こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Thompson Twins 「Sister of Mercy」'84

2009-02-19 22:37:14 | 音楽帳


「オールナイトフジ」に、胸キュンだった頃、1984年、POPSの一番の成果は、トンプソン・ツインズのアルバム「INTO THE GAP」だった。
全曲、良く出来ているPOPSアルバム。

当時、夜中の3時にFM東京で「マイ・サウンド・グラフィティ」という番組があって、アルバム全曲をやったものを録音して、よくくり返し聴いた。

ヒットした「HOLD ME NOW」「DOCTER DOCTER!」も良いが、他にも、こういう「SISTER OF MERCY」のような名曲もある。

トータル。コンセプト・アルバムとして出来ていて、A面・B面、曲の配列が良く出来ている。

この「SISTER OF MERCY」は、「日立サウンドブレイク」でもかかったし、ニッカウィスキーのCM「泳ぐ日」にも使われていましたね。
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「オールナイトフジ」④ おかわりシスターズ ’84年10月

2009-02-18 20:42:55 | 想い出かたちんば


この曲を当時何度聴いたことだろう。
1984年10月24日発売の、おかわりシスターズの3枚目のシングル「素顔にキスして」。
自分は、高校3年生になっていた。
僕が一番好きな曲で、一番想い出深い曲だった。



3人のブレザー姿が可愛いジャケット。
シングルレコードも大事に、今も持っている。
この頃が一番番組「オールナイトフジ」を見ていた気がする。

秋~冬に染み入る名曲だと思う。

***

しかし、自分の中では、かたやニューウェイヴ・テクノ・インダストリアルと偏っていく音楽趣味傾向と、この相反する「やわな世界」が同居していた。
その中で、居心地悪くもがいていた。
それは、この後も、続いた。
「文武両道」の厳しい世界にいながら、童貞で彼女もいなかった自分には、1983年から始まった女子大生ブームは、まぶしくて仕方がなかった。
といって、一足飛びにその「やわな世界」にいけない「オトコ」の世界に自分はいたのだった。

この相反した世界は、自分の父が厳しく、アイドルのレコードやそういう雑誌を持っていようものなら、奪い取られるような厳格さ、それと、思春期の女性への想いの狭間での引き裂かれるような精神状況にゆえんしていた。

この世界は、ずっと続き、90年代、1991年、仕事を始めて、大阪に独り暮らし始めたことで、ある程度統合に向かっていくことになる、長き精神的戦いだった。

***

この一連の曲は確か、後に「おにゃん子クラブ」の河合その子ちゃんを奪い取った後藤次利が作曲に絡んでいたはず。
商品に手を出した秋元康といい、当時先端を突っ走っていたフジテレビはやりたい放題だった。
この流れは、まだまだ80年代後半に向かってさらに加速していくことになる。
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「オールナイトフジ」③ おかわりシスターズ ’84年6月

2009-02-17 23:30:21 | 想い出かたちんば


1984年6月21日、おかわりシスターズのセカンドシングル「心はシーズンオフ」が発売。

一番若いはずの山崎美貴ちゃんが、常にリーダー的な存在だったことが、ビデオ・クリップを見てもよくわかる。

確か、渚を3人で歩くシーン、実は、この後、誰か3人の中の1人が波に巻き込まれたというのが、いつかお笑いシーンの特集で見たことある。
たぶん、一番「とろい」感じの、羽純ちゃんではなかったかな・・・?

今、聴いても、良い曲です。
独りで深夜ニンマリ。
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「オールナイトフジ」② おかわりシスターズ ’84年2月

2009-02-16 22:50:38 | 想い出かたちんば


「女子大生にさせといて~♪」という訳で。

「オールナイトフジ」で、自分より少し上のお姉さん〈オールナイターズ〉を見ているうち、次第にファンが出来てきた。

その中の1つが、3人のユニット「おかわりシスターズ」(片岡鶴太郎命名)だった。

3人とも可愛かったが、私は、特に松尾羽純(はすみ)ちゃんのファンだった。
ぽっちゃりして、丸い眼の童顔がたまらなかった。

1984年2月21日、彼女らの初めてのシングル「恋をアンコール」が発売された。

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「オールナイトフジ」① ’83年4月2日スタート

2009-02-16 22:26:05 | 想い出かたちんば


1982年3月、私は巣鴨学園(高校)に入る。

カラダが弱かった自分が、この「文武両道」の男子校でやっていくのは、とても辛かったが、さらに、ひ弱な自分にムチうつように、バレーボール部に入った。
毎日、身を引き裂かれる思いだったが、そのいっときの救いは、毎晩のラジオと音楽だった。

