こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

疲弊する日々 「サハヴァ」と「ロマン神経症」の通勤

2007-03-12 23:35:20 | 音楽帳
23:30帰宅
ひたすら疲弊する3月の繁忙期。

往復の電車で、「サハヴァ」と「ロマン神経症」を1枚のCDに焼いたものを聴いている。
この2枚には、数年の開きしか無いのに、なんて違うんだろうか。

個人的には、「サハヴァ」は、タイトルの「サハヴァ」と「サンセット」がすき。

「ロマン神経症」は、全曲素晴らしい。
その完璧さに驚く。

2枚は共に、「永遠の1枚」だが、2枚は相当意味合いを異にしている。





「Something In The Air」「Drip-Dry Eyes」などの素晴らしい曲を聴くと、吐き気がするような朝でも、一部の希望が出てくる。

しばらく、4月のサクラを見るまでは、こんな日々が続くんだろう・・・。
今年の春は、遠く感じる。

今日はダメです。寝ます。
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坂本龍一のサウンドストリート 1983年5月17日 YMO「浮気なぼくら」特集

2007-03-11 21:34:05 | 坂本龍一のサウンドストリート


今では「浮気なぼくら」は、大好きなアルバムだが、当時は、聞き込むまで、表面的な明るさに違和感があった。しかし、聞き込むたびに、実は「歌謡曲」なんていう軽さではない、「裏テクノデリック」(細野さんのコメント)としての名曲そろいのアルバムである。

***

この日は、YMO3人で、芝浦のアルファレコードのスタジオにて、エフェクターをいじりながら、声を変えて、3人で「お笑い」を演じながら、曲を紹介した。

3人でじゃんけんをして、DJを決めるといって、最初、DJになったのは、幸宏。

坂本「細野さん、寝ないでください。」
幸宏「坂本くん、僕がDJやると民放っぽいんですけど・・・。」
坂本「何かやってるらしいですね。悪口なんか言ってませんか。」
幸宏「好きです。悪口言うの。悪口言うと、ホントに仲悪いんじゃないかと思うらしくて、それが好きでしょうがない。」
「実は、別に仲悪くありません。」
坂本「割と仲良いですね。最近は。」
幸宏「接吻なんかしますから・・。」(「ルージュマジック」への揶揄?)

一同苦笑

***

1・YMO 「君に胸キュン」

幸宏「次は、お電話のコーナーですね。もう繋がっていますね。自分のお名前と学年を言ってください。」
坂本「鶴田こういちです。小学校4年です。」
幸宏「今、何やってました?」
坂本「いいづらいんですけど・・・今、アレしてました・・・。」
幸宏「アレ?アレね・・。今どんなところにいるの?」
坂本「狭いところです。」
幸宏「一人だけ?」
坂本「もちろんです。」
幸宏「女性なんか、好みがあるのかな?」
坂本「今年のキャンペーン・ギャルのアイダさんなんか結構好みですね。」
幸宏「あの化粧品会社のね。」
坂本「そうです。」
幸宏「どこがいいのかな?」
坂本「豊満な胸の辺りなんかいいですね。」
幸宏「豊満な(笑)なるほどね。」
坂本「いつも先生に言われるんです。やり過ぎはいけないよ、って。」
幸宏「そうっ。一日に何回くらいかな?」
坂本「そうですね。僕の場合、朝と晩と2回くらいです。」
幸宏「それはねえ・・多いね、ちょっと。」
坂本「そうですか?でも、溜まると・・<耐え切れず笑い止まらず>カラダに良くないから。うちのおじいさんもしてますよ。」
幸宏「何人家族ですか?」
坂本「うちは4人と1匹です。」
幸宏「まさか、その1匹はしてませんよね?」
坂本「よくしますよ。」
幸宏「ラジオは最近こういう事を言っても大丈夫だから、何をしていたか全国の人に発表しましょう。」
坂本「・・・・・大便です・・・・おやすみなさい。」

こんな具合に、進行していく。

***

2・YMO 「希望の河」
3・YMO 「ケイオス・パニック」(シングル「君に胸キュン」B面)
4・YMO 「邂逅」(かいこう)

・企画ソロレコードを細野さんは作るとこのとき、言っていたが、それは何だったのだろうか?またもや、ボツになったアルバムなのだろうか?この年、細野さんはソロは発売されなかった。

・幸宏は、このあと「薔薇色の明日」と連動したライブがあることを言う。
ゲスト:ビル・ネルソン、デヴィッド・パーマー、立花ハジメ、鈴木慶一などなど。
ここで教授は「今回は、すみれ小僧は出ないのか?」と聞く。
すみれ小僧=土屋昌巳である。このとき、一風堂=土屋昌巳は、別でライブ・ツアーをしており、ここには、スティーヴ・ジャンセンが参加している。
教授は「スティーヴもねえ・・」と「何であんなものに参加するんだ」と言わんばかりのことを言う。

