いつもいつも、土日を寝てすごしてきた。
これではまずいと思いながら。
土日寝て過ごすのは、平日に無理をしているからである。
また、じぶんが40過ぎてから急激に見舞われた、心身のやまいの渦ゆえでもある。
<平日に無理>とは、じぶんがなせるレベルを越えたところまで、突っ張っているからである。
突っ張れば疲れるに決まっている。
じぶんのレベル以上のことが出来るとでも思っているからである。
少しでも平準化していくこと。
深呼吸をすること。
ストレッチをすること。
ネコのように、しなやかではないけれども。
歩いてみること。
あてもなく。
「ボクは、冬に向かって歩きだす。」(アズテック・カメラ)
8時半起床。
ブログを更新し、お茶を飲む。
トイレそうじを1つやり、お風呂のアカを取り、フローリングをそうじする。
洗たくをして、干し物をすませる。
11時、YMOの1981ウィンターライヴを聴きながら、再びもう1つのトイレそうじをする。
MZ師から電話が鳴り・すこし話して切る。
12時、パスタをゆでて食べる。
ここからがすこし良くなかったのが、食休みと横になったら寝てしまう。
起きると2時半。
しだいに日の長さが縮まるなか。
3時、お風呂を沸かして入る。
3時半、したくをして外に出て・歩きだす。
晩秋の公園
にこやかなカメさん
干し柿
南天
陶芸教室の生き物たち
だれもいない校庭
郵便局
ゆうぐれ雲と空塔
年末ジャンボ宝くじ
イルミネーション
晩秋の月と晩秋のひまわり
下町の物干し
***
今夜は、さばを焼こう、とごしごし魚用のコンロの汚れを取っている。
■Duran Duran 「Ordinary World」'93■
90年代の真っ只中で、ひさびさにメロディーメーカーとしてのデュラン・デュランの名曲に出会い・遠い目になったあの日。
同じ時代を生きた同志への、熱い想いが体内に宿ったあの日。
これではまずいと思いながら。
土日寝て過ごすのは、平日に無理をしているからである。
また、じぶんが40過ぎてから急激に見舞われた、心身のやまいの渦ゆえでもある。
<平日に無理>とは、じぶんがなせるレベルを越えたところまで、突っ張っているからである。
突っ張れば疲れるに決まっている。
じぶんのレベル以上のことが出来るとでも思っているからである。
少しでも平準化していくこと。
深呼吸をすること。
ストレッチをすること。
ネコのように、しなやかではないけれども。
歩いてみること。
あてもなく。
「ボクは、冬に向かって歩きだす。」(アズテック・カメラ)
8時半起床。
ブログを更新し、お茶を飲む。
トイレそうじを1つやり、お風呂のアカを取り、フローリングをそうじする。
洗たくをして、干し物をすませる。
11時、YMOの1981ウィンターライヴを聴きながら、再びもう1つのトイレそうじをする。
MZ師から電話が鳴り・すこし話して切る。
12時、パスタをゆでて食べる。
ここからがすこし良くなかったのが、食休みと横になったら寝てしまう。
起きると2時半。
しだいに日の長さが縮まるなか。
3時、お風呂を沸かして入る。
3時半、したくをして外に出て・歩きだす。
晩秋の公園
にこやかなカメさん
干し柿
南天
陶芸教室の生き物たち
だれもいない校庭
郵便局
ゆうぐれ雲と空塔
年末ジャンボ宝くじ
イルミネーション
晩秋の月と晩秋のひまわり
下町の物干し
***
今夜は、さばを焼こう、とごしごし魚用のコンロの汚れを取っている。
■Duran Duran 「Ordinary World」'93■
90年代の真っ只中で、ひさびさにメロディーメーカーとしてのデュラン・デュランの名曲に出会い・遠い目になったあの日。
同じ時代を生きた同志への、熱い想いが体内に宿ったあの日。
『すこし たちあがってみる』
うねりの中に立つかたちんばさんに安堵する一方で、
この数日の自分は何とも言えない浮き沈み。
原因があるような、ないような。
こんな時、頭に浮かぶのは「修羅」の文字。
堕ちていく時か浮かび上がる時なのか、
折にふれて読むのは芥川の「歯車」と
かたちんばさんにはお馴染みの「春と修羅」。
落ち着く、というより
自分が置かれた状況が見えるようになります。
今日は、ゼルダを聴いています。
Ash-Lahも理由のひとつですが、
ゼルダが3部作を昇っていく過程は、
私の「たちあがる」スイッチかもしれません。
と思ったとたんに、寒空の下で「えつ」に会いました。
先日伺った「とどまつ」がとても味と愛ある呼び名だったもので、
えっちゃん改め、です(笑)
兎にも角にも、行き倒れのようですが、またここにたどり着きましたm(__)m
ピエール・モリニエで検索したらコチラに辿り着きました^^;
でも、この11/25の記事が凄くイイ感じだったのでコッチにコメントします。凄く普通なのに中味のある写真に続いてデュランデュランOrdinary Worldで涙目になりました。。同じ時代を生きた同志への。凄く良くわかります。
はじめまして。
やっぱり、エコー&ザ・バニーメンが好きなんでしょうか?
