こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

慢性鬱病患者の朝の1曲 ~その2~「ゲイリー・ニューマン/ジムノペティ」

2005-06-06 22:50:16 | 音楽帳
6月6日、月曜日の朝だ。

ブルーマンデーという言葉があるが、我輩には、ブルーエブリディな毎朝である。
げんなりする朝、今日は、GaryNumanの「ガラスのヒーロー」というシングルをかけて見る。
B面には、何と、あのエリックサティのジムノぺディのカバーが入っている。

**************
カバー曲にはろくなものが無い。
なぜなら、その多くが、カラオケに過ぎないからだ。
そこに独自の解釈が無いのなら、カバーの意味が無い。
所詮はマスターベーションのガラクタが大半だ。
そういう中で、GaryNumanの「Trois Gymonpedies」は、珍しく特筆すべきべきカバーである。
GaryNuman独自のジムノペディがここにはある。

高校生の頃、この曲をラジオで聞き、得たいの知れない気味悪さが、私の夜の中で流れた。
23:45~FM東京でやっていた15分番組のエンディング曲だった。

そう、マンハッタン・オプの前の番組、「夜の●●」なんとかという番組だった。

その深夜12時に向かう15分を、不気味なトークで綴ったその番組。
まさにふさわしい不気味な調べ。

その曲が、GaryNumanだったと知ったのはつい最近のことだ。

22:00以降は、中高生の我輩にとって神聖な時間だったのだ。

【写真】は神保町TONYレコードで必死に探して発見!したGaryNumanのシングル「ガラスのヒーロー」。
なんとB面にジムノペディが入っているのを、我輩は見落とさなかった!

今、この曲を聴くには、GaryNumanの4枚組の編集盤の「Telekon」を聴くこと。
実は、この曲はアルバム「Telekon」には入っていない。但し、何らかの編集盤には入っているであろう。

死ぬ前に聴いておいたほうがいい。それくらい、イイ。

冗談は抜きにして、真面目に、このGaryNumanの「Trois Gymonpedies」は、自分の葬式には流して欲しい程、好きな曲だ。
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一風堂 「ラジオ・ファンタジー」

2005-06-05 17:32:40 | 音楽帳


今日、気づいたが、一風堂のレコードは、毎年、初夏から夏の終わりにかけていることが多い。
「若く、みずみずしい」というのはどうかと思うが、やはりむせるような夏近くにレコードをかける。
Real、RadioFantasy、NightMirageどれもに共通しているが、冬や寒い時期にはなぜか似合わない。
リリース自体がそういうこともあるし、自分が出会ったのも春~夏というのもある。

土屋昌巳の80年代の冒険自体に、冬の寒さが感じられないからだろうか?

正直わからないが、面白い現象だ。

今日は、ヒト仕事終えたあと、風呂上り、ビールを呑みながら、このレコードを聴いていた。

はっきり言って名盤である。我輩にとってだが。
しかし、一風堂、および土屋昌巳について、一向にCD化の運びが見えない。
ふざけている。まあ、「一風堂」と我輩が言っても、
「えっ?ラーメン?」というヒトが大半だろう。
哀しいことだ。

RadioFantasyについては、影響として思うのは、クラフトワーク、YMO、坂本龍一など。
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慢性鬱病患者の朝の1曲 ~その3~「ハワード・ジョーンズ/君を知りたくて」

2005-06-05 15:45:02 | 音楽帳
その3、はハワード・ジョーンズの「君を知りたくて」
「Human's Lib」の1St LPの後に出た単独シングルである。
日本では、12インチも発売された。

まず、声が好きである。直情型のボーカルだが、騒がしくなく、優しさがある。
スタッフがいいのであろう、スカスカ感があるシンセの音を、他の音で保管している。

メロディアスでセンシティヴ。
このような不毛の時代、2005年には、彼のまっすぐなヴォーカル、まっすぐなメロディは、青々しすぎてまぶしい。

イイ曲だ。
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慢性鬱病患者の朝の1曲 ~その1~「チャイナ・クライシス/ブラック・マン・レイ」