5・YMO 「希望の路」

・「笑っていいとも」に細野さんが出たときの話題。電報がたくさん来ていて、どれも「幸宏さんを出して」「教授を出して」というものばかりだったという。しかし、2人は「前に出ているのに、見てなかったんだ」とのこと。

坂本「最近、1981年ウィンターライブのヴィデオ見ましたねえ。」
細野・幸宏「見ました。」
坂本「暗い・・・。暗いYMOもいいですねえ。」
細野・幸宏「いいですよねえ。」
坂本「あの頃の真剣さというか、切なさというか・・・。」

坂本「そのへんの過激とか言われるバンドより、過激というか、根が深いですね。」
幸宏「(笑)病的ですね。」

6・YMO 「以心電信」

最後は、NHKのテレビでの「世界コミュニケーション年」のテーマである「以心電信」で終わった。
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ついに日本で実現!!ヒューマン・オーディオ・スポンジ・ライブ!

2007-03-06 21:59:05 | 音楽帳


やっと、数十年かかって、色んな経緯を踏まえて・・・、3人が、また、集まる。
ヒューマン・オーディオ・スポンジ=細野さん+教授+幸宏(≠YMO)のライブが5月19日に、パシフィコ横浜で行われます。
やるのは、たった1日ですが。

今から、どんな曲をやるのか?想像が膨らみます。

3人で作った、<YMO以降>ということでは、スケッチ・ショーの「ワンダフル・トゥ・ミー」はやって欲しいな。
YMO名義として作ったものとしては、「ライディーン」や「キュー」というものはありうると思うが、そういう古典化されたものではなく、もっと渋いものをやって欲しいところではある。

自分の人生は紆余曲折、色々あるが、このライブ実現という事件は、自分には、「Xデイ」以降、無駄には生きてなかったと思えることの重要な出来事の1つである。
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好きな詩・セリフ : 三島由紀夫 「果たし得ていない約束ー私の中の25年」 '70

2007-03-04 13:19:35 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


「・・・・・・・こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終はるだらう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代はりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。」三島由紀夫
(1970年 昭和45年 7月7日 サンケイ新聞 夕刊より)

***

初めて、自分がこのコトバに出会ったのは、悩み深き浪人の頃、1986年のことだった。
何という直観力の持ち主だろうと驚いた。
すでに、その頃、日本はそうなりつつあった。三島の予感はその通り、現実になった。

さんざん美しい日本の建築物や風習を、ローラーで潰していき、壊した上に、カネだけはたんまり落としながら、そのくせのっぺりした無味乾燥な建物を建てていっき、無益なそこここでの殺人が繰り返されている中、何がいまさら「美しい国」だ。あえて、それだからこその「美しい国」ならいいが、どうもそうではない。この国は、一層先が見えなくなっている。

そんな心境は、とうに涅槃を過ぎているが。
そういいながら、死ぬ機会を逸し、死に切れぬまま、あれから、既に20年を生きてしまった。
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好きな詩・セリフ : 三島由紀夫 辞世の句 '70

2007-03-02 22:31:02 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


1970年 昭和45年11月25日、三島が市ヶ谷駐屯地において、垂らした檄文の中の一句だが、自分は、春が迫り、サクラの季節が近づくと、この句を思い出す。

「散るをいとふ 世にも人にも 先がけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐(さよあらし)」三島由紀夫


静かな夜、夜桜の舞う中、この句を思い、サクラを眺めた記憶。
今年も、またサクラの咲く季節が近づいた。
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好きな詩・セリフ : 浅田彰  資本主義について '90

2007-03-02 00:15:52 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


敗戦後の日本では、自分で自分を律するマックス・ウェーバー 流の近代的な主体を形成しようとしてきました。だが、高度経済成長が終わって、そんな理念はどうでもいいではないか、ということになった。
神道的であれ、仏教的であれ、ある種の「場」の中に、前主体的な形で 包み込まれている方がいい、という日本古来の共同的心性も復活してきた。

加えて、現代のテクノロジーは、ほぼ万能のブラックボックスで、 原理は分からなくても欲望を満たしてくれる。
壊れても回路ごと取り換えられる。
そんなテクノロジーのシステム全体が、一種母性的な構造を 作っていて、ユーザーは幼児的段階のままそれに依存していられる。
これは日本に限らず、普遍的です。
ですから、現代はいわゆる主体形成なしの、バラバラの個が浮遊するようになったという印象が強いんですね。

一般論として、近代とは、恐るべき終わりを予期しながら、常にそれを先送りすることによって均衡を保つプロセスです。
 世界の終わりの日が分かっていたなら、だれもその日には紙幣を受け取らない。
だから、その前日も、いや、巡り巡って今日も、受け取らない。
必ず明日があるという前提のもとで、最終的決算、つまり恐慌を繰り延べていくのが資本主義です。
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