今日も、隘路(あいろ)を行き止まりにぶつかりながら、ちいさな息づかいに耳を澄まして歩く。
実は、「あれ」から2回、バッグに食べ物を詰め込み、ミミちゃんとおばさんに会いに行った。
細い路地で会うことは叶わなかったが、今日は手がかじかむほどの寒さ。
ネコたちも、さぶいさぶい・・・とどこか良い場所に移動したらしく、出会わなかった。
ミミちゃんとおばさんは、暖かい部屋で過ごしているだろうことを想いながら、路地にシャッターを押して、通り過ぎた。
■ムーンライダーズ 「さよならは夜明けの夢に」1977■
ミミちゃんには、また暖かい日が来たら、会いに行く。
ママが寝ていました(苦笑)
まあ、ママが濡れるよりはと洗濯物は諦めます。
幸宏さんの「This Island Earth」を借りてきました。
そういえばと、今は「EGO」に移っています。
「左岸」が入ったこのアルバムが
「TOMORROW NEVER KNOWS」で始まっていることを思い出して、
青い鳥はここに居たという心境です。
「左岸」は去年の夏、かたちんばさんに舞い降りた青い鳥でしたね。
と思ったらここに、ワイルドスミスの鳥さんが居ました。
ヴァン・ヘイレンをガンガンにかけている骨折したお母様の図…
何だか気が抜けて、失礼ながら笑ってしまいました。
震災後に、ドラマの最終回を気にしていた母を思い出します。
やはり、母は偉大ですね。
全てを飲み込んでしまうチカラ。
それに畏怖を覚えて、拒否を続けていた子供の頃。
もはや、今ではそれを越えて、素直に偉大だと思えます。
親というのは、子供の行動を阻害する障害物ですが、お互いが、というより、子供側が相反するものを越えた「他者」として認識出来るだけになってから、やっとその存在を認めるに至ります。
それは、馴れ合いでも無く、歳を取ったからでも無い。
じぶんは、そう思っています。
***
3・11後の親の行動には、達観したものを感じました。
さくりんさんのおかあさんが地震よりドラマを気にしていたように。
両腕を骨折しても、ヴァン・ヘイレン(笑)。
なんとか、6月に楽しみにしているライヴに行かせてあげたいです。
お袋「最近は、外タレが来ないんだよ。」
じぶん「そりゃそうさ。地震に放射能・・・そんな所に、いくら出稼ぎでも来ないよ。」
お袋「そんなことじゃ、ストレス発散出来ないよ!」
じぶん「まあ、CDでも欲しいものがあれば買ってくるからさあ。」
お袋「最近、ハロウィンが結構イイんだよ。」
じぶん「???ああ・・・そうなの。」
お袋「マリリン・マンソンも来ないかなあ。」
じぶん「よう、わからんけど。」
そんな具合です。さすがB-29を目の前で見てきた世代にはかないません。
胃ガンで2/3を無くしてから10年経たお袋が、更にパワーアップしている様には「もはや捨てるものなど無い」という迫力を感じます。
***
ママさんのために、洗濯物が濡れても、起こしてはいけないと思う、さくりんさんとの風景に、ココロが癒されます。
自由奔放なネコさんには、かないませんね。
ママさんも、そんな親が居てしあわせそのものです。
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ワイルドスミスさんの絵はステキですね。
ふくろうさんも、実は一緒に暮らしたい生き物ですが、なかなかかないません。
幸宏の「ロマン神経症」「ボク、大丈夫」「薔薇色の明日」は、自分のお棺に入れて欲しい数百枚のうちの大事な3枚。
「EGO」も好きですが。
「薔薇色の明日」は、ピエール・バルーとの美しい「波紋」に始まり、フェリーもあれば、バカラックもある。
元々は、彼らの影響あって成立しえたアルバムではあるものの、幸宏の内部で醸造された耽美的で神経質な音は、すでに影響などを通り越して、幸宏にしか創れない世界を見せてくれていました。
あまりに美しすぎます。
よく評論家が、この手合いの表現を用いるものですが、そんな連中は無視して、ポケットにカネが1円も入らないじぶんだからこそ、正直に30年聴き続けて来て、幸せだったと思います。
そして、出ていく時はいつもくしゃみをひとつ。
まるで山頭火です…あれは咳でしたね。
今日はこはんちゃんと遊んでいると、
一度横を通り過ぎたおばさまが戻ってきて
「あら、きれいな猫ね、よくなついて、飼い猫だったのかしら。うちのは真っ黒なのよ…」
猫談義の始まりです。
ここでご飯を出してよいものか様子を窺っていると、
それを察したのか、おばさまが「はい」と私の手にカリカリを出してくださいました。
* * * * *
骨折話どころか、ダヤンにマリリン・マンソン(笑)
私まで元気をいただけます(^.^)
きっと大丈夫だと思いますが…
できるだけ万全でヴァン・ヘイレンに行っていただきたいものです。
『子供側が相反するものを越えた「他者」として認識出来るだけになってから、やっとその存在を認めるに至ります。』
言い得て妙ですね。
憎しみでも恨みでも表せない感情の対象だった頃から
今に至るまでを思い返します。
親と子。
互いに、一生をかけて消化するものかもしれませんね。
長いこと咀嚼を繰り返したり、消化不良だったり。
土曜日はお休みですか。
今週もお疲れ様でした。
時折、はっとさせられるような核心を掴んだ詩的な表現に、気付かされる。