1983年4月、高校2年生の頃に「オールナイトフジ」が始まった。
当時、硬派を気取って、アイドル好きを蔑視したふりをしていたが、内心ではそういう「やわな」世界に相当惹かれ・相当憧れていた。
今、思えば、突っ張っていたが、童貞男としては当然だろう。

毎日、苦しい中、救いは、土曜日だった。
土曜日が来るのを毎週楽しみにしていた。
土曜日、授業とバレーボールの練習を終えると、もう夜も8時近い。

JR大塚駅までみんな、疲れてぼろぼろのカラダで坂道を歩き、駅で別れる。
草加の実家に9時頃着く。
これからが自分にとっての優雅な自分の時間だった。

一人、夕食を摂り、ワインなどを呑みながら、テレビを見る醍醐味。

コースはこんな具合だった。
23:00~23:30タモリの「今夜は最高」と「日立サウンドブレイク」
その後、「ベストヒットUSA」
そこから、多少間があって、
0:45くらいだったかな?「オールナイトフジ」を見た。

親が起きてこないかはらはらしながら。
当時のアダルトビデオの紹介コーナーがあり、それを恥ずかしそうに女子大生が紹介するのにもそそられた。
なにぶん、短時間の映像だったので、切り替わった鶴太郎のアップでフィニッシュを向かえる悲しい時もあったなあ。
(許してください。男子校の高校生なんてそんなもんですよ。)

なんやかんやで、ほろ酔いながら、夜中を謳歌し、明け方、エアロビクスの先生が出てきて、みんなで踊り、番組終了。
美ヶ原高原美術館の「アモーレの鐘」が鳴り、フジテレビが終了するまで、よく見ていた…。

***

画像は、おかわりシスターズの山崎美貴ちゃん。
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かたちんば徒然日記

2009-02-15 17:52:30 | 雑記帳


土曜日、世間では「バレンタイン・デー」らしいが、独身のかたちんばには、関係がなかった。

朝というか、昼近くの11:20。
ピンポンというチャイムに起こされる。
「はいはい」モニターを見る。
「クリスチャンの布教に来てます。地球に関するパンフレットを配付してますが、いかがですか?」
話すと面倒そうなので、ポストに入れるよう指示。

本当は、モニターに映る女性はカワイイ人だったので、出て行きたかったが、そういう元気もなかった。布教には、こういう人を回らせるものなのでしょう。

起きてラジオ付けると、いつものように、永さんと外山恵理ちゃんの声。
しかし、それも自分には遠い離れたものに、今は聞こえる。
気分は、陰鬱。

金曜日の夜は、職場の仲間と5人で「渋~い」演歌流れる「おやぢ」居酒屋で、良い酒を飲んだ。
なんだか本当に心底楽しいお酒だった。
このその反動だろう。

洗濯と風呂を終えたら、ひきずるカラダで13:30家を出る。

公園を横切ると親子の渦。
春一番の影響で、暑い。
汗が流れる。
東武線の中でも汗だくで、汗をふく。

通り道の浅草・上野駅もヒトが溢れている。
陽気に誘われて、ヒトも動物的に湧き出した感じだった。

14:30仕事場で仕事開始。
暗い室内で、たんまりたまった仕事をする。

食欲無くて、朝・昼食は抜きだったが、さすがに夕方にお腹が鳴り出し、カロリーメイトを2本食べた。

23:10仕事が全部終わった訳じゃないけど、眼も真っ赤で頭もふらふらし出したので、仕事場を出る。

仕事場を出ると、道には誰もいない。
生暖かい空気が吹いている。

23:20日比谷線に乗る。
心身的にグロッキーでマズイと思い、浅草で、吉野家に行く。

基本的に肉を取らない自分だが、今日は、豚さんにお詫びを言って、豚丼と生野菜サラダを食べた。
締めて520円のまともな夕食。

0:09の東武線に乗り、家に帰る。

帰宅して、ビールを呑み、少しゆっくりする。
電話で、知り合いと長電話したり、音楽を聴いているうち、遅くなってしまう。

深夜3:00、今年のバレンタインも、自分とは無関係だったな・・・と思いながら、かたちんばは、独り、まくらをナミダで濡らすのであった。
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「日立サウンドブレイク」 ~ディレクター:油井昌由樹②~ '84