2005-06-05 09:50:54 | 音楽帳
朝、寝起きから午前中にかけて調子が悪いのが、幼い頃からの持病である。
ここでは、一応「持病」と言っておこう。
この持病と約40年近く付き合っていることになる。

「鬱病」という名を付けるには、我輩の場合、いささか期間が長すぎる。
この病とは、悪戦苦闘を続けてきたが、なかなか完治しえない長き長き戦いとなっている。

まだ、現在が、昔に比べてマシなのは、起きられない、や、起きてもひどい絶望感に襲われる、とか、死にたくなる、とかいった状態が、それほど酷くないということだ。多少は、自分を操作するすべを知りつつあるが、それでも、自分の意思ではどうにもならない。

それゆえ、実は、世間でよくいう「すがすがしい朝」など、ほとんど経験したことが無い。
朝は憎むべき存在でしかないのである・・。
我輩が朝が嫌いなのはそういうことだ。

そんな中、少しでも、朝の辛さをやわらげたい。
そういう方法を探る数十年。

今は、自分の中では以下のものが効き目があると思っている。
①朝のお風呂
②朝のお茶・・・もともと日本茶が好きなのだが。
そして、
③朝の1曲・・・朝の支度の中、数分だけの余裕。
げんなりする中、ターンテーブルにレコードを乗せる・・・・。


最近は、必死こいて集めた7インチのシングルレコードのコレクションから、その朝の気分で選び、かけることが多い。
数分だけの落ち着く時間。

【その1】China Crisis「Black Man Ray」

正直、1985年の発売当時、この曲は好きでは無かった。
我輩自身が1985年から浪人に入り暗い暗黒時代を迎えていたのもあるが、前2作の素晴らしき他では真似出来ないポップなテクノ(テクノポップでは無い)の流れを一切捨て去り、方向転換してしまったからだ。
テクノを捨てた彼ら。「チャイナ・クライシス、お前もか!」と、大好きなバンドだったので、残念でならなかった。

しかし、紆余曲折の上だが、あのがっかりした日は遠く、今では、この曲を好きであると言える。

「ピュアな魂はシンプルでみずみずしい。
ひたむきなロマンチシズムが新鮮なチャイナクライシスのニュー・シングル!」
という名コピーがシングル盤には書いてある。

言い得て妙だし、チャイナ・クライシスという存在を表現する名文である。

幾度と無く、朝にかかる、この曲。
まさにみずみずしい。不快で陰鬱な朝を和らげてくれる、鬱病への良薬だ。

【写真】マン・レイ作品のようなソラリゼーションを使ったジャケットも素晴らしい。
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正直、許せないこと。 ~さよなら満里奈さん~

2005-06-04 22:54:23 | 雑記帳
やっと仕事から解放され、22:00帰宅。

Videoで、今日のバク天を見始めていきなり不愉快になる。
というかナミダがほほを伝うのであった。

自分の嫁がカワイイと思った瞬間ということで、名倉が尋ねられ、その質問に答えた。

台所で料理をしていて、「今日、何や!」と聴いたら
「肉じゃが。ふぅ~」と言った瞬間と言った。

別に瞬間ではなくて、我輩にとっては、そこに居るだけで十分カワイイ。というのに、料理まで作らせるなんて贅沢なことを!
ふざけるな_!なんで、お前がそんな幸せを独り占めすんにゃあ!!!!!!!!!
我輩の満里奈さんを帰せ!

