の高校生なんてそんなもんですよ。)
なんやかんやで、ほろ酔いながら、夜中を謳歌し、明け方、エアロビクスの先生が出てきて、みんなで踊り、番組終了。
美ヶ原高原美術館の「アモーレの鐘」が鳴り、フジテレビが終了するまで、よく見ていた…。
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画像は、おかわりシスターズの山崎美貴ちゃん。