こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年5月24日 木曜日 須田町から岩本町への道

2012-05-24 22:13:20 | 写真日和
嘘くさい未来。
実体ある過去からの永続の現在。
乖離。
かたちんば。






























コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2012年5月22日 火曜... | トップ | 2012年5月26日 土曜... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今週も終わり。 (さくりん)
2012-05-26 18:06:30
5月も終わり間近。
同じ月にゴールデン・ウィークがあった実感のない、遠い記憶。

四半世紀前のことであれば、なおさら。
88年は、心理の実験にうんざりしていました。
その結果、専門の道は進まず(進めず)外街道を歩いているのですが。
当時の音楽は…クラナドの妹ということで、エンヤの登場を楽しみにしていたのを覚えています。
未知のアイスランドに思いを馳せて、シュガーキューブスのソノシートをもらったのもこの頃だったかもしれません。
マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、コクトー・ツインズ、ツネマツマサトシ…は続けて聴いていましたが、
他に思い出せないのは、所謂「リアルタイム」の音に積極的に耳が向いていなかったということでしょうね。

字の話はあまりしない方がよいのでしょうが、
かたちんばさんの字には、絵と同様、私の好きな雰囲気があります。
手から生まれるものはやはりいいですね、
飾らずその瞬間瞬間が綴られているところに真実がある。

 * * * * *

昼休み、この判子の群れに自分を探す私(笑)ヒマですね…
おしい!ゾーンですが、ありませんでした。


神田川のうっそうとした中へ…分かります。
そう思いながら下りずにいるのがいい、ということも。

だ円で鍋!!!
次に聖橋を渡る時にはきっと、ひとり思い出してふにゃふにゃ不審者です^_^;
鍋って頭の方が極端に暑くなりますが(私だけでしょうか)、神田川の風と好きな風景で心地よさそうです。

鍋の季節にはさて、また一夏越えねばなりませんね…

猫屋敷の前の水がめに、スイレンのつぼみを見つけました。
返信する
自問自答の日々 (かたちんば→さくりんさんへ)
2012-05-26 18:47:43
時間とは、棒状に続く連続体なのか?
答えは、NO。
これは、真実ではないと、自分は思います。

さくりんさんが言う通り、たかだか数十日前のことも、既に絶縁された時空。

自分が必死にメモを取ったり、写真や音楽の時系列にこだわるのは・・・
実のところ、そうしていないと、時空の中に居る「自分」が認識出来ないで、心身ともにばらばらに散っていく恐怖があるゆえ。

***

88年は、自分は大学で、既に時代が「終わった」あとの終末感・空虚の中を漂っていました。
さくりんさんが心理の実験にはげむ中、自分はユングを中心とした本を読み漁っていました。

しかし、むなしい時代。
何も、新しいモノが産まれない時代。
宮台真司さんのうまい表現で言えば「終わりなき日常」。

87年に音楽を一度あきらめて以降、何もありませんでした。
そんな中、出てきたエンヤには、確かに感激しました。
でも、自分の記憶では89年だったように思います。

***

ノートの字は、お恥ずかしいですが、走り書きの山です。
見た夢を万年筆で、忘れないように、とひたすら走らせるので、汚い字です。

それに、いたずら書き。
こんなノートは数十冊もあります。

***

聖橋の話、実は自分は高所恐怖症なのですが、それでも、小さい頃から聖橋のあの抜けた部分に座ってみたいと思っています。

確かに、風が気持ちよいんじゃないかなあ。

夏、ですか。
自分は節電することにしましたよ。
それは、マスゴミキャンペーンにそそのかされる意味ではなくて、不愉快な態度の東京電力と戦った末でも、カネを払わねばならなくなった事への怨恨です。
少しでも払う=彼らのポケットに入るカネを減らしたい、というささやかなる抵抗です。

***

実家にもカメがあって、そこにある藻や草が味わい深いですが、スイレン。
いいですよねえ。
ぜひ、近づいて眺めてください。
カメに空が映るのも、自分は好きです。
返信する
空の移ろいを眺めながら。 (さくりん)
2012-05-29 19:59:14
傍から結果として捉える分には、どの断面もかたちんばさんですが…
過去から現在へ繋がることのない、点でしかない意識の中では、迫る恐怖から逃げるのは当然と言えます。
それでも、さらなるもう一線を渡らなかったからこそ、互いに流れ流れて今こうして接点があり、それは感謝の一言。

いつも、自分がどんなにねじれていっても、お構いなしに世の中はまわっている。
でも、弱い自分よりもっと小さないきものが健気に賢く生きているのを見ると、はっと我に返ります。
今日は、アジサイが満開になったお宅を見て、いつの間にか梅雨が近づいているのを感じました。
繰り返される狂った雨ではなく、静かに夏を待つような梅雨ならいいですが…
そんな中で水がめにスイレンが開き、雨つぶも青空も受けてメダカや金魚が泳ぎ、カエルが遊びに来たら、言うことなしです。


1987年の絵。
これが茶介くんですね、初めまして。
ただ単純に、かたちんばさんの絵を見るのは好きですが、
ぱっと見では分からない、現実が焦がれる穏やかな睡眠が、ここには描かれているのですね。

私は「溢れそうに」なると同じ夢を何度も見ました。(ここ1~2年見ていませんが)子どもの頃から続く悪夢。
起きてすぐにメモできる器用さはありませんが(笑)この夢は初めて見た時からよく覚えています。
反対に、覚醒している時には、前にもお話しましたが夢の代わりに乖離状態になる。
私の場合は夢や、自分を分裂させて、意識がある方に現実の処理をさせてきたのだと思います。
今では「こんな状況で、ストレス管理がよくできているね」などど、あまりありがたくないお褒めをいただきますが、それは処理方法が変わっていないからですね(+_+)

かたちんばさんがユングで自覚されたように、私は学生時代の実験で、自分のゆがみとその原因に改めて向き合いました(もちろん、ゆがみには気づいていましたが)。
一番思い知ったのは自分が描く/見る絵で、テーマによっては別人のような落差のある絵を描いたり、ロールシャッハへの特異な反応は、教授を心配させたようです。
己を識る目的で選んだ学問が巡り巡って、人さまの経験を借りて自分の軌道を振り返る職にたどり着かせていますが、
道は絡まるばかり。
返信する
治らぬニンゲン嫌い (かたちんば→さくりんさんへ)
2012-05-29 22:10:29
つくづくニンゲンが嫌いです。

あの狂気の時期をすべて言語化したいですが、100言えてはいません。
ほぼ捉えていますが。

***

アジサイ。
たくさん見るようになりましたね。
まだ青いですが。
小魚やカエルまでやってきたら、小さな楽園ですね。

茶介くんは、もっと歳で、目はもっと可愛かったです 。
とにかく遠慮しがちで優しい子だったので、いじる鬼畜から守っていましたが、最期まで付き合えなかった事は一生の後悔です。

***

さくりんさんの経験。
離人感覚は、過去にも書いたように、自分もありました。長きに渡り。

2人の経験だけでも話していけば、そこにはユング曰くの原型が見えてきそうです。
本当は、そういった人々の体感会話の積み重ねが、精神鎮静への道に繋がるはず。
しかし、医学は「クスリ」に逃げた。
任せたまま、サボリ魔となった。

自分もクスリのお世話になりながらも、医者は根本的に信用ならない奴ばかりの嘆かわしい光景。
我々は我々独自のネットワークで、自らを救う道を歩まねばならないんだ、と思っています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

写真日和」カテゴリの最新記事