風景がそのまま浮かぶネコとの景色。
良いネコとの距離感のなか、そのスペースには「しあわせ」の香りがうっすらと漂っています。
じぶんの体内をやはりたどれば、3・11からの気付きが無意識下には眠っているように思いますが。。。
この地球という島に君臨して、えらぶっている人間さまという図から、人以外のものたちを含めて構成されている地球という方に、より視線・眼が移ってきています。
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「くしゃみを1つ」というと、つい細野さんの「冬越え」とダブリます。
温度や天候がコロコロ変わりますね。
この土日に爆弾低気圧が・・・と言われていますが、自然の中で過ごす動植物に被害がないことを祈ってやみません。
今は12時なのに、やけに薄暗くなってきました。
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ダヤンちゃんはかわいいですが、あれほどお袋さんを惹きつけるとは意外でありました。
ダヤンのコーヒーカップとタオルを買ってあげようと思っています。
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今週はボロボロで終わりました。
何か仕事をしても、エクセルの数字の羅列に、今じぶんがどこにいるのか?もわからない状態になりながら、気が着くと何も進んでいない。
まるで砂漠の中を歩いているように、果てないアリ地獄の中にいるようにして、昨夜は23時頃帰宅。
昨日はさすがに起きるのに、うなされながら20分七転八倒してやっと立ち上がる始末。
御法度のQPコーワ2錠服用。
しかし、それも夕方以降切れ始める。
1時に寝て11時半に起きました。なんとか午後どこかで歩き旅に行きたいものですが。。。
素直に嬉しくもあります、ありがとうございます。
いつも言葉にひっかかっていて、
公文書などは特に苦労しています…
さらに風の強い一日でしたね。
今は音さえも飛ばされたように静かな夜です。
風の日の1曲というのもありますが、
今日は「風の又三郎」が浮かびました。
猫さん他、多くのいきもので語られる宮沢賢治さんのお話。
善や美を物語るにはヒトではあまりに足りず、ヒトで悪を物語るのは醜くいたたまれなかったのかと想像します。
長いこと躊躇していた「ねこの事務所」を読み、その思いが強くなりました。
かたちんばさんの3.11以降の気づき・視線とシンクロしている気がします。
* * * * *
そういえば先日、「ふくろうカフェ」なるものがネットで話題になっていました。
静かな佇まいとあの首の動き…見ていて飽きませんね。
街猫さんと違って身近には居ないふくろうさんですが、
カフェというのも複雑ですね。
あるき旅の風景も影法師も変わらず美しい瞬間ですが、
お疲れは減りましたか。
兄が文学少年だった一方、絵ばかり描いていたじぶんは、親父からバカ扱いでした。
実は、常なる分裂症的な逸脱文章には、コンプレックスと違和感が未だにあります。
***
そんなじぶんにも、宮沢賢治さんのお話しは、小学生から朗読もあり、なじみのものでした。
彼が、とてつもない孤独にあったからこそ、そこから産み出したドリーミーな世界は、唯一無二の切なさといとおしさがありますね。
「ふくろうカフェ」?
初めて聞きました。
ただ、ふくろうさんは、繊細で賢い生き物なので、いたたまれない想いをします。
ふくろうと住んでいらっしゃる人もいますが、ネコと同じで、飼う/飼われるの関係にもなく、ペットではありません。
余計な近づき方もしてはいけない。
でも、たまーに、甘えてくる。そんな距離感が大事ですね。対等であるのが基本ですからね。
すると、車の間を縫って誰かやってきます。
「あら~、やっぱりご飯あげてくれてる方が居るのね。」
あらたな同志の登場です。
「でも、嫌がるヒトも居るので、こうやって車の後ろに呼んでいるんです。」
「えっ、あなたも(笑)、私もこっそり。私、実は犬派で、あんまり猫触れないんだけど、なんだか可愛くって。」
「私もそうでした。まさか自分が猫のご飯を買うなんて…と思うことがあります。」
「そうそう、そうなのよね、嬉しいわぁ。金曜はちょっと太めの男性があげてるみたいだから、私は金曜は休んでるの。」
「あっ、そうなんですか。そこのおそば屋さんのおじさんは嫌いみたいです。」
「おそば屋さんね、注意するわ。」
その後も、
資材置き場が少しでも残って欲しいこと、あの時生まれた仔猫はどうしたんだろうと考えていることは同じで、
話は尽きませんでした。
今さらながら気づいたのですが、
猫さん好きは自然と猫さんの間合いになりますね、様子の見方も話も。
同じように
私はかたちんばさんの文章に
逸脱よりもそんな間合いを感じます。
のびやかだったり、ピンと張りつめていたり。
映画「ネコナデ」で、大杉漣さん演じるキツイ部長とネコさんとの出会いも思い出します。
ともに、恋に感染したのだと思います。
大杉漣さんも、その1人。映画に出たネコちゃんは、これがきっかけで犬を飼っていた大杉家で一緒に住んでいます。
永遠に届かない距離感がありながらも、いとおしい存在。。。
片思いのような感じなのでしょう。
ゆえに、じぶんも未だに独身なのだろうかな?とよぎりもします。