泣きながら、画面に訴えた・・・。
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良心的な中古CD屋さん 「D.C.D」(町田)

2005-06-03 08:02:52 | 雑記帳
クルマで前を何度も店の前を過ぎてはいたのに、こんなCD屋さんがあるなんて気づかなかった。
雨の中、町田駅のそばを走ると、「中古CD」の文字が見えて、クルマを止めた。

店の前には、イヌの置物。
早速、お店に入ると、ところ狭しとCDの渦。
1つづつ見ていくと、一般的なものから随分とコアなものまで品揃えがあり、しかも、その1つ1つは良心的な価格。

この手のお店は、すぐレアなものには、高値をつけがちだが、凄くリーズナブル。
お店の姿勢がうかがえて嬉しくなった。

思わず4枚購入。
1・細野晴臣さん エンドレス・トーキング
2・ゴンチチ サンディ・マーケット
3・チャクラ さてこそ
4・バード 桜(シングル)

その日は雨降りで、「レイニーデーサービス」ということで、タダでさえ満足なのに、さらに値引きしてくれた。

店員さんも朴訥とした感じで、生真面目で親切、イイ感じ。
店長は釣り好きらしく、釣りの写真と雑誌が店内にある。

なお、このお店はHPでも、中古販売をやっていて、そのサイトも生真面目。

これから通うことになりそうです。

■中古CDショップ「DCD」

営業時間:お昼の12時から深夜0時まで
年中無休
東京都 町田市 原町田 2-2-1 M&Tビル1F

http://www.sonic-cd.com/dcd.asp
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友人MZ師の憂鬱な日々 その2 「想い出つれづれ帳~僕のプラモデル~」

2005-06-02 23:03:38 | 雑記帳
再び、友人MZ師の文章だ。

「僕のプラモデル」

小学4~5年頃、スーパーカーブームがあった。
カウンタックやフェラーリ、ポルシェ・・等々のスーパーカーにガキ共は憧れた。
カー消しゴムをボールペンのノックで弾き飛ばしてレースを競う遊びが流行した。
スーパーカーのカードやプラモデルを集めるのも流行っていた。
24分1スケールのプラモデルは割と手頃な価格だったので、子供の小遣いでも月に一つ位は買えた。
俺もカウンタックやポルシェのプラモデルを作った。
丁寧で細かい作業を持続する根気がなかったので、
必ず2~3箇所はセメダインのはみ出しや、パーツが折れたり失敗の個所が存在した。
俺は現実離れしたスーパーカーより、身近な国産のスポーツカーの方が好きだったのだ。
スーパーカーブームでも国産車のプラモデルはあまり店頭で見かけなかった。
70年代の国産スポーツカーは流麗なデザインが多く、今見ても格好良い。
セリカやスカイラインGTR、俺が特に好きだったのはフェアレディZだった。
流線型のボディにフェアレディ(貴婦人)の名の通り女性のような美しさも感じていた。
在る日、学校帰りの模型屋で珍しく24/1スケールのフェアレディZを見つけた。
俺は帰宅するなり、貯金箱の小銭を引っかき集めてこのプラモを手に入れた。

大好きなZの作成には、今までにはなく丁寧に気を使った。
部品を取り外し時で残る出っ張りは、サウンドペーパーで丹念に磨き、
一つ一つの部品の接合にも細心の注意を払った。
普段なら半日で仕上げるようなモノに1週間かけた。
(綺麗だあ・・・・)
白いボディのZが組み立て終わった時、俺は恍惚としていた。
出来映えは満足のいくもので、俺の作成した中では出色だった。
車のプラモには水で浮かせて貼るシールが付属されている。
そういう意味ではまだ完成はしていなかった。
俺もカウンタックやポルシェにはシールを貼ったが、Zには敢えて貼らなかった。
何も飾らない純白のボディは、一つの美として完成していると思ったからに違いなかった。
俺は本棚の一番目立つ場所にZを飾り、カウンタックやポルシェは奥に追いやった。
学校から帰り、このZを手に取って眺めるのが楽しかった。

当時、スーパーカーブームの影響でテレビでも車を取り上げる番組が多かった。
俺はたまたまGTレース(カスタマイズした市販車で争うレース)にZが出ているのを見た。
プラモと違って銀色ベースの車体だったが、ボンネットだけが濃紺にカラーリングされていた。
(格好いい・・)俺はその精悍なフェアレディZに心を奪われた。