2009-02-13 00:04:57 | 想い出かたちんば


昨日に続いて、ディレクターが油井昌由樹さんの「日立サウンドブレイク」の後半部です。

<曲目>
③Hiroki Miyano 「BOTTLE KEEP」
④Steve Hiett 「IN THE SHADE 」

④の音楽と映像の融合が、実に美しいです。
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「日立サウンドブレイク」 ~ディレクター:油井昌由樹①~ '84

2009-02-11 18:01:53 | 想い出かたちんば


昔、土曜日の23:00~23:30まで、東京12チャンネルに「日立サウンドブレイク」という番組があって、毎週楽しみにしていた。

当時は、まだヴィデオデッキが高価で、持っている家も少なかったので、自分は、ヴィデオデッキを持っている友人に頼み込んで、テープを渡して撮ってもらっていた。
その友人が忘れたり、都合の付かないときは撮れなかったが、1983~1984年頃のものは、10回分程度は持っている。
ただ、そのテープもかなり傷んでしまっているので、状態は悪いのだが。

***

この「日立サウンドブレイク」が素晴らしかったのは、1回ごとにテーマを設け、各々のディレクターに任せて、映像と音楽を繋げたところにあった。また、番組の前後に入る日立のCMも素晴らしい雰囲気を作り出していた。

80年代には、BGVや環境ビデオが生まれたが、その中でも上質なものだった。

誰しも、音楽を聴くと映像を脳に描き出すものだが、それぞれのディレクターが描き出す、その映像と音楽の結びつきに、高校生の自分は刺激された。

80年代は、音楽と映像をいかにして結びつけるかの実験場でありましたが、その断片がここに見て取れます。

***

このYOUTUBEにアップされた人に感謝。
今日、「サウンドブレイク」で検索したら、自分がヴィデオでも持っている回が、かなりキレイな状態でアップされていました。

ディレクターの油井昌由樹さんは、当時、自称「夕焼け評論家」として素晴らしいコラムを読んだ記憶がある人です。

<曲目>
①Gazebo 「love in your eyes」
②大貫妙子「夏に恋する女たち」

*後半部は、次の回に続けます。
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OMD  「Forever Live And Die」’86

2009-02-11 10:42:40 | 音楽帳
OMD - Forever Live And Die 1986


自分は、1985年4月から1987年3月まで、2年放浪していた。
世間で言う「浪人」というヤツだ。

その間に、自分は、家からも「はぶんちょ」になり、行き場所も無く、精神的にもかたちんばになり、街をあてどもなく漂っていた。
そのほとんどは、秋葉原・御茶ノ水・神保町・水道橋・春日というあたりだったが。

その頃、ミニラジオをしのばせていた。
終末期であった1986年の暮れ、寒い冬には、公園でタバコを吸いながら、よく「FEN」(日本駐在兵士向けのアメリカ放送 AMですけど)を聴いていた。

このときによくかかっていて聴いたのが、このオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークの「Forever Live And Die」だった。
自分の陰鬱とした心身・感情とは相対照的に、空に突き抜けるようなポップ感を描き出していた。

OMDの曲の中でも、完成度高いポップスだと思う。
個人的には、実に想い出深い1曲です。
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近所の恋人

2009-02-10 23:28:52 | 写真日和


最近、新しい恋人が出来た。

昔、「ひょうきん族」のギャグで、明石家さんまがマンションに帰ると、物陰から「さんちゃん、来ちゃった」とオンナが現れるものがあったが、
今夜は、独りスーパーで買い物をして、家の前に着くと、物陰からさささっと走ってくる新恋人。
「家の中に入れてよ」とせがむまなざし。

彼女は、斜め向かいの家の三毛猫(メス)である。

しかし、図々しいのは、カギを開けるとさっさと、家の中に入って、勝手に色んな部屋に行ってしまう。

でも、食べ物には興味は無いらしく、何を上げても食べない。
そのくせ、とにかく、自分の周りをくるくる回り、カラダをすりすり。
遊んで欲しい・かまって欲しいみたいなのだ。

今日は、ずいぶん長居して、こたつの中にも入った。

自分は、実家に2匹のネコを飼っている大のネコファンなので、その匂いがついているのか?
とにかく、自分の行くところ着いてくる。

しかし、この新恋人、難しいのは、日によっては気分に変化があって、相手にしてくれないときや、手を伸ばすと「さわらないでよ」と怒られることもある。

恋人とのコミュニケーションというのは、ニンゲンもネコも、同様に難しいものだ。

しかし、とはいえ、彼女が居るお蔭で、独身の寂しい一人身も、ココロの拠り所があって、うれしいものだ。
これから、どんな付き合いになるのだろうか・・・。
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