「・・・・・・・こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終はるだらう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代はりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。」三島由紀夫
(1970年 昭和45年 7月7日 サンケイ新聞 夕刊より)
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初めて、自分がこのコトバに出会ったのは、悩み深き浪人の頃、1986年のことだった。
何という直観力の持ち主だろうと驚いた。
すでに、その頃、日本はそうなりつつあった。三島の予感はその通り、現実になった。
さんざん美しい日本の建築物や風習を、ローラーで潰していき、壊した上に、カネだけはたんまり落としながら、そのくせのっぺりした無味乾燥な建物を建てていっき、無益なそこここでの殺人が繰り返されている中、何がいまさら「美しい国」だ。あえて、それだからこその「美しい国」ならいいが、どうもそうではない。この国は、一層先が見えなくなっている。
そんな心境は、とうに涅槃を過ぎているが。
そういいながら、死ぬ機会を逸し、死に切れぬまま、あれから、既に20年を生きてしまった。
日本の領土竹島が韓国によって武力で(漁民も40名ほど亡くなられているんですよね。)占拠されようが、
自国民が北朝鮮なる貧しい国に拉致されようが、
自分や家族に危害が及ばない限りは「どうでもいい。」と、無関心な日本人に対して言ってる気がします。