自分のZのプラモを手にした時、
今までずっと完成された美だと思っていた純白のボディが、まだ改良の余地があるのでは・・
という邪念が沸々と沸き上がってきたのだ。

机の中に青い油性のマジックインクがあった。
このボンネットを青く塗ったら・・
俺は純白ベースのボディに海のように青いボンネットのZを想像した。
何だか物凄く格好良く感じられた。
試しにボンネット位の大きさの長方形を紙に書いてマジックで塗ってみた。
見事に均一な青で塗れた。

(よし、これなら大丈夫だろう・・)
俺は意を決してZのボンネットを青マジックで塗ってしまったのだ。
紙とは全く勝手が違った。紙のようにインクが直ぐに吸い込まれないので、
インクが浮き、ムラのある見苦しい青になった。
「ギャー!!どうしよう!どうしよう!!」
後の祭りだった。どんなに塗り直しても紙のように均一の色にはならない。
ベンジンで落とそうとしても油性のインクは容易には落ちない。
反って薄くぼやけた色になってしまった。
もう後戻りは出来ないのだ。俺は半べそをかきながら
もう一度、青マジックでボンネットを塗った。
俺は取り返しのつかない事をしたのだ。

色ムラがどうしても気になったので、始めは貼らなかったシールを
ボンネットのムラを隠すように貼ってみた。
チンドン屋のようになった。
手を入れれば入れる程、無残な姿に変わっていく。
俺はあきらめた。このZはラリーカーだ、と変な納得のさせ方も試みたが空しかった。
俺は本棚の奥にZを追いやって、カンタックを表に出した。
見るのが辛くなったからだ。

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砂原良徳    「MidnightBowlers 1996-1997」

2005-06-01 00:00:26 | 音楽帳
案外わかっていない人も多いが、このCDの5曲目の「WorldWar Ⅲ」の曲のメロディのベースモチーフはドラマ「白い滑走路」のテーマ曲では無いだろうか?。
多分そうだろう・・・、というのも砂原さんの「SoundOf70」に「747Dub」という曲があるが、747とは、ドラマで田宮二郎が乗っていたジャンボジェットのナンバーなのだ。

ドラマは、1974年TBSの作品です。
1974年ということは、我輩は8歳か・・・・。

★「白い滑走路」とは・・・・「白い影」に続く、白シリーズの第2弾ドラマ「白い滑走路」。パイロットのクールなプロ精神と孤独な男の愛を描く航空ロマン。田宮二郎は初のパイロット役に挑戦!!

ということだ。田宮二郎が、あのぎらぎらした三島由紀夫ばりの姿勢でパイロットの格好をしていた記憶がある。
今でも記憶にあるのが、田宮二郎が大汗をかく熱を出し、寝込んでいる所に、着物姿の山本陽子が見舞いに来るが、そこで、水を口移しで飲ませるシーンがあったはずなのだ!
幼少の自分には「ガーン!」というような頭に残るシーンだった。

もう1つ記憶にあるのは、当時、お稽古事として「習字教室」に、我輩は通っていたのだが、そこでのシーンだ。
我輩は、三ノ輪の自宅から日本堤のその教室まで歩いていた。

その教室には、性格がとんがった未婚の習字の先生がいた。
先生は、片を崩さず、先生然としていた、少々、コドモには怖いタイプの女性だったが、その教室にしていたおマセな女の子が声を掛けた。
「先生、今晩、白い滑走路ですよ。あたし楽しみだわ。」
のようなことを言ったと思う。

すると先生はオンナ同士の会話ということもあって、見ている我輩の視線に気づかずに、しゃべる内容に「ガーン!」と再びなった記憶がある。

先生はこう言った。
「そう~。今夜も楽しみだわ~。私もあんな激しい燃えるような恋がしてみたいわ。(うっとり)」といったのだった。

当時、ヒットしたこのドラマ。我輩にはオトナ過ぎた。先生のその会話を聞いてしまった我輩は、1人うつむして恥ずかしがっていた気がする。我輩、8歳の頃の事だ。
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