「奇妙キテレツ盤」など、ニール・ヤングという偉大なミュージシャン、そこに辿りつく意味合いには失礼千万だった。
しかし、スティクスの「キルロイ・ワズ・ヒア」は、奇妙キテレツ盤と言い切っても良いだろう。
***
70年代の終わりから、毎週「洋楽ポップスベスト10」を聴いて、ノートブックに曲目を書いては、どの人のLPレコードを買うかなあ~と思っていた中学生。
彼にとって多様な洋楽は、世界を一気に広げた。
そんな中で出会ったスティクスのシングル盤には、眼をうるうるさせて聴いていた。
「クリスタル・ボール」「ベイブ」「ザ・ベスト・オブ・タイム」。。。というみずみずしい名曲。
経歴の長いミュージシャンなのに、ヒットチャートというオモテ舞台に立てぬまま、苦労を重ねた日々。
その割には、すんなりと中学生にも分かりやすい音楽だった。
中学生の頃に、人間として軽蔑し嫌いだったが、たくさんLPレコードからカセットに落としたコレクションが豊富な島倉という奴の家に訪問しては、いろんな音楽を聴かせてもらった。
クラフトワーク、ピンク・フロイドなど全部のアルバムのカセットがあった。
そしてスティクスも。
(*当時は、相手が嫌いな奴でも、音楽を聴くためには、コビを売ってでも聴かせてもらうことを選択していた)
当時はダビング出来る機材を持っていなかったから、彼の家で聴くのが精一杯だった。
1981年のLP「パラダイス・シアター」は、ラジオから録音して聴いていた。
この冬には、神保町に行き、ジャニス(当時は貸しレコード屋さん)で「烈風」というベスト盤を借りて、録音して聴いていた。
***

【アルバム「キルロイ・ワズ・ヒア」 1983年とは思えない時代トレンド無視の迷珍盤】
そんな彼らも、テクノの洗礼を受けてしまい、自分が高校の頃に発表した1983年LP「キルロイ・ワズ・ヒア」は、既に、自分が知りえて進行中のテクノ/エレクトロニクス音楽からは「古い」と感じさせる「ダサイ」アルバムだった。
当時、そのダササが評判になっていた。
音楽雑誌をめくると、既に険悪な仲になっていた、ギタリスト、ヴォーカルそれぞれが、インタビューに答えていた。
ワイングラスを片手に「キルロイのコンセプトについて語る」というコーナー。
彼らは真剣な表情だったが、我々は笑っていた。
「やってはいけないことをやってしまった」感が、このアルバムには有った。
一番笑えたのが、シングルカット「ミスター・ロボット」。
「ども・ありがと・ミスターロボット」と日本語で語る辺り、遅かりしながらYMOも影響がにじんでいたが、YMOとは似ても似つかない音楽。
当時、ビックリハウスだか宝島のコーナーで、東京で赤いスポーツカーを走らせていて、車内から流れていたら「ダサイ」音楽トップ10みたいなチャートがあった。
その中には、クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」があった。
そして、この曲「ミスター・ロボット」もあった。
渋谷か青山の渋滞する交差点に車が止まってしまい、この曲を通行人にガンガンした音で聴かれたら、サングラスをした運転手は冷や汗だろうなあ。。。
そう思った記憶がある。
つくばの人も居ないたんぼの道ならば良かったのに。。。
ということで、数十年ぶりにスティクスの迷曲「ミスター・ロボット」を聴いてみたい。
■Styx 「Mr. Roboto」'83■
スティクスも道を間違った。
彼らが持っている叙情性は、ここで消えてしまって、バンド自体はほぼ解散状態に向かった。
しかし、スティクスの「キルロイ・ワズ・ヒア」は、奇妙キテレツ盤と言い切っても良いだろう。
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70年代の終わりから、毎週「洋楽ポップスベスト10」を聴いて、ノートブックに曲目を書いては、どの人のLPレコードを買うかなあ~と思っていた中学生。
彼にとって多様な洋楽は、世界を一気に広げた。
そんな中で出会ったスティクスのシングル盤には、眼をうるうるさせて聴いていた。
「クリスタル・ボール」「ベイブ」「ザ・ベスト・オブ・タイム」。。。というみずみずしい名曲。
経歴の長いミュージシャンなのに、ヒットチャートというオモテ舞台に立てぬまま、苦労を重ねた日々。
その割には、すんなりと中学生にも分かりやすい音楽だった。
中学生の頃に、人間として軽蔑し嫌いだったが、たくさんLPレコードからカセットに落としたコレクションが豊富な島倉という奴の家に訪問しては、いろんな音楽を聴かせてもらった。
クラフトワーク、ピンク・フロイドなど全部のアルバムのカセットがあった。
そしてスティクスも。
(*当時は、相手が嫌いな奴でも、音楽を聴くためには、コビを売ってでも聴かせてもらうことを選択していた)
当時はダビング出来る機材を持っていなかったから、彼の家で聴くのが精一杯だった。
1981年のLP「パラダイス・シアター」は、ラジオから録音して聴いていた。
この冬には、神保町に行き、ジャニス(当時は貸しレコード屋さん)で「烈風」というベスト盤を借りて、録音して聴いていた。
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【アルバム「キルロイ・ワズ・ヒア」 1983年とは思えない時代トレンド無視の迷珍盤】
そんな彼らも、テクノの洗礼を受けてしまい、自分が高校の頃に発表した1983年LP「キルロイ・ワズ・ヒア」は、既に、自分が知りえて進行中のテクノ/エレクトロニクス音楽からは「古い」と感じさせる「ダサイ」アルバムだった。
当時、そのダササが評判になっていた。
音楽雑誌をめくると、既に険悪な仲になっていた、ギタリスト、ヴォーカルそれぞれが、インタビューに答えていた。
ワイングラスを片手に「キルロイのコンセプトについて語る」というコーナー。
彼らは真剣な表情だったが、我々は笑っていた。
「やってはいけないことをやってしまった」感が、このアルバムには有った。
一番笑えたのが、シングルカット「ミスター・ロボット」。
「ども・ありがと・ミスターロボット」と日本語で語る辺り、遅かりしながらYMOも影響がにじんでいたが、YMOとは似ても似つかない音楽。
当時、ビックリハウスだか宝島のコーナーで、東京で赤いスポーツカーを走らせていて、車内から流れていたら「ダサイ」音楽トップ10みたいなチャートがあった。
その中には、クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」があった。
そして、この曲「ミスター・ロボット」もあった。
渋谷か青山の渋滞する交差点に車が止まってしまい、この曲を通行人にガンガンした音で聴かれたら、サングラスをした運転手は冷や汗だろうなあ。。。
そう思った記憶がある。
つくばの人も居ないたんぼの道ならば良かったのに。。。
ということで、数十年ぶりにスティクスの迷曲「ミスター・ロボット」を聴いてみたい。
■Styx 「Mr. Roboto」'83■
スティクスも道を間違った。
彼らが持っている叙情性は、ここで消えてしまって、バンド自体はほぼ解散状態に向かった。