ピエール・モリニエ。
ひさしく忘れていましたが、個人が持つ世界に、秘められたヒトの真実と・宇宙があることを思います。
常識/非常識という狭いくくりで、墓にもひどいエピタフを書かれたモリニエに対しての義憤を感じますが。。。
ただ、自分がそういう「社会」に属しているのは、自己欺瞞とも思っています。
デュラン・デュランのこの曲が、当時FMから流れたとき。
瞬時に彼らと分かったのと同時に、自分の中に広がった開放感は、単なる「なつかしワールド」ではないものを感じました。
何度聴いても良い曲だと思います。
ぜひ、また、気が向いたらでかまいませんので、お越しになってください。
ありがとう。
この2年、よほどのことが無い限り、外で平日お酒を呑むのを回避してきましたが。
今夜は、仕事上、さまざまなヒトの意見を聞くべくお付き合い。
ついつい、行くと呑んでしまう/呑めてしまうじぶん。
あまりいい気にならずに、ビールで済ませたのは、まだ制御が効いていただけマシ。
***
お酒が抜けにくい体質なので、さぶいなか帰ったら、ひたすら緑茶を飲んでいます。
「兎にも角にも、行き倒れ・・・」
似たようなものです。
おやぢパワーはじぶんにはありません。
「とどまつ」ちゃんは、人懐っこくて、MZ師から聞いたのは、女子高生に囲まれて、顔をびろーん・びろーんとされても喜んで遊んでいたとのこと。
首輪を付けているので、どこかの飼い猫だとは思うのですが、首輪に「どらねこ・とどまつ」と書いてあるそうで、その名前を含めてほほえましく思います。
まー。
さぶいなかでも、腕や首をまわして、ストレッチして、力を抜きましょう。
余裕がない証拠ですね~
加えて寒い問題に行き当たると、
緊張で血管が収縮するのでますます寒くガチガチです(+_+)
先週の水曜だったか、
美しい夕焼けの空に気になる雲が浮かんでいました。
その週末の地震。
そして夕べ、満月のまわりを流れる再びの不気味な雲。
どこかへ向かう線路のようでも梯子のようでもありましたが、
次第に痩せこけた背骨に見えて、心が騒ぎました。
かたちんばさんに伺った阪神淡路の時の雲のお話を思い出し、
忘れかけていたものを改めて思い返します。
もうすぐ雨が降りますね。
お気をつけてお帰りください。
猫さんたちも、ご無事で。
わたしの勝手な感覚ですが、行間に青ざめたチカラの失せた抜け殻感を感じました。
からだはココにあって・文字を打っているのに・どこかに魂がまだ在るような。
すみませんが、すなおに言いました。
しかし、そういうじふんも、既に木曜日は限界。
眠いし疲れを感じています。
今日。
公的には、つまらなさからの醒めた冷気、
それに、
釣られてはいけない…と思いつつ、29歳悪魔女の、『あざとい』電話での芝居笑い声にキレそうになったり…
実に不愉快な時間感覚。
大人にならねばなりませんが、あまりにどいつもこいつも『あざとい』三文芝居だらけで醒めてしまいました。
***
一日中やってはいますが、夜寝る前のストレッチは良いそうで…
わたしの場合は、四六時中首肩痛なので、やらないといけない背景。
約束事はなく、ただ気持ち良いように曲げたり伸ばしたりしましょう。
***
さくりんさんに言われて気付いたのは、やたら月と雲の描く妖しい綾を撮ってばかりいます。
確かに「あのとき」のまえぶれが、妙な月・雲・空を見るたびにフラッシュバックします。
ただ、いつも「まさか…」と、見たことを有事につなげないよう、抑制しているのも身についてしまったクセです。
駅を降りたら雨が降り出しました。
急ぎ足で帰る。
じふんは雨男ではありませんが、ぎりぎりでかろうじてクリンチしている「わたしの在り方」を象徴している。
つくづく、そう思います。
というのも、自分では疲れの自覚はありませんでしたが、
ただただ内から外から寒くて仕方がない。
でも、その瀕死具合に気づいてくださる人が居ることに
最初の「ぴくり」。
すかさず次の手のように、夕べは友人の誘いで松岡直也を聴きに行きました。
私でも多少は知っている重鎮たち。
音楽活動40年のポンタ氏が、60周年の松岡氏を前に
「僕なんかまだペーペー」と言うのも想像がつかない世界ですが、
単純に「巧い」のと、アクシデントも科学変化させるアトモスフィアには
構えを外して浮かんでいられました。
サンバ、フュージョンは日頃は聴かない音楽ですが、核であるリズムには鼓動が反応します。
リズム隊は自分たちを称して「どんなに難しいリズムをキメても、結局はメロディに叶わない」と謙そんしつつ、
「でもね、障害物競争は愉しくやらなくちゃね」とプライドを覗かせていました。
昇天している友人を横に、
リズム=障害物競争のたとえを
様々な障壁に簡単に砕かれるくせに脈打つことを止めない己のように感じていました。
もうひとつの「ぴくり」。
まるで蘇生措置を受けたような今の心もちで、今日は課題に向かって出勤中です。
私の体温を下げている今最大の原因。
まあ、私は私を超えられないですから(^_^;)
ほどほどに臨みます。
いつも気づきや止まり木…合いの手の数々に感謝します。
荷を降ろして、またあとで寄らせていただきます。
自分は末端冷え性のDNAを背負っていますが、どんどんそこに引き込まれていくと、転がるだけなので、ストレッチや街歩きで、若干の補正をしています。
ポンタさんはよく知っていますが、松岡直也さんは名前は知りながらも、音楽を聴いてはきませんでした。
音楽メディアで聴く音とライヴは別ですね。
昔は、音楽メディアの音以下のヘタクソなライヴに、むりやり乗っている周囲を醒めた目で見ることが多くて、いかない時期が長くありましたが、
今は音楽メディアでは収まりきらないものに、出会う機会が多くなりましたね。
ジャズもヒュージョンなども、目の前で聴くものは、全く異なる世界なんでしょうね。
肉声・肉音。
自分もよく写真に感じるのが、撮った写真にも収まりきらない、その場面の空気感。
「今」で出会った空気を写真に反映させることの難しさを感じます。
まあ、それを肉体感持ったものに仕上げることが出来るのが、プロなんでしょうね。